ダブル・シャッフル~跳ね馬隊長の入れ替わり事件~

篠原皐月

(7)前哨戦

 シャトナー伯爵邸が人知れず襲撃を受けたものの、賊が呆気なく撃退されてから数日後の夕刻。伯爵家の面々は玄関ホールに一家揃って、立ち話をしていた。


「あれから四日経つが、心配していた様な連中の報復は無かったな」
 世間話のついでの様にケインが囁くと、クリフがその顔に若干懸念の色を浮かべながら尋ねる。


「アルティン殿は、『楽でおいしい話だった筈が、文字通り身ぐるみ剥がされた上に、留守にしていた間に根こそぎ金目の物を奪われて、何日かは茫然自失状態になる筈だ』とは言っていたが。念の為に、交代でアルティン組の方々が詰めてくれたが、何事も無くて本当に良かった。だが、いつまで警戒すれば良いと思う?」
「アルティンは、今夜までと言っていた」
「どうして今夜までだと分かるんだ?」
 あっさりと答えた兄にクリフが怪訝な顔をすると、ケインが真剣にその根拠を述べる。


「今夜は国王陛下生誕記念の式典と舞踏会が、王宮で開催される。主だった貴族が殆ど参加するのは、一般国民でも知っている筈だ」
「ああ、我が家も全員参加する位だし。それが?」
「意趣返しとしては、絶好の機会じゃ無いのか? 行きと帰り、こちらを狙うかあちらを狙うかは、どちらも半々の確率だろうが」
 しかしそんな事を口にしているケインの顔が、どう見ても不敵な笑顔になっている為、クリフは深々と溜息を吐いた。


「兄さん……。いっそのことこちらを狙って欲しいとか、思っていそうな顔付きだが……」
「俺が留守の時に、この屋敷で皆で暴れたと聞いたらな。さすがに面白くない。何と言われようと俺は今日は馬車ではなく、騎乗して行くぞ」
 真顔でそんな事を宣言した兄に、クリフは本気で頭を抱えた。


「だからそれか……。正装しているのに帯剣して王宮に出向くなんて、何事かと思われるぞ。兄さん、勘弁してくれ」
「ちゃんと広間の入り口で、剣は預けるさ。心配するな」
 もしかしたらと思っていたが、いつもの正装時にはありえない普段使いの剣を、しっかり使う気で腰から下げていると分かって、クリフが情けない顔つきになった。そんな彼をケインが笑って宥めていると、フェレミアが感嘆の声を上げた。


「まあ、アルティナ! 良く似合っているわよ?」
 最後にユーリアを従えて階段を下りてきたアルティナを見つけて、シャトナー家の者は勿論、使用人達も微笑ましく彼女を見守る。


「ありがとうございます、お義母様。この様な本式のドレスは着慣れないので、少し落ち着きませんが。それにアクセサリーを貸して頂いて、助かりました」
 鮮やかな若草色のドレスを両手で軽く摘み上げながら、膝を折って挨拶してきた彼女に、フェレミアは鷹揚に笑いながら返した。


「装飾品は後々あなたに譲る事になるのだし、気にしないで。それにドレスはこれから幾らでも着る機会があるから、自然に慣れますとも。それにしても、あなた用のドレスが間に合って良かったわ」
「ユーリアが知り合いがいる服飾店に、至急で手配してくれたものですから」
「大抵の方は今夜の舞踏会に合わせて、前々から準備されていましたし。偶々その店の注文が、全て仕上がっていたのが幸いでした」
 白い肘まである手袋を嵌めた手で、軽く自分の侍女を示しながらアルティナが微笑むと、ユーリアは(どこで必要になるか分からないからと、以前から古着屋で作らせておいた物の一つなんて、とても言えないわよね)と内心で恐縮しながら頭を下げた。そこでマリエルが会話に入ってくる。


「それにお義姉様、今日はきちんと髪を結い上げていらっしゃるのね」
「ええ。これまでは公の場に出る事が無かったから、邪魔にならない様に肩までしか伸ばしていなかったけど、そうも言っていられないでしょう? 昔伸ばしていた時に、ある程度短く切った時の髪を取っておいたから、それで急遽ユーリアに付け毛を作って貰って、見た目を増やしているの。不自然ではないかしら?」
「大丈夫です! 全然違和感は無いわ。お義姉様の髪が短めで少し心配してたけど、これで安心ね、お母様」
「ええ。本当にユーリアは、手先が器用で有能ね」
「恐れ入ります」
「これからはきちんと、髪を伸ばす事にします」
 女同士でそんな会話を和やかに交わしていると、ケインが満足そうに微笑みながら感想を述べた。 


