異世界の愛を金で買え!
明日なき展望
「しかし、今回ばかりは深入りしすぎたな」
佐三は森を進みながらそう呟く。森は暗く、少し進むのですら苦労した。しかしそんな状況でも休んでいる暇はなかった。
近くの丘で語り合う話をした後、佐三は「もう少し森を見てみたい」といってその場を後にした。現族長のアゾフは「たき火の元で待っている」と言って快く見学を許してくれたが、佐三は既に村に興味などなかった。
この村は危険であり、おそらくあのアゾフという人狼は自分たちを始末するだろう。佐三はそう判断していた。
(三十六計逃げるに如かずだ)
臭いで逃走がバレぬよう、佐三は外套を脱ぎ村の木にかけておいた。そして自らには王都で購入していた香水をつけ、臭いをごまかしている。
(しかし安物だけあって酷い臭いだ。これは確かに臭いをごまかすのには使えるかもしれないが、香水としての使用は不可能だろ)
佐三は自分の鼻がひん曲がりそうなのを堪えながら森を進んでいく。急ぎはするものの大きな音は立てられない。佐三はなるべく音が立たないように足を運ぶ先を吟味しながらその森を進んでいた。
(しめた、出口が近い)
佐三は見覚えのある獣道にまでたどり着く。ここから数百メートルも歩けば森は抜けることができ、さらにそこから数キロぐらい進めば人間の集落があった。
(ん?)
佐三は獣道へ降りようとしたとき、少し遠くから声がするのが聞こえた。
(誰だ?)
佐三は風向きを調べ、風下であることを確認すると近くに木の裏にしゃがみ込む。すると何人もの男達が息を殺しながらその道を進んでいった。
(人間……俺を追っているわけではない。むしろ森の中へと入っていく)
佐三は男達を入念に観察する。槍や剣のようなものは勿論、銃などの火器も携帯している。
(少なくとも俺を狙ったものではないな)
佐三はあの人狼が狙われていることを確信する。そして人間達と手を組み、この人間達を引き入れているのがあの現族長であることも。
(やれやれ、権力争いというものはいつだって醜いな)
この顛末がどう転がろうとも碌な結果にならないことは佐三にもよく分かっていた。人間にたよることで村での影響力を維持している現族長は、その内人間に支配されていくことになるだろう。そうなれば間接的にこの村は搾取され、いずれ腐りきる。
村にとってはあの人狼が族長に返り咲くことが望ましいだろう。しかしそれは同時にあの人狼が親友と、愛した女を失うことになる。ここまでやっといて和解などという選択肢はないし、女の方もそこまで節操なしでもないだろう。
それに食糧問題もある。現在食糧を調達しているのは人間からであって、野性からではない。既に伐採が進んだ森に獲物は少ないだろう。だからこそ今多くの人狼は遠くへ狩りに出かけているのだ。村の人数が減ったのも、そういった事情が絡んでいるのだろう。
だから今更あの人狼が族長に返り咲いたところで、できることは限られている。むしろ人間とのコネを持たない分、飢えるものが増えるだろう。いずれにせよ不幸である。
佐三はそんなことを考えながら息を潜める。佐三にとってそんな事情はどっちでもよかった。彼等がここを去るのを待ち、ここから脱出する。佐三にとって村の未来などどうでもよく、それ以外のことは考えてなどいなかった。
しいて考えることがあるのだとすれば、この村を利用する人間達に取り入り、うまく利益にありつけないかということぐらいであった。もしそうなればここの人狼達に対して不義理を働くことになるが、佐三にはそれすら気付かせないだけの十分な知能があった。
本当に賢く、そして利益を得るものは、その搾取の存在にすら気付かせない。気付いた時にはもう取り返しの付かないようになっているのが、良いビジネスである。
(バカはだまされ、奪われる。そしてそのことにすら気付かず不幸を嘆くもんだ)
佐三は心の中でそう笑いながら、男達を見る。
その時だった。
「誰だっ!?」
男の一人が此方の方を指さし、叫ぶ。佐三はすぐさま目を離し、木の裏に背をあずけた。
「どうした?」
「何かが動いた気がした。少し見てくる」
声の方から男が少しずつ近づいてくる。ここにいれば見つかるのも時間の問題であった。
(クソッ!俺としたことが。何故バレた?いや、そんなことはどうでもいい。何か策を……)
