藤宮美子最強伝説

篠原皐月

(7)転職、それは天職

 夜半、何故か覚醒した秀明は、ベッドからゆっくりと上半身を起こし、室内の様子を観察した。しかし室内に異常は感じられなかった為、自分の勘に相当の自信を持っている秀明は、怪訝な顔を見せる。
 そこで彼は隣に寝ている美子を起こさない様に慎重に床に降り立ち、ゆっくりと窓に歩み寄った。そして僅かにカーテンを開けて外の様子を窺ってみると、今度は微かな物音が窓の外から聞こえてくる。


「何だ?」
 思わず小さく自問自答した秀明だったが、その答えはすぐに分かった。器用にも両手首に手錠を嵌めたままの佐藤が、自分達の寝室がある棟とは直角に繋がっている棟の一階の窓から、抜け出す所を目撃したからである。


「なるほど……。根性は認めるが、気付かれている時点でまだまだだな」
 そんな事を呟いた秀明は、カーテンを元通りに閉めて窓から離れ、なるべく音を立てない様にクローゼットに掛けてあったコートを取り出すと、パジャマの上にそれを羽織りながら寝室を抜け出た。それから足音を忍ばせて玄関に向かい、靴を履いて外へと出る。
 全く迷いのない足取りでまっすぐ門へと向かった秀明は、中途半端に開いていた門の扉を開けて外へと出た途端、少し離れた所で喚いている客人の姿を認めた。


「……いてててっ!! あんたら何もんだよ! 離せ!!」
 監視拠点としている藤宮家の門の斜め向かいに位置している家で、当直していた二人組の黒服の男に、彼はあっさり取り押さえられていた。浴衣に裸足、加えて手錠を嵌めていると言う、どこからどう見ても不審者にしか見えない佐藤は抵抗しながら訴えたが、対する男達は冷笑で応じる。


「こそこそ逃げ出した挙句、暴れる方が悪い」
「それに世話になってる家に、何の断りも無く出て行くような不義理は、許せんな」
「そうだな。ここは一つ逃げたくても逃げられない様に、足の一本でも折っておくか?」
「名案だ。それなら一・二ヶ月、嫌でもこの家から逃げられないからな」
「病院に入院させる訳にはいかないから、折った後に適当に引っ張って繋いでみるから、治った時足が歪む位は勘弁しろよ?」
「そうそう、俺達医者じゃねえし。まともに歩けなくなるかもしれねえなぁ」
「ひっ、ひいぃぃっ……」
 男達のからかいの台詞をすっかり真に受けてしまった佐藤は、完全に腰を抜かして恐れおののき、そんな一連のやり取りを耳にした秀明は笑いを堪えながら、精一杯厳めしい表情を取り繕って男達に声をかけた。


「二人とも、捕獲ご苦労。世話をかけたな」
 すると二人の男は瞬時に真面目な顔を取り繕い、秀明に向かって深々と頭を下げる。


「社長、夜遅くお騒がせして申し訳ありません」
「ですが助かります。捕獲したものの、こいつを敷地内に投げ込むだけでは騒ぎになるかと思いましたので」
「安心しろ。俺が責任を持って引き摺って行く」
 そんなやり取りを見た佐藤は、些か呆然としながら呟く。


「『社長』って……、どうしてだ? その人の奥さんの父親は大きな会社の社長だが、その人はそこの会社の課長だって聞いたぞ?」
 その問いかけに、男達は鼻で笑って答えた。


「確かに社長は旭日食品社長の家に婿入りしたが、それとは別に、俺らの組織のトップでもあるんだよ」
「副社長に実務丸投げの、名目上の社長だがな」
「ですが本当にヤバイ案件に関しては、副社長ではなく社長が判断していらっしゃいますから」
 苦笑気味に言葉を交わす三人を、道路に座り込んだまま見上げた佐藤は、顔を蒼白にさせて喘ぐように告げた。


「あ、あんた……、実はカタギの婚家を隠れ蓑にした、ヤクザだってのか?」
 何やら変な風に勘違いした上での掠れ声を聞いて、名目上の部下二人から(さあ、どうするんです?)といった感じの、どう見ても面白がっている視線を受けた秀明は、佐藤の前で道路に片膝を付いて、彼と視線を合わせながら凄んだ。