「うん、本当に良く似合ってる。いつもより数倍綺麗だ」
「ありがとう、ケイン」
(本当にサラッと、女への褒め言葉を口にするわね、こいつ。悪い奴では無いんだけど……)
 にこやかに微笑みながらも、アルティナが密かにうんざりしていると、アルデスが家族に声をかけた。


「それでは出発しよう。皆、馬車に乗りなさい」
「アルティナは、私達と一緒にね」
「はい」
 おとなしく頷いたアルティナは、アルデスとフェレミアの後に付いて歩き出した。そして馬車寄せに停められている二台の馬車のうち、一回り大きくて立派な馬車の方にアルデス達に続いて乗り込むと、すぐにドアが閉められたため、少々驚いて窓を開け、外に立っているケインに声をかける。


「ケイン? こちらの馬車には乗らないの?」
「ああ、俺は今夜は馬で行くから」
「え?」
 予想外の台詞にアルティナは思わず目を瞬かせたが、予め話を聞いていた彼の両親達は、呆れ果てた顔を向けただけだった。


「アルティナ。あいつの好きにさせておきなさい」
「ケイン。大広間に入る前に、きちんと埃を落としなさいよ? 陛下に失礼だわ」
「分かってる」
 苦笑して、従僕が手綱を引いて来た馬に向かって歩き出した彼の背中を見ながら、アルティナは密かに呆れた。


(馬って……。ああ、もしかしたら連中からの襲撃に備えて? 確かに可能性はあるけど、護衛役の私兵とかに任せておけば良いのに。れっきとした伯爵家の嫡男が、何をやっているのよ)
 そして元通り窓を閉めた彼女だったが、すぐに納得して苦笑いする。


(でもそういう性格、かつそれ相応の能力がないと、近衛騎士団に正規入団した上に、早々と副隊長に就任したりしないか。ここは黙って、お手並み拝見といきましょう)
 そうして傍観を決め込んだアルティナは、同乗しているアルデス達との会話に、意識を集中する事にした。


「兄さん。本当に大丈夫か?」
 もう一台の比較的簡素な作りの馬車の前で、クリフが不安を拭えないまま囁くと、ケインは真顔で告げた。


「王宮前の広場まで行けば、さすがに近衛騎士団の目と鼻の先で、騒ぎを起こすような馬鹿な真似はしないだろう。この屋敷からそこに至るまでの道のりで、人目に付かずに待機できるポイントは三箇所だ。予めその近辺には副隊長権限で、黒騎士隊の部隊を巡回させている」
 その手回しの良さに、クリフは本気で感心した。


「なるほど。騒ぎが起きたら捕縛も速やかに、というわけだ。因みに、グリーバス公爵邸から王宮前広場までは?」
「同様の襲撃ポイントは二箇所程あるが、そこの付近は抜かりなく、巡回ポイントから外しておいた」
 少しも悪びれずにそんな事を言ってのけた兄に、クリフは一瞬頭痛を覚える。


「……大人げないし、公私混同じゃないのか?」
「さあ、何の事やら」
 そう言ってケインが小さく笑うと、馬車の中から軽く身を乗り出しながら、マリエルが文句を言ってきた。


「クリフ兄様、早く乗って。出発できないじゃない!」
「分かった。今乗るから喚くな」
「誰のせいだと、思ってるのよ!」
 いがみ合っている弟妹を宥めつつ、ケインも馬上の人となり、一家は使用人総出で見送られて王宮に向かって出発した。


 二台の馬車の前方を、まず馬に乗っているケインが先導し、馬車の後方を伯爵家の私兵が乗った二騎が守る。そうして問題なく王宮への道を辿っている間も、ケインは周囲への警戒を怠らなかった。


