異世界の愛を金で買え!

野村里志

それは一人の少女として











 時々みんなが羨ましくなるときがある。






 部屋ではナージャが楽しそうに話している。


 今日はこんなことがあった、あんなことがあった。最近遊んだ子の話、新しい服の話、お祭りでどの男の子と踊るのかといった話。


 それはどれも自分には無いものだ。


 町の長の子供として産まれ、教育を施されてきた。


 リーダーとして申し分ないだけの環境を整えてもらってきたのだ。それ以上を望むべきではない。


 町の子供がやらなくてはいけなかった仕事を、私はやらなくてよかった。


 子守も洗濯も仕事の手伝いも、私はやっていない。


 それでいてこの町の誰より暖かい家で、豪華な料理を食べ、綺麗な服を着ていた。


 けど、本来町の子供達がするようなこともできなかった。


 外に花を摘みに行くことも、泥だらけになりながら友達と遊ぶことも、そして……






 誰かに、恋をすることも










「ねえ、イエリナ様!聞いてる」
「……あっ、ごめんなさい。なんだっけ、ナージャ?」
「もー!最近イエリナ様、多いよ。ぼーっとしていること」


 顔を膨らませながらそう言うナージャにイエリナは「ごめん、ごめん」と謝りながら再び話を聞いた。


 佐三が政務室を出て行ってからしばらくの時間が経ち、既に日は高く昇っていた。そろそろ昼食にしようかと考えていたが佐三が理由も告げずに長い時間外にいることは珍しいとイエリナは少し待つことにしていた。


「あ、サゾー様、帰ってきた」


 ナージャが窓の外に見える佐三とベルフに指を指す。二人は丁度建物に入るところであり、少しして政務室に帰ってきた。


「だから、お前がトチるから悪いんだろうが」
「なんだ、サゾー。人の所為にするつもりか」


 二人はどうやら何か揉めているらしく、言い合いながら政務室に入ってくる。


「どうしたの?二人とも?」


 ナージャが不思議がって質問する。


「ああ、それがな、ナージャ。さっき悪い奴が俺たちを襲ってきたんだよ」
「ええ?!」


 ナージャが驚き、大きな声をあげる。


「サゾー様、大丈夫だったの?」
「ああ、俺が守ったからな」


 ベルフがわざとらしく胸を張って、答える。


「だがこいつのミスで賊を取り逃がしたんだ」
「お前という足手まといがいなければ問題なかった」
「なんだと?」
「なんだ?」


 二人が言い争いを始める。その様子にナージャは「もー、喧嘩はダメだよ」となだめている。


 ただイエリナだけが言い知れぬ違和感を覚えていた。


「まあもう追い払ってはいるが、いずれにせよ危険であることに変わりは無い。イエリナ、一応身の回りの警護を一層強固にしてくれ。特にイエリナの警護は人員を増やそう」
「は、はい」


 佐三はそうとだけ言うと「あー、腹減ったな」と言いながらベルフと共に政務室を出て行く。その様子はいつも通りであり、まるで普段と変わらない様子であった。


(おかしい……)


 イエリナはただ一人疑念を抱えていた。


(どこか振る舞いがわざとらしい……。きっと心配かけまいと……)


 実際ナージャは佐三達の振る舞いをみて、変な恐怖感を抱いてはいない。


 イエリナは窓から外を見る。するとそこには食堂を向ったはずのベルフが全速力で町へ走り出していた。そしてそれに遅れて佐三が自警団の本部へ向っていくのが見えた。


(やっぱり、そうなんだ)


 イエリナは急いで書類をまとめる。


「どうしたの?イエリナ様?」
「ナージャ、私急用を思い出しちゃった。今日はもう、お手伝いは終わりで良いわよ」
「え、わかった」
「あ、でもアイファさんが戻ってくるまではここにいてね。アイファさんに私たちが出かけてしまったことを伝えたら、あがっていいわよ」
「はーい」


 そう返事してナージャはソファに座る。イエリナはそれをみて政務室を後にした。










(奴の臭いはまだ遠くには行ってない。十分に追える距離だ)


 見慣れない人間が町中で走れば人目につく。それだけに全速力で逃走するのはあの刺客にとってあまり望ましくはない。加えて佐三が町の警備を強化すれば一度自らの領地にまで帰ろうとはするはずである。


 それ故にベルフは今からでも十分に追えると判断していた。ベルフの嗅覚はそこらの人狼族や犬族の比では無い。そして自らの嗅覚は先程の襲撃者がまだ近くにいることを感知していた。


(この臭いは……まだ町から出れていない)


 ベルフは「しめた」と思い走り出す。佐三の考えでは町が出て行ったところを追跡する予定であったが、まだ町を出ていないのであればそれはそれで好都合である。


(やつも犬族の端くれだ。尾行には敏感であろう。無理矢理にでも口を割らせた方が早い)


 ベルフは臭いまでの距離から自分が確かに目標に近づいていることを確信する。


(この通りの先に……間違いない)


 ベルフは更に加速し、町を駆けていく。


(やつが俺に気付く前に、取り押さえる……!)


