ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

第4章 血塗れ姫の誕生:(1)疑惑と反感

 当初、できるだけ目立たずに行動したいと考えていたアルティナだったが、そのささやかな願望は出仕初日、もっと正確に言うならば王宮に入る前に、既に潰えていた。


「ケイン、ここまでわざわざ付いて来てくれてありがとう」
「当然だ。だが、本当に大丈夫か?」
「そんなに心配しないで? まさか王宮内でもこんな中枢に近い場所で、そうそう物騒な事も無いでしょうし」
「それはそうだろうが、一応念の為だ」
「念の為って……」
 何日も前から、散々固辞していたにも関わらず、屋敷からの馬車に騎馬で同行したケインは、王宮内の近衛騎士団の勤務棟に入ってからはしっかりアルティナをエスコートし、周囲の耳目をこれでもかと集めながら、二人並んで管理棟までやって来た。


(ケインが入口からずっと張り付いて同行しているから、出勤時間帯な事もあって、この前出向いた時とは比べ物にならない位、人目に付いてるんだけど。どう考えても、噂とトラブルの元にしかならないわよね……)
 彼女が心底うんざりしているうちに、白騎士隊隊長室の前に二人は到達し、ケインが安堵した様に呟く。


「よし、着いたな」
「ええ、ここまで送ってくれてありが、きゃあっ!」
 やっと離れられると安堵したアルティナだったが、いきなり両腕で抱き込まれて悲鳴を上げた。しかしケインはそんな事には構わず、心配そうに頭の上から言い聞かせてくる。


「もの凄く心配だが、仕方がない。極力、揉め事は避けるんだぞ?」
「分かってるから!」
(だーかーら! 自分が揉め事の種を増やしてるって、自覚しなさいよ!)
 さすがにイラッとしながら彼の腕の中でもがいていると、すぐ近くから呆れ気味の声が聞こえてきた。


「おはようございます、シャトナー副隊長」
 その声に、ケインが如何にも名残惜しそうに、アルティナの身体を離す。
「おはようございます、ロミュラー隊長。アルティナの事を宜しくお願いします」
「ええ、こちらこそ。ところでここまで来る途中で耳にしたのですが、チャールズ殿がケイン殿の事を探しておられる様ですよ?」
「本当ですか?」
 予想外に直属の上司の名前が出てきた事で、ケインが軽く目を見張った。そんな彼にナスリーンが落ち着き払って答える。


「ええ。隊長室ではなく、訓練所の方におられる様なので、今日の訓練スケジュール確認か、対象者のローテーションの変更かと思われますが」
「そうでしたか、ありがとうございます。アルティナ、くれぐれも」
「大丈夫だから、早く隊長の所に行って。お待たせしたら悪いわ」
「ああ。それでは失礼します」
 軽く一礼して踵を返したケインを見送ってから、アルティナは疲れた様に溜め息を吐き、ナスリーンはそんな彼女に笑いを堪える風情で声をかけた。


「ケイン殿は随分あなたの事が大事で、心配で仕方が無いみたいですね。もう騎士団棟内で、結構噂になっていましたよ?」
「はぁ……。お騒がせして、申し訳ありません。ひょっとして先程の話は……」
「勿論、本当の事です。下手な嘘を吐いて、ケイン殿に睨まれたくはありませんから」
「そうでしたか」
 そして楽しげに笑ったスリーンに促された彼女は、(だから私だけで行くって言ったのに)と恨みがましい事を考えながら、隊長室へと入った。
 そして二人で待つ事暫し。定時を過ぎて少ししてから、揃いの白を基調とした制服を身に着けた三人の女性が、連れ立って隊長室を訪れた。


「こちらは今日、白騎士隊に入隊した、アルティナ・シャトナーです。皆には彼女のお世話と指導を、宜しくお願いします。アルティナ、こちらは右から順番に副隊長のリディア、それから第一小隊長のアリシアと、第三小隊長のパネラです。他に四人小隊長がいますから、時間帯が合った時に紹介します」
「分かりました」
 やって来た三人にアルティンとして僅かに見覚えがあるアルティナは、ナスリーンの説明を聞いた後に目線で促され、初対面を装って彼女達に向かって頭を下げた。


