黒の魔術師 

野村里志

少年と少女





 田舎道をいく馬車の中、レナードとサラはいた。運良く乗せてもらえることになった時のレナードはまるで戦闘の時の冷徹さが嘘であったかのように嬉しそうに馭者の手を両手で握って、強く握手していた。馬車に乗るときは既に魔術を解いており、今は本来の少年の姿で過ごしていた。


「どうして急に依頼を受けることにしたの?」サラは馬車の中でレナードに尋ねる。


「気分が変わったもんでね、俺もまっとうに生きたくなったのさ」


 そのレナードの答えに少女はイマイチ納得していない様子であった


(本来ならあの家の周りの森一帯には師匠の張った認識阻害の結界があった。近づくことはおろかあの周辺に来る頃には誰を探していたのかも分からなくなっているはずだ。たとえ相手が高位の魔術師であってもそもそも結界すら認識できないはず。それなのにサラはおろかあの殺し屋までもいとも簡単に入ってきている)


 家を出る前、レナードはサラが起きるまで周囲の結界ならびに罠を全て調べて回った。それらの魔術は師匠と自らが作ったものであり自分たち二人以外には決して外せるものではなかった。


(俺のはともかく師匠のものまで、しかも毎日点検しているから解除には1日もかかっていない。となると余程厄介な相手が俺を狙っていたことになる。生きているのが不思議なくらいだ)


「何にせよ厄介なことになっちまった」レナードは欠伸を噛み殺しながら荷台の側面に寄っ掛かるように
体を横にする。幸い乗っている人はこの二人しかおらず荷台を広く使うことができた。


 レナードがふと隣を見ると少女が浮かない顔をしていた。レナードは何か話しかけようかとも思ったがうまくかける言葉が見つからなかった。というよりも見つけられなかった。


 何を話したものかとそわそわしていると少女が俯きながら口を開いた。


「貴方…、慣れているのね?」
「……何のことだ?」
「殺すことによ。人を殺すこと命の奪い合いをすること…、そういったことにずいぶんと慣れているみたいだったわ」


そう言う少女の声は低く些か震えているようだった。普通の人間は一生のうちに命のやり取りに出くわすことなんてない。ましてや自分がそれを行わざるを得ない立場になることなんてあり得ないことである。それをこんな幼い少女がしていたのだ、無理もない話である。


「貴方は、私とそんな歳が離れているようには見えないわ。なのにどうして?」


「経験の差だろうな」とレナードは答える。「人を殺した経験があるかないか、戦う訓練を受けたか受けていないかそれだけの差だよ」


そんな風にいうレナードがサラにとってはまるで別世界の住人に思えた。自分はこの任務遂行させるためレナードについて行き補佐するように命じられている。魔術に自信を持ってはいたが前回と前々回の戦闘で自分が本当に役に立つのか自信がなくなっていた。


それだけにこの少年が恐ろしかった。自分が全く知らないものへの恐怖は少女の体を強張らせた。もうすぐ夜へ差しかかろうとする夕暮れ時、春が訪れたとはいえ風は冷たさを運んでくる。


思考は堰を切ったように進んでいく。この少年はいったいどれだけの人を殺したのだろうか。どんな生き方をしてきたのだろうか。いったいどんな苦境に…。


「と、ところでさ!」というレナードの大きな声で思考が遮られる。サラは驚き「なっ何よ?」と身構えながら答える。


「いっいや別に、そういえば、あんたのことを聞いていなかったなって思って」
「私のこと?」
「ほっ、ほら生い立ちとか、何でそんなに若くして上級魔術師になれているのかとかさ」


