異世界の愛を金で買え!

野村里志

雨の中に見える

 










「アウォオオオオオオン!」


 今日も今日とて市場の一角では叫ぶ声が聞こえる。佐三はそんな様子を横目で見ながら仕入れを行っていた。


 佐三は現在とある酒場に下宿しながら、そこで働いている。日給はあまり大したものではないが食事と宿を提供してもらえたことは幸いだった。自分の給金が基本的にはそのまま自分のポケットに入る。それはつまり貯蓄ができるということなのだから。


 佐三は使いで頼まれた葡萄酒とチーズ、それといくらかの食材を購入して市場を後にする。無論交渉で多少安くしてもらい、ほんのわずかであるがポケットに加えていた。


(しかし今日も吠えているのか、あの人狼は)


 佐三は前に来た奴隷商がいる場所に目をやる。あの日は奴隷商が来て初日だったため人だかりができていたが、数日経ったいまは見物客がポツポツと見に来る程度であった。しかしそんな中でもあの人狼は毎日吠え、抵抗し、そのたびに抑えられていた。


(……バカな奴だな)


 佐三はそんな風に思いながら市場を後にする。早く帰らなければ主人がうるさい。佐三は事細かく管理しすぎる経営者が如何に現場に悪影響かを身をもって体験していた。












「アウォォォォオン!」
「いいかげんに黙らないか!この人狼め!」


(今日は一段と酷くやられているな)


 十日が過ぎた頃だっただろうか。雨の中佐三は買い出しに来ていた。この世界において傘などという便利な道具は存在しない。雨の日はフード付きの外套をもって頭が濡れないようにする程度である。佐三はそれが酷く嫌で、なるべく早くその買い出しを終わらせたいと思っていた。


 佐三は買い出しを終え、一旦雨をしのげる場所へと避難する。そこには何人か他の人達が雨宿りをしていた。


「うわ、酷え」


 雨宿りしている一人の男が呟く。その男が見る先を見てみると丁度奴隷商がその人狼を棒で叩いているところであった。ただでさえ鉄輪付近は血が滲んでいる。それに加えて叩かれている場所からもどんどん出血していった。


(バカな奴だ……)


 佐三は素直にそう思った。別に暴れたところでその鉄輪が外れるわけじゃない。一時的に従う振りして、隙を見て逃げるかすればいい。もしくは飼い慣らされて生きるのもありだ。少なくとも今の状況よりはマシである。


 しかしその人狼は決してそのようなことはしない。毎日必ず吠え、正面から反抗し、そのたびに押さえつけられている。頑固で愚直、それでいて無為な行為であった。


 しばらくして奴隷商が簡易的に立てているテントの中に戻っていく。ほとんどの奴隷は既に売り払われたのだろう。ただ売れ残ったその人狼だけが残され、地面に横たわっていた。


 佐三は空を見上げる。雨は強くなるばかりで一向に弱まる気配がなかった。


(この雨なら遅れる理由くらいにはなるだろう)


 佐三はゆっくりと前へと歩き出した。


















(クソッ……雨が冷てえ。体温が奪われちまう)


 その人狼は石畳の床に倒れ込みながら体に降りかかる雨を感じる。その勢いは強くなっているようである。このままここにいればまずい。脳がそう判断していた。


(チッ、体が言うことを聞きやしねえ……)


 人狼はゆっくりと目を閉じる。このままここで終わるのか。かすれゆく視界の中自らの故郷である森の景色がよぎっていた。


(マト……お前には、もう……)




 ピチャピチャピチャ




 不意に足音が聞こえてきた。それはゆっくりと、そして大股で近づいてくる。それは水溜まりなど関係ないかのように、自分めがけてまっすぐ堂々と進んできていた。


 足音が自分の目の前で止まる。人狼は少しだけ顔を上げてその相手をみた。


「なあ」


 目の前にいたのは若い男だった。この辺りではあまり見ない顔つきで、珍しい黒色の髪をした男であった。


「話せるか?おーい」


 男が聞いてくる。人狼はうっとうしくなって一言だけ返した。


「やかましい、どっかへ行け」
「なんだ、話せるのか。しかし言葉が通じるとは意外だった」


 返事をしたのは逆効果だっただろうか。男は逆に興味を持ったのか引き続き話しかけてくる。


「なあ、教えてくれよ。なんで毎日飽きずに抵抗しているんだ?」
「………」


 答える義理はない。人狼はそう思った。しかし男はなにも気にすることなく話し続けてくる。


「しかしよくもまあ続けられるもんだね」
「……」
「その鎖外せないんだろ?なのに何度も挑戦して……」
「……」
「頭が悪いのか、力が弱いのか。いずれにせよ惨めなもんだ」
「………」


 安い挑発だ。人狼はそう思った。


 男は少し考えてからまた話し始める。


「なんで同じ方法で、懲りずに続けるんだ?」


 人狼は答えない。しかし男は話すことをやめなかった。


「何度も何度も、意固地になって」
「………」
「それであんな醜い連中に殴られて」
「………」
「人狼って種族はそんなのが好きな連中なのかね?」
「ッ!?」


 人狼は一瞬鋭い視線を男に向ける。そしてすぐに視線を戻した。男は何かを察したのかさらに話を続けた。


「正々堂々が正しいとでも思っている口か?」
「……」
「それで足下をすくわれ、あまつさえ人間に売り物にされている。笑いものだな」
「……」
「それが人狼の考え方なのか?バカで古くさくて、何より救いようがないな」
「……まれ」
「……」
「貴様に……何が分かる!」


 人狼が立ち上がり男につかみかかる。体は既に鉛のように重く、鉄の輪や鎖が体にずしりとした重みを与えていた。


 しかし人狼はそんな体の状態よりも気になることがあった。それはその男の態度である。その男は一切その視線を逸らすことなく、正面からその人狼をみつめていた。


 いくら弱っていても、目の前にいるこの男を手にかけることぐらいはできる。人狼はそう思っていた。


 しかしその男にのぞき込まれるだけで、その視線だけで動きは制され固まっていた。


 雨が降っている。


 人狼は一つだけ質問した。


「お前……何者だ?」


 男は人狼の手を剥がすと、ゆっくりとテント近くで比較的濡れていないところに座らせる。そして自らの外套を脱いでその人狼に被せた。


「佐三……松下佐三だ」


 そう言うと男は背を向け、手を軽く振りながら去っていく。雨の中、唐突にまみえたその男はやはり唐突に去っていった。


「……サゾー?」


 人狼が漏らしたその言葉は、激しい雨の中に消えていった。















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