ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(13)正攻法と搦め手と

「話を戻すが、連中が上級女官を入れ替えて、自分達の息のかかった人間を、エルメリアの側に送り込もうとしているのは明白だ。しかしこのタイミングで彼女の懐妊が明らかになった為、そう簡単に離婚させる事もできないと考えるだろう」
「確かにそうですね」
「そうなると、彼女に直接危害を加える可能性さえ出てきた為、それは絶対に阻止したい。そういう事情でナスリーンに、信用ができて早急に上級女官に就任して貰えそうな女性がいないかを相談したら、真っ先に彼女自身も面識が無い貴女の名前を出して、『アルティン殿の妹君ですし、シャトナー副隊長が結婚した位ですから間違いございません』と主張したんだ」
「そういう事でしたか」
 漸く詳細な事情が判明し、納得して頷いたアルティナに向かって、ここでジェラルドが真剣な面持ちで言葉を継いだ。


「だが正直に言えば、グリーバス公爵の娘を安易に信用して良いものかと、さすがに躊躇していた。先日の舞踏会で接した時に、私の言動を不快に感じたのなら、大変申し訳なかった」
 そう言って軽く頭を下げた彼を見て、アルティナは却って恐縮した。


「いえ、事情が分かりましたので、どうかお気になさらず。と言うか、そもそもそれほど気にしておりませんでしたので」
「そうか。それなら良かった」
 安堵した表情になったジェラルドを見ながら、アルティナは密かに考えを巡らせた。


(確かに不愉快な事に、血の繋がった実の父娘だしね。他人から見たら、どうしても一蓮托生って考えるわよ。殿下が私をあっさり信用できないのも、無理は無いわ)
 そう納得したアルティナに、ジェラルドが改めて要請してくる。


「それでアルティナ殿。白騎士隊へ入隊して、妃の護衛をしては貰えないだろうか? 新婚早々で誠に申し訳無いが、一人でも多く、彼女の側に腕が立って信頼できる人間を配置したい」
「それは……」
 この間すっかり忘れていたが、「新婚早々」の所で自分の一存で決められないと判断したアルティナは、反射的にケインを見上げた。するとこの間黙ってやり取りを聞いていた彼が、ジェラルドに視線を向けて静かに問いを発した。


「取り敢えず、殿下はアルティナを信用して頂けそうですが、他の方々はどうでしょうか?」
「ケイン?」
「殿下お一人が、公爵達の企みを打破しようと、動いているわけでは無いと推察しますが」
「それは確かにそうだが……、それは責任を持って私が皆を説得する」
 訝しげな顔になってから、真摯に申し出たジェラルドだったが、それにケインが些か素っ気なく返した。


「そうして下さい。アルティナが身に覚えの無い誹謗中傷を受けるのを、私はとても甘受できません」
「ケイン! 幾ら何でも、王太子殿下に対して失礼よ!」
 慌てて窘めたアルティナだったが、ケインはそんな彼女に向かって、制服のポケットから取り出した物を差し出しながら、真顔で頼み込んだ。


「アルティナ。取り敢えず、これを飲んでくれ」
「はい?」
 目の前の小瓶を見て、訳が分からず瞬きしたアルティナに、ケインが尚も真顔で言い募る。


「これから殿下達と、更に重要な話があるから、緊張しない様にアルティナには、これを飲んでいて貰う必要があるんだ。頼む」
「あの……」
 そして暗にケインが求めている内容を悟ったアルティナは、盛大に冷や汗を流した。


(ちょっと待って。それってまさか……、いえ、確実にお酒よね!? まさかこの状況で、アルティンに出て来いって事? どうしてお酒を常備してるの!? それにケインは一体、何を考えているのよっ!?)
 チラッとジェラルド達の様子を窺うと、彼らも呆然とケインの暴挙を眺めていたが、ここでナスリーンが控え目に尋ねてきた。


「あの……、ケイン? それは一体、何ですか?」
「ああ、ご心配なく。単なる酒です」
「単なる、って……」
 サラッと答えられた内容に、(どうしてここでお酒が?)と彼女が絶句していると、ケインが何かに気が付いたらしく、ジェラルドに顔を向けて弁明してきた。


「殿下。昼日中から御前で妻に飲酒を勧めてしまい、見苦しいと感じられたらお詫び致します。ですが決して妻が酒豪とかうわばみとかの理由ではありませんので、そこは誤解なさらないで下さい。勿論私も、職務中での飲酒癖などございません」
 すこぶる真顔でそんな事を主張されてしまったジェラルドは、毒気を抜かれた顔で頷いた。


