異世界の愛を金で買え!

野村里志

ただ、遠く













 もうかれこれ一年になる。マツシタ・サゾーという男がこの町にやって来てから。


 初めは正直胡散臭いと思っていた。彼もまたこの町を狙ったハイエナの一人であると。実際この町を目的としていることは事実だった。


 しかし他の小領主やこの町を狙う男達とは彼は一線を画していた。彼はただ自分の利益を求めるのではなく、この町全体の利益を考えた上で自分の財を蓄えている。彼にとっても、私たちにとっても意味のあることしか彼はしない。自分本位の行動など彼にはなかったように思う。


 それに、それにだ。彼は自分を一人の妻として扱ってくれている。他の小領主が妾、あるいは奴隷同然として扱おうとしていたのに。私だけではない。他の仲間達も、町の住人一人一人にいたるまで、彼は敬意を払っている。それが長としてたまらなくうれしかった。


 しかし私はなんと欲深いのだろう。それでも妻としては、足りないと思うことが多かった。


 欲を言うなら、もっと触れて欲しい。話して欲しい。微笑みかけて欲しい。


 今ではあの塔の上での契約が、なんとももどかしく感じる。あの契約があるからこそ、彼はここにいる。だがあの契約のせいで、次の一歩が踏み出せない。


 それでも最近、今一歩前に進むことはできた気がする。彼が手をそっと握ってくれた時は、心が壊れてしまうのではないかとさえ思った。


「愛している」。夫婦だというのに、その言葉が果てしなく遠い。まだ一度だってその言葉を聞いてはいないし、私自身言えてもいない。


 少し前までは、自分がどう思っているのか、その整理さえついていなかった。しかし今となってはもう自分にごまかしがきかない。気がつけば彼を目で追っている。寝る前に彼のことを考えている。恋や愛というものを知りもしない私ですら、十分に理解している。


 もうごまかしがきかないぐらいに彼が好きなのだと。


 いつか彼にこの気持ちを思う存分ぶつけられるだろうか。彼に応えてもらえるだろうか。


 今ではそんなことばかり考えている。
































「東の港からの物資が遅れている?」
「はい。何でも最近荷が入ってこないようで。原料の値段自体も二割近く上がっています」
「ふむ。どうしたものか」


 佐三はハチの報告をききながら頭をかく。自然的なトラブルによるものか、はたまた内乱や海賊などの人為的なトラブルによるものか。いずれにせよこうしたトラブルは商人にとっては尽きることのない悩みの種であった。


「工場の方はどうなっている?」
「報告によれば、試験的な生産ラインはできあがったのこと。品質も問題ないそうで現在限定的に稼働しています。製品の1割程度は機械によって作られています」
「まあそうしたラインを増やすかどうかはもう少し状況を見てからにしよう。ただ開発は進めさせてくれ。いずれは必要になる」
「了解しました」


 ハチはそう言うと回れ右して政務室を出て行く。再び現場に赴いて指示を出すと共に、現場の状況を確認してくるのだろう。佐三の負担をかなり肩代わりしてくれているため、佐三としては非常に助かっていた。


(大量生産の目処は立ち始めた。だが王都近くで売りさばけば衝突は免れないだろう。はじめは周辺からが良さそうだな)


 佐三は今後のプランを頭の中で思い描き、いくらか紙に書き記しておく。アイデアはすぐに書き起こすに限る。佐三はそう考えていた。


(しかし港の件は少し気になるな。産業革命だって港をはじめとするインフラが命だった。いずれは東の港から商品を運び出し、原料を輸入しようと考えていたから確認は必要だな)


 佐三は紙に『港の件』とメモし、次のことを考える。


(それに遺跡にある謎の装置。何を動力にしているかは分からないがおそらくはあれこそが世界を繋ぐ装置だ。できればあの装置を早い内に解明して、できれば使えるようにはしておきたい)


 佐三はメモをしながら脇を見る。ベルフがソファに横になりながら気持ちよく寝ていた。


「狼さん、いい加減起きなよ~」
「………」


 ナージャがベルフを揺らしている。しかし当のベルフはまるで起きる様子はなかった。


(町の運営も大分落ち着いてきた。イエリナやハチもいるし情勢の確認がてらこの狼を連れて久々に外を回ってくるか。こいつも最近暇そうにしているしな)


 佐三はそんなことを考えながら『扉の件』とメモし、実際に外に出る時間を計算した。


(技術者と学者達を連れて遺跡に赴くのは工場の件が一段落してからで、その後ベルフを連れて港まで……それなりに時間がかかりそうだ)


 前の世界であれば、地球の裏側ですら一日かからなかった。そもそも通信技術でどうにでも情報を集められた。しかしこの世界では数十キロ離れた場所に行くのも一苦労であり、百キロ単位で離れればそれはもうちょっとした遠征であった。


 佐三は思いつくままに詳細事項をメモに書き込み、筆を置く。


(大雑把な計算だが、出立は一ヶ月後。帰ってくるのはさらに一ヶ月後ってところか)


 佐三は椅子の背もたれに寄りかかりながら大きく伸びをする。そして窓から町の様子を眺めた。


 政庁前の広場には老若男女様々な住人がいる。こういった光景も町の治安が良い証拠であろう。従者達による自警団やチリウとその団員達が十分な仕事をしてくれている証拠であった。


「あの、サゾー」
「ん?ああ、イエリナか。どうした?」
「あ、いえ。何度か呼びかけても返事がなかったので」
「ああ。悪い。考えごとしてた」


 佐三はそう言ってイエリナから書類を受け取る。そして軽く目を通した後に「いいんじゃないか」と返した。


「何を考えていたのですか?」


 イエリナが尋ねる。


「いや、まあ色々とな」
「………」




 佐三は説明するのも面倒だったので適当にはぐらかす。イエリナはただ黙って佐三をみつめていた。


「そうだ、イエリナ」
「はい」
「多分来月、ベルフと一ヶ月ぐらい外に出ようと思うんだが、仕事を任せてもいいか?」


 佐三の言葉にイエリナは一瞬驚き、黙り込む。そしてすこしして質問した。


「わかりました。それで、目的地はどちらに?」
「ああ。ちょっと主神教のタルウィ殿の所に挨拶と、東の港でなにか問題が起きているみたいだからちょっと調査にな」
「……わかりました」


 イエリナはそう言って書類を抱えて、席へ戻る。帰り際、佐三のメモが目に入った。


 佐三は再び椅子に深く腰掛け、ぼんやりと外の景色を眺める。その行動に大して意味はない。ただ思考を整理するための休息のようなものだった。


 しかし見る人によればそれは違って見えたかもしれない。どこか哀愁漂うその様子は遠い故郷を偲んでいるようにも見ることはできた。


 普段通りの光景。アイファもフィロも忙しくしている。そんな日常の中、ただ一人イエリナだけが佐三を静かにみつめていた。













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