ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(15)ユーリアの受難

「今日は、色々と大変だったわ」
「確かにな。だが、これからはもっと大変だろう」
「本当にそうね」
 正面玄関前でケインに馬車から降りるのを手伝って貰いながら、アルティナが苦笑いしていると、背後に何人かの侍女を従えた執事長が玄関で出迎え、恭しく頭を下げてきた。


「お帰りなさいませ、ケイン様、アルティナ様」
「ああ、ご苦労。今日は全員、夕食の席に揃うかどうか分かるか?」
「奥様とお嬢様はお戻りですし、クリフ様も今のところ、遅くなるとの連絡は受けておりません。そろそろお帰りになるかと思いますが」
「そうか。それならガウス」
「はい、何でしょうか?」
 軽く手招きして呼び寄せ、ケインが何やらガウスの耳元で囁く。それをアルティナが眺めていると、ケインが笑って声をかけてきた。


「アルティナ、先に部屋に戻っていて良いから」
「それなら失礼して、部屋で着替えてきます。後で食堂で」
「ああ」
 大して気にも止めず、アルティナはそのまま自室に戻って、ノックもせずにドアを開けた。


「ただいま」
「お疲れ様です、アルティナ様。すぐに着替えますか?」
「ええ」
 そして室内で待機していたユーリアが、外出用のドレスから普段使いの簡素な物にアルティナが着替えるのを手伝い始めたが、その終盤、何気なく尋ねてきた。


「そう言えば、ナスリーン隊長の話は、何だったんですか?」
 その問いに、微妙に動揺したアルティナは、彼女らしくなく口ごもった。
「え、え~っと、ちょっと込み入った話になるから、後で落ち着いたら教えるわ」
 その反応にユーリアは違和感を覚えたが、脱いだドレスを受け取りながら淡々と応じる。


「そうですか? どのみち私には直接関係は無いと思いますから、どうでも良いですが」
「……悪いけど、関係大有りなのよね」
 思わずアルティナがボソッと呟くと、さすがに彼女が訝しげな視線を向けた。


「アルティナ様? 今、何か仰いました?」
「ううん、ちょっとした独り言だから、気にしないで」
「はぁ……」
 まだ怪訝な表情ではあったものの、ユーリアが黙って自分が脱いだドレスを片付け始めたのを見て、アルティナは胸を撫で下ろした。


(うん、やっぱり後からにしよう。ユーリアが本気で怒って、食事を止められたら嫌だもの)
 そんな若干情けない事を考えたアルティナは事情説明を先送りし、それから少しして食堂へと向かった。


 その日は珍しく、シャトナー家全員が顔を揃え、和やかに夕食を食べながら、話に花が咲いた。そして最後にお茶が配られ始めた辺りで、マリエルが思い出した様にアルティナに問いかける。


「そう言えば、お義姉様。今日は王宮の騎士団本部に出向かれたのですよね? どんな感じの所でしたか?」
「どんな、と言われても……。予想より大きくて、随分人が居るなとは思いましたが……」
 本当は知り尽くしている場所ではあったが、“アルティナ”としては初めての場所であるので、曖昧にごまかしてみると、マリエルはさらりと核心に触れてきた。


「結局、ナスリーン隊長とは、どんなお話をされたんですか?」
「それは……」
「それについては、今から俺の方から説明する」
「ケイン兄様?」 
「何だ? ケイン。随分改まって」
 急に話に割り込んできたケインに、マリエルは勿論、アルデスも不思議そうに声をかけてきたが、ケインは曖昧に笑って目の前のカップに手を伸ばした。それに倣ってアルティナもカップを持ち上げたが、途端に漂ってきた香りに、僅かに顔を顰める。


(ちょっと誰よ、お茶にこんなにグレアム酒をぶち込んだのは。バレバレじゃないのよ!)
 どうやら話をスムーズに進める為、ケインがアルティンを自然に呼び出す手段として、食後のお茶に酒を入れる様に指示したのは分かったが、物には限度があるだろうと呆れたアルティナは、今後同様の事が無い様に、釘を刺しておく事にした。


「何だか今日は、変わった香りのお茶ですね。珍しい茶葉でも使ったのでしょうか?」
 そう言いながらわざとらしく首を傾げて見せると、給仕役の侍女の一人が、微妙に慌てながら弁解してきた。


「あ、は、はい! 最近出回り始めた、新しい品種だそうですわ。どうでしょうか?」
「すこし独特な感じですが、これはこれで風味が豊かですね。ただやはり、もう少し香りが控えめな方が良いかと思いますが」
「分かりました。今後、気を付けます」
 あからさまにほっとした表情で頭を下げた侍女に向かって、アルティナは内心で溜め息を吐いた。


