異世界の愛を金で買え!
虎の尾
とある日の夜、町には招かれざる客が訪れていた。
(ここがかの“人狼憑き”と呼ばれている商人の根城か)
ハチは佐三達が寝泊まりしている建物を少し遠巻きに観察する。
(門の所には衛兵が二人、猫族の女か。臭いからするに中にも何人かいるであろう。おそらく人狼も)
ハチは懐にしまっている小刀をさする。
基本的に人狼族と犬族では身体的特徴は似て非なるものである。犬族は種族における連携や集団行動に特化している。一方で人狼族は村を作るものの基本的には単独行動を好み、単体での狩猟能力、ひいては嗅覚や聴覚等の感覚神経と戦闘能力に特化している。
(そういった意味では私がまっすぐ乗り込んで対象を排除するのは不可能であろう)
ハチはそう考え、観察を続ける。
(だが手は必ずあるはずだ)
刺客が虎視眈々と、佐三を狙っていた。
「さーて、今日もいっちょ稼ぎますかね」
佐三はそんなことを言いながら仕事に取りかかる。その仕事の多くは書類作業であり、雑務と呼ばれる物が多いが、一つ目的を明確にするだけでもやる気がかわってくるものである。
そしてほぼ同タイミングでイエリナとベルフが入ってきた。
「イエリナ、おはよう。……お、ベルフ。珍しく今日は早起きだな」
「ああ、ちょっとな」
佐三は始業時間と同時に政務室に入ってくる、ベルフに珍しそうに声をかける。普段ならもう一、二時間おそく入ってきてもいい。
「サゾー」
少ししてベルフがいつにも増して低い声で佐三を呼ぶ。佐三は訝しげに振り向き、ベルフを見る。そこには普段とは異なりずっと鋭い目つきで佐三を見ているベルフがいた。
「……サゾー」
「……ああ、わかった」
ベルフの低い声に佐三は軽く手を挙げて答える。そしていくらか仕事が一段落した段階で不意に席を立った。
「イエリナは水道整備予算の概算を、アイファは引き続きその仕事を続けてくれ。ちょっと出かけてくる」
二人は唐突に部屋を出て行った佐三にまるで合点がいかず、ただ呆然と送り出していた。
(来た、あの男だ)
ハチは観察している建物から、対象となる人物が出てくることを確認する。人間種で黒い髪と、異国風の顔つき。それらが伝えられた情報と一致していた。
そもそもこの町に獣人でない人間は多くはない。その中でも町の中心に建てられたその建物から現れたその男を間違える可能性も無かった。
(狙うなら、人目がつかなくなる頃合い)
ハチはなるべく気付かれないように遠くからゆっくりとついていく。ハチは犬族の中でも嗅覚や聴覚に優れている。佐三からはとても気付くことができないほどに離れていながら、尾行が可能であった。
佐三は町の様子を観察しながら徐々に町の外側へと足を向けていく。町の中心から離れるほどに人通りは減っていき、しばらくする頃には佐三はかなり人通りの少ない区域を歩いていた。
(狙うなら……今)
ハチはこれまで多くの賊と戦ってきていた。戦闘はおろか殺しの経験もある。腑抜けばかりがそろうあの小領主の戦闘部隊としてはかなり希な人材ではあった。
ハチは静かに胸元の小刀を抜き、少しずつ佐三に近づいていく。視界に入らないようにしながらでもハチは臭いで尾行することが可能であった。
(あと少しだ)
十分な近さにまで近寄れば、全速力で近づき、刃を突き立てる。そして全速力で走り去ればいい。口元は布で覆い、耳はフードで隠してある。どんな人間に刺されたかどころか、犬族であることすら分からぬまま去ることができる。ハチはそう考えていた。
(今だ)
ハチは急加速して佐三との距離を詰める。足音も殺しており、佐三はすぐ近くに来るまで気付かない。振り返ったときにはすぐそこの距離にまでハチは詰めていた。
「だれだっ……」
「お命、頂戴!」