「……だったら、どうだって言うんだ? ヤクザの家に盗みに入る様な馬鹿、今更命なんか惜しがる筈も無いよな?」
「す、すみません! ごめんなさい! 全然知らなかったんです!!」
「何時だと思ってる。近所迷惑だ。騒がない様に、さっさと息の根を止めるか」
「…………」
 顔面蒼白で今にも号泣せんばかりの佐藤だったが、冷静に時間帯を指摘された途端、涙目で全身を硬直させて口を噤んだ。背後で「社長、悪乗りし過ぎ」「楽しんでるよな」などと囁いているのが聞こえてきたが、秀明はそれには構わず、更に冷酷な表情と声音を装いながら話を続ける。


「俺の妻とその家族は、俺達とは違って揃いも揃って善良な人間ばかりなんだ。万が一、その人達に少しでも危害を与えたり被害を被らせたりするなら、手足の爪を一枚ずつ全部剥がした後、麻酔無しで歯を一本ずつ抜いて、腹を切り開いて心臓と肺以外の全ての内臓を取り出して投げ捨てるのを見せて散々苦痛と恐怖を味あわせてから、最後に両眼を抉り出」
「ししししませんっ!! ここの家の皆さんに、髪の毛一本程のお怪我だってさせませんし、物も壊しませんし、盗みません! 本当です!! 信じて下さい!」
「それなら妻が満足するまで付き合って、大人しくここに滞在するな? 皆お前を『可哀想な行き倒れの貧乏学生』だと思って親切にしてるんだ。それが泥棒だと分かったらショックを受けるし、怖がって人間不信になりかねん」
「分かりました! 遠慮なくお世話になります! 俺は行き倒れの貧乏学生です!」
 ぶんぶんと首がちぎれそうな勢いで縦に振った佐藤の肩を、ここまで無言を保っていた二人が、それぞれ左右から叩きながら言い聞かせた。


「ようし、良い子だ。言っておくがこの屋敷は、二十四時間俺達が警備してるから、間違っても逃げ出そうとは思うなよ?」
「今度捕まえたら、問答無用で骨位やっても良いですよね?」
「そうだな……。流石に利き手の右腕は気の毒だから、左腕と右足を折ってくれ。俺の判断は待たなくて良い」
「了解しました。他の皆にも、しっかり申し送りしておきます」
 にやりと笑いながら物騒極まりない事を口にした秀明に、佐藤は完全に血の気を失った。そして秀明に立つ様に促された佐藤は、よろよろとした足取りで門に向かって歩き出す。対する秀明は、男達に改めて軽く礼を述べてから、佐藤を引きずる様にして歩き出した。


「もう一つ言っておくがな、加川」
「はい……、って!? 何で俺の名前!?」
 さり気なく声をかけられた為、うっかり素直に返事してから、佐藤は自分の本名がばれている事に愕然として足を止めた。そこで同じ様に足を止めた秀明が乱暴に浴衣の合わせ目を掴み上げ、ドスの効いた声で恫喝する。


「お前の身元位、すぐに調べられる。お前にも、大事な人間の一人や二人は居るよな? お前が逃亡したり屋敷内で何かヘマをしたら、その人物に不幸が降りかかるかもしれん。……これは単なる独り言だが」
「…………」
 そんな明らかな脅迫に、再度恐怖のどん底に叩き落とされた佐藤が固まっていると、秀明がその顔に不気味な笑みを浮かべながら告げる。


「気合入れて『骨董好きの貧乏学生』を、最後まで演じろよ?」
「……はい」
 それから静かに家の中に入り直した二人は、何事も無かったかの様にそれぞれの部屋に戻ったのだった。


 それから約二週間が経過した土曜日。藤宮家の客間には、不気味な緊張感が漲っていた。
「次はこれね。こちらは江戸時代中期の古伊万里の山水図絵皿で、こちらも同時期の古伊万里花鳥図絵皿よ。どちらも一見本物に見えるけど、この中に偽物があってね。偽物はどれかしら? 答えてくれる?」
「……拝見します」


