黒の魔術師 

野村里志

老獪なる魔術師













 シンは町からそう遠くない場所に位置する山にまで来ていた。毎年この季節には山の恵みがもたらされ、町の人々は存分にその恩恵を受けていた。しかしその季節も終わり、今は木々が物寂しく並ぶばかりであった。


 木々は草を減らし、動物たちは動きを潜めこれから来るひもじい季節を耐え忍ばんとしていた。そしてそれは人間も例外ではなかった。


(俺の考えが正しければ……ブライトは……)


 シンは老獪なる魔術師と呼ばれるその男の正確な所在は把握していなかった。というより把握しようがなかった。おそらく町の住人も正確に知らされてはいないであろう。例え知っていたとしてもその住人を捜し当てることは困難であった。


 しかしシンにはあてがあった。それは自身も森の中で隠居していたという経験からくるものであった。


(やはりあった。結界の端、ここだ)


 シンは巧妙に隠された結界の装置を勢いよく破壊した。












 ある朝目覚めるとサラは見知らぬ空間にいた。四方は壁に覆われ天井に空けられたわずかな穴が外への唯一のつながりであり、そこから差し込む光でなんとか周りを確認できた。


 サラは何度か声を上げて助けを求めてみたがまるで反応はなかった。魔術を駆使して打出を幾度か試みたが、成功はしなかった。


 陽が傾き周りがほとんど見えなくなったころ、不意に壁が開き松明の光が差し込んだ。


「はじめまして、お嬢さん」


 急な光にまぶしさで目をそらすサラ。目が慣れて、相手を見てみると、そこには頬に黒い痣を宿した老人がいた。


「あなたが……ブライト?」
「そうだよ、お嬢さん。あんたはブランセルの魔術師かな?」


 老人はニタニタと笑いながら近づいてくる。


「可愛らしいね。食べちゃいたいくらいだ」
「い、嫌」


 サラは咄嗟に自らに加速術式をかけて老人の横を抜けて離脱しようとする。しかしすさまじい衝撃がサラの胴体を襲い、サラはうずくまってしまう。


「無理だよ、お嬢ちゃん。この場所は私の城だ。罠や仕掛けも十二分に用意されている。自分の獲物を逃がすようなへまはしないよ」


 老人はそう言うとサラに近づく。そして動けないサラの顔をつかむとその頬をゆっくりと嘗めた。


「ひぃ!」


 サラは慌てて腰元の短剣を抜き、反撃を試みる。しかし短剣を抜くことすら満足にできず吹き飛ばされ、壁に打ち付けられた。


「かはっ!」


 少女は自らの身体に受ける衝撃にしこうがとまる。戦意は既にもがれ、ただただ自らの激しい呼吸音だけがさらの頭に入ってきた。


「さて、私も忙しい。それに限界も近いのでな」


 ブライトはおもむろに壁の中から剣を取り出す。それは剣というよりは寧ろ屠殺用の包丁であった。


しかしサラには既にそれらを観察する余裕はなかった。ダメージで動けず、呼吸は乱れていた。ブライトはどうやってその剣を取り出したのか、どうやって自分に攻撃したのかなど考える余裕はなかった。


そして唯一理解できたことは自分が殺されるということであった。


(前にもあったなこんなこと。つい最近だけど)


 サラは特に叫んだりはしなかった。ただブライトが重い剣を引きずりながら近づいてくるのを見ていた。


(私…………死ぬのかな)


 ブライトは一歩ずつ近づいてくる。サラは初めてシンに会って、戦闘に巻き込まれたその日のことを思い出した。


(…………シン)


