異世界の愛を金で買え!

野村里志

閑話 狼と更新料

 










「なら……これならどうだ?」
「……ダメだな。少なすぎる」
「ちっ」


 とある日のこと、労使交渉はもつれにもつれていた。






















「……そういえばそろそろだな」


 政務室で仕事をしている佐三はふと思い出したように口に出す。


「??何がですか?」


 たまたま書類を提出しに来たイエリナが佐三に問いかける。佐三はイエリナがもってきた書類に手早くサインをしていく。


「ベルフとの契約更改だよ」
「契約更改?」
「ああ。あいつを雇っているんだから、当たり前だろ?」


 佐三はさも当然のようにそう言う。しかしイエリナはイマイチ腑に落ちていなかった。


 そもそもベルフと佐三の仲は端から見れば友人……少なくとも悪友のそれである。まるで金銭に基づく関係には見えない。それに普段のベルフからはそんな細かい金銭にこだわるような様子もない。よく普段から佐三やイエリナに食事代をたかりに来ている。最近ではナージャが好んで彼に食事をもってきており、半ば餌付けをされているような始末だ。そんな普段の様子からは彼等がそこまできっちりと契約を結んでいるとは思わなかった。


(まあ、サゾーのことだからきっちりやろうとしているんだろうけど……)


 イエリナは難しそうな顔をする佐三を見る。町で発生する問題や交渉は涼しい顔で処理してしまうくせに、金に無頓着なベルフとの契約には頭を悩ませている。イエリナはそんな佐三をどこか不思議に感じていた。


「サゾー、その話し合い、私が見ていてもいいかしら?」
「へ?イエリナが?」


 イエリナが興味本位から提案する。


 佐三はベルフのプライベートのことだけに却下しようかと考えたが、少し考える。一対一で交渉した方が雇用者は必然的に有利になれる。複数人で交渉されては雇用側である佐三の有利はなくなるのだ。だからこそその不平等を是正するために、現代社会で労働三権が認められているのである。


(いや、待てよ)


 しかし佐三は考え直す。イエリナをうまく丸め込めれば、交渉の場で二対一になり好条件を引き出せるかもしれない。加えてイエリナは町の長という観点から見れば佐三と同じ雇用主側である。無意識に佐三の味方をする可能性は高い。


「まあ、ベルフに聞いてみてくれ」


 佐三はそうだけ言うと再び書類の処理に手を動かす。ベルフは二つ返事で許可したため、イエリナが同席することになった。






















「じゃあ、契約更改をはじめよう」


 政庁一階の応接室。佐三はそう言うとベルフに複数枚に渡る書類を手渡した。『契約書』。一番上には大きくそう書いてあった。


「…………」
「…………」


 ベルフはいつになく真面目な顔で書類を読み込んでいく。佐三も神妙な面持ちでそれをみつめていた。


(彼がこんなに真面目な顔をして書類を見ている所なんて、初めて見たかもしれない)


 イエリナが持つベルフのイメージは、勇猛果敢に戦う姿と政務室で居眠りをする姿である。とても書類を読み込んだり、細かい契約を吟味するとは思わなかった。


 イエリナは普段は見せないベルフの知的な様子を緊張した面持ちで見つめる。


 いかほどの時間が経ったであろうか、ベルフが書類を置き、佐三を睨み付ける。


「四ページ目、下から三段落目だ」
「……」
「何と書いてあるか読んでみろ」


 佐三は嫌そうな顔をしながら中身を読み上げていく。それは嫌そうな顔というよりかは「バレてしまったか」といった顔にも見えた。


「『食事手当は出来高によって算出する。算出方法は仕事内容と量を加味して計算し、今年度の仕事量で判断すれば二十回分に相当する』……何か問題でも?今年は十回無制限で食事をさせた所を来年は同じ働きで二倍にするといっているんだぞ」


 悪く無さそうな条件である。イエリナは聞いていてそう思った。ベルフが大食漢であることは周知の事実であり、彼のお金はほとんど食事代に消えている。そう言う意味ではかなり改善されているようにも見えた。