(お願いだから今度お酒を入れる時は、もう少し加減してよ? せっかく淹れたお茶が、台無しだわ)
 しみじみとそう考えながらお茶を飲み始めたアルティナを横目で見たケインは、大きなテーブルを囲んでいる家族を見回しながら、真剣な表情で語り出した。


「今夜は皆が揃っているので、是非話しておきたい事があるんだ。いや……、話したいというか、一部は事後承諾の形になってしまうんだが……」
「どうした、ケイン」
「今日、王宮で何かあったの?」
 突然重々しい口調で話を切り出した息子に、アルデスとフェレミアが心配そうに尋ねる。


「王太子殿下にお目にかかって、ある陰謀についての話を伺ったんだ」
「陰謀とは穏やかではないな。どういう事だ?」
「それが……」
 そして微妙に緊張感が漂ってきた食堂内で、ケインはジェラルドから聞かされた、王太子妃の周囲に纏わる不穏な情勢について説明を始め、それが進むに従って、アルティナは自然に眠気に襲われた様に両目を閉じ、椅子の背もたれに背中を預けた。


「……今の時点で分かっている事は、これだけなんだが」
「それだけで十分よ! 何なの!? れっきとした王太子妃を、逆恨みと欲得絡みで排除しようなんて!!」
 難しい顔つきで、ケインが一旦話を区切った途端、マリエルが憤怒の形相でテーブルを叩きつつ怒りの声を上げた。それは彼女の両親も同じ気持ちだったらしく、盛大に顔を顰めながら非難する言葉を口にする。


「それだけでは飽き足らず、怨恨と目先の欲に目が眩んで平気で他国と結ぶとは、この国の貴族たる誇りは無いのか」
「何という事でしょう……。アルティナもそんな恐ろしい話を、王宮で聞かされてきたのですか?」
 同情する様に視線を向けてきたフェレミアに対して、アルティナはゆっくりと瞼を開けつつ、穏やかに微笑み返した。


「フェレミア様。妹の事を心配して頂き、ありがとうございます。ですがご安心下さい。アルティナは妃殿下に対して不敬な事をしでかす連中に対して憤ってはおりましたが、怖がってはおりませんでしたので」
 それを聞いた彼女は、驚いた様にアルティナに尋ねた。


「まあ……、いつの間にアルティン殿になったのですか?」
「どうやらケインが、最後のお茶に酒を入れる様に指示していたらしいですね。アルティナは殆ど飲めないので、眠って意識が無くなるのと同時に入れ替わりました」
「そうでしたか。それではアルティン殿も、この事はご存じですのね?」
「はい。ケインと王太子殿下と、今後の方針を色々話し合ってきましたので、今夜のうちにご説明しておこうと思いまして。実は殿下の御前でケインがアルティナに酒を飲ませて、私が妹の中に共存している事を明かしました。殿下はそれをご承知の上での事です」
「何ですって?」
 それを聞いて事の重大さを理解したフェレミアだけでなく、クリフとマリエルも顔色を変えたが、さすがに当主らしく、アルデスだけは落ち着き払って詳細を尋ねてきた。


「そうでしたか……。ケイン、今日は本当に色々あったようだな。それで? 今後の方針とは?」
「まず第一に、アルティナを近衛騎士団白騎士隊に入隊させて、王宮内の宿舎で生活して貰う」
「兄さん?」
「お兄様!?」
「お前はそれで良いのか?」
 驚きの声が上がる中、アルデスが冷静に確認を入れると、ケインは渋面になりながらもきっぱりと断言した。


「本音を言えば良くは無いが、やはり王太子妃の身辺警護が最優先だし、詳しい内部情報が欲しい」
「そういう事です。いざという時に、すぐ動ける状態と立場を確保したいもので。結婚早々、王宮勤めになって、口さがない者達がまた騒ぎ立てる事になるかと思います。誠に、申し訳ありません」
 どう考えても外聞が悪く、シャトナー家が噂の種になるのが明白な為、アルティナは本心から申し訳無く思いながら頭を下げた。しかし落ち着き払ったアルデスと納得顔のフェレミアが、穏やかに宥めてくる。


「気にしないで下さい、アルティン殿。代々爵位と領地を賜っている以上、王家の安定に全力を注ぐのは、臣下として当然の責務です」
「そうですわ。それを忘れて自らの利益だけを求める様な不届き者は、きちんと成敗して下さいませ」
「そのお言葉、胸に刻んでおきます」
 そして深く感謝したアルティナが、再度頭を下げた横で、ケインが妹に声をかけた。


