ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(10)予期せぬ遭遇

「それでは、シャトナー伯爵家が、多大な持参金を手にしたと言う噂は」
「まあぁ、ジーゼル侯爵ともあろう方が、こんな公の場で下世話な金銭の話題を、口にされるとは思いませんでしたわ!」
「全くです。この式典の主役たる、陛下に対して失礼だとは思いませんの?」
「いっ、いえ、陛下を軽んじる様な事は決して」
 アイリーンにやんわりと非難されて真っ青になった男に、クレアがわざとらしく溜め息を吐いてみせる。


「それに、長らく領地暮らしだったアルティナ殿を蔑んで、根も葉もない噂を流して喜んでいる心無い方が、巷には随分はびこっておられるようで。誠に嘆かわしいですわ」
「本当に。公爵家が支払った持参金は、常識的な額だと言うのに……。それに格下の伯爵家に嫁いだのも、格式が高くて社交界から遠ざかっていたアルティナ様が苦労しない様にという、公爵夫妻の試案の末。それが理解できず、邪推して好き勝手な事を吹聴するなど、人としてどうかと思います」
「は、はぁ……、誠にその通りで……」
(ジーゼル侯爵……。あなたの言いたい事、良~っく分かるわ。『面白おかしく好き勝手な事言ってたのは、あんた達だろ!? したり顔で何ほざいてんだ!!』って、できる事なら言い返したいですよねぇ……)
 額の汗をハンカチで拭きながら、卑屈に相槌を打った相手を見て、アルティナは少しだけ彼に同情した。


 彼だけでは無く、アルティナはミゼリア達に連れられて、社交界でも有力者と目される面々に次々に引き合わされたが、紹介してきた相手がミゼリア達の為、敵に回したら厄介だと分かっている者達は、内心では色々と思うところがあったものの、全員が嫌味や皮肉、毒舌など吐く事は皆無で、終始友好的に接してきた。それに対してアルティナも笑顔を振り撒いていたが、次第に内心でうんざりしてくる。


(うざっ!! いい加減、心にも無い事を言ってヨイショするのも飽きたし疲れたし、第一、この陰険ババァ連中と同類と見られるのは真っ平御免だわ。何とか上手い口実を見付けて離れたいのに、ケインは団長を探して、一体どこまで行っているのよ?)
 そんな風に、半ばケインに八つ当たりをし始めた所で、予想外にも程がある声がかかった。


「ごきげんよう、ラングレー公爵夫人。ラディン侯爵夫人にジュール侯爵夫人もお揃いで。皆様、相変わらずお美しいですね」
(え? ちょっと待って。まさかこの声って、王太子殿下!?)
 慌てて背後を振り返ったアルティナは、そこに予想に違わぬ人物を認めて愕然となったが、ミゼリア達は嬉々として王太子であるジェラルドを囲んだ。


「まあ、王太子殿下! お久しぶりでございます」
「妃殿下の体調不良で、殿下まで夜会を欠席される事が増えて、皆で残念がっておりましたのよ?」
「妃殿下に遠慮なさらず、殿下はもっとお顔を出して下さいませ。色々と趣向の変わった花を愛でるのも、宜しいかと思いますわ」
「そうですね。考えておきます」
 呆然として出遅れてしまったアルティナは、何やら互いに腹に一物抱えた様な笑みを交わす面々を、一歩離れた所で眺めながら困惑していた。


(直に顔を合わせるのは、久しぶりだわ。でも王太子殿下とは特に親しくしていたわけでも無いし、間近で見ても疑われる心配は無いでしょうね。でも妃殿下の体調不良って、初めて耳にしたけどどうしたのかしら?)
 するとここでジェラルドが、アルティナに向き直って笑顔を炸裂させた。


「ところで今夜は、見慣れない女性がいらっしゃいますが?」
(げ、ひょっとして、私が目的? そんなに目立っていたかしら?)
 不気味な程の笑顔に、アルティナが密かに冷や汗を流していると、横から我先にと解説が入った。


「殿下、ご紹介しますわ。こちらはシャトナー伯爵令息夫人で、グリーバス公爵の六女に当たられる、アルティナ・シャトナー様です」
「先日お亡くなりになったアルティン緑騎士隊隊長の、双子の妹君ですのよ?」
「以前は身体が弱くて社交界デビューもままならなかったそうで、公の場に出られるのは今回が初めてだそうですわ。それで私達が色々と、お世話していたところなのです。さあ、アルティナ様。きちんと王太子殿下にご挨拶なさい」
「は、はい」
 そこで声をかけられたアルティナは、如何にも世慣れない女性を装いながら、しかしきちんと礼儀を保ってジェラルドに挨拶した。


「王太子殿下に、初めてお目にかかります。アルティナ・シャトナーと申します。ご挨拶が遅れまして、誠に申し訳ございません」
 それを受けて、ジェラルドは僅かに目を細めながら、先程までとは変わらない笑顔で応じる。