ハチが刃を構え、佐三に飛び込んでくる。既にハチは必殺の距離にまで迫っていた。間違いなく殺せる、そう判断した。
しかしハチのその刃が佐三に突き立てられることは無かった。
「がはっ……」
「危ない、危ない。間一髪だ」
横から現れたベルフにもろに蹴りを食らい、ハチは息を荒くする。
「サゾー、気をつけろ。こいつ、かなりの手練れだ」
「ああ。俺も今の今までどこからついてきているのか分からなかった。お前に言われてなければ、いることを疑いすらしなかっただろう」
佐三は首をなで下ろしながら言う。先程の低い声での声かけ、それこそか合図であった。
「しかしサゾーがここ数ヶ月の町での生活に慣らされてないか心配だったが……まだぬるま湯に慣れきってはいないみたいだな」
「馬鹿言うな。常に危険と隣り合わせで二年を生きてきたんだ。そう簡単に抜けきるかよ」
「謀ったのか……私を……」
ハチは息を整えながら正対する。そして小刀を構え、戦闘態勢に入った。
「殺し屋か?依頼主は誰だ?話せば五倍の給金を払うぞ」
「……あいにくだが殺しを生業にはしていない」
「ああ、そうか。じゃあ主人の名を教えてくれ」
「断る」
「ならばしょうがない」
「ベルフ!」と佐三が合図すると共に、ベルフは駆けだしていた。目にもとまらぬスピードで距離をつめるベルフにハチは何とか対抗する。
「こいつ、やはり普通の犬じゃねえな」
「人狼風情に言われる筋合いは無い!」
「……プライドも高いときたか」
ベルフは軽口を叩きながらも性格で素早い攻撃を加えていく。しかしハチもそれをいなし、徐々に速さに慣れてきているようであった。
(このままじゃ埒があかない。ちょっと手荒いが、我慢してくれ)
ベルフは心で謝ると足に力をこめ、地面を蹴った。
(消え……後ろか?!)
ベルフはフェイントも混ぜることでうまくハチの視界から消える。そして後ろをとり、その強烈な蹴りを脇腹に叩き込んだ。
(感触あったが……何?)
ハチは綺麗に吹き飛んでいったが、地面に落ちる前に上手く受け身をとり、素早く立ち上がった。
そして立ち上がるやいなや全速力でその場を後にする。
「待て!」
「追うな、ベルフ!」
ベルフは佐三の言葉に立ち止まり、追いかけるのをやめる。
「俺らが待ち構えていたように、あいつも仲間を伏せているかも知れない」
「……わかった」
ベルフは渋々佐三の元に戻る。
「しかし慢心した。お前で捕らえきれないとは。これだったら従者達もつれて包囲網の一つでも作っておけば良かった」
「……面目ない」
「謝らなくていい、ベルフ。失敗は常にトップの責任だ。お前は何一つ悪くない」
ベルフの肩に手を置きながら、佐三が答える。
「しかしあの女……顔はよく見えなかったが、かなりの実力者だ。本気でやらなければ、無力化はできないだろう」
「つまり無傷での捕獲は無理か……。此方もあまり手荒なことはしたくない。暴力はいつだって最後の手段だ。経済合理的じゃないからな。できれば使いたくはない」
「ではどうする?」
「ベルフ、奴の臭いは覚えたか?」
佐三が問いかけるとベルフは「何を当たり前のことを」と言わんばかりに腕組みをする。
「これからわざとらしく警戒網を強める。そうすればアイツも一旦は引かざるを得まい。そこをつけてくれ。相手のバックをはっきりさせよう」
「了解した」
ベルフはそう言ってハチの逃げた方向へ駆けていく。佐三も人気の無い通りから急いで戻るべく走り出す。
「誰だか知らんが、良い度胸だ。踏んだのが猫の尾ではなく、虎の尾であったことを教えてやる」
佐三は不敵に笑い、反撃の手を考えていった。
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