レナードはさっきとはうってかわって何ともぎこちない様子であった。


それが何でなのかは少女にはすぐに分かった。レナードの目は泳ぎこちらをうまく見ることができておらずこちらが目を見ようとするとすぐ視線を逸らしてしまう。


 要するに彼は単に女子に対する耐性がないのだ。


 今の今までは師匠の姿と戦っている姿しか見たことがなかったため、こうして面と向って本来の姿のレナードと話しているのは始めて出会った。


 サラは全く予想にもしなかったレナードの態度にキョトンとした顔を見せていた。戦いの場で見せた恐ろしさや先程まで感じていた笑顔への恐怖は既に薄れていた。


 今までの大人びた様子からはまったく想像もつかない年相応の反応。この様子がサラにとっては非常に大きな安心材料であった。 


 サラはつい「ふふっ」と笑ってしまう。それを見てレナードは「何だよ」と不機嫌そうにしている。そこにいたのは紛れもなく普通の少年だった。


「何だ。バカみたい」


そういってサラは大きく深呼吸をした。羽織っていたコートを脱いで側に置き自分の生い立ちについて話し始める。今まで決して人に言おうとしてこなかった自分の話をこの時ばかりはついつい喋り込んでいた。








「なるほど、というとあんたの尊敬する大賢老様があんたを贔屓してくれたから上級魔術師になれたってわけか」


「失礼ね!血の滲むような努力をしてきたのよ。実力だって申し分ないわ。…でも大賢老様が認めてくださらなければ今頃中級どころか下級魔術師になれていたかどうかも怪しいわ」


サラはその魔法の資質に加えて尋常ではない努力を重ねそこに運の要素も加わって上級魔術師になっていた。人里離れた森に隠れるように住んでいるレナードにもその凄さやどれほど珍しいものであるかは知っている。上級魔術師は都市に登録されている魔術師の一割しか認定されないことになっている。それ故上級の中で20代で選ばれたものは神童と称されるほどで過去には数えられるほどしかいない。10代での選出となればそれこそ魔術師の枠組みが制定された当初に存在した魔術師の始祖であるユリウスを除けば彼女が初めてかもしれない。それほどの偉業を彼女は達成していた。


 しかしその偉業を達成するに十分に値する魔術を彼女は会得していた。「加速術式」。ある特定の運動に対して働きかけその速度を速める。強化の基礎とも言える術式だがそれだけに大きく加速するのは難しい。それを彼女は超一流のレベルで成し得ている。それだけでも十分にすごいのだが彼女の場合はさらに別の特徴がある。加速対象をより広範囲化することができているのである。


 本来なら自分自身の運動を加速していても自分の動体視力や思考が追いつかなければ威力は半減してしまう。しかし彼女の場合彼女を取り巻く「時」自体を一部限定加速しているため、相対的に周囲が遅くなっているように動くことができている。初見で戦えばまず負けることはない。


最も自身への負荷もそれ相応に高く彼女の血の滲むような研鑽があって初めて数秒使える程度のものである。あくまで魔術の学術面の評価が高いのであって戦闘面での利用は慎重にならなければならない側面がある。


「まあざっとこんな感じよ」サラは自分が上級魔術師になるまでの経緯をかいつまんで話した。レナードにとってはどれも興味深い話であり熱心に聞いていた。そんな風に聞いてくれる人がいることがこれまでなかったこともありなんだかとても気分が良かった。


もちろんレナードのことについて気にならないわけはなかった。しかし「あんたは…」そう言いかけた言葉をサラは押し戻した。レナードの事については全く知らされていない。それ故にまだ知るのが怖かった。そして何より今この時間は穏やかであって欲しかった。


 「ところであんたの魔術は一体何なの?私はあの時半分意識が朦朧としていたからよくわからなかったんだけど」少女は代わりにレナードの魔法について聞くことにした。


「おまえなあ、そんな大事なこと教える奴がいるかよ」


レナードは呆れたように答える。


敵や敵になるかもしれない相手に限らず、自分の魔術についてペラペラ喋ることはその先の戦闘において
不利にしかなりえない。レナードは「そんなことも分からないのか」と言わんばかりの呆れ顔であった。


しかしその考えは都市で、アカデミー出身のサラに取っては新鮮な考えであった。魔術都市では自分の魔術こそがステータスでありそれを自慢する人たちが大部分を占めていたのである。
 