「グリーバス公爵のご息女でしたか。それはそれは……。お世話好きの皆様に、こぞって気に留めて頂けるとは、アルティナ殿は幸運な方ですね」
「……誠に、感謝の念に堪えません」
 しかし笑顔を向けている目の前の男の両眼が、鋭く冷え切っている事を敏感に察知したアルティナは、殆ど気合いだけで笑顔を保った。


(何? 笑っているのに、王太子殿下の目が怖い。こんなに迫力のある人だったかしら? それに私、何も気に障る事をしていないわよね?)
 アルティナが内心で困惑していると、ジェラルドが更に予想外の事を言い出した。


「ところでアルティナ殿。お近づきの印に、私と一曲踊って頂けませんか?」
「え、えぇ?」
 気が付けば、いつの間にか舞踏会の開催時間を過ぎていたらしく、大広間の中央が開けられて音楽が奏でられ、複数の男女が踊り始めていた。まさかこんな所で王太子とダンスを踊る事など夢にも思っていなかったアルティナは、本気で固まる。しかし周りはこぞって、アルティナをジェラルドの方に押しやった。


「まあ! アルティナ様、光栄ですわよ?」
「さあさあ、踊っていらっしゃいませ!」
「公爵夫妻もお喜びになりますわ!」
「は、はぁ……」
(冗談じゃないわよ! どうして公の場でのアルティナとしての初ダンスを、よりにもよって王太子殿下と踊る羽目に! 足を踏んだりしたら、洒落にならないわよ!)
 そうは思ったものの、まさか固辞するわけにもいかず、アルティナは進退窮まった。


「アルティナ殿?」
「……宜しくお願いします」
 一見笑顔で差し出された手を取り、アルティナは微妙に引き攣った笑顔で、ジェラルドと共に中央寄りに移動した。そして二人で腕を組み、曲の途中から入る為にタイミングを計る。


(とにかく一曲、問題無く踊り切れば良いんだから! あれだけ練習したんだから、ここで無様に失敗したりするもんですか!)
 そう腹を括った彼女は、相手のリードに合わせてステップを踏み出した。すると見慣れない女性と王太子が踊り始めた事に周囲が気が付き、徐々に他の組が踊るのを止めて興味津々で見守った事で、大広間で踊っているのはアルティナ達のみになってしまう。しかし彼女はそんな事に気付く余裕が無いまま、必死にステップを間違えない様に、必死にジェラルドに付いて行った。


「アルティナ殿はアルティン殿と双子だとお伺いしましたが……」
 踊り始めて少ししてから徐に問いかけてきたジェラルドに、足に注意を向けていたアルティナは、殆ど無意識に答えた。


「はい、そうです」
「アルティン殿には近衛騎士団の一員として、若いながらも立派な働きをして貰いました。誠に急逝したのが惜しまれる。心からお悔やみ申し上げます」
「丁重なお言葉、ありがとうございます。亡くなった兄も、喜んでいる事でしょう」
「ところであなたが今まで公の場に出なかった理由は、本当に病弱だった故ですか?」
「はい、それが何か?」
「本当に、それだけですか?」
 重ねてそう問われた事で怪訝な顔になったアルティナは、意識を目の前の相手に向け、改めてその顔を凝視しながら答えた。


「殿下に嘘を吐かなければいけない理由など、私にはありませんが?」
「そうですか? 例えば……、アルティン殿が何やら策を講じていた為とか」
 何やら急に思わせぶりに言われた事で、彼女は少々気分を害しながら問い返した。


「……兄が、一体どんな策を講じたと仰いますの?」
「いえ、口にしてみたまでです。お気になさらず」
(何なの、この何か含む様な物言いは。はっきり言って下さいよ! だけど王太子殿下って、こんなに陰険だったかしら?)
 相変わらず得体の知れない笑みでかわされて、アルティナの苛つきが増大した。するとここで唐突に、先程話題に出た内容を思い出す。


「そう言えば……、先程、妃殿下が体調不良と伺いましたが、ご病気なのですか?」
「本当に理由をご存じないと?」
 思い付いたまま口にしてみると、ジェラルドは何故か本気で驚いた様な表情になる。それに若干不安を覚えながら、アルティナは控えめに弁解した。


「はい、お恥ずかしながら。ずっと領地の屋敷に引きこもっておりましたし、兄が亡くなった直後に王都に来てからは、色々忙しなく過ごしておりまして、噂の類は耳にする事も無かったものですから」
「そうですか……。確かにあなたの周囲での噂は、王宮に居ても漏れ聞こえていましたから、色々と煩わしかったかもしれませんね」
 アルティナの近況については色々耳に入れていたのか、ジェラルドは納得した顔つきになった。そして冷静に事情を説明する。


「実は妃の懐妊が、最近明らかになったのです。それで今は少し、気分が優れないものですから。大事を取って、公式行事を少し控えさせているだけです」
「まあ! お二人目をご懐妊されたのですか。おめでとうございます。全く存じ上げませんで、失礼致しました」
「いえ、お気になさらず。ありがとうございます」
 全く予想していなかった慶事を聞かされて、アルティナは本心から祝いの言葉を述べた。それは相手にも伝わったらしく、ジェラルドは先程までの表情とは打って変わって、アルティナにも馴染みのある、穏やかな笑みを向けてくる。


