黒の魔術師 

野村里志



「カハッカハ」と急に息ができなくなり声にならない声を上げる。肺の中の空気が全て吹き飛ばされ内臓という内臓がぐちゃぐちゃにかき回された気がした。


「私の魔術の根源は『力』ただその一点にある。故に極めて珍しくはあるが体術を主に得意としている。かつてはその力を買われ魔術都市警備隊に所属していた」


レナードは「クソッ」とつぶやき加速してデリフィードに殴りにかかる。しかし加速したレナードであってもデリフィードには相手にはならず、数撃の連打にて地面に叩き伏せられる。


「あるとき法によって裁けぬ者がいた。殺さなければならないやつであった。しかし裁く事は敵わない。その葛藤の中たどり着いたのが自ら手を汚し、正義の執行者となり生きる事であった」


そう言ってデリフィードはサラの元へ近づく。


「少女よ、この男を助けんと私に刃を振るうとは己が悪であると証明するも同義。容赦はできない、悪いが死んでもらう」
「どうして…確かに首を…」
「私は自分に強化の魔術をかけている。それ故に今のように首を撫でるだけでは死なん。それにその形状のナイフは刺すものだ、人を切るには向いていない」


デリフィードはサラの側に落ちているナイフを蹴飛ばし、サーベルを首元に添える。


「最後に言い残す事はあるか?」


落ち着いた声で問う。サラはただ恐怖し目を閉じるしかなかった。


「甘えよ、おっさん」


レナードは複数の魔術弾を同時展開し放つ。


「無駄だ、小僧」


しかし先ほど同様全て叩き落される。


「何度も同じ攻撃を……無駄だとわからぬのか」


デリフィードは呆れたような目でレナードを見つめる。しかし先ほどとは違い叩き落とした魔術弾が光を放っていることに気づく。


「しまっ…」
「悪いが今回は起爆式だ。魔力が爆散するぜ。少なくとも家を半壊にする威力はある」


激しい閃光とともに衝撃波が発生する。先の戦闘であの殺し屋が初手の一撃で建物を壊すのに使っていたものをコピーしたもので家を粉砕するほどのものではなかったがそれでも近くにいる男を怯ませる威力はあった。


「今だ、逃げるぞ」


衝撃と砂埃が舞う中、レナードはサラを抱き起こし走り出そうとする。


「させるか!」
「キャッ!」


デリフィードは砂埃の中すかさず一人を捕まえ羽交い締めにする。体の大きさから少女だと判別できた。


「止まれ。さもなくばこの女を殺す」少女にサーベルを突きつけて続ける。
「お前は先程から逃げてばかりだ。正々堂々戦え、そして潔く死ね」


そこで黒い人影は足を止める。黒のローブを翻し戦おうとしたとき突如大声が上がった。


「振り向かないで!そのまま行って!」


人質となった者は続ける。


「何が正義よ、正々堂々よ。こんな幼い相手を……弱い相手を前にして、人質までとって卑怯だと思わないわけ!」
「何を…」
「だってそうじゃない。正々堂々って言えば聞こえはいいけど、ただ純粋にそれがあんたにとって都合がいいからそう言ってるだけじゃない。私たちは別にあんたみたいな戦いのための魔術を学んだわけでも、戦いたいとも思ってるわけでもないのにいきなり現れて正々堂々戦え?巫山戯てるの?」
「女!」


デリフィードは首を掴みそのまま持ち上げる。


「女に暴力?正義が聞いて呆れるわね。どうせ女にもモテなかった…ガハッ」


デリフィードはそのまま地面に叩きつけ、足で踏みつける。


「いいだろう、そんなに死にたいのであれば今すぐ殺してやる」
「あら図星かしら?そんなしょうもない男の剣なんかで死んでたまるもんですか!」


そうして体をバタつかせ拘束から逃れようとするも足に力を込めるだけで容易に動きを止められてしまった。


「死ね」


そう言ってデリフィードは刃を振り下ろした。
鮮血がまい、体に血が付着したが慣れたものであった。


「弱い、悪とはかくも弱い。ましてや女など論外だ。首を撫でるだけで死んでしまう」


デリフィードは踏みつけていた足を下ろし、残ったもう一人をにらみつける。


「さあどうする、女は死んだぞ。引き続き逃げるか?」


その声を聞いてレナードと目される相手はゆっくりと振り返る。デリフィードはその相手の顔を見て一瞬思考が遅れてしまう。


そしてこの遅れは戦闘においては致命的であった。しかし無理もない。なぜならその相手は今殺したはずの少女であったのだから。


「ザシュッ」


静かにしかし確かに肉を切る音が耳に届く。いや切ると言うより刺しえぐるといった音であったか。先ほどまで勝ち誇っていた男はなにが起きたのかまるでわからずただ呆然と自らの首からあふれ出る鮮血を眺めていた。