「それからマリエル。お前は当面暇だろうから、辞意を申し出た王太子妃付き上級女官の、後任に納まって貰う」
「上級女官!? 私が!?」
「兄さん、ちょっと待て!」
 断定口調で言われた内容に、当事者のマリエルは勿論、クリフも思わず声を荒げたが、ケインは構わずに話を続けた。


「もう申請手続きを始めているから、覚悟を決めておくんだな。それと来週には部屋に入って貰うから、荷物を纏めておけ」
「え? 荷物って……、それに部屋って何の事?」
 全く意味が分からずに首を傾げた妹に向かって、ケインは大真面目に話を続けた。


「本来上級女官は、後宮に部屋を貰って住み込む形か、王都内の屋敷からの通いの形になるんだが、この屋敷との行き帰りで襲撃されないとも限らない。だから後宮内に部屋を貰う事にした」
「……はぁ?」
 マリエルには言われた内容の意味が咄嗟に分からなかったが、流石にアルデス達にはその意味する所を悟って顔色を変えた。


「ケイン、ちょっと待て! 確かにこれまでにも後宮内に部屋を頂く上級女官は存在していたが、いずれも年配の女性や未亡人だった筈では?」
「そうですよ! 未婚の若い女性が入るなんて、どんな噂が立つか分からないわ!」
 両親が訴えてきた内容を聞いて、驚いた様に無言のまま目を瞬かせたマリエルに、ケインが冷静に声をかけた。


「マリエル」
「何? 兄様」
「あの軟弱野郎との婚約が解消になった時、お前は言ったよな? 『くだらない噂を鵜呑みにする様な、軽薄で頭がスカスカな人と結婚するなんて真っ平ごめんだわ。私を真に理解してくれる人が居ないなら、一生結婚しないわよ』と。その言葉に、嘘偽りは無いか?」
「勿論よ」
「それなら、多少の醜聞は構わないだろう。寧ろ願ったり叶ったりだと思う」
「ケイン兄様?」
 真顔で言い聞かせてくる兄を、マリエルは不思議そうに見返した。周りの者も一体どういう事かと見守る中、ケインが真剣極まりない表情で主張する。


「あの妃殿下一筋の王太子殿下が、お前に手を出すわけが無い。そんな事を見極められない上っ面だけの連中を、これで悉く排除できる。それにそんな噂が立ってもなお、お前を求めてくる男なら、それは本物と言えるのではないか?」
 そう言われたマリエルは、一瞬驚いた様に目を見張り、次に顔付きを明るくして力強く頷いた。


「ええ、そうね! 言われてみればケイン兄様の言う通りだわ!」
(ちょっと待って! 本当にそれで良いの!?)
 そのやり取りを間近で見ていたアルティナは、本気で頭を抱えたくなったが、兄妹の熱い会話は更に続いた。


「それにお前は小さい頃、『大きくなったらケイン兄様の様に強くなって、絶対王様のお役に立つの!』と叫んでいたが、さすがに剣を身に付ける事はできなかった」
「ええ。勿論、覚えているわ」
「今回の上級女官就任は、お前自身が王家の為に働ける、最初で最後のチャンスだと思う。どうだ、マリエル。お前は今後の王家の安寧の為に、全力を尽くす気概はあるか?」
「勿論よ! 全力で妃殿下をお守りして、真実の愛もこの手に掴んでみせるわっ!」
「良く言った! それでこそ、俺の妹だ!」
(うん……、マリエルってケインとは似たり寄ったりの、一直線だったわね……)
 拳を握って力説したマリエルを見ながら、アルティナは思わず遠い目をしてしまった。その横でケインが、真顔で両親に報告する。


「そういう訳ですから、父上、母上。色々言いたい事があるかと思いますが、諦めて下さい」
「……仕方があるまい」
「だけどマリエルに、きちんと務めができるのかしら……」
 流石にその顔に不安をはっきりと浮かべている両親を見て、クリフが兄に向かって苦言を呈した。


「兄さん、何て無茶振りだ。マリエルが気の毒だし、周りの迷惑も少しは考えて欲しいんだが」
「それなんだがな……、クリフ。今回はお前にもちょっと、と言うか……、大いに絡んで貰う事ができた」
「……へえぇ? 是非とも、詳しい話を聞かせて貰いたいな?」
 キラリと目を物騒に光らせながら、含み笑いでクリフが応じた為、ケインは微妙に視線を逸らしながら、隣に座っているアルティナの肘を軽く引っ張った。


