黒の魔術師 

野村里志

羊たちの沈黙







「うまい!」


 デリフィードの身体を引き渡した後、シンとサラは宿屋で食事を取っていた。シンはいつぶりかも分からないほど久方ぶりに食べた本格的な料理を心の底から楽しんでいる。


「お兄ちゃん良い食べっぷりだね。ウチの食事をそんなに美味しそうに食べてくれるなんて、わかってるねぇ」


 宿屋で食事係を務めている夫人がうれしそうに話しかける。小さい宿屋だからか調理と配給はこの人一人でおこなっているようであった。


「この宿に来る客は外から来る人が多いんだ。そんで特に多いブランセルから来た連中はどうも文句が多くてねえ。お偉いさんのボンボンにはうちの味がわからないんだよ」


 夫人はうれしそうにシンの食事を眺めている。すると別のテーブルから注文が入り、「ゆっくりしていきなよ」と残し、行ってしまう。シンはその様子を口いっぱいに頬張りながら眺めていた。


「それにしてもよく食べるわね」


 サラはすこし驚いたように言う。


「食材の種類は少ないし、調味料も多くない。この店を悪く言うつもりはないけど、それだけ食べられるのは不思議だわ」


 サラは魔術都市ブランセルで育った。表だって言うようなことはしないが感想としてはサラも“お偉いさんのボンボン”よりであった


「いたっ!」


 「ペチン」という音がサラの額で鳴る。見るとシンの指によって額をはじかれていた。


「何すんのよ」
「失礼だぞ」


 サラはシンの思いのほか真面目な表情に口をつぐむ。


「これは農家の人が懸命に作ってくれて、おばさんが一生懸命料理してくれたんだ。それへの感謝を忘れちゃいけない」


 そうだけ言うとシンはまた美味しそうに食事を続ける。サラはきまりがわるく何も返すことができなかった。


「……悪かったわ」
「別に俺に謝ることじゃない。それにおばさんに聞こえるように言ったわけじゃないんだ。十分配慮してるよ。……ただ俺が言いたかった。それだけだ」


 そう言ってシンは黒麦混じりのパンを差し出す。


「ほら。加工肉とサラダの残りを挟むとうまいぞ」


 サラはだまって受け取り、それをかじる。パンは固く、加工肉は塩気が強かった。


「今のも」


 サラが問いかける。


「今のもお師匠様の教え?」
「いや」


 シンは少し間をあけて「家族の教えだ」と小さく漏らした。その様子でサラはすぐに察しがついた。それは彼女の勘が鋭いだとか、察する能力があるだとかではない。


(もしかしてシンも……家族を……)


 サラはそれ以上何も聞かなかった。


「そういえば、さっきから何を読んでいるんだ?」


 シンがサラが開いている書状を指して聞く。


「さっき遺体の引き渡しのときに受け取った書状よ」
「あの官僚にもらったやつか。それで?」
「ん?」
「何が書いてあるんだ?」
「えっと…………」


 サラは少し口ごもる。


「守秘義務があって言えないけど、黒の魔術師が近くにいるかもしれないから気をつけろってことかな」


 サラは少しぎこちないように答える。シンは「ふーん」とだけ言ってパンの最後の一切れを口に入れた。






 翌日、二人は町の中で黒の魔術師に関しての聞き込み調査をはじめた。サラの話が本当であればこの町の近くにもいるはずである。シンはそう考えて町での聞き込みをサラに提案していた。サラは何故か昨日とは異なり少し渋っていたが、結局することになった。


 しかし一日かけて話を聞きに行けど、どの場所で話を聞けどもたいした成果はあがることはなかった。


「いやしかし全く平和だねこの町は」
「どーなってるの~。誰一人それらしい情報をもってないなんて」


 夕暮れ時、宿屋の食事場で食事をとっている二人はそれぞれ異なった面持ちで食事をしていた。シンはいたって満足気に食事を楽しみ、サラは情報の糸口すらつかめていないことに頭を悩ませながらスープを口に運んでいた。


 宿屋の食事場は昨日と比べてわずかながらに人が増えており、今日の夫人は忙しそうにしていた。


「それにしたってすこしくらい噂があってもいいじゃない。ブランセルですらもっと知っている人が多いのよ?それがこの町の住人と来たらすこしも信じないし」
「まあこれだけ平和だとな。俺はそこまでいろんな町を見たことはないがこの町の住人は良い意味で平和ぼけしてる。よっぽど治安が良いんだろうな」
「……そんなこと言ってないで真面目に探しなさいよ」
「わかってるって」


 そう言いつつも至ってのんきな様子を崩す気配のない少年にサラは少しだけムカついたので小さくテーブルの下で蹴りを入れる。


「痛っ」と小さく声を上げ少女の方をにらむもサラは何食わぬ顔で今日の聞き込みの結果をノートにまとめていた。


「でもこれだけ聞いてここまで情報がないとはね」
「確かにな」
「ここまで聞いて無いってなるともしかしたらここにはいないって可能性もあるのかなぁ。もう違う町へ行った方が良いんじゃない?」


 サラはそう提案する。


「…………そうだな。そうかもしれん。それに町の人間にとっては良いことだ。黒の魔術師なんか近くにいないほうがいい。俺も含めてな」


 シンはそれだけ言うと空になった食器を返しにいく。スープしか頼んでいない自分と比べて数倍はある量を自分より先に食べ終わってしまっている。その胃袋と脳天気さにサラは呆れを通り越してうらやましさすら感じていた。










(なにかがおかしい)


 食事を終えて部屋に戻ってからシンはベッドに身体を預けながら自分の中にある拭えない何かについて考えていた。


(平和すぎる。それも異常なほどに) 


 シンはそもそも師に拾われて以降基本的にあの森の中の小屋に住んでおりたまにしか人里に降りてはいない。しかしそれでもこの町の状況の特異性には十分気づいていた。


(師匠の話で聞いたことがある。町が栄えるとはすなわち人が集まるということ。そしてそれには主に二つの条件がある。第一に水や土壌などの地の恵みがあること。すなわち自然の恵み。そして第二に安全であること。これはすなわち人の行い)


 今回のケースに当てはめるとこの町の自然の恵みは十分ではあった。近くに川が流れ水も十分。平野も広く自然も豊か。一方で後者は違う。この町が安全でないというわけではない。この町の安全は余りにも不自然であった。


(この町は自然に恵まれているが地の利まで恵まれているわけではない。攻め込みやすく、守りにくい。町を囲う壁は弱く、門も堅固ではない。開放的と言えば聞こえは良いがあまりに無防備すぎる)


 今日の聞き込みで勿論この町の魔術協会支部にも出向いている。戦闘に身を置いてきたシンにとってはその魔術師達が戦闘に於いて使い物にならないことはすぐにわかった。


 地の利もなければ、防御力にも乏しい。それでいて治安もよく、住人達はおだやかであった。


(本来ならこんな町は盗賊の恰好の餌だ。これだけ豊かに栄えていれば、それだけそういった輩もよってくるはず。なのにこの町には黒の魔術師はおろか悪党の話すら出ない)


「何かがおかしい」


 シンは一応の準備として簡易的な結界を張り、明日へ備えて寝ることにした。


 この判断が結果的にはシンの身を守ることにつながり、この疑念への保留は同時に彼のミスでもあった。






 翌朝、サラが消えていた。





















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