 その時、ブライトは不意に動きを止めた。剣を置き、床に手を置いた。そして何かを確かめるように魔術を展開していた。


 サラは何が起きているのかは分からなかった。しかしどこかに希望を見いだしていた。


「私は食事の際はゆっくりとすごしたい主義だ。おあずけは残念だが、食事が豪華になると考えれば歓迎すべきでもあるな」


 そう言ってブライトは部屋を出る。ブライトが出ると壁が自動的に出口を塞いだ。サラはそこで意識を手放した。


 シンは見つけた結界装置を片っ端から破壊しながら、その中心へと向っていった。訓練されたその足は山の木々をすばやくよけながら進んでいく。


 そしてしばらく進んだ後、洞穴を見つけた。


(ここがやつの住処だ)


 シンは素早く周囲を確認する。そして仕掛けられている罠を一つずつ、素早く破壊した。


 罠を破壊することはさほど難しくはなかった。それは師匠に教えられているということもあるが、自ら作り、仕掛ける側でもあったことが大きい。


 知識としての情報と、体験を踏まえての情報では理解に雲泥の差がある。ここにおいてシンの経験が彼を助けていた。


 シンは躊躇うことなく洞穴へと入っていく。


 そして突然後ろから衝撃に襲われた。








「なんじゃ。結界や罠を破壊する手際から相当の手練れかと思ったが……。ただの子供ではないか」


 ブライトは自らの魔術で倒れた魔術師を見て言う。松明でかざしたところ、おおよそではあるが小さめの体躯と幼い顔が見えた。


「まあ何にせよありがたい恵みだ」


 そう言ってブライトは近づく。その瞬間シンの手元が光るのが見えた。


「な!?」


 同時に老人の身体は爆散した。


(正確に照準は定められなかったが……どうやら当たったみたいだな)


 シンは起き上がり、対象を確認する。事前にデリフィードの身体強化を施してあったその身体は攻撃を耐えるだけの力があった。


相手をみると松明の明かりのみで薄暗くはあるが、撃った魔術弾があたったことは確認できた。


「やれやれ、とんでもないガキだ」


 地中から老人が這い上がってくる。


「儂がとっさに身代わりのスクロールを用意していなかったら、今頃木っ端微塵だったぞ」


 そう言ってブライトは消費したスクロールを捨てる。


(スクロール……物体を特別な紙に閉じ込める魔術か。どうやら土の人形をいれていたみたいだな。……それを楯にしたのか。師匠に聞いたことはあったが、こんな高等魔術、初めて見た)


 シンは相手の力量を察し、再度集中する。


「少年、お前は何しに来た?」


 ブライトが問いかける。


「お前を……殺しに来た」
「何故に?」
「サラを…………お前が拉致した少女を助けるためだ」


 ブライトはその言葉を聞いて笑う。シンは黙って相手を観察した。


「いいか少年。勇気は立派だが人を殺すことがどういうことかわかっているのか?」


 そう言ってブライトは頬の痣を見せてくる。おそらく威圧するためであろう。戦闘において相手の戦意をくじくことは非常に重要である。


「あいにくだな」


 シンはローブを脱ぎ、右手を見せる。その黒い痣をみて老人は表情を変えた。


「小僧……お前」
「残念だが俺にそんなちんけな脅しは通用しない」


シンは続けて言う。


「何故サラを狙った?」


 ブライトはただ静かにシンを見つめる。話ながらもまるで隙を見せないその少年はいままで会ったどの魔術師よりも強いと感じていた。


「何故だと思う?少年。何故儂が人をさらうと思う?」


 ブライトは狂気に満ちた笑みでケタケタと笑う。しかしその答えをシンは既にもっていいた。


「食べるためだ」
「………………ッ!」


 ブライトは「カッ」と目を見開き少年を見つめる。


「おかしいと思った。何故町に入るのに身長や体重を検査しなければならないのか。そして何故それ以外の検査はあんなにも雑なのか。あれだけ栄えている町にごろつきや盗賊まがいの連中の話を聞かない。そして住人は何故か口をそろえたような話ばかりして情報をよこさない」


 ブライトは黙ってシンの話を聞く。住人からの報告によればこの少年が来たのはつい数日前。そして既にこの町の秘密を暴いたのだ。これだけでブライトが警戒する必要性は十分であった。


