異世界の愛を金で買え!

野村里志

とある気高き狼の話

 






「ベルフ、またここにいたのね」
「マトか。どうした?」


 とある月夜、ベルフは住処から少し離れた丘でぼんやりと月を見ていた。森の中にぽかんと開いているその場所は木が邪魔することもなく、はっきりと月を見て取ることができた。


「もうこんな時だっていうのに、長であるあなたがこんなにのんびりしていて良いの?」
「こんなとき?なんかあったか?」
「もう!今日話したばかりでしょう。最近人間達が領地を広げるために、この森を伐採し始めたって話よ」


 マトと呼ばれる女性は呆れたようにベルフに話す。彼女も同じ人狼であり、狩りや有事の際には狼の姿へと変身する。


 人狼族は基本的には人間の姿で過ごす。人間時には人によって様々な特徴が表れ、ベルフの場合には牙が、マトの場合には耳と尻尾が狼としての特徴を残している。他の種族からすれば、なぜこのような特徴が表れているのか、何故人狼族だけが獣人の中で二つの形態をもっているのか等疑問はつきない。しかし当の本人達は別にさして気にもしていなかった。


「ベルフ、聞いてるの?」
「聞いてるよ」
「だったら……」
「心配はいらないさ」


 そう言ってベルフは丘の上に寝転がる。


「人間は愚かで非力で、何より誇りを持たない醜い連中だ。そんな奴ら、俺がちょっと脅しをかければすぐに撤退する」
「そんな悠長なことを言って、あなたもそんなに多くの人間と会ったことがあるわけじゃないでしょう?」
「まあ、そうだな。もっとも会いたいとは思わんが」
「だったらもっと考えなさいよ。もしかしたら彼等の中にも強い人間がいるかも知れないでしょ?ひょっとしたら賢い人間も……」
「どうだか……な!」
「きゃっ!?」


 ベルフはマトの手を引き、自分の元へと抱き寄せる。マトは「もー」と言いながらベルフの横に座りなおした。


「いい月だ」
「ええ、本当に綺麗」


 二人はただ静かに月を見上げている。月明かりに照らされる彼女は本当に美しい。ベルフは横目でマトを見ながらそう思った。


 いつかきちんと愛を伝え、つがいとなって子をなそう。きっと子供も良い長になってくれる。彼女に似れば思慮深く、自分に似れば勇敢になるだろう。そんな子供達がいればこの村もずっと良い村になる。そう信じていた。


 しかしそれ以降彼女の顔は見ることはなかった。










 次の日、ベルフは人間達に脅しをかけるべく、単身乗り込んだ。人間に木々の伐採を止めさせ、撤退させるためである。


 単身で乗り込むのは他の同族を危険な目に遭わせないためである。人狼はその掟に従い一番強い者がリーダーになる。そしてその者は一族のためにもっとも危険を冒さなければならない。それこそが長たる所以ゆえんであり誇りなのだから。


 無論ベルフも別に誰かを手にかけたり本格的に戦うことまで考えていたわけではない。彼等の道具や幾つかのキャンプを破壊してくる。その程度のことしか考えてはいなかった。


 マトは心配していたが、ベルフは村の長として最初から入念に考えてはいた。村の存続と伝統の維持、それこそが長の役割にして彼の誇りなのだ。それに彼は十分賢くもあった。


 だから彼は事前に入念な準備もしていた。どこに人間の拠点があり、どういう経路で襲うのか。事前に準備し、村の副長であるアゾフにも共有してあった。ベルフが不在の間、村を任せるために。


 しかし実際に襲い始めたとき、その様子が違うことにベルフは気付いた。第一、第二とキャンプを破壊したがあまりにも人間達の抵抗が少なかったのである。


 そして第三のキャンプ、森から少し離れたそのキャンプへと乗り込んだとき、その違和感は確信へと変わった。


 落とし穴に、捕獲網、多数の伏兵に、武装した人間。ベルフの予想に反しはるかに用意周到な抵抗を受けた。


 ベルフはやっとの思いで撤退し、森の中に入った。最悪の場合に備えての撤退路、そこを目指して。


 しかしその視界に入ってきたのは撤退を妨げるように待ち構えていた大量の人間達であった。


 それから先のことは覚えていない。






















「おら、起きろ!」


 冷たい水をかけられ、一瞬にして意識が覚醒する。目の前には自らをまるで物のように扱う奴隷商の男がいた。


 もっとも彼からしてみれば奴隷、ましてや獣人など商品以外の何者でもない。さらには売れる見込みがない商品なんてものはただひたすらに食費のかかるお荷物でしかなかった。


「たく、せっかく人狼という稀少な獣人を仕入れたって言うのにこれじゃ赤字だ」


 そう言いながら奴隷商の男は人狼を見下ろす。人狼は「知ったことではない」とばかりに黙って目を閉じた。その態度が気にくわなかったのか奴隷商は何度か棒で人狼を叩き、その場を後にする。


(マト……アゾフ……皆、待っていてくれ)


 人狼はどこかうつろな目で静かに逃げる機をうかがっている。もっとも奴隷商も奴隷を簡単に逃がすほどバカでもなかった。監視も拘束も十分以上になされていた。


 どれほど余力が残っているだろうか。幾度に渡る抵抗で多くの血を失ってしまった。栄養も十分ではなく、力も六割出せれば良い方だ。


 しかし抵抗を止める気にもならなかった。いま抵抗を止めれば、二度と立ち上がれないだろう。一度しまってしまった牙は、二度と役には立たない。人狼はそう考えていた。


 それに認められなかった。人間に力はおろか頭脳の上でも負けてしまったことが。今や奴隷として誇りも尊厳もなく、ただの商品と成り下がっている自分が。だから抵抗を止められなかった。心のどこかで意味がないと分かっていても。


 そんなときふと自分の脇に落ちている外套を見つける。昨日よくわからない人間が置いていった物だ。随分と水を吸ってしまっている。持つと下の方から水滴がこぼれていった。


「……フン」


 人狼はそばにあった檻の上にその外套をかける。今日は天気が良い。こうしておけば乾くだろう。人狼はそう考えた。


 遠くで奴隷商の話が聞こえる。耳の良い人狼にはその話がよく聞こえてくる。


「あと三日の内に売れなければ処分する」


 確実にそう聞こえた。


(あと三日か……)


 人狼は自らの体躯を見る。随分と痩せてしまったものだ。森を駆け、何者をも恐れぬ気高き狼。そんな自分が存在していたことが夢のようにすら思えた。




 せめて最後まで誇り高く生きよう。人狼はそう思った。

















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