「リディア副隊長、アリシア小隊長、パネラ小隊長、アルティナ・シャトナーです。宜しくお願いします」
「はぁ……」
「こちらこそ」
 全員二十代と思われる、アルティナとは同年代の彼女達ではあったが、その顔に浮かんでいる表情には大きな隔たりがあった。アリシアとパネラはただひたすら困惑していたが、リディアだけはアルティナに対して、不審と警戒の色を露わにしていた。


「隊長。二・三お尋ねしても宜しいでしょうか?」
「構いません。何でしょうか?」
 軽く手を挙げて確認を入れたリディアは、上司の許可が出ると遠慮なく尋ねてきた。


「そちらの女性は、色々な噂で耳にした名前と同じ名前の方の様ですが、グリーバス公爵のご令嬢で、シャトナー伯爵令息夫人、つまり黒騎士隊のシャトナー副隊長夫人のアルティナ・シャトナーでしょうか?」
「そうです。それが何か?」
 事も無げに返されたリディアは、僅かに顔を強張らせながらも、慎重に問いを重ねる。


「……そうですか。ところで白騎士隊は独身者で構成されている筈ですが、どうして既婚者である彼女が入隊できるのでしょうか?」
 チラッと自分に視線を向けながらの、非難がましい物言いに、アルティナは内心で失笑を堪えた。


(うおぅ、リディア副隊長、やる気満々だわね。……彼女とはアルティンとして何回か顔を合わせた事はあるけど、直に話をする機会って無かったのよね。司令官会議でも、王宮内常在が基本の白騎士隊だと、ナスリーン隊長が不在の場合って殆ど無かったから、代理で出席する事も無かった筈だし)
 アルティナが黙ったままそんな事を考えていると、ナスリーンが落ち着き払って答えた。


「リディア。近衛団の規則には、既婚者の白騎士隊への入隊が不可などと言う項目や規定はありません。白騎士隊設立以来、結婚を期に全員が除隊していたので、独身者だけが在籍できると周囲に誤解されているかもしれませんが」
 冷静に告げられた事実に対し、リディアは意外そうな顔になりながらも、軽く頭を下げた。


「見識不足で申し訳ありません。それでは彼女は、シャトナー邸から王宮に通って来る事になるんですね?」
「いえ、暫くは王宮内の白騎士隊の宿舎で生活します」
「はぁ?」
「え?」
「どういう事?」
(気持ちは分かるわ。確かにそんな事、普通では考えられないわよね)
 事も無げにナスリーンが説明した内容に、リディア達は揃って目を丸くした。心の中でアルティナも同意したが、ここでリディアが益々疑惑の籠った眼差しを向けてくる。


「隊長? その事はシャトナー家の当主たるシャトナー伯爵や、シャトナー副隊長も了承しておられる事なのですか?」
「勿論、そうです。アルティナ、間違いありませんね?」
「はい。精一杯王妃陛下、王太子妃殿下、王女殿下の為に力を尽くす様にと、義父と夫から言いつかっておりますので、至らない点は多々有るかとは思いますが、宜しくお願いします」
 そう言って笑顔で用意していた台詞をアルティナが口にすると、小隊長二人は驚愕の表情のまま囁き合った。


「……本気?」
「シャトナー伯爵家って、何を考えているの?」
 しかしここでリディアが、鋭く問いかけてくる。


「隊長。これまで白騎士隊員の入隊に関しては、隊長が直々に近衛騎士団本部の敷地内の訓練所で選抜試験をされておられる筈ですが」
「ええ、そうですね。それが?」
「然るに、そちらの方はこちらの訓練所での試験を受けた形跡がありませんが、どうして入隊が決まったのでしょうか?」
 真っ当な正論を述べてきた彼女に、アルティナは自分の落ち度を悟った。


(そう来たか……。確かにちょっと迂闊だったわね。対外的に、ちゃんと試験を受けておくべきだったわ)
 しかしここで下手な事は言えず、アルティナはナスリーンの判断に従う事にして、その様子を窺った。すると彼女は落ち着き払ってリディアに問い返す。