「あ、ああ……。そうか、分かった。アルティナ殿、飲んでも構わない。私が許可する」
「え、えぇ!? あの、ケイン!? 私、お酒を飲むと、寝てしまうんだけど!」
 あっさり了承されてしまったアルティナは動揺して声を上擦らせたが、ケインの表情は真剣そのものだった。


「それは大丈夫だから。さあ、飲んで」
「だっ、大丈夫だと言われても!」
(うぅ、ナスリーン様と殿下が、唖然として見ているし……。もう、何がどうなっても知らないわよ!? ケインの馬鹿――っ!!)
 何を言っても引く気が皆無のケインを見上げ、説得を諦めたアルティナは、心の中で彼を盛大に罵倒しながら、しぶしぶ小瓶に手を伸ばした。


「……分かりました。頂きます」
 そして完全に腹を括ったアルティナは、手にした小瓶の蓋を取り、殆ど自棄で一気飲みした。


「これで良いのかしら?」
「ああ」
 引き攣った顔で空の瓶を差し出したアルティナから、それを受け取ったケインは、元通りポケットにしまい込んでから、真面目な顔でジェラルド達に向き直って頭を下げた。


「ナスリーン殿、殿下。いきなり意味不明な事をしてしまいまして、申し訳ありません」
 それに対し、二人が微妙な表情で応じる。


「うん、まあ……、自分の行動が意味不明だと理解できているのなら、それほど深刻な問題では無いと思うが……」
「ケイン殿の立場はともかく、殿下を前にして相当緊張されていた筈のアルティナ殿に対して無理強いしたのは、誉められた行為ではありませんよ?」
「それは重々承知の」
「全くだ。だからお前に、アルティナを任せられんと言ったんだ」
 唐突に割り込んだ台詞を耳にして、ケインは苦笑しながら傍らを見下ろした。


「確かに無理強いしたのは認めるが、今は非常事態なんだ、アルティン」
「確かにある意味、非常事態だな。殿下とナスリーン隊長が、驚愕されているぞ」
 ドレス姿のまま足と腕を組み、ふんぞり返ってケインを睨みつけたアルティナを見て、ジェラルド達の困惑が深まる。


「え? あの、アルティナ殿? 何やら急に口調が変わった様な……」
「それに、ケイン? どうしてアルティナ様を『アルティン』と呼ぶのですか? 先程アルティナ様に無理強いした事と言い、何やら急に錯乱したのですか?」
 その当然の疑問に、ケインは真顔で答えた。


「いえ、私は正気ですし、これ以上は無い位真面目に話をしております。たった今、アルティナを酔わせて、彼女の体の中に共存しているアルティンの魂に、表に出て来て貰いました」
「お久しぶりです、王太子殿下、ナスリーン殿。ご壮健のご様子で何よりです」
「…………」
 全く理解が追いついていない様子で、無言で瞬きするだけの相手を見て、調子を合わせて挨拶を済ませたアルティナは、横に立つケインを蹴り倒したい衝動を、必死に堪えた。


(この馬鹿は、一体どういうつもりで……。それにこの事態、どう収拾をつけるつもり?)
 そんな風に責任を丸投げしたアルティナが見守る中、ケインは落ち着き払って「それでは詳しい事情をご説明します」と口にしたのを皮切りに、冷静にこれまでの経過を掻い摘んで説明し始めた。
 そして彼自身が信じ込んでいるアルティンとアルティナの事情を説明し終えた時に、目の前の二人から返ってきたのは、沈黙のみだった。


「殿下、ナスリーン殿。何かご不審な点でもおありですか?」
 無言のままの二人に真っ正直にそんな事を尋ねたケインに向かって、ジェラルドは何とか声を絞り出した。


「……ケイン。その荒唐無稽にも程がある話を、私とナスリーンに信じろと?」
「お二方に容易に信じて頂けなくても、これが事実なのは変わりありませんから」
「あのな……」
 真顔で断言されたジェラルドは、本気で頭を抱えた。しかし横からナスリーンが、若干険しい表情ながら、思うところを正直に述べる。


