異世界の愛を金で買え!

野村里志

巡りゆく企みの中で









 日が少しばかり傾いている。


 突き刺すような西日は強く、冬が近くなっていることを忘れさせる。


「さて、いよいもって間に合うかギリギリだな」


 佐三は揺られながら呟く。普段乗っているベルフや馬ではないことから、独特の揺れになれるまでに時間がかかった。


「そりゃどうも。もう少し飛ばしますかい?」
「いや、このままのペースで良い」


 佐三はポンポンと首元を軽く叩きながら言う。ベルフほどは早くはないが、それでも十分にスピードは出ていた。


「世話をかけるな。ドニー」


 佐三がパーティーに向うために乗った相手はかの悪名高い人狼の背中であった。












「この辺で少し休もう」


 佐三が声をかけるとドニーが減速する。そして近くの木陰に足を止め、佐三を下ろした。


「助かる。引き続き後も頼む」


 佐三はそう言ってドニーの口に水を注ぎ込む。ドニーはそれをぶっきらぼうに飲み込んでいく。


素っ気ない態度ではあるが、その飲む速さからよほど美味しいことが見て取れる。必要になるであろうと少し大きめの水筒を用意してもってきていてよかった。佐三はそう感じていた。


 事の経緯は少し前に遡る。佐三ははじめ馬に乗って行くことを考えたが、ベルフを教えることや作法の書き置きに時間をとられたことで日が暮れてしまっていた。そのため一日遅れでイエリナを追いかけることになりある程度無茶な行程を強いられていた。


 そうした中で道の整備されていない場所を走れない馬は少し都合が悪い。そしてその時、たまたま佐三に報告に帰ってきていたドニーが佐三の前に現れた。


(しかしこいつのためにベルフまでもが頭を下げるとはな)


 本来ドニーにとって佐三を乗せる意味はない。無論給金をもらえるが、悪党にも悪党なりのプライドはあるし、人狼族としての感覚もある。既に様々な悪行に手を染めもしたが、人を乗せることはそれでもやりたいことではなかった。


(この男もそうだ。人狼に対してためらいもなく頭を下げる。プライドとかはないのか?)


 ドニーの考えももっともではある。人間と獣人族は場所にもよるが仲が良いわけではない。そしてその中でも人狼は最も忌み嫌われている種族の一つでもある。それに対して頭を垂れる佐三の方が異常なのだ。


 もっとも佐三は佐三で、そんな見かけのパワーバランスなど一切考慮しない。彼が重視するのは必要性と代替性に基づく機械的な『パワー』であり、男同士のマウントという意味での権力なんかにはまるで興味がなかったのである。


(俺が裏切ってこのまま拉致する可能性をかんがえていないのか?こいつは)


 ドニーはとんだ間抜けだと思いながらも、今この段階でそれを実行しようとは思わなかった。佐三は高い給金を払ってくれる金づるである。ついこの間も奴隷の仲介で高い手数料を払ってくれた。手を出すには惜しい。


(まあ、使えるだけ使って、旗色が悪くなりゃ裏切るとしよう)


 ドニーはそんなことを考えながら膝を折り、木陰を通る涼しい風で火照った身体を冷ましていた。














「手はずは整ってるな」


 ハチの主人であるその男は執事に手はずを確認した。


「小領主様、問題ありません。ハチが人狼憑きをやったその瞬間に、ハチを始末する準備ができております」


 そういう執事の裏には腕利きの銃兵が並んでいた。この小領主の従兄弟、佐三によって領地没収の憂き目に遭った男の残存兵である。


「あいつは軍備拡張には熱心だったからな。戦もないくせにバカな奴よ。だがあるものは使わせてもらおう」


 ハチはこの一連の催しの中で佐三の暗殺を約束していた。しかし公で暗殺が達成されれば状況によっては大事になってしまう。


(一番の理想は人狼憑きだけを行方不明にして、裏で始末してしまうことだが……。暗殺が露見した場合やしくじった場合に備えは必要だな)


 小領主は暗殺が露見した場合に口を封じることができるように銃兵を控えさせている。そしてハチが失敗しても、佐三の帰りを彼らで狙うことができる。


(女にかまける余り軍拡ばかりしていたバカとは違う。頭の使い方を教えてやるわ)


 自らの従兄弟を腹の中で馬鹿にしながら、男は手を振って執事達を下がらせた。


(ゆくゆくは人狼憑きの権益までモノにして、大領主の座も……)


 男はそんなことを考えながら酒瓶を呷った。
















(あの男……マツシタ・サゾーは現れるだろうか)


 人混みの中、ハチはただ静かに獲物の登場を待った。耳は飾りと髪で隠し、臭いは水浴びと香水で消している。そして一張羅のドレスを身にまとうその姿はどこから見ても人間種の美女であった。


(この変装であっても獣人族に近くに寄られては見破られてしまう。だからこそ彼一人を私の元に近づかせる必要がある。この催しのパーティーこそそれにうってつけだ)


 ハチは自分の頭の中で何度も作戦をシミュレートする。人狼がいた場合や護衛がいた場合にどの間合いまで詰めるべきか、前回の経験を元に計算していた。


(三歩の間合い、その距離に入れば確実だ)


 いかに優秀な護衛が控えていようと、至近距離では間に合わない。ハチは大きく深呼吸しながらその時を待った。


「おい、そこの女」


 近くにいた小太りの男に声をかけられる。その身なりからしてどこかの小領主か貴族の関係者であろうか。至る所に高そうな装飾品をちりばめ、女性をはべらせている。


「なかなか美しいじゃないか。私の妾にしてやろうか?」
「……」
「おい?へんじをし……」


 その瞬間小太りの男は意識を失い地面に倒れる。なんのことはない、ハチが目にもとまらない速さで男の下顎を蹴ったのである。


 あまりにも一瞬の出来事に周りの女性達も何が起きたのかは分からなかった。しかしハチが「大丈夫ですか!皆さん手を貸してください!具合が悪いみたいです」と言うと、我に帰りその男を連れて行く。


 そしてハチはどさくさに紛れてその場所を後にした。


(あの男を見つけなければ……あの男がいなければ……私含め一族の命はない)


 ハチは唇を噛みながら人だかりを見つめる。その待ち人は未だに姿を現してはいない。馬車があの町から出たことと、その馬車がこの場所に着いたことは既に確認済みである。しかし警備が厳重であり、どこに佐三がいるのかまでは把握できなかった。


(せめていくらかの部下をお与えくだされば、もう少し違ったものを)


 ハチは嘆いてもしょうがないと、空を見上げる。賽は投げられたのだ。限られた中で、なんとかやるしかない。ハチも同様に崖の縁に立たされているのだった。




 月がただ優しく、人々をみつめていた。















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