黒の魔術師
戦いの心得
(夫人の記憶を覗いたかぎりでは奴の魔術は大地と風。おそらく俺に不意打ちで撃ってきたのは風の魔術だろう)
シンは事前の調べと最初の一手で漠然ではあるが相手の魔術を推察していた。しかし一方でこの戦いが、今までのどの戦いとも事情が違うことも肌で察していた。
(この老人強い。それも桁違いに)
自らが師と仰いできた男と同等かそれ以上の魔力を相手から感じていた。
(逃げることも奇襲することも封じられた。せめてサラの居場所だけでも分かれば)
シンはなんとか相手に触れるチャンスがないかを探る。しかしブライトはその隙も与える気配はなかった。
「遅いな」
その刹那、巨大な鉄の棒で殴られたような衝撃がシンを襲う。
「っ!」
声にならない声を漏らしシンは地面に横たわる。服の下に仕込んだ簡易の鎧などまるで役に立たなかった。それどころかその衝撃の前では魔術による肉体強化さえも意味がなく、あばら骨が複数折れているようであった。
「ほう、耐えたか。血を吐かぬ様子を見るに骨が肺に刺さるようなこともなかったみたいじゃな。幸運な奴よ」
(このままじゃ……死ぬ)
シンはとっさに判断し自らにデリフィードからコピーした強化の魔術を重ねがけをして素早く飛び込んだ。
「まだ若いな」
老人まで後数歩で届く距離まで来たとき左肩の付近を同様の衝撃が走り、その勢いで体は宙に舞って勢いのまま地面にたたきつけられた。
「痛かろう。肩の骨はもう砕け散ったはずじゃ」
シンは伏せたまま頭を必死に回し打開策を練る。しかし体が鳴らす危険信号で既に思考は半分回っていないような状況であった。
(痛いな……くそ。なんとかしなければ)
シンは素早く立ち上がり距離をとる。しかしそれも適わず再度衝撃を腹に受け、膝を曲げる。
「ほれほれもう終わりか」
老人は相手を挑発しながらも一切構えは揺らぐことなく、油断は見えなかった。
(レンジ関係なく魔術が使えて油断も慢心もないときたか)
ブライトはそのまま静かに構えシンを見つめる。
シンは息を整え、相手の魔術を見極めるべく再度身体強化を行い膝をついたまま低い姿勢で構える。
(ここはみすぼらしくうずくまってでも……耐える!)
ブライトはシンが動かないと見るやすぐに攻撃を再開する。シンはその衝撃にひたすら小さく身構え耐える。
そんな攻撃が何回も続き果てには何十回、そして百も超えようとするときになってその衝撃は止んだ。
(攻撃が……止んだ?)
シンは攻撃が止んだこと、そして自分がまだ正気を保っていることに違和感を覚えた。
(おかしい。衝撃が軽すぎる。魔力切れか?それならあんな馬鹿みたいにたくさんの魔術は撃ってこない。だとすればなんだ?)
シンはさらに思考を進める。
(最初の一発、続いての一発はそれこそ強化していなければ即死級の一撃だったのに。三発目、とりわけ連続で放たれる一撃は未だに耐えることができている。)
「やれやれ。ようやくくたばったか」
(しめた。奴は勘違いしている)
シンは息を殺し、ただ静かに相手が近づいてくる足音を感じた。
(近づかれすぎれば生きていることはどうせばれる。しかし下手に攻撃してもさっきみたいにカウンターも狙われる。なら至近距離で魔術弾を放つ)
足音が大きく聞こえ出す。
(今だ)
『フレイア』
ブライトが十分に近くに来ていることを感じシンは魔術弾を放つ。その弾はブライトの頭に直撃し、顔を吹き飛ばした。
(いや、まだだ)
シンはとっさに先ほど同様に低く小さくかがむと同様の衝撃に襲われた。見ると近づいてきたブライトは土に変わりそのまま崩れ落ちた。
(またしても土人形か。ここまで精巧な身代わりが作れる域に達しているとは。さすがの腕前だぜ)
「やはり生きていたか。しかし随分と頑丈だな。今までの魔術師なら既に十回は死んでいるだろうに」
「そいつはどうも」
シンは軽口をたたきながら仕留めきれなかったことを悔やむ。悔やんでも仕方ないことではあるがこの危機的状況から逃げ出したい欲が己を苛んでいた。
(焦るな、焦るな。欲を出すな)
シンは自分に言い聞かせるように頭の中で唱える。
(そうだったよな師匠)
シンはふと昔に師匠に教わったことがよみがえる。家においてもらう代わりに受け続けた訓練の日々。痛みとともにフラッシュバックするのは訓練の痛みの賜であろう。
