異世界の愛を金で買え!

野村里志

政治と商人

 








「何?失敗しただと?よくもぬけぬけと!」


 小領主は思い切りハチの顔を殴りつける。ハチは何も言わず、ただ黙ってその仕打ちに耐えていた。


 しかしそれでも腹の虫が治まらないのか、小領主さらに怒鳴り続ける。


「貴様!差し違えてでも殺せと命じたであろう」
「……しかし、主様。あの場において私が命を賭したところで、既に人狼憑きは襲撃にそなえておりました。成功の可能性は万に一つもありません」
「うるさい!口答えをするな!獣人風情が!」


 小領主は空いた酒瓶を投げつける。酒瓶はハチの額に当たり、わずかに血が流れ出した。


「お前はこの始末どうするつもりだ?」


 小領主が問いかける。


「はっ。主様、お聞きください。暗殺は失敗に終わりましたが、別の策をうちました」
「何?」


 ハチは懐から書状を取り出して小領主に渡した。


「主神教の幹部である、タルウィ様が近々、この地域を遊説するようです」
「だからなんだ?」
「しかしこの地域の事情には詳しくないご様子。しかして、祭りの存在も知らないようです」
「ええい。結論を話せ」
「道中の道に細工して、一部通れなくしました。丁度大領主様の催し、パーティーが開かれる際にタルウィ様がかの町に来るように仕向けます」


 ハチの言葉に小領主はだまって椅子に座る。


「つまり、そこが狙い目というわけか」
「あの町はそもそも護衛の人数が多くはありません。かなりの人数を主様の従兄弟君に殺されましたから。タルウィ様の護衛に人数を割かなければならないとなれば……」
「必然的に大領主の催しには大した護衛を付けて来れないというわけか」
「はい。それに加えて、もし大領主様の催しに来ないとなれば、大領主様のメンツを潰すことになります」
「来なければ来ないで政治的損害を与えられるというわけか」


 ハチは「左様です」と答えて頭を下げる。小領主は酒を呷りながら少しの間考えていた。


「わかった。次にもう一度だけチャンスをやろう。次しくじれば一族の命はないと思え」
「はは」


 ハチは深く頭を下げた後、その場を後にした。
















「できますかね、本当に」


 ハチが下がったのを確認した後、小領主の執事が質問する。


「わからん」
「しかし次は厄介ですぞ。ハチはあんなことを言っていましたが、大領主様のお膝元で暗殺などすれば……。成功するならまだしも、失敗すれば目も当てられません」
「案ずるな。手は打つ」


 小領主は自信ありげに答える。


「元々あのような獣人族なぞ信用してはおらん。願わくば差し違えてもらいたいと思うぐらいだ」
「はい。それはごもっともで」
「万が一失敗しても白が切れるよう、奴の一族は近々奴隷として売り払うつもりだ。最高のシナリオとしては人狼憑きとハチが共倒れすることだ。そうすれば我が領地の経済も復活するだろうし、私が疑われる心配もない」


 そう言って小領主は再び酒を呷る。


 「獣人が死のうが、約束を破ろうが知ったことではない。やつらは人間のなり損ないだ。利用してあげるだけありがたく思うべきなのだ。そんな連中と慣れ親しむどころか、婚姻まで結ぶあの人狼憑きも、同様だ」


 小領主は酒の追加を持ってくるよう執事に命令する。


 執事は黙って新しい酒を渡した。
















「で、ベルフ。刺客の出所はわかったか?」
「ああ。ここから東南の方角にある小領主の館に帰っていった。臭いで気取られぬよう風向きに気をつけて尾行したが……。それ以上にダメージが大きかったようだ。尾行を疑う以前に、まっすぐ帰って行ったよ」


 ベルフがまとめた報告書に佐三は素早く目を通す。


「他に何か分かったことはあるか?」
「壁が低かったんで簡単に町には入り込めた。そこにも書いてあるが、どうやらあの刺客の女、何か脅されているみたいだ」
「脅されてる?」
「詳しい事情は分からないが親族が人質になっているらしい」
「随分詳しく調べてきたな」