(なるほど。この二・三ヶ月の間に、そんな事があったのね。王宮方面の噂話なんて、全然気にも留めてなかったし。妃殿下が無事、ご出産できると良いわね)
 何度か面識のある王太子妃の顔を思い出し、アルティナが微笑んだまま踊っていると、急に真顔になったジェラルドが話しかけてきた。


「ところでアルティナ殿は、グリーバス公爵夫妻の実のご令嬢と伺っていますが」
「はい。そうですが?」
「あなたは『グリーバス公爵の娘』と言われるのと、『アルティン・グリーバスの妹』と言われるのと、どちらを望みますか?」
「はい?」
 唐突にそんな事を問われたアルティナは、本気で戸惑った。


(いきなりどうしてそんな質問……。でもこれは、本音で答えるべきよね?)
 しかし真剣そのものの相手の顔を凝視して、微塵も迷いなく答える。


「勿論、アルティン・グリーバスの妹と呼ばれる方を希望します」
「そうですか。それでは今後は、その様に留意しましょう」
 真面目にジェラルドが頷いたが、ここで急に苦笑の表情になって、ダンスを終了する旨を告げてきた。


「ところでそろそろ終わりにしないと、拙いですね。実に名残惜しいですが」
「え?」
「あなたのご夫君が、先程から睨み殺しそうな目で、こちらを睨んでいますので。私はまだまだ命が惜しい」
「はぁ!?」
 くるりとターンしながらジェラルドが目線で示した先に目を向けたアルティナは、一気に血の気が引いた。


(遅いわよ! しかもそんな険悪な顔で、王太子殿下を睨まないで! 何やってるのよ!?)
 内心で狼狽しまくったアルティナは、辛うじて王太子の足を踏みつけるという醜態を晒さずにダンスを終える事に成功したものの、疲労感で押しつぶされそうになりながら、ケインの前に立った。


「やあ、ケイン、久しぶりだね。見慣れない顔だったから、少し夫人をダンスに誘って世間話をさせて貰ったよ」
 丁度、観客の最前列に居たケインの前で踊り終わる様にリードしてきたジェラルドは、面識のある彼に笑顔で声をかけた。それに対し、ケインが些か硬い声と表情で応じる。


「楽しんで頂けたのなら、何よりです」
 ギリギリ礼儀を保つ程度の対応に、横で見ていたアルティナはハラハラしたが、ジェラルドは気を悪くした風情も見せずに、苦笑したのみだった。


「怖いな。君は随分奥方の事が大事らしい。これから声をかける時は気を付けるよ」
「そうして頂ければ、ありがたく存じます」
「ケイン! 幾ら何でも、殿下に失礼でしょう!?」
「アルティナ殿、構わないから。それでは失礼する」
 遠慮のない物言いにアルティナが慌てて窘めたが、そんな彼女を宥めてからジェラルドはその場から離れた。途端に周りに人垣を作りながら去っていく彼を見送ってから、ケインは小さく息を吐いてから、アルティナに向き直る。


「アルティナ。特に問題は無かったか?」
 その問いかけに、漸く緊張から解放された顔で、アルティナが頷く。


「勿論よ。安心して? 殿下の足を踏んだりはしなかったから」
「そうか。だが踊りながら、何やら話し込んでいたみたいだったが。続けて三曲も踊っていたし」
「あら? そんなに踊っていたの? 気が付かなかったわ」
(緊張して、時間感覚がぶっ飛んでたわね。これで殿下の足を一度も踏まなかったのは、本当に奇跡だわ)
 素で驚いた声を上げたアルティナに、ケイン真剣な顔つきで重ねて尋ねた。


「それで?」
 しかしアルティナには、大して重要な事を聞かれたとは思えなかった為、戸惑いながら答えた。


「幾つかの世間話と、妃殿下の懐妊の話と、あとは……、グリーバス公爵の娘と呼ばれたいか、それともアルティン・グリーバスの妹と呼ばれたいかと聞かれたのだけど……」
「殿下がそんな事を? それでアルティナは、何と答えたんだ?」
「一々、口に出すまでもないわ」
「確かにそうだな」
 うんざりした様に述べたアルティナを見て、ケインが苦笑する。しかしすぐに笑いを収めて、不思議そうに考え込んだ。


「だが殿下はどうして、そんな事をお尋ねになったのか……」
(それは同感。それにあの眼光。初対面の人間を見る目じゃ無かったわよね?)
 そう疑問に思ったものの、一人で考えても解決する類の問題ではなく、アルティナはあっさりと悩むのを止めた。
 それからは特に大きなトラブルも無く、アルティナ達は舞踏会の終了と共に一家揃って大広間を退出し、何事も無く帰途についた。



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