企画推進部二課の平穏な(?)日常

篠原皐月

田辺鈴江&大岡清子の場合

 その日、社員食堂にやって来た企画推進部三課の大岡清子は、受け取ったトレイを持ちながら空席を探していたが、少し離れたテーブルに一人で座っていた一課の田辺鈴江を見つけた為、そちらに足を向けた。


「田辺さん、ここに座っても構いませんか?」
「あら、大岡さん。勿論構わないわよ? どうぞ」
「失礼します」
 年齢が四十代前半と五十代前半、所属が三課と一課の違いはあれど、同じ部に勤務している間柄であると同時に、入社以来様々な荒波を乗り越えて、下手をすると年下の課長と同年輩の部長を陰で操っていると噂されている彼女の事を、清子は密かに尊敬していた。
 しかしここ最近、彼女らしくない行動が散見され、部内でも密かに噂されていた為、他に企画推進部の人間が居ない今、この機会に一言意見してみる事にした。


「その……、田辺さん。ちょっとお伺いしても宜しいですか?」
「ええ、構わないけど、何かしら?」
「単刀直入にお聞きしますが、どうして最近二課の蜂谷君を、何かにつけてこき使ってるんですか? 二課の柏木課長代理は『課は違えど、同じ部内です。いつでも好きな様にお使い下さい』って笑ってますけど、端から見てどうかと思いまして……」
 清子が時間を無駄にする事無くズバリと切り込むと、鈴江は箸の動きを止め、次いで自嘲気味に笑った。


「確かに端から見たら《傍若無人なババアが若造をこき使ってる図》かもしれないわね」
「いえ、さすがにそう言った事は」
「思ってたでしょう?」
「……少しは」
 先輩に真顔で問い詰められ、彼女から微妙に視線を逸らしながら、清子は正直に感想を述べた。すると鈴江が苦笑いする。


「正直ね」
「でも本当に、最近の蜂谷君に対する態度は、田辺さんらしくありません。何か理由があるんですか?」
「理由、ね。確かに有るんだけど……」
「聞かせて貰って良いですか?」
 真剣な顔で頼んできた清子に、鈴江も真顔で小さく頷いてから話し出した。


「性格が矯正されてから蜂谷君、やたらと私達部内の女性社員に纏わり付く様になったじゃない?」
「ええ。フェミニスト精神をしっかり叩き込まれたみたいで、結構重宝してます。細々した事や力仕事も、嫌がらないでやってくれますから。柏木課長代理は、良い仕事をしてくれましたね」
「私も最初はありがたく思ってたのよ。……いえ、誤解が無い様に言っておくと、今でも感謝はしているんだけど……」
 そこで渋面になりながら口を閉ざした鈴江に、清子は再度辛抱強く問い掛けた。


「田辺さん、それがどうかされましたか?」
「この前……、私が『ありがとう。こんな重い物を運ぶのは一苦労だから、とても助かったわ』ってお礼を言ったら、彼が『いえ、お礼を言って頂くには及びません。ご主人様から『女性全般に優しくするのは当然だが、特にお年寄りと小さな子供には、尚更親切にする様に』と言われていますので。田辺さんの足腰が立たなくなったら大変です』って、もの凄くイイ笑顔で言いやがったのよ」
 それを聞いた清子は(やっちまったわね、蜂谷君)と項垂れながら片手で額を押さえたが、皮肉っぽい表情での鈴江の訴えは更に続いた。


「まあ確かに、二十代前半の若造からすれば、五十代の私なんかババアでしょうよ。だけどさすがに腹が立ったからこの間何かにつけこき使ってみたものの、若いだけあって力仕事なんか楽々こなすし、どんな面倒な分類作業とか頼んでも笑顔でやり切るし。憂さ晴らしになるどころか、正直虚しくなってきた所だったの。大岡さんに指摘されちゃったし、いい加減止める事にするわ」
「そうでしたか」
 そう言って溜め息を吐いてから食事を再開した鈴江を見て、清子も胸をなで下ろした。そして自身も食べ始めたが、ふと考え込んでしまう。


(ひょっとして蜂谷君から見たら、私とかも『年寄り』に区分されるのかしら? あの笑顔の裏でそんな事考えていたのかもしれないと思ったら、何だかムカついて来たわ……)
 そんな事を考えながら悶々と食べ続けていた清子だったが、ふとある事を思い付いた。


「田辺さん……、蜂谷君を使って、別方向で憂さ晴らしをしたくありませんか?」
 唐突に声をかけられて、鈴江は不思議そうに清子に顔を向けた。
「大岡さん? 何? いきなり」
「あくまで私達を年寄り扱いをするのなら、この際それを極めて貰おうかと思いまして」
「益々意味が分からないんだけど?」
 完璧に怪訝な顔になった鈴江に、清子は含み笑いで答える。


「急いで食べますから、その後打ち合わせしましょう」
「ええ、それは構わないけど……」
 そうして猛然と昼食をかき込み始めた清子を、鈴江は目を丸くして眺めたのだった。




