黒の魔術師 

野村里志

君死にたまふことなかれ







 シンの魔術は対象を模倣し体現することであるが、細かく言えばいくつかの特徴に分けることができる。


 第一にその人の身体的特性を模倣することである。これは魔術の第一段階である。対象の容姿や声、振る舞いに至るまで再現することができる。それは時に思考のパターンを読むことにもつながり、おおよその範囲であれば相手の考えを読むことも可能である。


 第二段階は魔術を模倣することである。サラや、暗殺者、デリフィードが使える魔術を再現して見せたのがこれである。


 ここまでの能力はサラも十分承知しており、シンも初めからオープンにしている。しかしシンの魔術はさらに深層まで模倣することを可能としている。


 第三段階は対象の記憶を読み取ることである。触れている時間次第では相当に昔の記憶、当人が意識していない部分にまで届きうる。


 これらの能力は対象に触れている時間やシンの技術等に比例してその精度を上げていく。


「教えてください。夫人。この町の秘密まで聞き出そうとは思いません。ただいくつか僕の質問に答えてください」


 シンはそう言いながら宿屋の夫人の手をよりぎゅっと握りしめた。








「まず第一の質問です。サラはどこにいますか?」


 夫人は黙ったままうつむいている。話せない事情があるようであることは魔術抜きにしても察することができた。


「夫人、大切なことです。教えてください」


 シンは再度繰り返す。今サラが拉致されているのであれば速やかに向わなければならない。今既にこの時殺されている可能性もある。しかしシンはこの時驚くほど冷静であった。


(自らやるべきこと、できることを整理しろ。ですね、師匠)


 無論、シンが生来の能力でこの落ち着きをもっているわけではない。これまでの経験、教え、そしてそれらが身につくようになるまで反復してきたからこそ為せる技である。


「わたしは……、わたし……は」


 夫人は絞り出すように声を出す。この時間でシンはおおよその情報を読み取り終わっていた。少なくともサラが連れ去られていること、そして連れ去られた先ぐらいは。


(これ以上は難しいか)


 シンは魔術ではこれ以上の情報は得られないと判断した。時間は限られ、準備する時間もなかった。


(せめて相手の能力ぐらいはわかっておきたかったな)


 シンは考えてもしょうがないとそって手を放した。夫人ははっとした顔でシンを見つめる。


「夫人、短い間でしたがお世話になりました。食事、とてもおいしかったです」


 シンはそう言って出口へ向って走り始める。サラがいなくなってから半日がすぎている。時間的に一刻の猶予もなかった。


「老獪なる魔術師!」


 後ろから夫人の叫ぶ声が聞こえる。シンは出口のドアに手をかけたところでとまる。


「彼の二つ名!風と大地の魔術を使い、この町の安全と引き換えに、生け贄を要求している。その目的はわからないけど、今までは罪人が定期的に送られてきた」


 シンは黙って聞き続ける。


「ただ幾日か前に、近くの村を狙っていた盗賊が討伐されて、このあたりの賊はめっきり減ってしまった。それで……」


 シンは振り向いて夫人のもとへまた歩き出す。夫人は泣きながら話を続けた。


「しばらくは待ってもらえたけど、もう限界で。そういうときはいつもこの宿に泊まっている人間が連れ去られていくの。この宿に泊まる人間は大体はよそ者だから。だから事前にそういう仕掛けが……魔術がこの宿にかけられている」


 シンは再度夫人の手を取り、瞳をみつめる。その瞳には自らの赤みがかった黒い瞳がくっきりと映っていた。


「あの子は…………どうやらある程度知っていたみたいで……老獪なる魔術師を探していた。そしてそれは町にとっても不都合だった。町民は全員一致であの子を贄にすることに決めたわ。本当ならあなたも……ただ何故かあなたは運ばれなかった」


 夫人はそこまで言うとただ泣き続けた。シンは心にあった疑問を一つ尋ねることにした。


「どうして教えてくれたんですか?良心の呵責?」


 夫人は少し黙ってから口を開いた。


「そんなものがあったら私は最初から生け贄の手伝いなんかしていないわ。私も町民同様に汚い人間よ。昔……10年近く前に、賊に夫と息子をさらわれたわ。魔術協会は何もしてくれなくて、二人はあっけなく死んだ。あの少女に恨みはないけど、協会にならいくらでもあったわ。ただ……」
「ただ?」


 シンが聞き返す。夫人は一呼吸おいてから少し笑って答える。


「私の息子も、よく私の料理を美味しい、美味しいって食べてくれた。それだけよ」


 シンはそれだけ聞くと小さく笑って夫人を抱きしめた。強く、しっかりと。そして調理台の上にパンと干し肉があるのを見つけてそれを手に取った。


「これ、もらっていきますね。戦うにはまず食べなきゃいけないんで。あと」


 シンは続ける


「帰ってきたらもっと用意しておいてください。そのスープも残しておいてください。あなたの料理、好きなんで」


 シンは再び駆け出し素早く外に出る。シンは既に多くのことを理解していた。何故その魔術師が表にでていないのか、何故生け贄を要求しているのか、そのものは何者なのか。


 それは魔術によるものでも、推理や仮説によるものでもない。。しかしそれだけに明確に、事態の予測がついた。


 そしてサラが今既に危機的状況であることも理解していた。シンの見立てではサラはまだ生きているが、その時間的猶予は限りなく短かった。


 シンは惜しみなく自らに加速術式をかけていく。短い時間しか効果はないが、切れれば何度もかけ直した。


「死なないで」


紡ぎ出された夫人の言葉はシンの元には届かなかった。



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