 ベルフは目にもとまらぬ速さでその臭いの対象を取り押さえた。


「うわっ……何だ?!」
「動くな!動けば殺す……って、あれ?」


 ベルフはを見て、探していた相手ではないことに気付く。


「て、あれ、ベルフさんじゃないですか」
「お前はこの町の……確か工事をやっている」
「はい。出稼ぎでこの町に来てます」


 犬族の男がそう言うと、ベルフは慌ててつかんでいた男の首元を放す。


「しかしそんな剣幕でどうしたんでさあ」
「詳しい話は後だ。それより、犬族の女を見なかったか?この辺では見ない顔で、フード付きの上着を着ていた」
「さ、さあ。みてません」


 男は突然の質問に合点がいかない様子ながら答える。ベルフは男の様子から嘘を言っているわけではないことを確認した。


「なにか、トラブルですか?」


 犬族の男が聞いてくる。


「ああ、賊だ。犬族の女がサゾーを襲おうとした」
「ひえっ。こりゃまた恐い」


 ベルフは周囲を見渡す。確かにあの臭いが近くからしたのだ。ベルフは近くにいると考えていた。


 犬族の男は身震いしながら続ける。


「そういえばこの町の治安も悪くなりましたね。今日だってあっしの仕事が終わって帰ろうとしていたら上着が盗られてました。幸い今日は暖かいんで助かりましたが、もうこれから冬になるっていうのに、困ったもんです」


 男のその言葉にベルフは周りを見渡すのをやめ、男に質問する。


「上着が?どんなやつだ」
「へい。元は白だったんですが、大分汚れちまいまして」
「フードは?」
「ついてます。雨の日にも作業しなきゃならないんで」
「しまった……。鈍っていたのは俺の方だ」


 ベルフはそのまま勢いよく駆けだしていく。目指すは佐三の元。刺客は最初から逃げる気などなかったのである。


(汗の臭いがしみつく作業員の上着を利用したのか。男物であったからサイズも大きく、顔を隠すのにもうまく利用できたってわけか)


 失敗しても佐三とベルフを引き離す、二段構えの腹づもりであったのである。


(サゾーが危ない!)


 ベルフは更に足に力を込めた。














「というわけだから、一応今日から祭りが終わるまでは警備の人員を増やしてくれないか。手当は出すし、なるべく人員も回すようにする」
「わかりました」


 猫族の従者達が揃って敬礼をする。気まぐれ揃いの猫族ではあるが、イエリナ直下の護衛団は誰もみな優秀な人材が揃っている。統率もとれており、申し分ない警護役であった。


(まあ向こうが余程捨て身でない限りすぐにまた仕掛けてくることはないだろう。時間をかければ対策もしやすい。次こそ十全な罠にかければ良い)


 佐三はそんなことを思いながら、自警団の本部を後にした。


 既に佐三にも油断や思い込みがあったであろう。刺客が捨て身である可能性を排除してしまった上に、ベルフが追跡に失敗する可能性も棄却していた。ベルフの言うとおり、佐三もベルフもどこか緩んでいる部分があったのである。


 したがって佐三は後方からゆっくりと近づいてくる犬族の女性が、先程の刺客だとは気付きようが無かった。


 自警団の本部の近い、町の中心部。逃げ切るにはもっとも難しい場所での犯行。それだけに佐三がもっとも油断している瞬間でもあった。


「……覚悟」
「なっ?!」


 再びの凶刃が佐三を襲う。今回は完全に油断しており、佐三に防ぐ術は残されてはいなかった。


「サゾー様!危ない!」


 しかしまたしても佐三に突き立てられることはなかった。


「大丈夫ですか?サゾー様?」


 イエリナは佐三に覆い被さるように倒れ込んでいる。佐三は状況をいち早く確認するべくイエリナを抱きながら、すぐさま片膝をついた状態になり、刺客を睨み付けた。そしてそのままゆっくりとイエリナと一緒に立ち上がった。






 イエリナの肩からは鮮血が流れ出していた。











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