 この間、食事や睡眠はしっかりと取っていたものの、何故かげっそりと面やつれした佐藤は、震える手で一方の皿に手を伸ばした。そして何度も表裏を確かめ、じっくり凝視してからもう一枚の皿にも手を伸ばす。
 同様の事を繰り返しているうちに、彼の額には玉の様な汗が滲み出ていたが、問題を出した美子は勿論、同席していた秀明も無言で面白そうに彼を観察していた。そして益々顔色を悪くしながら、佐藤が消え入りそうな声で報告する。


「奥さん……。二つとも偽物です」
「あら、まあ……。どうしてそう思うのかしら?」
 異様な雰囲気を醸し出す美子の笑顔に、佐藤は完全に腰が引けながらも、精一杯自分の意見を述べた。


「先程、奥さんは『この中に偽物がある』とは仰いましたが、『本物はどちら?』とは仰いませんでした。そしてこの山水図の方は、染料が当時の物としては若干鮮やか過ぎる感じがする上、この滝の描き方に違和感が……。そして花鳥図の方は、鳥の種類が当時の人気の種類とは異なるかと。縁の格子模様の重ね方も、この時代より後の技法だと思われますので……」
 最後はびくびくもので、尻つぼみに述べた佐藤だったが、全て聞き終えた美子は満足げに微笑んだ。


「はい、正解です。これは明治時代に作られた模倣品なの。正直どちらも偽物と断言するとは思っていなかったわ。頑張ったわね」
「……や、やったぁあ」
 秀明が意外そうな顔になると同時に、緊張の糸が切れて気の抜けた声を出した佐藤が、座ったまま畳に突っ伏した。するとくすくすと笑う気配と共に美子が立ち上がり、すぐに佐藤の前に戻って来て声をかける。


「取り敢えず、私が満足する位の鑑定眼は身に付けてくれた様だから、お帰りになって結構ですよ?」
「本当ですか!?」
 喜色満面で顔を上げた佐藤の前に、美子は一つの箱を押しやった。


「これは餞別です。お持ちになって?」
 それを佐藤は、若干不安そうに見下ろす。
「これは……、開けてみても良いですか?」
「ええ、構いません」
 断りを入れて掛けてあった紐を解き、木箱の蓋を開けて中に入っていた茶碗を取り出してみた佐藤は、驚きのあまり目を丸くした。


「これは……」
「分かるかしら?」
 その問いに、佐藤は箱とその蓋をひっくり返して箱書きを確認し、声を裏返らせる。
「まさか……、十一代 坂高麗左衛門の茶碗? 本物!?」
 しかし佐藤の驚愕など全く意に介せず、美子は微笑みながら話を続けた。


「形が良い井戸茶碗の逸品でしょう? 釉薬も砂糖菓子の様な温かみを出していて、使っているうちに少しずつ色が変化して趣が出てくるのが、萩焼の特徴の一つよね。大事に使い込まれて、良い茶碗になったと思わない?」
「はい……。あの、それでどうしてこんな物を俺に?」
「ご褒美よ。それを愛でて心の支えにするも良し、売却して生活資金にするのも良し、好きにして頂戴。売り払えば百万にはなるわ」
「は? あ、あの奥さん!?」
 いきなり太っ腹な事を言い出した美子に、佐藤は勿論秀明も驚いたが、辛うじて無言を保った。


「そうね……、十一代 坂高麗左衛門なら日本橋の章陽堂が詳しいと思うから、そこに持ち込めば高く買い取って貰えると思うわ。そことはうちは懇意にしているし、問い合わせがあってもあなたに譲った事をきちんとお話しするし」
「いえ、そうでは無くて、どうして俺にこれをくれるんですか!? 大事な財産じゃないんですか!?」
「うちの財産として大事な事は確かだけど、やっぱり美術品と言う物は、価値の分かる人に鑑賞して貰って幾らって感じでしょう? 幸い私の主人と父の稼ぎが良いもので、今の所うちはお金に困っていないから、茶碗の一つや二つ手放しても痛くも痒くも無いのよ。だから今回の記念に差し上げるから、飾るなり売るなり有効に使いなさい」
 いつぞやの台詞とは全く異なる内容をさらりと美子が口にして、もう議論は終わりという空気を醸し出すと、佐藤はそれ以上は何も言わずに黙って頭を下げた。


