異世界の愛を金で買え!

野村里志

自分の居場所











「経理担当が要るな」


 佐三は山のように積み上げられた書類をみながらボソリと呟いた。










 イエリナと結婚して、猫の町を拠点に置くようになってから数ヶ月が経った。町の治安や商人の往来はますます向上していた。


 手紙によれば現在犬族の長老に任せてしまっている北方の流通事業も安定しているようだった。近々この町とも繋ぐことにもなっているらしい。


(とまあ、事業の方はいいんだがなぁ)


 佐三は羽ペンを一度机の上に置き、大きく伸びをした。書類仕事は日に増しており、人材の補充は急務であった。しかし後進は育成してはいるものの猫族の住民は基本的に気まぐれであり、堅い仕事を長時間やらせるとすぐ気が散ってしまっていた。


(どうも結婚しただけじゃ元の世界に帰れないみたいだしな)


 佐三は同じ部屋で仕事をしているイエリナを見る。イエリナはその責任感からか他の猫族よりも献身的に働いているが、性に合っていないことは丸わかりで、疲労が手に取るようにわかった。


(愛し合う花嫁とか言ったっけ?よく覚えてないな。意識も定かではなかったし)


 佐三はこの世界に飛ばされたときのことをなんとか思い出そうとしたが、元々意識が曖昧であったことや、この世界に来て驚くようなことがたくさんあったせいでどうも記憶が定かではなかった。


(愛し合うねぇ)


 佐三とイエリナはあくまで契約として夫婦になっている。そのことはもちかけた佐三自身が一番よく分かっていた。


(そもそも『愛』だ、『恋』だなんて定量的に計ることのできるものでもないしな)


 佐三はイエリナとの結婚が元の世界に戻れる可能性として一定の望みをもっていた。しかし現状を分析するに今しばらくは帰れないことは確定しているようでもあった。


(少なくとも多少の長丁場になるのだとしたらこの町をある程度軌道に乗せなきゃならん。しかしここにいる猫族の連中ではあまり適任とはいえないな)


 佐三は再び書類とにらめっこしながら一生懸命に働いているイエリナに目をやる。その様子はあきらかにオーバーワークであった。


「イエリナ。疲れているだろう?少し休め」


 佐三は再び羽ペンを走らせながらイエリナに休むように促す。イエリナは不意に佐三に声を掛けられたことで「ビクッ」と反応して手を止め、佐三の方を見る。


「どうした?疲れてるだろ?休んでいいぞ」
「いえ、大丈夫です。まだ頑張れますから」
「じゃあ言い方を変える。集中力が切れてる状態で仕事をすればミスが増えてかえって仕事を増やす。今は俺に任せて休め」
「………はい」


 そう言うと少しうつむきながらイエリナは政務室を後にした。


「周りは見えてるんだが……そうじゃねえんだよなぁ」
「なんか言ったか、ベルフ?」
「いや、なんでもねえ」
「お前があの仕事をやってもいいんだぞ?」
「それは無理だね。性に合わない」


 隣のソファで横になっていたベルフはそうとだけ言うとまた目を閉じて横になった。佐三は特に気にすることなく目下の課題を整理する。


(優秀な事務仕事ができる人材、できれば経理ができるだけの頭の素地と信用がある人物を見つけたいが……)


 佐三は白紙の一部にメモを走らせるように書いて、再び書類との格闘にとりかかった。










「はぁ」


 イエリナは小さくため息をつきながら町を散策していた。町の人通りは以前とは比べものにならない程増えている。これまでは暗い顔をしていた住人達の表情もいつにも増して明るいものへとかわっていた。


「あ、イエリナ様!」
「イエリナ様!良ければウチの店で買っていきませんか?新作の生地が入ったんです」
「イエリナ様、ウチの魚いかがですか?サービスしますよ」


 町の住人はイエリナを見つける度にうれしそうに声をかけてくる。そんな様子がイエリナにはたまらなくうれしく感じていた。


 ただその一方でどうしても拭えない違和感があった。何もかもうまくいっている、そんなはずなのにイエリナの心はどうしても晴れなかった。


(疲れているのは、自分でもわかっていたけど……)


 先程佐三に言われた言葉を思い出す。仕事ぶりをみていて改めてあの男のすごさを実感していた。今まで行われていたこの町の業務は見違えるほど効率的になり、町に起きていた問題もあっという間に解決されていく。加えて、町に入る商人や人の数も格段に増えてきているにも関わらず、治安は悪化するどころかむしろ改善されてすらいる。


 あの男の偉業は町の様子を見るだけでも議論の余地がなかった。それに疲れている自分を気遣ってわざと強い口調で休ませてくれているのもイエリナには十二分にわかっていた。


 しかし理屈では分かっていたとしても感情で納得できるわけでもないのである。


(こんな悩みは……贅沢なんだろうか)


 イエリナは自分の居場所がどこかなくなってしまったようにも感じた。これまでは町の運営に多々トラブルがあったが、その中心に自分の居場所があった。しかし今ではどこか自分の居場所を見つけられずにいる。


(皆にとってはいいことで、私にとってもいいことなんだけど)


 イエリナは町の広場にあるベンチに腰をかける。賑やかな町の雑踏にイエリナだけが取り残されている気がした。


「あのっ」


 イエリナが呆然と町の様子を見ていると不意に一人の娘が声を掛けてきた。


(獣人ではない……)


 イエリナは娘を見る。この町には珍しい、佐三同様の普通の人間であった。歳は十六前後といったところだろうか。少し地味な服装を見るに近隣の村からこの町へ流れてきたのであろうことが見て取れた。


「どうかしましたか?」


 イエリナが質問する。


「あの、この町の長で、イエリナ様……ですよね?」
「そうね。一応は長としてやっているわ」


 イエリナはどこか乾いた笑みを交えながら答える。すると少女は大きく頭を下げて懇願した。


「お願いします!私を、この町で雇ってください!」
「へ?」


 突然のお願いにイエリナは少し戸惑う。


「えっと、まずお名前は?」
「あ、申し遅れました」


 娘は頭を上げて答える。




「ここから少し南に行った村の出身で、アイファといいます。宜しくお願いします、イエリナ様」




 アイファはそう言ってにっこりと微笑んだ。











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