異世界の愛を金で買え!

野村里志

エピローグ4 夫婦喧嘩は狼も食わぬ



















 はじめはあまり好きではなかった。


 自分の居場所を脅かす、そんな外敵の一人だと思っていた。


 他と違うところは彼の目的が明確だったこと。


 金と地位。彼はそのためだけにここへ来た。


 だからこそ丁度よかったのだ。


 私はこの場所が、この町があればそれでよかったのだから。
























「む、主殿が見えぬようだが」


 ハチが佐三の姿を探し、ベルフに質問する。


「ああ、さっきイエリナと出かけていったよ」
「何用で?」
「確か送りたい文があるということらしい」
「文を?その運び手は信頼できるのか?」
「北方の犬族は俺たちが懇意にしている。そいつらの紹介だから信用はできるだろう」


 ベルフはそう言うと「はあ~」と大きく欠伸をする。ベルフは主神教の支部から帰ってきてそのまま夜の見回りをしていた。夜勤が空ける間近のこの時間は一番眠たい時間であった。


「ほら、交代だ。後は任せだぞ」
「うむ。承知した」


 ベルフはそう言うと部屋に帰る。


 足代わりに使われた報酬として今晩はたらふく食べる約束をしている。それまでに体調を万全にしなくては。ベルフはそう考えベッドへと足を進めた。


「では私も見回りに行くとしよう」


 窓の外には外から帰ってくるアイファの姿が見える。おそらく朝市の視察を佐三より頼まれたのであろう。経理係といえど、あいている手はどんどん使われていた。


(まったく、今日も忙しい)


 ハチは軽く伸びをして体をほぐすと、軽い足取りで政務室を後にした。


 一日が始まった。














「はい、こちらは王都の方へ。そしてイエリナ様の書簡はこちらに記載されている夫人の方へお届けになればよろしいですね?」
「ああ、間違いない」「はい」


 二人は確認すると、その犬族の従業員はにこやかに笑いお辞儀をした。


「それでは確かに預かりました。またのお越しをお待ちしております」


 二人は彼の言葉を後ろに、その建物を後にした。


「しかし、すごいですね。遠くの町に書簡を送るのに、使いを雇わなくてもできるようになるなんて」
「そうだな。今までと比べれば、格段に便利にはなっただろう」


 佐三はそう答えながら、早足で歩みを進めていく。もう用事はなく、のんびりしている暇はない。佐三はそう考えながら一歩一歩と前に進んでいった。


 治安の回復に伴い町に郵便事業がこの町にやってきた。商売を任せていた北方の犬族の長老が始めたことで、今は周りの部族や新しい人も雇って規模を拡大させているようである。事業の発展に伴う雇用の拡大により、北方の山賊はますます数を減らしてもいるそうだ。


(まったく、あのじいさんも中々やるもんだ)


 佐三はそんなことを考えながら足を進める。


(郵便事業は俺もやろうと考えていた部分ではあったがな。優先順位を後回しにしていた。リスクとリターンが合わないからと。しかし彼らも俺が治安向上を進めようとしたこのタイミングに乗じて進出してくるとは……。中々どうして侮れないもんだ)


 佐三は素直に感心していた。


「……サゾー」
「うわっ。びっくりした」
「……それはこっちの台詞なんだけど。勝手に先に歩いて行くから、見失いかけたわよ」


 イエリナは文句ありげに佐三にそう言うと、佐三は「悪い悪い」と両手を合わせた。イエリナもそれ以上言う気はなかったので、それで終わらせた。


「それで?」
「ん?」
「何の手紙だったの?」


 イエリナが質問する。


「ああ。王都の方に学者を募集していたんだ。ここら辺では教育機関はないからな」
「学者?何のために?」
「次の事業を興す前段階かな。まあ上手くいくかは分からんが早めに手を打っとかないとな」
「ふーん」
「イエリナは何の手紙を送ったんだ?」


 今度は佐三が質問する。


「私は以前パーティーで知り合った方に挨拶の手紙を」
「そうか、それはよかった」


 佐三がうれしそうに言う。自分の事のように喜んでくれるのはイエリナとしてもうれしい部分はあった。


 それにこの手紙はただの挨拶ではない。政治的意図も十分に組み込まれている。イエリナが交友関係を広げていけば、かの小領主も堂々とこの町に危害を加えづらくなる。戦うことばかりが全てではない。こうして関係を広げることで、利益を大きくし、リスクを事前に防げるのだ。


(まあ、全部この人から学んだことですけど……)


 イエリナはそんな風に思いながら隣で歩く佐三の横顔を見る。その悪人面は、心なしかいつもより凜々しく見えた。


「おっ」
「あっ」


 丁度その時、二人の前にチリウが通りかかった。


「どうしたんだ、こんなところで?」


 佐三が尋ねる。


「いやぁ、この前ハチに浴場の入り方を教えてもらったからさ。団員で字の読めない他のメンバーにも教えてやろうかなと」
「なるほど……それは少し考えなければいけない問題でもあるな」


