異世界の愛を金で買え!
いい夢はみれたかい?
「ほら、イエリナ。早く来いよ」
佐三がベッドに座りながらイエリナを呼ぶ。隣に座れということだろうか。イエリナは今自分が何故ここにいて、どういう状況になっているのかまるで把握できていなかった。
「えっと、あの」
「なに余所余所しくなっているんだ?ほら、早く」
そう言って佐三はイエリナの手を引き、隣に座らせた。
(ち、近い……)
イエリナは真横に座る佐三のことなど見れるはずもなかった。その吐息の感覚から顔を向ければぶつかってしまいそうなほどに、佐三が近づいているのがわかった。
「今日も綺麗だね」
「っ…………!!!」
佐三の言葉にイエリナはもう完全に頭が回らなくなっていた。顔は火照り、耳は立ち、尻尾もピンと伸びていた。
「ふっ」と佐三が息を吹きかける。イエリナはもうそれだけで気を失ってしまいそうであった。
「サゾー、待って」
何とか距離をとろうと佐三を押そうとする。しかし反対に手を捕まれイエリナが引き寄せられる。
もう目の前に佐三の顔があった。
「今日は随分とつれないな。俺のことが嫌いになったか?」
「え、そんなことは……ないけど……」
「そうか。よかった」
そう言うと佐三は優しい顔でイエリナに微笑みかける。その笑顔だけでイエリナの心は締め上げられそうであった。
(ダメ……これ以上は死んじゃう)
イエリナ下を向いていると、不意に佐三に顎を支えられ、顔をそのまま上げさせられる。佐三の左手はイエリナの手をしっかりと握っており、離れる隙を与えてはいなかった。
(嘘……本当に……)
イエリナはぎゅっと目を閉じる。女性として、一度は夢に見るその瞬間が今訪れようとしていた。
「……って、あれ?」
目が覚めたのはそんな瞬間であった。
「娼館?」
「はい。一応耳に入れておこうと思いまして」
イエリナはそう言って報告書を佐三に渡す。
「まあ、町が栄えれば必ずと言っていいほど出てくるものだが……。とはいえ今までなかったんだな」
「はい。元々この町は男性が少なかったので、あまり商業的にうまくいかないという所があるので」
佐三がペラペラと報告書をめくる。今朝の夢のせいであろうか。今朝の佐三はイエリナにとっていつもより凜々しく映っていた。
「……なんか俺に用か?」
「いえ、なんでも」
じっと見ていたせいか佐三が聞いてくる。イエリナは慌てて否定し、視線を逸らした。佐三はそれ以上特に言うこともなくまた書類に目を通し始めた。
(もう、なんであんな夢をみたのかしら)
イエリナは今朝の夢を思い出す。今朝の夢は今までにないほどにリアルでその息づかいまでも鮮明に思い出せてしまう。
「まあ、いいんじゃないか。あっても」
佐三はそう言って書類を置く。
「勿論そういった商売はだいたい裏の組織とセットだからな。そういったものが見つかれば対処するしかないが……ベルフ!」
佐三がソファで寝転ぶベルフを呼ぶ。ベルフはゆっくりと体を起こしながら返答した。
「……なんだよ、せっかく人が良い夢を見てたのに」
ベルフは不機嫌そうに立ち上がる。
「それで?今日は何だ?」
「ドニーに話をつけてこの娼館の裏を洗ってくれ」
「……娼館?この町にそんなものあったのか?」
「ああ。どうやら最近できたらしい」
「妙だな。そんなものがあれば男達の耳には入ってきそうなものだが」
ベルフは首をひねりながら、首元を掻く。
「佐三はここ最近事務仕事でいそがしかったとしても、俺やドニーの方から気付かないのも変な話だな」
「まあ、とにかく頼む。奴隷業やそれに近いことがやられていたら厳しめに取り締まってくれ」
佐三にそう言われると、ベルフは「はいよ」と言いながら政務室を出て行く。すると入れ替わりでナージャが入ってきた。
「あれ、狼さん今出て行ったけど、どうしたの?」
ナージャが聞いてくる。
「ああ、ちょっと調査に行ってもらってる」
「調査?」
「ああ」
「何の?」
「何の?何のって言われると……」
佐三はイエリナの方を見る。イエリナも返答に困っているようであった。
「まあナージャには言えないやつだ」
「ええ~!何でよ」
ナージャが不服そうにしている。そもそも佐三にはこの世界のこういった事情がどうなっているのかは知らない。どこまで話して良いものかそれすらも分からないのだ。
(まあ知ってても知らなくても微妙な年齢だからな、ナージャは)
佐三は「ははは」と笑いながらナージャの追及をかわす。大人はいつだって蓋をしていくのだ。
(しかし娼館か。カジノや賭場は公営の独占業としているが、これはなぁ……)
佐三は頭を抱える。佐三も経済学を深く学んだことはなかったが、ギャンブルの類いが町全体の経済に対してマイナスであることぐらいは知っていた。勿論消費を促すと言う点はあるものの、ギャンブルは搾取性が強すぎるのである。それ故にいち早く禁止し、公営の独占業にしていた。
(かつてアメリカで日系移民が、華僑の人達にしこたま巻き上げられた話を覚えていて良かった。あれはいつ聞いた話だったろうか?もっとも今でもパチンコやらIRやらで巻き上げられてはいるんだが)
しかしそれ以外の職業に関しては佐三も詳しいわけではなかった。例えばマフィアが町に存在したとして、それがどの程度の規模なら問題となるのか。それ以外にも違法スレスレの商売をどこまで許容したものなのか。佐三には判断がつきかねていた。
(まったくこんなことなら法律や経済ももうちょいかじっておくべきだった)
佐三はかつての大学時代を思い起こす。既にビジネスを引き継ぎ始めており、金を稼ぐことに躍起になっていたあの時代。いつ使うかも分からない学問はあまり魅力的ではなかったのである。
『必要かどうかじゃなくて、まずはやってみなさい。その努力は遠回りに見えても、必ずあなたを支えてくれるから』
(っ?!)
佐三の頭にふとかつての母の言葉が蘇る。正確には母だった人かもしれないが。
(今朝の夢の所為か。嫌なものを思い出した)
佐三が大きく息を吐き頭を軽く叩く。するとイエリナが不思議そうに見てくる。
「大丈夫、ちょっと嫌なことを思い出しただけだ」
佐三はそういってイエリナの報告書をしまうと、再び業務に取りかかる。
とにかく手を動かそう。働いているときだけが嫌なことを忘れさせてくれるのだから。
佐三はそう思い懸命に頭を回そうとする。しかし能率は一向に上がってはこなかった。
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