 ※※※




「おはようございます」
「お帰りなさいませ、お嬢様」
 その日、美幸はいつも通り出勤したが、職場で通常とは違う事態に遭遇した。
 何故か黒と白で統一された衣装に身を包み、最敬礼して自分を出迎えた蜂谷に、美幸は一瞬度肝を抜かれてから静かに問いかける。


「……蜂谷。朝から何をやってるの?」
「はい。本日は私、お嬢様方の執事を務めさせて頂いております」
「はぁ? その格好は確かに執事っぽいけど、何わけが分からない事を言ってるわけ?」
 そこで少し離れた場所から、蜂谷を呼ぶ声が響いた。


「蜂谷! 喉が渇いたわ。お茶を持って来て頂戴。それと足がちょっと冷えてるのよ。温めてくれない?」
「はい、お嬢様」
「お嬢様って……、はぁ?」
 蜂谷が真顔で颯爽と歩き去った方に顔を向けた美幸は、本気で驚いて目を瞬かせた。そこに鹿鳴館風の、袖と裾が長くて広がっている総フリルのコーラルピンクのドレスを堂々と身に纏い、自分の席に座っている田辺を見出した為であり、美幸は思わず自分の目と田辺の正気を疑って呟く。


「あれって、田辺さん? それにあの格好、何の冗談?」
「しいっ! 藤宮黙って! そっちの方見ちゃ駄目よ!」
「田辺さんと大岡さんは、新規事業企画案の立案中だ。余計な口を挟むな」
 慌てて美幸の腕を左右から引っ張って席に誘導しつつ警告してきた高須と理彩に、美幸は懐疑的な視線を向けた。


「……事業? 遊んでいるだけじゃ無いんですか? 課長や部長は何も注意しないんですか?」
「部長からの許可は事前に貰っているそうだし、二人とも大真面目だ。……と思う」
「さっき趣旨を聞いてみたけど、それなりに筋は通ってるのよね。……一応、それなりに」
 微妙に自信なさげな二人の説明を聞いた美幸は、反射的に素通しの壁の向こうの部長室を見やると、谷山は一課の方を見ないようにして黙々と仕事をしていた。そして再び美幸は二人に視線を戻して問い掛ける。


「要するに、何なんですか?」
「QOL、つまり高齢女性をターゲットにした、Quality Of Lifeの向上追求企画ですって」
「はい?」
 益々わけが分からなくなった美幸に、高須が自らもまだ若干困惑しながらも、説明を続けた。


「それが……、男性と女性の平均余命を比較すると、圧倒的に女性の方が長いだろう? だからそんな高齢女性に在宅でも施設でも、楽しめるイベントを提供できないかという視点から考えたそうなんだが」
「なるほど。需要は有りそうですね。長寿で表彰されるのって、女性の方が良く目に付きますし」
「それで大岡さん曰わく『男は枯れたら単なるジジイだけど、女は死ぬまで女だから、どんなによぼよぼになっても『お嬢様』とか『お姫様』になって、他人にかしずかれたいって願望が有るものよ。寧ろ死ぬ前に一度はやってみたいと、考えるわね』って」
 そんな理彩の説明を聞いて、美幸は呆れ半分、感心半分の視線を鈴江達に向けた。


「はぁ……、大岡さんが意外に容赦ないって事は分かりましたし、方向性としても間違ってはいないと思いますが……。それで蜂谷が実験台になって、素人のスタッフが執事役になり切ってイベント的な事業として可能かどうか、検証しているわけですか?」
「そういう事らしい。全然知らなかったが蜂谷の奴、先週ずっと仕事が終わってから、課長代理から紹介されたホストクラブに行って、短期の研修を受けて来たそうだ」
 疲れた様に高須が告げた内容に、さすがに美幸は目を見開いて驚いた。


「え? だってあいつ、先週普通に遅刻もせず出勤してましたよね? ちゃんと睡眠取ってたんですか?」
 その問いかけに、二人が遠い目をして答える。
「……本人に聞いてくれ」
「……若いって素敵ね」
「仲原さん、今の台詞、凄くおばさんっぽく聞……、いえ、何でもありません」
 うっかり本音をだだ漏れさせかけ、理彩に鬼の形相で睨まれた美幸は、即座に口を噤んで自分の業務に取りかかった。


 結局その日一日、部内中から遠巻きにされながらも、鈴江と蜂谷のお嬢様と執事ごっこは続行された。
 蜂谷は甲斐甲斐しくお茶やお菓子、食事の世話をし、熱いと言われては息を吹きかけて冷まし、まめまめしく鈴江に食べさせているのに至っては、誰もが見ない振りを貫いた。しかし当然の如く、足腰肩のマッサージは勿論、メイクやネイルアートまでやらせた挙げ句に、その日の終業時間に鈴江と清子が出した結論は、微塵も容赦が無い代物だった。