 それから佐藤は、その日家にいた藤宮家の者達に、礼儀正しくこの間世話になった事について礼を述べ、別れの挨拶を済ませた。そして大事そうに箱を抱え、最後に門の所で一礼して去って行く佐藤の姿を美子と並んで秀明は見送ったが、その姿が見えなくなってから傍らの妻に囁いた。


「今日、改めて思ったんだが……」
「あら、どんな事を?」
 何やら不自然に言葉を途切れさせた夫を美子が不思議そうに見上げると、秀明は不敵に笑いながら言ってのけた。


「やはりお前の夫が務まるのは、俺位しかいない」
「確かに、そうかもしれないわね」
 秀明の宣言に美子は小さく笑い、二人並んで家の中へと戻って行った。




 そして時は流れて、八年後。
 藤宮家でのリビングでは、珍しく早く帰宅した秀明に子供達が纏わり付きつつ、テレビのバラエティー番組を見ながら寛いでいた。そこでソファーに座って一緒にテレビを見ていた美野と美幸が、テレビに映った人物を見て声を上げる。


「あ、佐藤さんが出てる! そう言えばこの番組滅多に見ないけど、レギュラー出演してたんだっけ」
「美幸、もう佐藤さんじゃなくて加川さんよ。お義兄さん同様、名字が変わってるんだから」
「あ、そうだったわ。でも初めて会った時が佐藤さんだったから、ついつい言っちゃうのよね」
「確かに私もそうだけど」
 苦笑しながらの義妹達の会話通り、テレビでは視聴者が持ち寄った記念品や骨董品の類を鑑定して一喜一憂する視聴者参加型の番組が放映されていた。そして複数の鑑定人の中の一人に、見覚えのある顔を見つけた秀明は笑いを堪える。そこで叔母達の会話を耳にした美樹が、不思議そうに彼女達に尋ねた。


「美野ちゃん、美幸ちゃん。あの加川さんって人、知り合いなの?」
「ええ、そうよ。何年前だったかしら……。お正月に、栄養失調で家の前で行き倒れてね」
「あの時は目の前で倒れられて、本当にびっくりしたわ。結局半月位、うちでお世話したのよ」
「そうなんだ。知らなかった」
 美樹が驚いた様に相槌を打つと、美野達が当時を思い出しながら、懐かしそうに語り合う。


「骨董に目覚めて、骨董商になりたいと言って親から勘当される位の人だから、滞在中随分熱心に、家にある美術品を見て勉強していたわね」
「それに妙に腰が低くて。幾らお世話になっているからって、玄関先で顔を合わせた時に『お帰りなさいませ、お嬢様』って土下座された時にはびっくりしたわよ」
「確かに、ちょっと変わった人だったわね」
「でも骨董好きな人間なんだから、ちょっと変わってる位が普通じゃない?」
「そうかもしれないわ」
 くすくすと笑いながら言い合っている義妹達の会話を聞いて、秀明は(単に俺が脅したのが効いていただけだが)と思ったが、顔を見合わせた美子同様、余計な事は口にしなかった。


 そうこうしているうちに、参加者が持参した絵皿の鑑定が終わり、その評価額が派手なファンファーレと共に発表されたが、予め参加者が推定していた評価額を大幅に下回り、会場から落胆の溜め息が漏れた。
「あぁあ、やっちゃった~」
「あの人、気の毒ね。自信満々だったし」
「だってお父さんが大事にしてたんでしょう? 無理もないわよ」
「騙して贋作売りつける様な人間、地獄に落ちれば良いのに」
「わるいひとだよね~」
 義妹達に加えて、まだ幼い娘と息子も微妙な顔付きになって感想を述べる中、秀明は黙ってテレビを見ていた。すると画面の中で動きがある。


「いやぁ残念でしたね、畑山さん」
 司会者が残念そうに参加者に声をかけると、桁が違う鑑定額に愕然としていた彼女が、如何にも悔しそうに声を絞り出した。


「本当に、悔しいです……。私の誕生記念に良い物を買ったと言って自慢して、嬉しそうに大事に飾って手入れをしていたのに……。まるで私まで、安物扱いされているみたいで……」
 そう言って涙ぐんだ彼女に咄嗟にかける言葉が見つからなかった司会者は戸惑ったが、ここで加川が落ち着き払って声をかけた。