「それは私が個人的に、彼女には入隊を許可するだけの実力があると判断したからです。私の判断だけでは、納得できないと言うのですか?」
「隊長のご判断に、無暗に異を唱える事はするべきではないと思いますが、手順はきちんと踏襲するべきかと。そうでないと隊長が、彼女が故アルティン隊長の妹で、シャトナー副隊長の夫人である事から縁故入隊を認めたと、口さがない連中が煩くさえずる事になるかと思います」
 口調だけは丁寧に、リディアが正論を振りかざした為、アルティナは正直少し驚いた。


(ナスリーン隊長とリディア副隊長の仲は、目立って悪く無かった筈。やけに突っかかるのは、彼女の背後関係と、相手が私だからかしら?)
 注意深くリディアを観察していると、ナスリーンが苦笑気味に問いかけた。


「なるほど……。あなたは亡きアルティン隊長に酷似した彼女であれば、腕前に間違いは無いだろうと、まともに手合わせもしないで私が判断したと主張するわけですね。それでは、どうすれば良いと思いますか?」
「隊長の代わりに、これから私に試験をさせて頂けませんか? 一度無試験で入隊させようとした隊長が試験をしても、後から八百長だと難癖を付けられる可能性がありますし」
 やる気満々での申し出に、予めその予想を付けていたアルティナは、思わず笑い出しそうになる。


(やっぱりそう来たか……。さて、どうしたものか。さっきから表情を見ていると、ナスリーン様もバタバタしていて、そこら辺はすっかり忘れていたみたいだし)
 するとナスリーンが向き直り、若干心配そうにアルティナに確認を入れてくる。


「アルティナ。それで宜しいですか?」
(うん、まあ……。こうなったら、やるしかありませんよね? 後から難癖付けられるのは嫌ですし)
 彼女にしてみれば、アルティンなら心配は無くとも、アルティナに関してはまだ不安なのは分かっていた為、アルティナは軽く笑いながらそれを了承した。


「はい、隊長。それで構いません。リディア副隊長、宜しくお願いします」
 そう言って神妙に頭を下げた相手を見て、リディアは少々馬鹿にした様に笑った。


「へえ? お嬢様育ちの癖に度胸は良いのね。それとも、状況が全然分かっていないだけかしら?」
「それで試験と言うのは、どこで行われるのでしょうか? まさかこの室内ではしませんよね?」
「さっき訓練所だって言ったでしょう! さっさと付いて来なさい!」
「はい。案内を宜しくお願いします。ついでにそちらに行くまでに、他の建物や施設を教えて下さると嬉しいです」
「五月蠅いわよ! 黙って付いてきなさい!」
 自分の嫌みを軽くスルーし、世間知らずを装ってあれこれ関係ない事を尋ねるアルティナを、苛立たし気に引き連れながらリディアは隊長室を出て行った。引き止める間もなく、それを茫然と見送ってから、アリシアとパネラが慌ててナスリーンにお伺いを立てる。


「隊長……」
「宜しいんですか?」
「納得できないと言うのなら、仕方がないでしょう。取り敢えず手合わせをしてみれば、相手の力量は分かる筈ですし」
「いえ、そうではなくて!」
「幾らあのアルティン隊長と瓜二つでも、公爵令嬢がまともに剣を使えるとは思えません!」
 平然としている上司に二人が必死に訴えたが、ナスリーンは笑いを堪える表情で、ちょっとした事実を指摘した。


「それを言ったら、私もれっきとした侯爵令嬢なのですが。尤も『ご令嬢』と呼ばれる年齢は、とっくに過ぎてしまいましたが」
「…………」
 途端に押し黙った部下二人を、ナスリーンは笑って宥めた。


「あなた達を困らせるつもりで、言った訳では無いのよ。それでは私は訓練所に行って来ます。どのみち判定する立場の人間が必要ですし」
 そうナスリーンが宣言すると、二人は弾かれた様に同行を申し出た。


「私もご一緒します!」
「いざとなったら、副隊長を止めないといけませんし」
「リディアがそこまで物分かりが悪いとは、思いたくありませんけど」
(正直、どう転ぶかは分からないけど……。リディアの言う通り私が試験したとしても、部外者からは手心を加えたと言いがかりを付けられそうだし。アルティナ、お願いしますね)
 苦笑して彼女達の同行を許可したナスリーンは、内心の不安と動揺を押し隠しつつ、リディア達の後を追って訓練所へと向かった。 



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