佐三は何か役に立ちそうなものがないか胸元やポケットを探る。あるのは銀貨と質の悪い紙やペン。そしてあの襲撃者から奪った短刀であった。
(一か八か反撃するか?しかしそんなことをして仮に一人やれたとしても多勢に無勢だ。素直に出て行って事情を話すか?そんなことをすりゃ鴨が葱を背負ってくるようなものだ。ああいう輩なら一人の商人など、金袋にしか見えていないだろう。だったらどうする。やりすごすか?しかしあの男まっすぐこっちに向ってきている……)
佐三は急なピンチに焦りが生まれ、うまく解決策を見いだせない。もっとも冷静であったとしてもこの場から脱出する良い案が生まれてきたとは思えなかったが。
(まずい、もうそこまで来ている……)
佐三は手で口を押さえ、息を殺す。様々な経験をしていたが、ここまで予想だにせず、かつ命の危険に晒されることは初めてであった。
足音が近づく。佐三は右手に短刀をもち、左手で口を押さえながらその時をまった。
「どうだ、いたか?」
「いや、誰もいない。この辺りだと思ったんだが……」
男はそう言ってまた皆のところに戻っていく。佐三は木の上からその様子を眺めていた。
「行ったみたいですね」
佐三は自分を抱きかかえている相手をみる。それは先程まで話していた人狼の女性、マトであった。
「いやはや助かった……というより、君が来たからあの男がこっちに気付いたようだな」
「申し訳ありません。でも、私のおかげで助かったでしょう?」
マトはそう言って微笑む。しかし香水の匂いがキツいのかすぐに顔を背けた。佐三はそんな彼女の様子に、今の危機や自分を抱えて木に飛び上がった彼女の膂力といったことはどうでもよくなっていた。
「どうして俺がここを去ろうとしたと分かった?」
佐三が尋ねる。
「別に分かったわけではありません。ただお願い事がしたくあなたの臭いを探したら、この外套があったものですから」
そう言ってマトは佐三に外套を渡す。佐三はそれを受け取り、その場で羽織った。
「悪いが君の願いはきけない。だからここから下ろしてくれないか」
佐三はそう言ってマトに下ろすように促す。異常な程に伸びた木は、下を見下ろすだけで背筋が凍りそうであった。
「私の願いを聞いてくださるのであれば、今すぐにでも」
「……おいおい、それはないだろう」
佐三は再び下を見る。枝があるのは木の上部だけであり、つたって降りるのは難しいと言えた。しかし飛び降りるにはあまりにも高く、着地次第では骨折することも十分に考えられた。
(この木をつたって降りられるのか?いやどう見たってそれは無理だ。じゃあ、飛び降りる?しかし万が一骨を折ってみろ。この世界に整形外科なんてありゃしないんだ。洒落にならない。……こんなことなら木登りの練習でもしておくんだった)
しかし今更そんなことを言っても後の祭りである。それに佐三は典型的な都会っ子であり、自然に触れる機会などそうあるものでもなかった。
「……御用件は?」
佐三の言葉にマトの表情が明るくなる。
「あの方を……ベルフを救ってください」
マトの言葉に佐三は小さくため息をつく。それは一体何を意味しているだろうか。そもそも何故大した膂力もないこんな商人風情にそれを頼むのか。佐三は頭を抱える。
いかようにも読み取れるその依頼だが、面倒ごとに巻き込まれることだけは確定していた。おそらく一文にもならない。佐三は商人としてはとてもやる気にはなれなかった。
(しかしまあ、しょうがないか)
佐三は「やれやれ」といった態度ではマトに向かって頷く。するとマトは佐三を抱えたまま軽やかに地面へと降り立った。
「……乗り気はしないがね。ただ幾つか俺の質問に答えてくれ。情報が欲しい」
「はい。私に分かることならば何でも」
マトの返事を聞き、佐三は男達が向かった方をみる。既に姿はなく、おそらくもうじき村にさしかかるだろう。彼等の言っていたあの丘、それが待ち伏せに使われることは明白であり、さほど時間は残されてはいなかった。
「まあ、契約の履行は商人の義務だ。首を縦に振った以上、手はうちますか」
佐三は頭をかきながらそう呟いた。
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