「殿下、私は今の話を、全面的に信じます」
「ナスリーン?」
「きっとアルティン殿が急逝した時に、不埒な連中は小躍りして神に感謝の言葉を捧げたのでしょうが、そんな不快な見当違いの言葉を受けた神がお怒りになって、アルティン殿を暫く地上に留め置いて、連中の企みを阻止する様に差配なさったのですわ」
「……随分と、斬新な解釈だな。あなたがそんなに想像力豊かな人だったとは、今の今まで知らなかったぞ」
 力強く主張してきたナスリーンを見上げたジェラルドが、唖然としながら呟いたが、彼女は半ばそれを無視してケインを問い詰めた。


「そんな事より、ケイン殿にお尋ねしたいのですが。どうしてこの場で、そんな重要な事を打ち明けたのですか? 不用意に漏らして、教会関係者の耳に入ったら、大変な事になりますよ?」
(全くその通りです、ナスリーン様)
 アルティナが無言で賛同していると、ケインは真面目な顔のまま、その理由を口にした。


「グリーバス公爵との親子関係から、殿下にアルティナを本心から信頼して頂くのは、かなり難しいと判断致しました」
「それは……」
 僅かに表情を変えたジェラルドの言葉を遮り、ケインが尚も訴える。


「先程の殿下の言葉を、疑うわけではございません。しかしシャトナー家としての立場を、明確にしておきたく思います」
 そこで一度、話を区切ったケインは、強い口調でジェラルドに向かって宣言した。


「我が家は王太子殿下と妃殿下に対して、何ら含む所はございません。それはアルティナも同様です。ですがこの先何かご不審な点がおありなら、アルティンの件を教会に通報して頂いて結構です」
「ケイン殿、それは!?」
 言われた内容を悟ったジェラルドは無言のまま片眉を上げ、ナスリーンは動揺した声を上げて、睨み合っている男二人を交互に見やった。そしてアルティナは呆気に取られてから、すぐに必死に笑いを堪える。


(なるほど。敢えて弱味をさらけ出しているのに、全面的に自分達を信じられないならどうにでも好きにしろって事か。だけど逆に言えば、ここまで本音で接してるのに、信じられないのは器が小さいぞと言っている様なもので……。ケインらしい、真正面からの攻め方だわ。でも……、この場合、悪くないわね。ええ、寧ろ正解よ)
 密かに感心したアルティナは、ここでアルティンの口調で楽しげにケインに声をかけた。


「おい、ケイン。お前殿下に対して、敢えて弱味を晒してみせたつもりだろうが、全然弱味になっていないぞ?」
「は? どうしてだ?」
 不思議そうに見下ろしてきた彼に、アルティナが冷静に指摘する。


「仮に教会に通報されたとして、私がアルティナの中に居る事を、どうやって証明するんだ?」
「それはアルティナが眠ったり、酒を飲んだりすれば分かるだろう?」
 その指摘を、アルティナは鼻で笑った。


「馬鹿かお前は。そんな状況下で、私が素直に出てくる筈が無いだろう? アルティナの演技をすれば良いだけの話だ」
「だがそうすると、殿下が恥をかくぞ? それに周囲から、錯乱されたかと疑われるかもしれない」
「それがどうした」
「なんだかんだ言っても忠誠心の篤いお前が、殿下に恥をかかせる筈は無いだろう。司祭や司教をどうにでも丸め込んで、煙に巻いてうやむやにするに決まっている」
「私が凄い悪人に聞こえる上、激しく論点がずれた気がするんだが!?」
 きっぱりと断言したケインに、アルティナがこめかみに青筋を浮かべながら言い返した。そんな漫才めいたやり取りを聞いてナスリーンは小さく噴き出し、ジェラルドも表情を緩める。


「分かった。ケインの話を全面的に信じよう。それにシャトナー家の意向を今後疑ったりはしないし、他の者にもさせない。信用して欲しい」
「ありがとうございます、殿下」
 そこでジェラルドは椅子から立ち上がり、真摯な顔をアルティナに向けた。


「それからアルティン。生前だけではなく、死後にまで迷惑をかける事になってすまないが、どうか私に力を貸して欲しい」
 そう言って深々と頭を下げたのを見てアルティナは即座に立ち上がり、彼に向かって同様に頭を下げた。


「もとより私も、私利私欲に走った愚か者共を、見逃すつもりはありません。ご存分にお使い下さい。妹のアルティナも王室に対する忠誠心は、人並み以上に持ち合わせております。ご安心を」
「頼りにしている」
 そこで頷き合ってから再び着席したアルティナは、早速詰めておかなければいけない話を切り出した。





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