ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(9)情報操作

「あの……、人違いでしたら、誠に申し訳ありません。皆様はラングレー公爵夫人ミゼリア様と、ラディン侯爵夫人クレア様と、ジュール侯爵夫人アイリーン様ではございませんか?」
 社交界を陰で牛耳っている三人は、恐縮気味にそう声をかけられた為、不審な顔つきになってアルティナを見返した。
「ええ。確かにそうですが……」
「あなたとはこれまでに、面識はありませんよね?」
「どうして私達の名前をご存じなの?」
 その当然の疑問に、彼女は全く悪びれずに答えた。


「人違いなどでは無くて、安堵いたしました。亡き兄のアルティン・グリーバスが、私が暮らしていた領地の屋敷に顔を出す度、華やかな王都の話をしてくれていました。その折に良く、皆様のお話を。それで聞いていた外見の特徴を思い出して、お声をかけてみた次第です」
「白々しい事を言うんじゃないわよ! あんたがアルティ」
「ベルーナ、お黙りなさい!」
「こんな公の場で、軽々しく物を言うのは控えなさい!」
「……っ!!」
 これまでアルティンとして社交界に顔を出し、口うるさい彼女達を直接見た事が何度もあったが、アルティナは神妙な顔つきで堂々と嘘八百を述べ立てた。
 当然事実を知っているベルーナが、怒りの形相で真実を暴露しかけたが、アルティナがアルティンとして長年近衛騎士団に在籍していた事が公になれば、実家のグリーバス公爵家が糾弾される事は確実な上、普段敵対関係にある家々がこぞって攻撃してくるのが分かり切っていた為、セレーネとエリシアが慌てて妹の台詞を遮る。そして危険性に気が付いたベルーナが黙り込み、悔しそうに小さく歯ぎしりした。


「アルティン殿が? 私共の事を、どのように仰られていたと?」
 そこで怪訝な顔で問いかけてきた最年長のミゼリアに、アルティンからの伝聞という形で、アルティナが落ち着き払った口調で語り出した。


「兄は、『ラングレー公爵夫人は、少々お顔が怖いと気弱なご婦方から怖れられているが、それは見当違いの誹謗中傷に過ぎない。あの方は単に正義感と義務感が強く、他人が犯した失態や間違いを放置できない、損な性格の気高い女性なんだ。あの方の眉間に刻まれている皺は、これまでの苦悩と自己研鑽の証。あの方ほど凛とした佇まいが、美しい女性は存在しない』と申しておりました」
「まあ……、その様な事を?」
 本気で驚いた表情を見せたミゼリアに、アルティナが真顔で続ける。


「はい。それで私に『お前は何事も大目に見て貰って、甘やかされている所がある。この先社交界に顔を出す事になったら、まず真っ先にラングレー公爵夫人の様な貴族の中の貴族と言える方に、ご指導を仰ぐべきだ』とも申しておりました。ですが公爵夫人と気軽にお話しする機会など有るわけは無く、直にお会いできるのはもっと先の事と思っておりましたのに、今夜お会いできるなんて、望外の喜びです」
「そんな風に仰らなくとも……。私は口煩いだけの、一介の公爵夫人にすぎませんのよ?」
 そう口では言いながらも、褒められてまんざらではない顔つきのミゼリアの横で、クレアが期待する様な目を向けながら尋ねてきた。


「アルティナ様。アルティン様は、私の事も何か仰られていましたの?」
 その問いにアルティナは、満面の笑みで答えた。


「はい。兄は『お前は領地に引き籠って衣装や装飾品の類に無頓着だが、王都で華々しく活動しておられる方々は、日々自らを磨き上げる事について余念が無い。その筆頭がラディン侯爵夫人で、お見掛けする度に装いが素晴らしい。豪華ではあるが華美ではなく、あの方以上に気品溢れる着こなしができる方はそうそういらっしゃらない。まさに我が国の社交界の流行を司る方だ。お前も直にお目にかかる事があったら、その装いを参考にさせて頂くと良い』と申しておりました」
「まあ、そんな……」
 そこで嬉しそうに僅かに頬を染めたクレアとは対照的に、アルティナが恥ずかしそうに俯く。


