異世界の愛を金で買え!

野村里志

閑話 水に流して







「ふーー」


 佐三は気の抜けた声を出しながらゆっくりと湯船につかっていく。この世界に来て三年近く、ようやくありつけた風呂であった。


 祭りの一日目が終わった。一日のほとんどを睡眠で過ごしてしまった佐三だが、他の人間は疲れていることに変わりは無い。そこで政務室の一同を連れて、視察がてら最近完成したばかりの公衆浴場に来ていた。営業時間外のため既に人は誰もいなくなっており、その意味では気兼ねなく羽を伸ばせた。




「なんだサゾー、情けない声を出して」
「まあ、入ってみろ、ベルフ。入りゃ分かる」
「入りゃ分かるって言ったって……ふーー」


 ベルフも湯に浸かると気持ちよさそうに声をもらす。やはりこうした感覚は国どころか世界、いや種族の違いさえも越えて共通なのかもしれない。佐三は「だろ?」と笑いながらその温かさをかみしめた。


「サゾーが整備された水道でこの大浴場を作りたいと言ったときは、一体何を考えているのかと思ったがな。これはなかなか」


 ベルフが感心したように喋る。勿論この浴場建設にも経済的、政治的な理由があった。


 第一に公衆衛生の観点からである。数十年前の日本ですら銭湯の存在は社会的保障をうけるものとして最高裁でも述べられている。この世界の水準で言えば、公衆衛生の観点から浴場は公共財として重要であるといえた。


 佐三がこの町の経営で最初に水道についてとりかかったのも同様の理由からである。既に長い年月を経て、ある程度慣れてきたとはいえ、公衆衛生の向上は町全体から見ても佐三の個人的な感覚から見ても重要であった。


 そして第二の理由としては他の町から人を呼ぶ資源となり得ることだ。浴場を町の負担で運営することは短期的に見て経済合理的ではない。現にこの公衆浴場は最近はじまったばかりだが、その利用料金の安さから、建設費用どころか、運営費と比較しても赤字である。


 しかし長い目で見れば話は違う。公衆衛生の向上は確実に町の価値を上げる。加えてこの町にしかない大浴場を目当てに人が集まれば結果的に税収は上を向き、市場規模も大きくなる。損して得をとれるのだ。


 何よりこうした施設は水の豊富な地域でしか運用できない。湖や川が近いが故の利点である。利用しない手はない。


(まあ、この浴場も祭りに間に合ってよかった。結果として多くの人に宣伝できる。まだ規模こそ小さいが、これから拡大していけば良いだろう)


 佐三はそんなことを考えながらベルフを見る。ベルフは気持ちよさそうに目をつぶりながら初めて入る風呂を楽しんでいる。


(まったく舌がはみ出てるぞ。だらしない顔しやがって)


 佐三はそんなことを思いながら天井を見上げる。すると天井から水がぽたりと背中に落ちてきた。


「ばばんばばんばんばん……」
「ん?なんか言ったか、サゾー?」


 唐突な声にベルフが質問する。佐三は「にっ」と笑ってベルフに話しかける。


「お前に一つ良い歌を教えてやろう」
「は?何だ急に」
「いいから俺に続けて歌え。いくぞ」


 佐三は楽しそうにそう言うと歌い出す。




「いい湯だ~な……」
















「なんだか楽しそうね」


 イエリナは男湯の方から聞こえてくる歌声に小さく笑いながら話す。イエリナ達も同時に新しくできた公衆浴場へ来ていた。


「イエリナ様、お水がいっぱい……本当に入っても平気?」
「もう、ナージャったら、水を怖がって」
「だって……」


 ナージャはおっかなそうに湯船をみつめる。ナージャ自身、きれい好きではあり、普段からぬれタオルで拭くなど綺麗にはしているが、唯一水をかぶるときだけは好きじゃなかった。しかし今日に至っては水浴びどころではない。なみなみと蓄えられた湯船の中につかりにいくのだ。


