異世界の愛を金で買え!
転がる石には苔が生えぬ
町の政務室。そこには佐三とイエリナ、そして白い装束をきた大男とその従者がいた。
「はじめまして、タルウィ様。この町で経営を担わせてもらっています、松下佐三と申します。どうぞ宜しくお願いします」
佐三は丁寧に挨拶しながら、目の前にいる黒い髭を蓄えた男を見る。身体は屈強で身長は190センチ近くあるだろうか。長い髭とは対照的に頭は神々しく禿げている。
僧侶というより僧兵と言った方が近い印象の男であった。
主神教の幹部の一人であるタルウィは昨日よりこの町に滞在している。今日までベルフが歓待をしていたが、佐三がとんぼ返りしてきたことで、今は佐三がベルフと交代しているのだ。
(さて、ベルフはこのお偉いさんを怒らせてないかね)
本来であればこうした宗教結社や巨大組織の人間は尊大になりがちで、トップが出てこなかっただけで怒り出す場合もある。ましてや人狼に対応させたとあれば尚更である。
反応を待つ佐三を、タルウィはじっくりと観察する。そして少し間を置いてにっこりと笑った。
「うむ、宜しく頼むぞ。私たちも昨日からよくしてもらっている。こちらからも感謝を言いたかったところだ」
佐三はとりあえずベルフがうまくやったことを確認して安心する。様子から見るにタルウィやその他の僧侶達もこの町での滞在に不満を抱いているようではなかった。
(最初に悪い印象を与えてしまうと取り返すのが面倒だからな)
佐三はそんな風に思いながらタルウィと握手をして、ソファに座るように促す。
「しかしこの町も不思議な町ですな」
タルウィが話す。
「と、言いますと?」
「猫族の町でありながら、人狼が私を歓迎し、町のトップは人間だ。あなたも随分と不思議な統治をなさる」
タルウィは興味深そうに佐三の方を見ている。佐三は少し間違いがあるとタルウィの言葉を訂正した。
「タルウィ様、正確に表現すると私はこの町のトップではありません。経営を担っているだけです」
「何?ではどなたが?」
佐三は手をイエリナの方に向けて紹介する。
「こちらのイエリナがこの町の首長になります」
「おお、そうであったか。これは初めまして」
「こちらこそ、タルウィ様。お会いできて光栄です」
イエリナがタルウィと握手をする。人によっては獣人と握手をすることを躊躇うことが多いと聞いていたが、この男はそういった連中とは違うようだ。佐三はそう感じた。
「しかしこうなると不思議ですな。それではどうしてまた、佐三殿がこの町の経営を?」
佐三はその質問を聞いて、一瞬イエリナの方を見る。イエリナもこちらを見ており、一瞬だけ目が合った。
「私たちは結婚しているのです」
佐三のその言葉に、タルウィは言葉を失う。よほど普通ではあり得ないことなのだろう。その大男は目を大きく見開いて、二人を見た。そしてしばらくした後、大きく笑い出した。
「はっはっは。これは珍しい。私も主神教の人間として多くの地域に足を運びましたが、こんな町ははじめてです」
タルウィは続ける。
「もし差し支えなければお話をお聞かせ願えないだろうか。奥様も一緒に」
佐三は「喜んで」と答え、イエリナに着席を促す。イエリナも心なしか少しうれしそうに話し始めた。
世の中は多様だ。見方も、人のあり方も。
佐三はそんな風に感じていた。
「ここにいたか、ハチ」
政庁の一室、普段は従者の休憩室として使っている部屋にハチはいた。用意された椅子に座り目の焦点はどこかおぼろげである。
表には一応の警護兼見張りとして二人ほど猫族の人間が控えていた。
「君たちも疲れているだろ?ありがとう。ご苦労だった。もう休んで良いぞ」
「サゾー様、しかし……」
従者はハチの方をみる。ハチは静かにどこか宙をみつめていた。
「大丈夫だ。彼女は信用できる」
佐三がそう言うと従者達は「お気を付けて」とだけ言って、下がっていった。
「下がらせてよかったのか?前にも言ったが、貴方は不用心すぎるきらいがある」
ハチが立ち上がる。
「まず始めに、礼を言おう。この手当、感謝する」
そう言ってハチは頭を下げる。
「当然の計らいだ」
「ではもう願うことはない。私を煮るなり焼くなり、好きにしてくれ」
ハチはそう言って再び椅子に座った。その所作は穏やかに、かつ堂々としておりハチの心の状態が十二分に現れていた。
「一族のことは、いいのか?」
佐三が問いかける。
「元々私が全てを担おうとしていたことが間違いだったのかもしれない。結局何一つ守れず、手を汚す羽目になった。奴隷として買われたのもまた、運命かもしれない」
「ずいぶんとドライになったな」
「そうかもしれないが……そうさせたのは貴方だ」
「俺?」
「ああ。視野が広がると同時に肩の荷が下りたような気分だ。信念を守り通せず、一族も守れなかった。だがそれでもいいかと思った瞬間、今までに無いくらい気分がよくもなった。情けない話だがな。信念や忠義がいつの間にか自分の逃げ道になってしまっていた。今になってようやくわかったよ」
ハチは自嘲気味に話す。今まで持ち続けてきた己が、どこか溶けてなくなってしまったような気がしていた。
「一族に会わなくて良いのか?」
佐三が質問する。
「こんな私じゃとても合わせる顔がない。ただ一つ、わがままを言うのであれば、願わくば彼らを少しでいいから人として扱って欲しい。殺そうとしておきながらどの面を下げて言うのかという話ではあるが」
ハチの言葉に対して佐三は懐にしまっていた取引証書を取り出す。