 無論シンの能力が情報を集めることに適していたことが助けた部分は大きい。実際その魔術がなければこうも簡単にブライトを見つけることはできなかった。


 しかしこの真相にたどり着いた決定的な理由はそれ以外にあった。


「『人食い病』。俺の村ではそう呼ばれていた」


 ブライトはそこまで聞いて土の中から杖を取り出す。


(こやつ……あの村の生き残りか……)


 ブライトは土の椅子を作り、腰を落ち着け、静かに語りかける。


「彼女は運が悪かった。ここ最近この町を狙った人間が少なくてな。となると人柱が必要になってくるがなかなか難しい。身内の命を差し出すとなると内部分裂が起きかねないし、最悪の場合私に立ち向かってくる場合もある。そうなると私は一時的な食料は得られるかもしれないが、安定供給という面で面倒になる」
「それでサラを食おうっていうのか。何の関係も無い人間を!」


 シンはブライトを強くにらみつける。それをブライトは軽くいなした。


「関係のある人間を食うよりはまともであろう。それに彼女は私を許すつもりはないようだ。彼女はブランセルの人間であろう?そして私を調べていた。故に私が自身の身を守るべく殺そうとすることに問題はないであろう」
「そんな傲慢……」
「傲慢?傲慢かね?私のやっていることは?生きるために人を喰らうしかない私に人を食うなと言うのか。例外が存在する良識を、さも唯一無二の絶対のように振りかざす君たちのような人間の方がよっぽどではないか」
「だからといって」
「堂々巡りだよ。少年。私だって分かっている自分が身勝手だと言うことも。だがこの町の人間だって、この私を迫害したブランセルの人間だって、そしてお前だって身勝手じゃないか。お前もこの少女が贄でなければそこまで激昂はしないであろう」


 それだけ言うとブライトは杖をとり立ち上がる。


「それにこの黒の痣を身につけている時点で正しさも真実もないであろう」
「お前と……一緒にするな。少なくとも俺はそんな正当化はしちゃいない」


 シンはすこしムキになって答える。


「ほう?黒い痣を持ちながら君はまだ常識を持とうとしているとは。驚いたね。君は見なかったのかい?君を見放す周りの連中の目を。手のひらをくるりと返し、事情も聞かず責め立て、罵り、流言まで飛ばすあの連中のはしたなさを」
「……俺は人里離れた森に師匠と住んでいた。俗世はほとんど知らない」
「そうかそうか。それは幸運だ。君は醜い連中を見なくて済んだわけだからな。それと同時に奇妙なものだ。そんな君に常識をもって諭されようとしているのだからな」


 ブライトは「はっはっは」とわざと大きな口を開けて笑ってみせる。


「少年よ、この黒い痣が何を意味するかわかるか」
「……人を殺めた外道ということだ」
「違うな。全く違う。こんな痣、魔術師たちが自らの規範を押しつけるべく生み出した傲慢の塊だ。こんなものは他人に強制を強いる枷のようなものだ。それを馬鹿な魔術師達が規範に仕立て上げたのさ」
「そんな詭弁を」
「わからんかね。私も自分に同じような痛みを受けるまで全く分からなかった。病にかかり、英雄であったはずの私がただの災いと扱われたときようやく悟ったのさ。所詮そんなものだとね」


ブライトの目つきが変わる。それと同時に右の瞳がうっすらと朱く染まっていく。


「少し、話しすぎたな」


 ブライトはゆっくりとした動作で杖を構える。それはまるでそよ風のように、静かに、それでいて大地のように力強く構えられた。


「もう一度言おう。この世界に、正しさなど存在しない。お主と儂とでは行き方も境遇も違うがここに区別はなかろう」


 ブライトは続ける。


「ただ勝者のみが正しい」


 ブライトはそれ以上何も言わなかった。シンの方も既に準備はできていた。










「いざ、自然の理に乗って。……参る」


「シン・レスト。ここに戦いを決意し、勝利を予言する」

















コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品