「ナージャはあまり水が得意ではないの?」


 後から入ってきたアイファがイエリナに尋ねる。


「昔からね。アイファさんは?」
「私は平気で……というより、水を嫌う人がいるということを知りませんでした」
「うーん?この町はそもそも水を好む人もあまりいない気がするわ。そもそもサゾー様が言い出さなければ、水道もきちんと整備しなかったくらいだし……」
「こればっかりは種族の違いなんですかね?イエリナ様は大丈夫なんですか?」
「私は昔からきれいにしておくように教わってきたので、水浴びにも慣れていたし……。でも昔はあまり好きではなかったかもしれないわね」


 二人がそんな話をしていると最後の一人が入ってくる。それはつい最近佐三によって雇い入れられたハチであった。


 ハチが入ってきたことで不意に会話が止まる。イエリナとハチの目が合い、そして二人とも自然と目を逸らした。無理もない。ついこの間まで命のやりとりをしていたような状況である。ハチがつけたイエリナの肩の傷跡は、今でもしっかり残っている。


アイファはどことなく嫌な空気を察知した。


「あ、あの早く身体を洗って、湯船に浸かってみましょう!せっかく来たんですし!」


 アイファの言葉にそれぞれは動き出し身体を洗い始める。


(ああ、帰りたい)


 アイファはそう思った。














 四人は横に並んで湯船に浸かる。ナージャはお湯がイマイチ馴染まないのか黙っており、残りの三人も何を話すわけでもなく静かに湯船に浸かっている。


(しまったーー。二人の間に入っちゃったーーー)


 アイファはそんな後悔をしながら左右の様子をうかがう。両者ともに何を話すわけでもなく、ただ黙って湯船に浸かっている。


(でもこの二人を隣に置くのもまた……もー、どうすればいいの!)


 アイファはそんなことを考えながらこの状況を打破する案を考える。しかしなかなか思いつかず、ただ冷や汗が流れた。


 温かい湯船に浸かっているはずなのに、どこか寒い心地がしていた。


「もう、出る!」


 ナージャがそう言って湯船を飛び出す。


「ナージャ……じゃあ、私も」
「いえ、イエリナ様!私は一度来ていますので、私が上がります」


 アイファはそう言って有無を言わせずナージャの元へ行く。一刻も早く、この場所から退避したかった。


 そして二人だけが取り残された。隣の男湯とは対照的に、女湯はいたって静かだった。


いかほど時間が経っただろうか。唐突にハチが口を開いた。


「……すまなかった」
「え?」


 急な言葉にイエリナが聞き返す。


「その傷のことだ。私も使命をもって戦った。それは否定しない。だが、女性の身体に傷跡が残ることは、やはり私自身良い思いがしない」
「………」
「何をぬけぬけと思うかもしれないが……そう思っていることは事実だ。許せとは言わん。ただ謝りたい」


 そう言ってハチは頭を下げる。するとイエリナは「フフッ」と笑い出した。


「そんなこと気にしてたんですか?」
「そんなことって……」
「良いんです。そもそも貴方もしかたなくやっていたんですから」
「しかし……」
「良いんです」


 イエリナはハチの言葉を遮るように話す。


「サゾー様が決めたことですから、もう過去のいざこざは水に流します。だからへんな罪悪感は持たないでください。……もう貴方は私たちの一員なのですから」


 そう言うイエリナにハチはお手上げとばかりに笑みをこぼす。


「随分と、信頼しているのだな。あの男のこと」
「ええ。私の夫ですから」


 イエリナが笑顔で答えると、ハチも笑う。はじめは小さい声であったが徐々に笑い声は大きくなっていった。


(よかった。なんかうまくいったみたい)


 脱衣所から様子をうかがっていたアイファも、ほっと胸をなで下ろす。アイファもハチに対して警戒心が無かったわけではないが、当の二人が和解したのだ。これ以上目の敵にしてはよくない。


「アイファ姉さん~。髪拭くの手伝って」


 ナージャが一生懸命髪を拭いている。アイファは「ちょっと待っててね」と言ってタオルを取り、ナージャを手伝う。


「明日も楽しみだね。お祭り」


 ナージャが話しかけてくる。


「そうね。きっと良い日になるわね」




アイファは浴場の方をちらりと見て、答えた。











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