 佐三はベルフの調査に感心するとともに、再び報告書に目を通す。


「あの町にはほとんど獣人族がいなかったからな。いたとしても奴隷としてだ。鼻のきかない人間の警備は、あってないようなもんだったよ」


 ベルフが言う。


「俺の場合、館の近くにまで行けば、いくらか声を拾える。酔っ払いのでかい声であれば特にな。だがあの犬族の女は流石だった。声を落とし、遠くからは拾いにくいように話していた」
「そうか」
「あの女も女で、ダメージのせいか警戒が薄かった。……まあ最後の一撃は女に対してとしては力を込めすぎた気がするな」


 ベルフが頭を掻きながら言う。刺客に対してだというのにどこか申し訳なさそうにするベルフに、佐三はどこか興味深い感覚を覚えた。


(ベルフ達人狼族の風習では完全な男尊女卑社会だったはずだが……。それだからこそ守るべき対象として女性が大切にされているのか?そうなると現代社会の女性のエンパワーメントといった話も、どこか皮肉めいてきこえるな)


 佐三は乾いた笑みを浮かべてから、イエリナのことを思い出す。本来夫として守るべきはずが、逆に守られ、傷つけてしまった。これはベルフの古い考え方からも、佐三がいた現代社会の考え方からも受け容れられるものではなかった。




 佐三は力強く右手を握りしめ、次の対策を練っていった。
















 政庁の中にある医務室。そこには医者とイエリナ、そしてアイファとナージャがいた。


「イエリナ様、お怪我大丈夫?」


 医者に一通り手当てしてもらった後、ナージャが聞いてくる。医者に止血してもらったこともあり、既に出血は完全に止まっていた。


「大丈夫よ、心配かけてごめんなさい」


 イエリナは笑って答える。


「イエリナ様、無事で何よりです」
「アイファも色々手伝ってくれてありがとう。もちろん、ナージャも」
「えへへ、いいよ。イエリナ様のためだもん」


 イエリナが無事と知ったからかナージャはうれしそうに笑っている。


「しかし、一体何故サゾー様は狙われたのでしょうか?」


 アイファが話す。


「元から恨まれていたのか、それともただの賊なのか」
「話を聞く限りでは……狙われたみたいよ」


 イエリナがアイファの疑問に答える。佐三に応急手当をしてもらった際に、イエリナは少し話を聞いていた。


「でも、恐いね。サゾー様、また狙われるんじゃ……」


 ナージャが心配そうに言う。以前イエリナを狙った小領主に町全体が危険に晒されたことがあるとはいえ、ナージャはまだ十そこそこの少女である。身内のイエリナが怪我をさせられたことは十分に恐ろしい出来事であった。


「大丈夫よ、ナージャ」


 イエリナはナージャの頭を撫でながら、心配そうに見つめるナージャに語りかける。これは別に根拠のない慰めでもなかった。


 佐三が来て以降、以前と比べて町の治安はかなり改善されている。加えて先程の刺客もベルフが追ってったこと聞いている。問題の収集はさほど時間はかからないであろう、イエリナはそう感じていた。


(とはいえ、町には噂として流れてしまったでしょうね)


 イエリナはこれからのことを危惧する。長である自分が襲われ、怪我をしたとあれば実態はどうあれ少なからず町には不安が走る。せっかく発展してきた町に、そういった風評は好ましくない。


 加えて祭りや、パーティーのこともある。祭りはナージャをはじめとする町の住人が一年で最も楽しみとする行事の一つである。それ故に治安の回復は急務であった。


 そして何より、今年行われる大領主のパーティーはイエリナにとってはすこし違った意味合いを持っていた。


 例年開かれるパーティーでの舞踏会。これまでイエリナは町の長としてパーティーに顔を出しはするものの、舞踏会ではいつも端で見ているだけであった。どの男性も外聞を気にして猫族のイエリナにダンスを申し込むことはなかったためである。


 しかし今年に関しては事情が違っている。今年のイエリナには夫がいるのである。かねてより憧れていたあの場所で、踊ることができるかもしれないのだ。


(こんな時になって、パーティーのことを考えているだなんて……)


 イエリナは軽く頭を振って、パーティーのことを忘れようとする。自分は長であり、やるべき事があるのだ。こんな状況の中で浮かれてはいけない、そう考えていた。




 しかしそう思えば思うほど、律しようとすればするほどに、あの輝かしい光景がイエリナの脳裏をよぎってしまうのであった。



















コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品