「どうした?殺した相手が生き返ったのにびっくりしたか?それとも侮っていた女に切られて恥ずかしいのか?」


地に伏せていたはずの少女は血のついたナイフを片手にデリフィードの背後にいた。しかし後ろから聞こえてくるのは腰抜けと侮っていた少年の声であった。


「それとも後ろにいるのが男なのか女なのかわからないか?どうやらその全部らしいな」


デリフィードは渾身の力を込め、振り向き剣を振るう。しかしその少女の容貌をしたものに一瞬のうちに手首を切られ剣を落としてしまう。


「俺の能力は相手の力をコピーする能力と説明したな。おまえに聞こえるようにはっきりと、ただ容貌のことまでは別にいってなかったかもしれないがな」


少女であったものはそのまま姿を変え少年へとかわった。


「砂煙を起こしたのは入れ替わるためか。わたしの一撃で死ななかったのも私の能力をコピーしたため、私の馬車に乗ったのも……」


「そうだよ。あんたが刺客であることは最初に握手した段階で気づいてた。俺は相手に触れてしまえいさえすればやろうと思えば大抵のことは読み取れる。だからあえて能力のことを話したのさ。あんたは戦いを始めた時点で負けてるようなものさ」


「運が良かったな小僧。私が生死を確認しなかったおかげで……」


「違うね。俺があんたを激高させるようにあおったからさ、だれでも自分のトラウマに触れられれば冷静さを失う。残念ながら全部計算の内だよ。まあ本当ならサラの攻撃で終わってたはずなんだけどな」


「……見事だ。その力実に見事。悪漢であるのが誠に惜しい……」


 デリフィードは天を見上げた。日は傾き、空は美しい茜色に染まっている。その夕日に照らされる中でデリフィードは自分の中の歪んだ形で凝り固まった正義感が解けていく気がした。


「……いや、お前に偽っても仕方ないか」


デリフィードはそう呟きながら自らの出血を確認した。強化しているとはいえ助からないことは戦いの経験上よくわかった。


「最後に教えてくれ」


デリフィードはかすれたような声で尋ねる。


「誰を殺した。何故殺してその痣を手に入れた」


 レナードにとっては答える必要のない質問ではあった。しかしどうしてもここで答えないという気にはなれなかった。


「最愛の人を。初めて好きになった相手を殺した」


 レナードは静かに答えた。


その答えを聞くとデリフィートもまた静かに笑い出した。


「そうか……そうか。お前も愛する人を殺したか。いやお前と俺とではまったく立場も状況も異なっているはずだろう。俺のように醜い殺しなんかではないはずだ。しかし愉快だ。これは愉快。殺される相手としては申し分ない」
「……殺しにきれいも醜いもないだろう。あんたも俺も汚い人殺しだ」
「いやはや全くその通りだ。私はそこから十年以上目を背けていた。ただ……それでもだ。お前に会えたことはうれしかった。お前のような強い男に葬られるのもまた…」


デリフィードの強靱な肉体の賜か、もしくは魔術の特性故か、血の流れは徐々に弱まってはいた。まるで死ぬ間際に最後の余韻を与えるがごとく、デリフィードに時間を与えていた。


「少年、とどめは不要。体に傷が少ない方が都合がよいだろう。これ以上抵抗などしない。正義なんてちゃちなもんじゃなくて俺の誇りにかけて誓う。その代わり教えてくれ。名は何という」


「レナードだ。馬車で聞いていただろう」レナードは静かに答える。
「違うそうではない」


デリフィードは言う。


「本当の名の方だ」
「何?」
「お前見たところ東の出だろう?黒い髪に、わずかに赤みがかった黒い瞳。東の者の特徴だ。東には東の名があると聞く。それを教えてはくれないか?」