「私も一目見て、クレア様の装いに感激いたしました。それと同時に、自分の装いがいかに洗練されていなくて、周囲の方から見たらお目汚しかと思いまして……」
「あら、アルティナ様、そんなに卑下するものではありませんよ? その装いは清楚で、あなたに良く似合っていますわ」
「本当ですか? ありがとうございます」
 そこで嬉しそうに微笑んだアルティナは、最後にアイリーンに向き直った。


「初めてお目にかかります、アイリーン様。兄は常々、アイリーン様の事も褒めておりましたわ」
「そうですか? 私など特に才も無く、取り立てて賞賛する所など無いかと思われるのですが」
 困惑気味にアイリーンが応じると、アルティナは真顔で続けた。


「兄は『自己主張が激しい社交界において、目立たず才が無い人間は無能と思われがちだが、決してそういう方ばかりではない。必要以上に目立たず、しかし時流に乗り遅れず、周囲を支えて引き立てる。それを体現しているジュール侯爵夫人は、まさに賢婦人の名に相応しい』と、しみじみと申しておりました」
「そんな……、私は夫や周りの皆様の意見に従っているだけですのに……」
「兄には、それだけには見えていなかった筈ですわ。『お前には社交界を率先していく様な力量などは期待できないし、人としての在りようとしては彼女を規範とすべきだ』と申しておりました」
「そんな風に思って頂いていたとは……。生前のアルティン様と、ゆっくりとお話したかったですわ」
 心底残念そうにアイリーンが呟くと、アルティナも溜め息を零して応じる。


「兄は『社交界を牽引している皆様に対して、自分の様な若輩者から声をかけるのは気が引けてしまって』と笑っておりました。あんなに早く逝ったりしなければ、皆様とももっと親しいお付き合いができた筈ですのに……」
「本当に、惜しい方を亡くされました」
「誠に、近衛騎士団だけでは無く、我が国社交界の損失でしたわね」
 そこでその場が神妙に静まり返ってから、ミゼリアが思い出した様にセレーネ達に目を向けた。


「ところで……。セレーネ様達からアルティナ様のお話を色々伺っておりましたが、内容が少々誇張されていたみたいですね」
「いえ、それは! この子が口からでまか」
「ミゼリア様! 誤解なさらないで下さい! 確かに姉様達は、厳しい事を口にしていたとは思いますが、それは私を思って下さった故の事なのです!」
 ミゼリア達が咎める様な視線を向けた為、セレーネ達は慌てて弁解しようとした。しかしアルティナが口を挟む隙を与えず、更に懇願する様に言い募る。


「アルティナ様?」
「あなた、今度は何を!?」
「我が儘を言って今までろくに社交界に顔を出さなかった私が、今後恥をかかないかを懸念して、公の場で万が一失態を犯しても、それ位非常識で粗忽な者なら仕方がないと周囲の方が諦めて下さる様に、様々な方法で予防線を張って下さっているのです。誰がなんと言おうとも、私はお姉様達の愛情を疑ったりは致しませんわ!」
「まあ……」
「そういう事でしたの?」
「皆様がそれほど妹思いの方だったとは、思いませんでしたわ」
「いえ、それは……」
 驚いた様に視線を向けてきたミゼリア達に、セレーネ達は咄嗟に悪口雑言を口にできずに黙り込んだ。その隙に、アルティナは更に話を続ける。


「そもそも姉達と異なり、私のみ伯爵家に嫁ぐ事になったのは、私の様な何事にも疎い者が公爵家や侯爵家に嫁いだら、婚家で苦労すると両親が判断した故の事なのです。私はその配慮をありがたく感じているのですが、それを邪推して色々と噂する方が絶えないようで……。両親が根も葉もない誹謗中傷を受けない為に、私が甘やかされているなど周囲から思われない様に、わざと必要以上に強い態度で接しているのです」
「それにしては、些か度が過ぎる内容を語っておられた様に思いますが……」
 怪訝な顔でクレアが呟いたが、アルティナは真面目な顔で話を締め括った。


「そもそも我がグリーバス公爵家は、武門の名門。例え娘に生まれようとも、『他人に厳しく、身内にはそれ以上に厳しく』という家訓を、両親から叩き込まれているのです。ですから私に対する姉様達の厳しい物言いは当然の事と、どうかご理解下さいませ」
 そう心にもない事を言って対外的にはセレーネ達を庇い、自分達に深々と頭を下げたアルティナを見て、ミゼリア達は苦笑の表情になった。