 しばらく気まずい沈黙が続いた。サラは自分の考えなさを痛感させられたが一方でレナードも自分だけ教えてもらったことが申し訳ないような雰囲気を感じていた。


「わかった。わかったよ。話すよ。これでフェアだろ」


 そして気まずさに耐えきれなくなり、レナードは軽く自分の魔術について説明することにした。
 

 レナードの魔術は基本的に『コピー&ペースト』が軸になっている。相手に触れることで対象の術をコピーができる。そういうものらしい。そもそも彼の師匠の魔術が死人から情報を読み取り自ら体現するというものであったらしく、それを学んでいた。しかしさすがに師匠の死体を作り出すわけにはいかないため精度こそ落ちるが生きた人間から情報を読み取り模倣して発動することを修業で会得した。ということであった。








「ところで」レナードは話が一区切りしたところで切り出してくる。
「俺が殺さなきゃならん相手ってのは決まっているのか?」


サラはレナードという少年のこれまでの経緯について余計に興味が出てしまったがそれをぐっとこらえ質問に答える。


「別に殺さなきゃいけないわけじゃないけど……。一応いくつか相手はリストアップされているわ。最もこの中の人間を対象にする必要はないわね」


そういって重犯罪者リストをレナードに渡す。


「ふーん。知らないな」
「あんたどれだけ田舎者なのよ。これは『黒の魔術師』の中でも捕縛の優先順位が上位に指定されてる連中ね。どの魔術師も複数の人間を殺してるわ」
「あれ?俺の名前もとい師匠の名前が載ってないぞ」
「あっ、それは……」


「それは貴殿がそれよりさらに高い優先順位が設定されている黒の魔術師だからだ」


唐突に馭者が声を発する。それと同時に即式の魔術弾をレナードが放つ。先日、家での戦闘の際に殺し屋からコピーしていた技である。


しかしその不意の一撃も馭者が隠し持っていた小剣によって簡単に弾かれてしまう。


「迷わず心臓か。普通の人間であれば今の魔術弾で致命傷であったぞ」
「そいつは良かった。魔術弾を剣で弾く人間は普通とは呼ばねえからな」
「いつから私を疑っていた?」
「さあね。少なくとも痩せ細った土地のこの辺りの村ではあんたみたいな血色のいい筋骨隆々な騎手は見かけないぜ。それに握手した時の手が明らかに剣を握る男の手だった。不意をつくのならもっと上手くやるんだな」


(しかも、何より少年の姿をした俺をレナードと疑っていなかった。この辺りを通る人間は行商人も含めてレナード・レストの名を知っている。加えてこんな少年でないことも)


 レナードにとってそれだけこの男は怪しすぎたのである。


「見事。だがもとより奇襲のつもりはない」


騎手の男は持っている短刀をまっすぐレナードへと投げつける。レナードは簡易の加速術式を用いてそれを避け、サラを抱えて馬車から飛び降りる。


「今のが奇襲じゃないってか?」
「ほう?加速術式か。思いの外速いな」
「人の話を聞け」
「悪党の口は聞けんな」
「そうかい。だが俺のは劣化コピーでこっちの女はもっと強いぞ」
「ほう、それは見ものだ」
「…聞いてるじゃねえか」


男は馬車を止め、馬車に隠していたサーベルを取り出す。


「そっちが本物の得物ってとこか」
「いかにも」


男は身にまとっているローブを脱ぎ馬車にかける。露わになった腕にはどす黒い痣が浮かび上がっていた。


「あんたもお仲間ってわけか」
「…貴様のような己が利益のために他人を殺める連中とは同類とは呼べぬ。この痣は正義の代償だ。……しかし人を殺めたのもまた事実だ」


男はサーベルを胸の前に構え宣言する。それと同時にレナードも腰に差しているナイフを抜く。


 男は構え、既に戦闘準備はできていた。


(やるしかないな)


レナードは腹をくくり、ナイフを構える。


「我、デリフィード・グラスは自らの正義に則りこの悪漢を討ち滅ぼさん」


「レナード・レスト、ここに戦いを決意し、勝利を予言する」




 戦いが始まった。











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