「……アルティン」
「おい。兄が弟に説明するのが、筋じゃないのか?」
「筋書きを作ったのは、完全にお前だろうが!? 俺に押し付けるな!」
「今まで散々マリエルを煽っていたくせに、今更何を言う!」
「どっちでも良いから、さっさと吐いて下さい」
 クリフが冷え切った声で、責任転嫁し合う二人の会話をぶった切った為、ケインと再度目線で押し付け合いをしてから、諦めたアルティナがかなり言いにくそうに、事の次第を説明し始めた。


「う……。その、クリフ殿、申し訳ない。ユーリアをあなたの婚約者扱いにして、後宮の上級女官に就任させる事にしたんだ。ケインに確認したら、クリフ殿には恋人も婚約者も居ないそうなので、名前を貸して貰ったんだが……」
 それを聞いたクリフは、完全に面食らった。


「……え?」
「婚約者って……」
「どういう事?」
 彼の家族も当惑した顔を見合わせたが、もう一人の当事者はそれ以上の反応を示した。


「え、えぇぇぇっ!! ちょっと待って下さい、アルティン様っ! 私がクリフ様の婚約者って、上級女官就任って、何ですか!? 私、由緒正しき平民ですよっ!! そんなのになれる筈、無いじゃないですか!!」
(ああ、ユーリア、来てたのね。ケインがお茶にお酒を仕込むのと併せて、食事が終わる時間帯にここに顔を出すように、言っていたわけだ)
 普段の食事の時には食堂に控えていないユーリアが、いつの間にか壁際に立っており、そこで驚愕の叫び声を上げたのを認めたアルティナは、彼女の方に振り返って、半ば自棄になりながら説明を加えた。


「確かに普通だと難しいが、貴族の男性と平民女性が結婚する為の裏技はあるんだ。女性の方が、貴族の養女になれば可能だからな。流石に男の方が爵位が高い家の嫡男だったりしたら、さすがに無理だろうが」
「裏技の説明をしろなんて、言って無いですよ! そもそもどうして、私とクリフ様が婚約なんて事態になるんですか!?」
 蒼白な顔で詰め寄って来たユーリアから視線を逸らしつつ、アルティナは強張った顔付きで準備した筋書きを述べた。


「ええと……、それは、あれだ。アルティナの輿入れに伴って、伯爵家の使用人になったユーリアを見初めたものの、クリフ殿は次男ながら将来を嘱望されている官僚だし、今後の事を考えると貴族の女性と結婚する必要がある。それで縁を頼ってユーリアを某貴族の養女にしたが、それだけでは彼女が権威主義に凝り固まった連中から軽んじられる可能性があるので、手っ取り早く箔を付ける為と、王太子殿下とのコネ作りの為に、妃殿下付きの上級女官就任要請を即決した、と言う設定にして……。要は、マリエル同様後宮に入って貰って、そこと外部の連絡とその他諸々、宜しく頼む」
 一気に言い切ってアルティナは頭を下げたが、ユーリアはそんな彼女に掴みかかり、盛大に怒鳴りつけ始めた。


「何サラッととんでもない事を言ってくれるんですか、あんたって人はぁぁぁっ!!」
「ちょ、ちょっと待て! ユーリア、落ち着け!」
「前から何度も何度もろくでもない事を言い付けられて、仕方がないと諦めつつ色々やってきましたけどね! 今回のこれは、無茶もいいとこでしょう!?」
「ああ、それは私も重々承知の上なんだが」
「第一、私なんかを養女にする様な、そんな酔狂な貴族が居るわけ無いじゃないですか!!」
「それは今日、ケインが団長に頼んできたそうだ」
「……ケイン様?」
 そこで恐る恐ると言った感じで、自分に目線で問いかけてきたユーリアの顔が、青いのを通り越して白くなっているのを認めたケインは、心底申し訳無く思いながら詳細を説明した。


「騎士団長はファーレス子爵家当主だから、事情を話してお願いしたら、君との養子縁組みを快く引き受けて下さったんだ。早速今日、手続きに入ったから、早ければ明日にでも承認される。それ以後の君の名前は、ユーリア・ファーレスだ」
「そんな……」
 完全に逃げ場無しの状態を理解したユーリアは、崩れ落ちる様に座り込み、床に両手を付いて項垂れた。流石に勝手に話を進めてしまった罪悪感があったアルティナは、同じ様に床に膝を付き、目線を同じにして謝罪の言葉を口にする。