「畑山さん。そんなに気落ちする事はありません。確かに今回お持ちのそれは、美術品的にも美術歴的にも殆ど価値はありませんが、それを購入した時のお父様のあなたへの愛情は、嘘偽りの無い本物なのですから」
「加川さん……」
 思わず司会者と共にレギュラー陣が座っている方に顔を向けた畑山に、加川は穏やかに微笑みながら告げた。


「確かに本物だと思い込んで購入されたお父様は気の毒ですが、折に触れ愛情を込めて手入れをして大事にしていたお父様を、あなたはご覧になっておられたわけですよね?」
「はい……、だから余計に悔しくて」
「そのお父様の姿を見て、あなたはどう感じていらっしゃいましたか?」
「それは……、私の誕生を祝ってくれた物ですから、嬉しかったし多少照れ臭かったですが……」
「そうでしょう。たしかにこれは世間一般的には、二束三文の価値しかない物です。しかしそれでも、あなたとお父様の幸せな思い出と、互いを思いやる心が詰まったこれは、かけがえの無いあなたの財産だと言えるのではないでしょうか?」
「……はい、そうですね」
 加川に優しく言い聞かされて、畑山は思わず零れ落ちた涙をハンカチで拭いながら、素直に頷いた。そんな彼女に軽く頷いてから、加川が話を続ける。


「価値感などと言う物は、その時の時代や状況で如何様にでも変化する物です。世間的な物に惑わされず、これからも亡きお父様をしのぶよすがとして、それを大事に飾ってあげて下さい」
「はい! 例え偽物でも、一生大事にします。ありがとうございました!」
 そして感極まった様子の畑山が深々と頭を下げると同時に、会場から温かい拍手が沸き起こった。それを見た美樹と美久も「良かったね」と顔を見合わせて拍手をし、美野達が再び感心した様に話し出す。


「本当に加川さんって、当時も妙に老成した所があったわよね。あれで美子姉さんと年が変わらなくて、四十手前だとは思えないわ」
「うん、何か一種、悟りを開いた様な所があったものね。今も古美術商としては新参の若造って侮られてる所があるみたいだけど、一度直に会って話をすると、不思議と引きこまれるって週刊誌に載ってたもの」
「どんな週刊誌を読んでるのよ……。それはともかく、語り口がソフトなのよね」
「別にイケメンじゃないのに惹きつけられるって、只者じゃないわ。鑑定眼も確かだし」
「そうよね。……ああ、そうだ、美樹ちゃん。美樹ちゃんが生まれた時のお祝いに、加川さんから香炉を貰ったのよ? 今玄関に飾ってある奴」
「え? そうなの?」
「確か、美久君の誕生記念にも貰ったわよね? 昇竜図の掛け軸」
「あのかっこいいやつ? ぼくすきー!」
 驚いた美樹に満面の笑顔になった美久に頷きながら、美野達は話を続けた。


「本当に義理堅いわよね。短期間お世話しただけなのに」
「出産祝いだから数千円とか、高くても何万か位の物だと思うけど、どう見てもそれ以上の物に感じるのよ」
「そうそう。上品だし、きちんと手入れをしていたって分かる代物だし。加川さんってやっぱり物を見る目があるわよね」
「それに奥ゆかしいし。『持参して直にお祝いしたいのは山々ですが、恐れ多くて参上できませんので、ご容赦下さい』って、丁寧な挨拶文を付けて送ってきて」
「そんなに畏まる事は無いのにね」
 そう言って楽しげに笑い合う義妹達を眺めながら、秀明は(美野ちゃん達に、実はどちらも時価数十万の価値がある代物だと言ったら、どんな顔をするかな?)と考えて、笑いを堪えた。すると横から美子が囁いてくる。


「あなた。加川さんを陰で脅したんじゃないの? あれきり寄り付かないなんて」
 その問いかけに、秀明は素知らぬ顔で惚けた。
「俺は別に、何もしていないぞ? お前のしごきに、今でもビビってるだけだろう」
「まあ、酷い」
 そして小さく苦笑した妻を見て、秀明はその笑顔を一生守り抜く事を、改めて自分自身に誓ったのだった。







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