異世界の愛を金で買え!
明日が来れば
アイファがこの町で働き始めて二十日近く経った。十日毎に休みをもらい、この最後の十日間を無事勤め上げれば正式に雇ってもらえることになっている。正直アイファにとっては現在の状況でも十分すぎる程に待遇がよかった。そのため更に待遇がよくなるというのは今ひとつ実感がわかないところでもあった。
「ふう……」
アイファはペンを置き、部屋のろうそくを消してベッドに潜り込む。少しでも教えを身につけようとアイファは宿舎に帰った後も、佐三に教わったことを復習していた。
ベッドに潜りながらアイファは今までのことを振り返る。ここで働く日々は本当にあっという間に過ぎていった。一日が終わるのは本当に早く、アイファにとってこれ以上無いほどに充実している気がしていた。
(こんなに一日が短く感じることなんて……お母さんがいた頃以来かも)
アイファは懐かしい日々を思い出し、感傷にひたる。何も考えず、ただ日が暮れるまで自分が好きなことをした。そんな子供の日々がアイファには遠い思い出のように感じていた。
(ちょうどあんな頃だったっけ)
アイファは今日会ったナージャとの出来事を思い出す。丁度お昼時、天気がよかったので中庭で食事をとっているとナージャが通りかかった。ナージャはイエリナに叱られたのか、少し落ち込んだ様子で、アイファが手を振るとうれしそうに近づいてきた。そしてナージャはアイファに一通り話した後、アイファに慰めてもらい、アイファがお昼ご飯に用意していた特製のサンドウィッチを分けてもらうとすぐにまた元気に建物へと戻っていった。
(私もよく、辛いことがあったらああやって慰めてもらってたっけ)
子供はまっすぐで単純だ。それでいて気分屋で、自分の思いに素直である。特にナージャはその優しく、まっすぐな性格が自分の弟妹達とかぶって見え、アイファにとっては余計愛おしく感じていた。
(早く寝よう。明日の仕事に差し支える)
アイファはそう考え、目を閉じる。
(早く明日が来れば良いのに……)
そんなことを考えながら、アイファは夢の中へと入っていった。
「アイファさん、おはよう。今日も早いね」
「イエリナ様、おはようございます」
朝の政務室、ここ最近の一番乗りは常にアイファであった。本来であれば寝泊まりをしているイエリナが建物を開けるまでアイファは玄関の前で待っていなければならなかった。しかし十日過ぎた頃にはイエリナも朝の寒い中で待たせるのは良くないと思ったのか、合鍵を作って渡してくれた。
建物にはイエリナの他に佐三とベルフ、そして幾人かの護衛が寝泊まりしており、たまにナージャも泊まりに来ていた。しかしアイファは住人が起きるのよりも早く来て、政務室で仕事をはじめていた。
「おはよう」
イエリナから少し遅れて、佐三が入ってくる。そして就業時間ギリギリにナージャが、それに少し……大分遅れてベルフがやってくる。これがいつもの光景であった。
「佐三様、言われていた書類、終わりました。確認お願いします」
「おっけ。ありがとう」
佐三はそう言ってアイファの書類を確認する。書式に誤りはほとんどなくなり、計算ミスも見当たらなかった。
「大丈夫だ。このままイエリナに渡してくれ」
「はい!」
アイファは元気よく返事をして、イエリナへと書類を届けていく。この二十日間でアイファは十分すぎる程の戦力となっていた。
(はじめは続かないと思ったがな)
佐三はそんなことを考えながらアイファの様子を見る。せっせと働くアイファはどこか楽しそうにも見えた。
新入社員が入りたての頃に頑張ることはよくある話である。しかし続かなかったり、ダレたり、挙げ句の果てには辞めてしまうこともよくある話である。
しかしアイファは途切れることなく仕事に熱意を持ち続け、今日まで仕事を続けていた。
佐三は大きく伸びをしながら窓の外を眺める。秋が近づいてきているのであろうか。少し日が傾くのが早くなっている気がした。
「お疲れ様でした」
二十九日目の仕事を終え、アイファは深く頭を下げて政務室を後にした。今まではベルフに送られていたが、もう十分町にも慣れてきたこともあり、遠慮して送り迎えは断っていた。
(あ、忘れ物……)
アイファは普段自分が使っている羽ペンを政務室に置いてきたことを思い出す。その羽ペンは、仕事やその他様々な場面で入り用だろうと佐三がくれたものである。備品の支給は佐三にとっては当たり前のことであり、更にもう何本か与えようとしたが、アイファは悪いと断った。
かつて働いてきた職場ではどこも備品はおろか給金すら渋られてきた。その経験からか羽ペン一つでも十分すぎる計らいであり、アイファはそのペンを大事に使っていた。
(あれ、まだ佐三様とベルフさんが残っている)
アイファは政務室のドアをノックしようとしたとき、不意に二人の会話が耳に入った。
「なあ、サゾー。アイファについてはどうするんだ?」
アイファは自分の名前が出てきたことに驚き、ついノックするのをやめてしまう。そしてドアの脇にもたれるように立ち、聞き耳を立てた。
「ああ。採用するよ。勿論人手は足りないからな」
「……能力的にはどうなんだ」
それはアイファにとって今一番自分が知りたくて、一番知りたくないことでもあった。興味と怖さが入り交じって、心臓が高鳴っていた。
「文句の付けようがない」
そう佐三が言ったとき、心臓の高鳴りはピークに達した。
「随分高く評価しているな。お前にしては珍しい」
「事実だからな」
「どういったところが?」
「第一に勤勉だ。どんな才能があろうと勤勉さには勝てない。継続性こそが全ての肝だ。それに学習能力も高い。自分を律することも。能力それ自体を言えば他に優秀な人間はいるかもしれないが、素質を含めて考えればこれ以上無い掘り出し物だろう」
これ以上無い賛辞にアイファはつい目的を忘れて、その場所を後にした。このままでは顔が熱くなりすぎてどうにかなってしまう。そんな気がしていた。
(どうしよう。顔の熱さが引いていかない……)
アイファは自分の頬に手をやりながら帰り道を進んでいた。どうしようもなく熱くなっている頬はきっと真っ赤に違いない。アイファはできるだけ知り合いに会わないようにと願いながら急いで宿舎へと向っていった。
明日になればきっと雇用契約書に署名することになる。それは金銭や待遇の面でもうれしいことだが、アイファにとっては何より『彼らに必要とされていること』、それが最もうれしかった。
(明日正式に言われたら……。そしたら私……)
アイファは飛び込むように宿舎の部屋に入る。今すぐにでも火照った顔をベッドに埋めたい気分であった。
(ん?何かある……)
アイファは部屋の中に一枚の紙が落ちていることに気付いた。そしてそれを拾い上げ、目を通していく。そして少し時間をあけてから、アイファは部屋を飛び出した。
翌日の朝、政務室の鍵はイエリナが開けた。
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