「成程、良く分かりました。正直に言うと、セレーネ様達がどうしてそれ程実の妹君に対してきつい事を口にするのかと、少々疑問に思っていたのです」
「あの、それは」
「ですが、アルティナ様を心配するあまり、ついつい厳しい事を言っていたのですね? さすがは武門の誉れ高いグリーバス公爵家出身の方は、己を厳しく律していらっしゃる」
「いえ、ですから」
「とても他の方に真似できる事ではございませんわ。アルティナ様も、今後姉君達に見劣りしない様に、精進しなければなりませんわよ?」
 心底感心した様に言って、クレアが真顔で言い聞かせてきた為、アルティナは笑顔で頷いた。


「はい、勿論そのつもりです。姉達同様、皆様も宜しくお導き下さい」
「殊勝な心掛けで、結構な事ですね。セレーネ様達も、あまり心配するものではありませんよ?」
「…………」
 楽し気に微笑んだミゼリア達にやんわりと窘められ、自分達を盛大に持ち上げているアルティナをここで口汚く罵ったりしたら、非難されるのは自分達の方であるのは理解できたセレーネ達は、悔しそうに黙り込んだ。その様子を眺めて満足そうな笑みを浮かべたアルティナは、さり気なくミゼリア達に声をかける。


「あの……、ミゼリア様達にお尋ねしたい事があるのですが」
「あら、何かしら?」
「結婚して否応なく社交界に身を置く事になったからには、これから積極的に周りの方と交流を深めたいと考えたのですが、身内を除けば何分知り合いが皆無なもので……」
「それはそうでしょうね」
「後程、お姉様方やお義母様に、お顔とお名前を存じ上げておかなければいけない方に、紹介して頂こうかと思っていたのですが。どんな方がいらっしゃるのか、皆様のご意見も伺っておきたいので、教えて頂けませんでしょうか?」
 神妙にそう申し出たアルティナを見て、三人とも感心した表情になった。


「まあ、何て殊勝な心掛けでしょう」
「それなら名前を教えるだけでは無くて、これから私達が直に紹介して差し上げますわ」
「そうですわね、そうしましょう!」
「あのっ、ですが皆様!」
 慌てて引き止めようとして声を上げたセレーネだったが、途端にミゼリアが彼女に険しい視線を向ける。


「セレーネ様。紹介するのが私達では、不服だと仰るのですか?」
「いえ……。まさか、その様な事は……」
「それなら万事お任せ下さい。さあ皆様、アルティナ様、参りましょう」
「身に余るご厚情、ありがとうございます!」
「ちょっと!」
 そうして悔しがるセレーネ達を置き去りにし、意気揚々とアルティナを連れて歩き出した三人だったが、ふと思い出した様にアイリーンが声を潜めて尋ねてきた。


「ところで私、アルティナ様にお伺いしたかった事があるのですけど」
「はい、何でしょうか、アイリーン様」
「巷ではあなたのお輿入れに伴って、グリーバス公爵家がシャトナー伯爵家に、三百七十万リランの持参金を支払ったとの噂が流れているのですけど、それは本当の事なのですか?」
 その問いかけに、他の二人も興味津々な顔つきでアルティナを見やったが、彼女は目を丸くして否定した。


「とんでもございません! 父がそんなに多額の持参金を、末娘の私の為に支払う筈ありませんわ。常識的に考えても、ありえませんでしょう?」
「あら、そうですの?」
「でも……」
 納得しかねる顔つきの三人に、アルティナは真顔で主張する。


「第一、その金額ですと、明らかにお姉様方の持参金より、高額になってしまいます。お姉様達の嫁ぎ先は全て公爵家や侯爵家ですのに、婚家が伯爵家に過ぎない私の為にそれよりも多額の持参金を支払ってしまったら、お姉様達の嫁ぎ先に対して失礼極まりない事になりませんか?」
「それは確かにそうですね」
「尤もなお話ですわ」
「何か話が伝わる上で、誤解が生じたのでしょうか? でもそうしますと、実際の持参金はお幾らでしたの?」
 何気なくミゼリアが尋ねたが、それにアルティナは恐縮気味に首を振った。


