異世界の愛を金で買え!

野村里志

サンクコスト













「建物中を探しましたがどこにもいません!宿舎の部屋も空みたいです」
「ナージャも町の人に聞いてみたけど、誰も今朝は見てないって」


 イエリナとナージャが政務室で佐三に報告する。無論報告の内容は失踪したアイファについてである。


 佐三は二人の報告を聞いた後、黙って椅子に深く腰掛けながら、窓の外を眺めた。隣のベルフはわずかに感じていたアイファへの不信感が、どこか現実になった気がしていた。


(やはり、まずいことになったな)


 ベルフは佐三の傍らに立ちながら、佐三の判断を待つ。佐三の言うことを絶対視するわけではないが、非常時における佐三の判断は十分に頼りになるものであった。


「ベルフ」


 佐三が呼びかける。


「何だ?」
「金庫を見てこい。第三金庫だ」


 ベルフはその言葉で佐三の考えていることを察した。おそらくイエリナも察したのであろう。イエリナは少し凍り付いた表情をしていた。


「わかった」


 ベルフはそう言って、部屋を出て倉庫に向う。鍵は別室に保管されているが、ベルフは直接金庫へと向った。


「ねえ、サゾー様。アイファ姉さん、どこ行っちゃったの?」


 ナージャが心配そうに聞いてくる。佐三は表情を変えることなく、ナージャの頭を軽く撫でてから答える。


「アイファは、もう帰っては来ないだろう」
「……っ!?何で!どうして!」


 ナージャは不意に告げられた言葉に理解ができず、佐三に聞き返す。佐三は何も言わずナージャの頭から手を放し、再び椅子に深く腰掛けた。


「ねえ、サゾー様、どうして……」
「開いてたぞ」


 佐三にナージャが詰め寄っている中、ベルフが戻ってきた。


「開いてたぞ、金庫。勿論金もなくなってた」
「そうか」


 佐三はそれだけ言うと再び黙る。そして耐えきれなくなったイエリナが佐三に質問した。


「サゾー様、どういうことです?早くアイファを探さないと……、何か事件に巻き込まれているかも……」
「イエリナ、お前もわかるだろう。俺の考えていることが」
「しかし……」
「奴は盗んだんだ。この町の金をな」
「………っ!?」


 イエリナは佐三に突きつけられた言葉に上手く言葉が出なかった。


「しかしサゾー、いいのか?金を奪われているんだぞ。それに犯人だって決まったわけじゃ……」
「ベルフ、この建物に金庫にしている場所がいくつあるか知っているか?」
「え、それは……」
「六つだ。お前には三つしか教えていない。俺も五つしか知らない。六つ全て知っているのはイエリナだけになっている」


 ベルフは無言でイエリナを見る。その様子から察するに佐三の言葉は本当のようであった。


「そして第三の金庫から金が盗まれた。だが他のはどうだ?俺の見立てが正しければ第三の倉庫だけだろう。これは今からでもすぐに確認が取れる」
「………」
「あの場所に金があることを知っている人間、あの部屋の鍵の位置と種類を知っている人間、この建物に入ることのできる人間、何よりあの部屋以外の金庫を知らない人間は自ずと絞られてくる」
「サゾー……お前」
「あの部屋の金はほとんどを別の場所に移している。取られているとしてたいした額にはならない。無論、損失に変わりないが今から探す手間と比べれば微々たるものだ。見つかるかも、追いつけるかも分からないからな」


 ベルフはここにきて、自分の今までの考えが少し間違っていることに気付いた。アイファに対して、唯一疑いの目を向けていたのが自分だとベルフは思っていた。しかしそれは誤りであった。自分以外にもう一人、それも自分以上に疑いを持っていた人間がいたのである。


(サゾーは、はじめから……)


 どこまでも疑い深く、どこまでも用意周到に準備がされている。それは最早自衛を越えて、罠とまで思える恐ろしさがあった。血も涙も何もかもが排除された、凍り付くような何かであった。


 ベルフは息を整えるべく、大きく息を吐いた。上手く言い表すことのできない息苦しさが、ベルフを襲っていた。


 誰も口を開かない重苦しい沈黙の中、イエリナはさっそうと歩き出し、佐三の前に立った。


「何だ?」
「サゾー様、アイファさんを探しましょう」


 イエリナは毅然とした態度で、佐三に言う。イエリナが佐三に対して真っ向から意見することは極めて珍しかった。


「断る。少なくとも俺は」
「何故です?私たちの仲間でしょう?」


 イエリナは一歩も引かない。


「奴は盗人だ。それに追いかけるメリットはない」
「何か事情があるのかも」
「だとしてもだ。事情があったら裏切るような人間はますます必要ない」
「彼女が必要ないんですか?彼女の代わりはいないでしょう?」