「その……、ユーリア。今回の事は、完全に事後承諾で悪かった。だが事態は急を要しているし、使える人材は有効に使いたくてだな」
「もう良いです……。アルティン様に関わり始めてから、平凡な侍女勤めなんかできるわけ無いって悟っていた筈なのに、何を夢見ていたんでしょうね? それとも、全く学習していなかったって事なんでしょうか?」
「それは……、どうなんだろうな……」
「実家の皆に、何て言おう……。取り敢えず王都に出たがっている妹には『こんな魑魅魍魎が跋扈してる所になんか、間違っても近付くな』って、手紙に特大の文字で書いて送ろうかな……」
 床を見詰めながらぶつぶつとそんな事を呟いたユーリアは、「うふふふふ」と不気味な笑いを漏らした。そんな彼女を見たシャトナー家の面々は、心底彼女に同情する。


「……ユーリアが壊れたわ」
「気持ちは分かるな」
「本当に、ちょっと気の毒ね」
 すると無言で椅子から立ち上がったクリフが、横長の大きなテーブルを回り込み、彼女の所までやってきて、アルティナ同様膝を折ってユーリアに声をかけた。


「ユーリア、いきなりこんな話を聞かされて驚いたのは分かるが、そんなに私が婚約者役を務めるのが嫌だろうか?」
「いっ、いえいえ、滅相もありません! 寧ろ、根っからの庶民の私如きが、無理やりにも程がある養子縁組の上、クリフ様の婚約者になるのが失礼千万ではないかと!」
 若干心配そうに声をかけられ、ユーリアは勢い良く顔を上げて、激しく首を振って否定した。それを見たクリフが、安心した様に笑いかける。


「別に、ユーリアが婚約者になるのは、私に対して失礼では無いよ? 家を継ぐのは兄さんだから、そもそも私の結婚に関しては、かなり自由なんだ。それに結婚したら別に屋敷を構えて自活する事を見越して、これまでにしっかり官僚としての役職と、それなりの生活を送れる稼ぎは確保しているから、結婚相手の持参金やコネを当てにする必要も無いし」
「はぁ……、そうですか……」
 どうしてそんな話になるんだろうと、根本的な所を良く理解できないままユーリアが頷くと、そんな彼女の手を取ったクリフが、真顔で宣言した。


「マリエル同様、君も後宮内に部屋を貰う事で、周りの人間から色々無遠慮な事を言われたり、対外的には私の婚約者になる事で、今後の君の結婚話とかに支障が出るかもしれない。だがその時は、私がきちんと責任を取るから。君は心置きなく、妃殿下の為に力を尽くして欲しい」
「あの……、それは勿論、妃殿下をお助けする事に関しては、異論はありませんが」
「兄さん、この際できる事は何でもやるぞ。他に何かする事は無いのか?」
 戸惑いながら応じたユーリアの台詞に重ねる様に、彼女の手を握ったままクリフが振り仰いで尋ねてきた為、ケインは若干たじろぎながら、これから依頼するつもりだった内容を口にした。


「あ、ああ。さっきも話したが、後宮の管理は内務省管轄だから、後任を推薦してきた事からも、普通の手続きだとユーリア達の上級女官就任を、内務大臣に阻止されるかもしれない。それで」
「分かった、任せろ。あの能無し野郎の目を誤魔化す位、どうとでもないからな。王太子殿下には、俺の所に直接書類を回す様に伝えてくれ」
「……宜しく頼む」
 自分の話を遮り、嬉々として頷いた弟の表情を見て、ケインは僅かに顔を引き攣らせながら頷いた。


「さあ、ユーリア。王太子ご夫妻の為、この国の未来の為、これから二人で全力を尽くそう!」
「はぁ……」
 満面の笑みで促され、その迫力に負けた形でユーリアが頷くと、まだ良く事態が呑み込めていないフェレミアとマリエルが、怪訝な顔で囁き合う。


「なんだか、クリフ兄様もおかしいわ……」
「本当に。いつもと様子が違うわね。どうしたのかしら?」
 首を傾げている彼女達とは異なり、さすがに色々察したらしいアルデスとケインが、小声で確認を入れた。


「その……、聞いていなかったが、クリフはそうなのか?」
「いや、俺もたった今、気が付いたんですが……」
 その横で、アルティナは床に座り込んだままの二人から視線を逸らしながら、溜め息を吐いた。


(絶対、ユーリアは気が付いてない。そして教えてあげたら、今のユーリアだったら『お貴族様と結婚なんて、堅苦しいのは真っ平ごめんです!』と逃げるに決まってる……。そんな事になったら面倒だから、もう事が片付くまで黙っていよう。ケイン達にも口止めだわね、これは)
 自分自身がケインからのアプローチを無意識に遮断している癖に、他人のそれにはしっかり気が付いてしまったアルティナだったが、あっさり問題解決を優先にし、当面口を閉ざす事にした。





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