 みると周りにはいくらかの女性がついてきている。皆礼儀正しく、佐三とイエリナに挨拶した。


「いずれにせよ俺の方でも対策は考える。絵を用いたり、図を使ったり。この町の法律でもそういった配慮は必要かもしれん」
「そうだな。それがいい」


 チリウはうんうんと頷いている。これまでは敵対していたから分からなかったが、その明るく堂々とした振る舞いは多くの人間を引き寄せるのだろう。団長としての適性がよく理解できた。


「しかし、もうハチさんと仲良くなられるなんて、凄いですね」


 イエリナが話す。イエリナとハチは最早生物学的に相性が悪いと佐三は感じていた。それだけに猫族の特徴を持つチリウも同様なのかと思ってみればそうではないらしい。


(単に個々人の問題か、それともチリウはどちらかといえば“虎”なのか)


 佐三がそんなことを考えているとチリウが答える。


「いや、あいつも話すと中々良い奴だぞ」


 チリウがまっすぐ、正直な言葉で話す。その言葉にイエリナも頷いていた。


 やはり相性が悪いだけで心の底からハチのことを悪く思っているわけではないらしい。佐三はそう感じた。


 しかしチリウの次の一言が余計だった。


「ハチったらさ、あんだけ堂々としてるのに、サゾーに裸を見られたときは『きゃっ!』って少女みたいに。面白かったなぁ。アイツも可愛いとこあるだろう?」
「……ふーん」


 イエリナの声のトーンが急降下した。


 佐三は背中に寒い何かが通り過ぎるのを感じた。


「……チリウ、早く行った方がいい。徐々に混み始めるぞ」


 佐三が勧める。


「確かに。それではお先に」


 そう言ってチリウは団員を連れて公衆浴場へと向って行く。あとには二人だけが残された。


「さて、今日も仕事が忙しくなるなぁ」


 佐三は早歩きで歩き出す。なるべく早く政務室に戻りたい。その一心であった。


 しかし凄まじい力で腕を捕まれ、それ以上足は進まなかった。


「サゾー?」
「……イエリナ?」


 同じく名前を呼んでいる。しかしそのトーンだけがまるで違った。


「裸を……見た?」
「……誤解だ。交代時間過ぎても二人がでてなくて……他意はない」
「ふ~ん」


 イエリナの追求は続く。


「そういえば泊まりがけのお出かけも……」
「それは調査だ!」
「ふ~ん」


 イエリナの掴む力が強くなる。このままでは骨ごと砕かれてしまう。佐三はそんな気すらした。


「もういいだろ?はなしてくれ」


 佐三がそう言うとイエリナが手をはなす。手がつながっててよかった。佐三はそんなことをおもいながらほっと息をついた。


 しかし追及は終わってはいなかった。


「そういえばパーティーでも抱きしめていらっしゃいませんでしたか?」
「…………」
「ふ~ん」


 佐三は顎に手をあて、少し考える。そしておもむろに靴紐を結び直し、屈伸をはじめた。


「よし!」


 佐三が呟く。


「三十六計逃げるに如かず!」
「あっ……、待ちなさい!」


 全速力で駆け出す佐三をイエリナが追いかける。その動物的速度に佐三も本能が目覚めだし、死に物狂いで走り出した。


「イエリナ、待て!交渉の三原則を忘れたか!」
「相手の話を聞き、利害を考え、イチかゼロかでなく大きく考える!」
「その通り!だから話を……もっと大きな視点で……」
「でもこれに、交渉の余地は無い!」


 そう言ってイエリナは更にスピードを上げる。佐三も一生懸命に足を動かす。


 二人が全速力で駆けているせいだろうか。徐々に町の人々の目にも止まってきた。


「何だ?何事だ?」
「ハチさんのことで揉めているみたいだぞ」
「サゾー様今度はハチ様に手を出したのか!」


 噂は広がり、尾ひれを付けていく。しかし当の二人はそんなこと気付く由もなかった。


















 はじめはあまり好きではなかった。


 私はこの場所が、この町があればそれでよかった。


 でも、今は違う。


 今の私には居場所がある。


 手紙を送る相手もいる。


 そして何より、夫がいる。


 目の前を走るこの人の、松下佐三の隣にいたい。


 彼の心に居場所を置きたい。


 そう願うのだ。
















「待ちなさい!」




 遠くからイエリナの声が聞こえる。ベルフの良い耳はそれだけで大体の事の経緯を把握した。


 どうせ佐三が余計なことをしでかしたのであろう。そしてイエリナの面倒くささもあいまってややこしくなっているのだ。


 その推察は概ね当たっていた。


 今日の食事は延期しよう。夫婦喧嘩のほとぼりが冷めるまでは。ベルフはそう考え掛け布団を深く頭からかぶった。


「まったくしょうがない連中だ」


 ベルフはそう呟き、意識を徐々に夢の世界へと旅立たせる。いい夢が見れそうだ。ベルフはそんな風に感じながらそっと寝息を立て始めた。




 すやすやと眠るその寝顔はどこか残念そうであり、それでいてどこかうれしそうでもあった。













コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品