「シン、戦いを臨むに当たって一番大切なことはなんだとおもう?」
懐かしき日の記憶。訓練でボロボロになり地面に寝そべっているシンに師匠は問いかけていた。
「そんなの勝つことに決まっているだろ」
息を切らし寝そべりながらシンは答える。
「悪くない答えだが少し違うぞ。答えは負けないことだ」
「それは何が違うのさ」
「まず心構えが違う。勝ちたい、終わらせたいという欲こそ逆転の隙を生む。戦いとは常に最悪の状況を読みながら先手先手に潰していくことこそ大事だ。勝ち目が薄いなら逃げてもいい。別の方法で勝ってもいい。何にせよ勝ちたいと思えば道が狭まってしまう」
(だったっけか師匠)
シンは古い記憶を胸に再度片膝を突きながら相手の出方をうかがう。魔術で攻撃することもなくただひたすらに防御を固め、相手を観察した。
ブライトも幾度かシンに攻撃を加えるも、決定的な一打にはならなかった。
(やはりそうだ)
シンはここに来てある一定の確信を持っていた。それはなぜか低い位置に強い攻撃を加えられないことである。
(一度目は立っている状態の胸のあたり、二度目は飛びかかった際の左肩。そして三度目は鳩尾。一番衝撃が強かったのは左肩。以降の攻撃は低く身構え身体強化をかけていればたえることができた)
「どうした?そのままでは勝つことができんぞ」
しかしその言葉はシンには一切響くことはなかった。むしろその逆に彼に一定の自信を与えていた。
(これは……焦っている?)
 その瞬間シンは笑っていた。勝てるという慢心からではない。はるか高みにある頂上を、今まで見ることすら困難であった頂の一部を垣間見たような高揚からである。
「……成る程。もう無駄なようだな」
 シンの変化それは無論ブライトも感じ取っていた。
 おそらくその少年は自分の魔術がどういったものか理解し始めている。それは魔術師の戦闘において致命的でもあった。
「では力勝負でいくぞ」
このままでは消耗戦にひきずりこまれると判断したブライトは再度杖を構える。ブライトの回りには砂ぼこりがうっすらと舞い上がり風の鎧が出来上がっている。
「もう隠すつもりは無いんだな」
「ああ。お主もいい加減気づいたであろう?わしが空気の塊で殴っていたことも」
「流石に事前の調査無しではわからなかったがな」
シンは息を整えながら立ち上がる。
「この洞穴……正確に言うならトンネルか。ここは風の通り道になっている」
シンは自らに向ってくる風の塊を加速術式によって素早くかがむことでよける。来る大まかな方向が分かって入れば見えにくい攻撃をよけることは不可能ではない。
「そこで空気の塊を作りだし、俺に当てている。はじめからおかしかった。肉体強化ごと貫通する威力、よほど大がかりの魔術でもなければこう連射はできない。このトンネル全体が魔術的装置だったんだ」
ブライトはそれ以上攻撃することはなくシンの言葉に耳を傾けていた。
「じゃああとの話は簡単だ。この洞穴は床、壁、天井すべてが装置だ。じゃあそれらがもっともうまく機能する空間的な点はどこか」
シンは自分より少し高いところを指す。
「天井、壁、床から等距離にある位置。俺の身長で言うところの頭より少し上ぐらいだ。だから俺への攻撃は威力が高めやすい上半身中心だったんだ」
「見事だな。少年」
ブライトは感心したように手を叩く。シンはなんとか時間を稼ぎ、最低限息を整えることに成功していた。
「かつて戦争の英雄を生み出してきた魔術も今や文明の奴隷。現代魔術師は新しい魔術の研究で金と名声を得ようとする輩ばかりになって久しい。そんな時代に君のような輩がいるとは思わなかった」
ブライトは静かに語りながら松明で床を照らす。そこには魔術協会の魔術師が着るローブが無造作に捨ててあった。
「俺は特例だ。この黒い痣でもついてなければ、そして俺を助け導いてくれる師匠に出会わなければこうはなってないさ」
 シンは低い姿勢のまま自らのナイフを構える。
「見事だ、少年。だがここからは力勝負だ。楽に死ねるとは思うまいな」
ブライトはそう言うと、今度ははっきりと見える形で風の弾丸を放った。
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