「……うぅ~ん、悪くは無いんだけど、誠心誠意仕えている執事とは、何かこう違うのよね。変に媚びを打ってる感じ?」
「力及ばず、申し訳ありません」
 真顔で頭を下げた蜂谷を見た全員が(田辺さん、容赦無さ過ぎだ……)と蜂谷に同情したが、清子もそれは同様だったらしく、取り成す発言をする。
「それはやっぱり、ホストの立ち居振る舞いがベースでしょうから。本場のイギリスには本物の執事養成所があるけど、まさかそこまで人を派遣して、ノウハウを学ぶ必要までは無いでしょうし。あと小物や衣装類の調達先も、検討課題ですね」
 そこで細かく検討事項や評価項目を列記しておいた書類を眺めながら、鈴江も難しい顔で頷く。


「そうね。ただ普通のドレスを使う訳にはいかないもの。肢体が不自由になっているケースも考えて、一般的な背面ファスナーの衣装ではなくて、サイドファスナーや身ごろや袖ごとに楽に分解装着できる様な、衣装の作成をしないと」
「でもこのままの規模ですと、事業として採算が取れるかどうか微妙ですが」
「そうなのよね。スタッフの教育問題もあるし」
「ええっと、あの……、ちょっと宜しいですか?」
「あら渡部さん。どうしたの?」
 難しい顔で大真面目に意見のやり取りをしていた二人に、三課の渡部和枝が控え目に声をかけてきた。それに清子が怪訝な顔で応じると、和枝が恐る恐る提案してくる。


「要するに、役者じゃないズブの素人でも、執事らしく演じられれば良いんですよね?」
「ええ、それが?」
「昔の明治時代とかを取り扱った映画で、本格的な執事を演じた方にどんな資料を参考にしたとか、どんな方に演技指導を受けたか聞いてみたら、マニュアル作成の参考になりませんか? 必要なら伯父に聞いてみますけど」
 予想外の話の流れに、鈴江は不思議そうに問い返した。
「え? 伯父さんって誰の事?」
「母方の伯父の一人が、青陵芸能の副社長をしているんです」
 冷静に和枝が口に出した名前を聞いて、二人は忽ち目の色を変えた。


「青陵芸能って、あの業界老舗の芸能事務所!? 舞台とか映画中心の俳優を数多く排出してる?」
「渡部さん、本当!?」
「はい」
「あの~、その衣装ですけど、そういうヒラヒラドレスで高齢者でも脱ぎ着がし易い物を、作ってみたいんですよね?」
「ええ、そうだけど。藤宮さん、それがどうかした?」
 今度は話を聞きつけて、いつの間にか近付いてきた美幸が尋ねてきた為、清子が振り返りつつ問い返すと、美幸は若干考え込みながら提案してきた。


「試しに姉に試作品を作って貰いますか? 遊び心満載の人なので、面白がって色々試作してくれると思いますが」
「藤宮さんのお姉さんって、洋裁とかが得意なの?」
 鈴江が不思議そうに尋ねると、美幸は真顔で首を振った。
「いえ、そうでは無いんですが。二番目の姉は様々なイベントで使用する特殊衣装の通販会社を立ち上げて、コスプレ衣装をガンガン作って国内外で売りさばいてるんです。今、年商二十億って言ってたかな? ご存知ありません? キャスティって言うんですけど」
 それを聞いた鈴江と清子が何か口にする前に、和枝が目を輝かせて食い付いてきた。


「知ってます! あそこのメイド服、カラーバリエーションがあるし、どのデザインも可愛いんですよね? でもやっぱり黒のクラシカルがオススメです!」
「渡部さん……、どうしてそういう事知ってるの?」
「嫌だ、藤宮先輩! 女に夢と秘密はつきものですから」
「うん……、そういう事にしておこうね」
 若者二人がそんな会話を交わしている横で、鈴江と清子は手を取り合い、不敵な笑みを浮かべつつ囁き合った。


「……田辺さん」
「ええ、いける。いけるわ大岡さん。医療法人の病床や特養ホームのイベントに、個別に利用して貰うつもりだったけど」
「例えば教育マニュアル付きでイベント会社に企画を持ち込んで、複数の医療施設や介護施設を巡回する大規模な事業にすれば、当然数が必要になるから、衣装や小物を開発して貰う会社にも当然利益配分できますし」
 そして明確な事業方針を阿吽の呼吸で固めた二人は、満面の笑みで蜂谷に向き直り、その手を取って握り締めた。


「蜂谷君、これからもガンガン実験台になって貰うわよ?」
「人生の大先輩の女性達に、一時の夢を見て貰う為に、これからも頑張ってね?」
「はい! 粉骨砕身頑張ります! 如何様にもお使い下さい!」
 そして蜂谷の周囲の女性達への献身っぷりは、男性陣から(部内が段々変な空間になっていく……)と生温かい視線を受けつつ、拍車がかかっていくのだった。



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