 イエリナがそう言うと佐三は机の引き出しの中から書類の束を取り出し、机に並べた。


「これは……?」
「経理人材育成用のマニュアルだ。手引きと言い換えても言い。彼女への教育の記録をしながら、後任や人材育成のために作った」
(こいつ、こんなことまで……)


 ベルフは佐三の行動にどこまでも驚かされていた。そして同時に、佐三の内面の奥底に眠る、どこまでの無機質な冷酷さを見せつけられているようでもあった。


 佐三は続ける。


「彼女は優秀だし、被害も小さくはない。ただ追いかける労力と天秤にかければ一目瞭然だ。あれくらいの端金は渡してやれ。金も人材も、補充はできる」


 佐三はまとめるように述べる。


「要するに、だ。『代わり』はいる。そういうことだ」
「……っ!?」


 その言葉を聞いたときであった。ベルフが止めるのよりも早く、イエリナは動いていた。






 パチンッ!!






 乾いた音が政務室に響く。イエリナが息を荒げながら佐三を睨んでいた。


「随分威力のある平手打ちだな」


 佐三は自分の首が飛んでしまったのではないかと思うほどの衝撃を受ける。自分の首がまだつながっていることを確認しながらイエリナを見た。


「私は……そう言われても別にかまいません」


 イエリナは声を震わせながら続ける。


「でも……あの子は、あの子だけです。代わりなんて……いないはずです。ベルフさんだって、ナージャだって、この町の住人、誰一人だって、代わりなんていないんです」


 そうとだけ言うとイエリナは部屋を飛び出していった。するとナージャも「待って、イエリナ様!」と言って同様に部屋から飛び出していった。


 政務室にはただ二人だけが取り残されている。


「本当に良いのか?」


 ベルフが問いかける。


「これまで彼女にかけてきた時間が無駄になるぞ?」
「……それはサンクコストだ」
「サンクコスト?」


 ベルフが聞き返す。


「サンクコスト、もう返ってこない金だということだ。次の行動を決めるときに人間が度々勘定に入れてしまいがちな費用のことを指す」
「………」
「ギャンブルと一緒だ。もう既にメリットはないと分かっているのに、既に大金を使い込んでしまったから引くに引けない。こういうことは事業でもよくある話だ。既に大量の額を投資してしまったから、儲からないと薄々気付いていても引くことができないってな」


 佐三は書類の山を取り出し、淡々と仕事を始める。


「要するに、だ。彼女が返ってくるメリットと彼女を探すコスト、これだけを頭に入れて意志決定をすべきだということだ。それ以外の感情的要素は、頭から外さなければならない」


 佐三はすらすらとペンを進ませながらそうとだけ説明した。ベルフはしばらく黙っていた。


 ベルフからしてみたとき、佐三の考えはもっともであるようにも聞こえた。イエリナよりかはベルフの方が些か合理的であったのである。


(だが、そうじゃねえな)


 ベルフは佐三の方を見る。


(普通、ここまで人間が感情を切り捨てはしない。いくら佐三が賢いとしてもだ。それに……理屈では分かっていても、それをよしとするかは別の話だ。人狼族の誇りにかけて、何より佐三のためにもここは捨て置くべきではない)


「佐三」
「何だ?」
「今日護衛はいるか?」


 佐三はそれを聞き、すこし黙った後、「特に要らんな」とだけ返した。


「じゃあ、ちょっと外を出かけてくる」


 ベルフはそう言って窓を開けて飛び降りた。








 ベルフがいなくなり、一人静かな政務室で佐三は仕事を続けていた。淡々と一枚一枚仕事を終えていく。


「ん?」


 佐三は普段より滑りが悪いことから、途中で羽ペンの形がいつもと違うことに気付いた。既にかなり摩耗しており、佐三が普段使うものとは違っていた。


(これは……アイファに貸したもの。そういえば昨日仕事を教えていたときにペンを借りたっけ)


 佐三はそのペンをぼんやりと眺めている。すり減り、ボロボロになっているそのペンからはアイファが政務室以外でも使っていたことが見て取れた。


 佐三は立ち上がり伸びをしながら窓から外を眺める。心地よい風が部屋の中に入ってきていた。


「今日は随分と……、日が長いな」


 佐三は部屋に差し込む日光を感じながら、小さく呟いた。

















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