「皆様には申し訳ありませんが、それは申し上げられません」
「あら、どうしてかしら?」
 そこでアルティナは、思い詰めた様な表情で言い出した。


「実は……。巷で事実とかけ離れた持参金の金額が独り歩きしている事を耳にしたもので、この記念式典に出席の折、せめてシャトナー家のご親族の方にだけは本当の事をお話ししようと思っていたのです。そのことをお義母様にご相談したところ、止められてしまいました」
「まあ、シャトナー伯爵夫人が?」
「どうしてその様な事を?」
 不思議そうに理由を問われた為、アルティナは神妙に尤もらしい事情を口にした。


「義母が『貴族たる誇りをお持ちの方は、持参金の額などを公の場で口にして、面白おかしく語ったりはいたしません。それに生誕記念の夜会の席で、そんな些末な事を話題に出したりしたら、陛下に失礼ではありませんか』と申しまして。更に『そもそも良識をお持ちの方は、こちらが殊更弁解や釈明などしなくとも、真実を見極められる筈ですよ』とお叱りを受けました。恥ずかしながらそれで漸く、自分の不見識に気が付いた次第です。確かに陛下のご生誕記念日に個人的なお金に関する事などを、進んで口にするべきではないと猛省致しました」
 そう言って、如何にも面目なさげに俯いたアルティナを見て、ミゼリア達は一瞬互いの顔を見合わせてから、口々にその発言を肯定する事を言い出した。


「確かにその通りですね」
「シャトナー伯爵夫人は、物事の道理を弁えた方の様ですわ」
「アルティナ様は、お義母上の仰る事をよく聞いて、ご指導を仰ぐと宜しいでしょうね」
「はい、そう致します」
 そして、つい先程まで興味津々で聞き出そうとしていた事が嘘の様に、ミゼリア達はわざとらしく嘆いてみせた。


「確かに常識的に考えれば、そんな大金を気軽に支払う筈無いでしょうに……。最近はそんな根も葉もない噂に流される者が多くて、困ったものです」
「全く、嘆かわしい事。貴族としてどうかと思いますわ」
「アルティナ様、ご安心なさって? これからは不見識な事を口にする方がいたら、私達でやんわりと注意して差し上げますからね?」
「ありがとうございます。私の事はともかく、謂れのない事で婚家の皆様まで陰で悪く言われるなど、堪えられないと思っていたものですから……」
 そして声を詰まらせ、指の先で目頭を押さえて泣き真似をして見せたアルティナに、苦笑気味の声がかけられる。


「まあまあ、アルティナ様。こんな所で泣いたりしてはいけませんよ? 何事かと思われます」
「そうですよ? それに手袋が汚れますし」
「あ……、そ、そうですね。ご指摘ありがとうございます。本当に至らないもので、お恥ずかしいですわ……」
 伊達に十年近く男装で騎士団に所属していただけあって、彼女の演技力は相当な代物だった。僅かに涙を浮かべながら、恥ずかしそうに頭を下げるその姿は、どう考えても自分達の脅威になる存在だとは思えず、かつ自分達を盛大に持ち上げてくれる相手なだけに、ミゼリア達は寛大な笑顔を浮かべながら宥める。


「あなたは公の場に出るのは、今夜が初めてですしね。そんな人間を寄ってたかって虐めるほど、私達は人が悪くはありませんよ。今後は注意なさいね?」
「はい、ありがとうございます」
「そんなに畏まらなくても宜しいのよ? 若い方を導くのは、年長者としての責務ですもの。そうでしょう?」
「その通りですわ、ミゼリア様」
「私達が付いておりますわ。アルティナ様、安心して下さいね?」
「なんて心強いお言葉。嬉しすぎて涙が出そうですわ」
「アルティナ殿、泣いたら化粧が崩れますよ?」
「う……、も、申し訳ありません」
 そんな白々しい会話を交わしながら、コロコロと楽しげに笑う、敵に回したら厄介な三人を取り敢えず味方に付けたアルティナは、密かにほくそ笑んだ。


(取り敢えず、この場で一番五月蠅い人達のご機嫌を取る事には成功したわね。それにこの調子だと、あの持参金の額は根も葉もないでたらめだと、あちこちに触れ回ってくれそうだし。この人達相手に、面と向かって反論する人なんかそうそう居ないもの。姉さん達が纏めて引き連れて来てくれて、本当に助かったわ)
 そして暫くは茶番を演じ続けるのを覚悟しながら、アルティナはしおらしく三人に付いて会場を歩き、顔を売りまくったのだった。



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