異世界の愛を金で買え!

野村里志

劣勢







 あれから一週間ほどが過ぎた。状況は一向に好転せず、ただ悪い方向へとばかり変化していた。東の港を起点に、侵略者は徐々に支配地域を拡大。東の要所は悉く占領されていった。

 しかし不幸中の幸いと言うべきだろうか。占領にはどうしても人員が必要であり、人員があまり多くない彼等はあくまで間接的に支配するしかない。そのため、領主達は生かされたまま彼等に服従することになっていた。利権構造を壊さない以上、領主達もわざわざ抵抗する必要も無かった。

 幸か不幸か、占領に時間がかかっていることで佐三を含め町の住民はそれぞれ準備する時間を与えられた。そのため人によっては親戚を頼り、人によっては故郷へ帰るなどの選択ができた。政務室の人間はそうした人の移動に対応するべく、今も無休で働き続けている。

「イエリナ様、名簿の整理終わりました」
「ありがとう、アイファ。休んで良いわよ」
「いえ、もう少し頑張ります」

 働く声が聞こえる。佐三はただ黙ってそれぞれの働きを見ている。

「ハチ。東側の警備、もっと増やした方がいいか?」
「そうだな。だがこの非常時を利用して火事場泥棒が出ないとも限らない。外の斥候は十分に用意しつつも、実働部隊はあくまで町の治安を優先しよう」

 政務室の人間も増え、佐三が自ら管理する必要もなくなった。そのため、仕事の合間にわずかばかり余裕をもっていても問題がなくなってきている。

 佐三はそんな状態に甘んじながら、ふとこれからのことについて考えてみた。











(俺は……どうしたものか)

 佐三は書類の中に隠すように埋もれさせた一枚の報告書を見る。その報告書は主神教の遺跡に派遣した学者達からの報告であった。

『遺跡内の装置の起動成功。是非確認されたし』

 報告の内容は複雑につらつらと述べられてはいるが、要点を言えばそういうことであった。

 あの扉がどのようなものであるかは分からない。しかしかなり高い確率であの装置から元の世界に戻れるのだと佐三は考えていた。こちらに来た以上、帰る方法はある。その可能性があの遺跡だった。

 佐三はそんなことを考えながら、右手を自分の右下腹部にあてた。

(ちくしょう……うずくな……)

 佐三は腹をさすりながら刺すような痛みに耐える。ここ最近痛みは増してきた。理由はおそらく、先日受けた銃弾である。

(弾が体内に残っているからか?それとも感染症でも引き起こしたか?いずれにせよ、これは放置しても治ってくれそうにないな)

 弾丸が体内を傷つけているのか、それとも細菌を体内に持ち込んでいるのか、佐三には知るよしもない。ただ自身の体の感覚として、なるべく早くに、それも高度な医療を受けた方がいいことはなんとなく分かった。

(元の世界へ帰る……それがベストだろうな)

 佐三はそう判断する。これまで築いてきたもの、それはこの侵略により全て無に帰すだろう。もし仮に服従して無駄にならないにしても、誰かに頭を下げ続けてまで利権にしがみつこうとは思わない。それは他の手段を持たない弱者のすることなのだ。

 それに無に帰すことそれ自体は決定的な問題ではない。それはどうあがいても取り返すことのできぬものであるし、サンクコストだ。それよりもそれにこだわり、命を落とす方がよほど経済合理性がない。佐三はそう考えた。

「……ふう」

 佐三が息を吐く。しかしそれは経済合理性、あくまで数字でものを見たときの話なのだ。倫理観や価値観とは別の位置にある。

(歴史上の過去の英雄は、必ずしも倫理観をもっていたわけではない。むしろ逆だ。世界を支配した連中の多くは、偉大な業績を残した人間は、皆残酷な一面をもっている。始皇帝にはじまり、チンギスハン、織田信長。皆が皆、血も涙もない虐殺者だ。近代の欧米列強だって似たようなもんだった)

 佐三はどこか自分に言い聞かせるようにそう考えた。既に死に体である町など捨て、元の世界に帰る。そうすれば今とは比べものにならない程の資産や権力を手にするのだ。ましてや命をかけてこの安い町一つを守るなど、まったくもって合理的ではない。

(負けたときにこそ真価が問われる……か)

 佐三はかつてベルフに言ったことを思い出す。死を前にして尚、誇りを持とうとした男。だからこそ佐三はこの世界で初めての仲間に選んだのだ。

(まったく、後ろ髪ばかり引かれるな)

 ここで仲間を見捨て、自らの世界に帰ることは端から見ればあまりにも情けない。しかし佐三はそんなものが何の意味も成さないことを自身でよく理解していた。

 トップは孤独であり、他人の意見は参考にしつつも、判断は自ら下さなければならない。外野は無責任に口を開き、誰一人責任をとることはない。佐三はいままで嫌という程そういう経験を味わっている。最後の判断をし、その責任をとるべきなのは自分であるということを。

(迷う理由はない……か)

 佐三は報告書を他の紙と一緒に抱え、席を立つ。重要な書類は今のうちに破棄しておいた方が良い。そのために外へ出て燃やす必要があった。

 いつか罵られることがあるだろうか。裏切り者、臆病者、卑怯者と。しかしいつの時代だってしぶとく最後まで生きのこったものが評価されている。どんな英雄も、早くに死んだものは物語に出てきはしない。逆に生き残りさえすれば、一時の敗北や逃走など大した意味を持たないのだ。

(そんな馬鹿な人間に……、なる義理はないな)

 政庁を出たとき、不意に風が吹いてくる。書類が飛ばされそうになったので佐三は強めに書類を抱きかかえた。

(この町に来た頃も、こんな風が吹いていたかな)

 既に一年近く前になっただろうか。ベルフの上で風を切っていたころが懐かしく感じられる。

 佐三は町に吹く風に懐かしさを感じながら、手に持っていた書類を焼却炉で燃やしていった。





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