デリフィードは息も絶え絶えであった。おそらくこの名前を聞いたとて聞き取れているかどうかも怪しい。


少年はデリフィードの元へ歩み寄りそっと耳打ちした。


「『シン』……東の言葉で『本物』という意味だ」


それを聞くとデリフィードは静かに答えた。


「シンか……。西では……『罪』を意味する……。西では『罪』東では『本物』か、言葉とは不思議なものだ」


さらに振り絞るように続ける。


「あのとき、俺がもう少し言葉を交わしていれば……あるいは」


デリフィードは力尽きそれ以上の言葉が放たれることはなかった。おおよその事が終わり、ふと我に返ったようにサラはレナードの元へ走ってくる。


「終わったの?」


サラは聞く。


「ああ。終わったな」


レナードは素っ気なく答える。


彼はどこか寂しげに沈みゆく夕日と反対側の空を見上げていた。雲さえもが朱く染まり、二人の影はずっと背が伸びている。


レナードはおおよそのことを理解していた。というのも彼の力は読み取る時間次第では相手の記憶の断片すらも把握できる。より強いトラウマとして記憶に残っているのであれば彼が人を殺めた経緯は明確であった。


デリフィードが初めて手にかけた相手は自分の婚約者であった。婚約者が不貞を働いている現場に遭遇し、ましてその相手が、自らが忌み嫌っていた相手であると知った。そして自らの男としての尊厳を踏みにじられたその瞬間、剣を振るってしまっていたのだ。彼はそれを正当な防衛とした。婚約者は襲われており、力及ばず救えなかったと。そのようなストーリーをでっち上げ黒の魔術師でありながら数年の懲役をへてまた市民権を得ていた。


襲われていた婚約者の服が傷一つついていなかったことなど誰も気にしなかった。それだけデリフィードは町の人間から慕われていた。 


一方でその誠実さが、真面目さこそが婚約者にとって退屈であり苦痛と言えたのであろう。それが故の過ち、だがデリフィードからすれば完全に男として敗北したのだ。


 デリフィードはそれが許せなかった。浮気されたことではない。婚約者の不貞の相手が、自らと真反対の軽く誠実さも欠くようなナンパ男だからこそである。


 自らの尊厳が、正義を信条としてきた自らの誠実さ、生き方そのものが否定されているようで。男としてもっとも大切な誇り(プライド)を汚されてしまったのだ。そのときに殺しを思いとどまる理由はまるで無かった。


 極めて私情的で極めて俗な理由。そして極めてわかりやすく理解しやすい理由であった。


 正義も大義もない、己が感情をよりどころにした殺人。それ故に自らを許すことができなかったのであろう。だからその後は自分に言い聞かせるように正義を執行していたに違いない。


 しかしレナードはそれがとても人間らしく感じられた。久しく人間社会から切り離されていた少年にはその感覚がどこか懐かしくも感じた。


「行こうか……。日が暮れる前に町へ着きたい」


 サラにそう言うとレナードは遺体を担ぎ、馬車へと歩き出す。その屈強な体はずしりと重く、いくらかよろけてしまう。それを見たサラは何も言わず、静かに支えた。レナードは「ありがとう」と一言告げ体勢を立て直して馬車へ向かう。


「急がなきゃな」


 レナードはやっとの思いでデリフィードを荷台にのせる。既に血の気は失われ先ほどの活気が嘘のようであった。


「寒くなってきたわね」


 日が傾き戦いの余熱が冷め始め、吹いてくる風の冷たさにようやく気付きはじめる。


「これ、返すわね」


 サラは砂埃が舞う中で羽織らされた黒のローブをレナードに返し、荷台に置きっぱなしであった自分のローブを羽織る。


 レナード受け取ったローブを羽織り馬車に乗る。


「どうしたの?行かないの?」
馬の手綱を握ったまま動かないでいるレナードに不思議に思いサラは声をかける。


「ちょっと待ってくれ」


そうだけ言うとレナードは荷台に移動し自らのローブをその故人にかけた。


「さあ。いくか」


すこしばかり冷たくなった風に吹かれ小さく「ヘクシッ」とくしゃみしてレナードは馭者席に戻り手綱を握った。


 サラはそれを見て何も言わず荷台からレナードの横に移る。自らのローブを脱ぎ、二人で使えるように膝掛けのようにしてかけた。


 二人は何も語らない。冷え込み始めた風を受けながら暖をとるように互いに寄り添い、ただ馬車が進む音だけが小刻みにリズムよく響いていた。

















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