「別に問題はないだろ?ベルフ?」
「いや、大ありだね」


 ベルフは鋭い眼光で続ける。


「サゾーが好条件を出すはずがない。おそらくこの算出方法が罠だ。見せてみろ」
「ちっ」


 佐三はしぶしぶ算出方法が書いてある書類を渡す。ベルフはそれに目を通して、再び話し始める。


「やはりな。生死をかけた仕事に異常な程比重が高くなっている」
「………」
「どういうこと?」


 イエリナが尋ねる。


「危険な仕事であればたくさんの手当がつく。……つまり裏を返せば、危険な仕事でなければ、ほとんど俺を使い倒せるようにできているわけだ」


 さらにベルフは続ける。


「その他にも異常な程危険手当がついている。保険や、各種保証。さては、サゾー。今年は比較的安全な仕事を大量に回そうとしていたな?」
「………」


 佐三はそっぽを向いて知らん顔をしている。その態度はどこか子供じみていて、イエリナは急に肩の力が抜けた気がした。


 そこからは完全に子供の言い争いであった。


「しょうがないだろ。今年のお前の食費が、どれだけかかったと思っているんだ」
「サゾー、この町を守るのに俺が必要不可欠だっただろう?その報酬は一生かけても支払い切れまい」
「いーや、そんなことはないね。お前がへましたせいで俺がハチに殺されかけたこともあるだろ?イエリナがいなければ今頃死んでたぞ。これでプラマイゼロだ!」
「だがフィロの一件では俺が間に合わなければ女王一味に始末されていたぞ?どうだ、これで一生の恩ができたな?」
「いや、それでもイエリナを荷馬車に乗せた一件、お前が報告を怠り、イエリナがチリウ一味に攫われていったことを忘れていないぞ」
「じゃあ、アイファの件で……」
「いーや、そもそもの食事代が……」


 あー言えばこー言うやりとりが延々と続いていく。イエリナは迂闊に聞きに来るのではなかったと軽く後悔した。


 このやりとりはいつまで続くのだろうか。最早お互いに契約書などは見ておらず、ベルフの今年一年の働きをただ評価しているだけであった。


(まったく、この二人は……)


 イエリナは二人の口論を余所にベルフの契約書を手に取る。そこには様々な条件が所狭しと書いてあった。


(……これは)


 ベルフへの契約書、食事手当には諸々言い分があったのだろうが、問題はそれ以外であった。


(怪我して働けなくなった場合、病気した場合、多額の治療費が必要になった場合、一時的に帰郷したいと考えた場合、配偶者ができた場合……。凄い。様々な場合に備えて、網羅的に保証金がでるようになってる)


 それは現代的雇用の価値観が備わっている佐三であるからという部分も勿論あっただろう。ベルフに対して提示した佐三の契約はイエリナから見て破格の好待遇であり、そんな考え方があったこと自体が驚きであった。


 イエリナは次々とページをめくっていく。そこには義務よりも、ベルフが行使しうる権利が記されていた。非常時に対する保険に加え、普段の場においても行使できる権利が数え切れないほど羅列されている。


 そして最後のページになって、イエリナの手が止まった。最後のページ、一番下の段。契約書の一番下には佐三のサイン付きでこう書いてあった。


『尚、本契約は従業員側が自由に破棄することができるものとする。その場合には破棄した時点までの給金及びその他の手当を雇用主側が払うこととする』


(何よ……これじゃ口約束と変わらないじゃない。)


 佐三自身、ベルフが立ち去ろうとしたとき契約で縛ることができないことをよく理解しているのだろう。むしろその意思すらも尊重してさえいる。したがってこの契約書は彼を縛るためのものではなく、寧ろ彼の功績を称えるための佐三からの手紙とすら思えた。


 二人は未だに言い争いを続けている。しかしそれすらも彼等なりのコミュニケーションなのだろう。イエリナはそう思った。


(バカな人達ね……)


 イエリナは小さく笑うと、二人の様子を黙って見続ける。


(夜までには終わるかしら。……ちょっと無理そうね)


 イエリナはそんなことを考えながら、二人の絆の証であるその契約書をそっと机の上に置いた。

















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