「その紙は……」
そして佐三はそのままその証書を破り捨てた。
「なっ……」
「おっと手が滑った」
佐三は更に細かく破り捨てていく。既にその証書は修復不可能なレベルで破かれていた。
「な、何を……」
「証書がないのでは、奴隷とは言えないな。拘束することもできない。すぐに解放しなくては」
佐三がそう言って両手の平を見せながら「お手上げ」といった様子でハチに言う。余りにも唐突な出来事にハチは呆気にとられていたが、徐々に笑いがこみ上げてきた。
「……くっくっく。本当に貴方は面白い人だ」
「笑えるようになったか。良い傾向だ」
「ああ。こんな状況なのに、自分でも不思議なくらいに楽しく感じている」
ハチと佐三は、はじめは小さく、そして次第に大きな声で笑い出した。その声は政庁にひびくほど愉快で楽しそうな声であった。
「ありがとう。サゾー殿。これで思い残すことはない」
ハチはサゾーに短刀を渡す。
「一族に伝わる名刀だ。切れ味が鋭く、何より頑丈だ。既に血を付けすぎたせいで切れ味の方は落ちているが、磨けばいくらでも使える」
サゾーは黙って短刀を受け取る。するとハチは目を閉じて、その時を待った。
「少し、痛むぞ」
佐三の言葉にハチは何も言わずにただ黙って頷く。最期の最期ではあったが良い時間であった。ハチはそんなことを考えていた。
チクッ
小さい痛みが自分の指に走る。ハチは何をしているのかと目を開けると、佐三によって一枚の紙に自分の血紋が押されていた。
「してやったりだな」
「な、何を……」
ハチは佐三が持っている紙を見る。佐三がヒラヒラとさせているせいでよくは読めないが、一番上に大きく『雇用契約書』と書かれていた。
「まさか……」
「雇用契約を結んでしまったからには俺の言うことを聞いてもらわないとな」
「ふ、不当だ!」
「不当も何も、血紋までついてるしなぁ」
佐三はケラケラと笑いながら答える。その様子はあまりにも子供じみており、いつぞやの凍えつくような視線を向けてきた人間と同じとは思えなかった。
『A rolling stone gathers no moss』
佐三が唐突に口にする。
「転がる石には苔が生えないって意味だ」
佐三の言葉にハチは黙って耳をかたむける。
「『動き続ける人間ほど能力を錆び付かせない』って意味で使われる。主だって仕事だって、時には考え方だって、変えていくことも大事ってことさ」
「故に私に仕えろと?」
ハチが質問する。しかし佐三は大きく首を振った。
「ちょっと違う。俺が言いたいことは、この言葉は違う国では別の意味で使われもするってとこだ」
「どういう意味で?」
「『職や住居を転々としている人間には何も身につかない』って意味でだ」
「それは……まったく反対ではないか?」
ハチの疑問に佐三は小さく笑みを浮かべる。それこそが佐三の意図するところであった。
「世界の捉え方は一つじゃない。生き方だってそうだ」
佐三は続ける。
「君はまだたかだか一人の、しかも最低な主人をもっただけだ。そしてそれに忠義を尽くした。それだけだ。他の主も、考え方も、ましてや生き方さえ、何も試していない」
「だがそれ以外の生き方を私は知らない!」
「なら知れば良い!」
佐三は堂々とそう告げる。その言葉にハチはつい言葉を失ってしまった。
「お前が何をしてきたかは知らん。イエリナを傷つけ、俺を狙ったことは確かなる罪だ。しかしそれをどう捉えるかは人それぞれだ。少なくとも俺は命をもって償わせようなど思ってもいない」
「……っ?!」
「償いさえもいらない。それは君が勝手にけじめをつければいい。イエリナは強く、報復をもって決着をつけることも良しとはしないだろう。だから俺は一個人として君に対等の契約を申し込んでいる」
佐三は手に持っている契約書をハチに渡した。
「期限付きの雇用契約だ。まずは他の生き方を試してみろ。そこから先にどう振る舞うのかは、君の自由だ」
佐三はハチに羽ペンを渡す。契約書には既に血紋が押されているが署名欄が空白であった。
「一つ、聞いて良いか」
ハチが尋ねる。
「なんでもどうぞ」
「私は何をすればよいのだ?」
「基本的には人材管理だ。これから新しいことをバンバンやるのに優秀な管理職が足りない。君がその栄えある第一号だ」
「私はこれまで部下なぞほとんど与えられてこなかった。適任ではないように思われるが?」
「大丈夫だ。俺の人を見る目は確かだ。君ならすぐにできるようになる。それにウチは未経験歓迎な明るくホワイトな職場だ。労働環境は保証するよ」
佐三はニッと笑う。ハチはそんな佐三がおかしく見えた。
「不思議な人だ」
「そりゃそうだ。経営者に普通の奴はいない」
「ああ、だがだからこそ面白そうだ」
ハチは思い切りよく、契約書にサインする。強く力のこもった字は固い意志を示しているようであった。
「契約成立だ」
佐三はそう言ってハチに手を差し出す。
「これは?」
「握手だ。知らんのか?」
「ああ。我々にはない習慣だ」
そう言うハチの手を佐三が握る。
「さあ、握り返してくれ。これが契約の証みたいなもんだ」
ハチはだまって佐三をみつめる。佐三はまっすぐこちらを見ており、その視線は以前とは異なり、厳しさの中にも、どこか優しさが感じられた。
ハチはゆっくりと、そしてその存在を確かめるように、佐三の手を握りかえした。
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