(ここまでは順調だな。残すポイントはあと一つ。王宮まであとあそこの角を曲がって2ブロックだけだし。全員、あっちに出向いたか、行きでは無く帰りか……)
 そんな事を考えた瞬間、街路の端で異常を察知したケインは、即座に勢い良く剣を鞘から抜き放ちながら馬を方向転換させ、斜め後方に向かって突進した。更に手綱を離して空けた左手で、首から下げていた細い円筒形の金属製の笛を口に咥える。それを勢い良く吹き鳴らすと、甲高い音が周囲に響き渡ったが、更にケインは不審者が固まっている場所に突進しながら、自分に向けて一直線に飛来した矢を二本、次々と剣で叩き落した。


「ケイン様!」
「お前達はこのまま、馬車を守って進め! あと2ブロックだけだ。付近の騎士隊もすぐに駆け付ける!」
「ぐわっ!!」
「この野郎!?」
「了解しました!」
「お気をつけて!」
 振り返らずに指示を出したケインは、あっという間に距離を詰めて弓を役に立たなくさせ、問答無用で弓を構えていた男のうち一人を馬の脚で蹴り飛ばし、もう一人の男が弓を構えて弦を引き絞った瞬間、それをいとも容易く馬上から剣を伸ばして断ち切った。それらをちらりと確認した私兵達の一人がすぐさま前方に移動し、二台の馬車の前後を固めながら、何事も無かった様に進む。
 それを確認したケインは動揺している五人の前にひらりと飛び降り、不敵に剣を構えながら警告した。


「ほう? 何やら先日、我が家に訪問してきた人数より少ないみたいだが、今夜は他所でも祭りの最中らしいな。だが今夜は国王陛下の生誕記念日だ。悪さはここまでにして、さっさと帰った方が身の為だと思うが?」
「うるせえ!! 相手は一人だ、やっちまえ!」
「おう! 貴族の若様が、生意気言ってんじゃねえぞ!!」
「ハゲタカ貴族がっ!!」
「馬鹿共が! たっぷり後悔させてやるぞ!!」
「うわっ! この野郎!」
 激昂したごろつき連中が、ケインを取り囲んで短剣などで切り付けてきたが、彼は余裕でそれをかわしつつ、隙を見て一人ずつ剣で頭部や首、膝などの急所を、容赦なく叩きのめして地面に沈めた。しかしすぐに、先程の笛の音を聞きつけた騎馬の一隊が現場に到着し、連中を誰何しながら取り囲む。


「お前達、何者だ!? ここで何をしている!」
「騒乱罪の現行犯だ! 全員纏めて捕縛しろ。一人も逃がすな!!」
「うわっ! 何すんだ、てめぇ!?」
「いてててっ、離せ!!」
 そして周囲を大人数の騎士達に取り囲まれた者達は、呆気なく地面に転がされた挙句に縛り上げられた。そして怨嗟の声を上げる男達をちらりと眺めてから、小隊長に当たる男がケインに声をかける。


「副隊長、ご無事ですか?」
「お前達……、ちょっと早過ぎるぞ」
 剣を元通り鞘にしまいながら、思わずケインが愚痴を零すと、周りから盛大な文句が上がった。


「何を言ってるんですか。公道で、しかも正装で大立ち回りするのは止めて下さい」
「そうですよ、こちらの立場がありません。それに返り血で服が汚れたら、どうするつもりだったんですか?」
 呆れ気味に言われたケインだったが、素っ気なく言い返した。


「誰がそんなヘマをするか。今回はちゃんと斬らずに、全員叩きのめしただけだ」
「威張っていう事ですか。それに明らかに、剣の使い方を間違ってます」
「後始末は引き受けますから、さっさと王宮に行って下さい」
「悪いな。宜しく頼む」
 心底嫌そうに部下達に追い払われたケインは、苦笑しながら再び馬上の人となり、王宮へと向かった。


 少しして無事に王宮に到着したケインは、顔見知りの近衛騎士団員から向けられた呆れ気味の視線をスルーし、馬と剣を預けた上で王宮の奥へと進んだ。そして家格毎に分けられている控室の一つに入ると、出入り口近くで知人と話し込んでいる弟を見つける。


「やあ、待たせたな、クリフ」
「思ったより待たなかったよ、兄さん。記念式典の開始時間までは、まだ十分間があるし、余裕だったね」
 声をかけるとクリフは笑顔で言葉を返し、それを機に彼と話していた相手は別れの言葉を口にして離れて行った。それを笑顔で見送ってから、クリフが短く首尾を尋ねてくる。


「それで?」
 声を潜めて尋ねてきた弟に、ケインも自分達だけに聞こえる程度の小声で答えた。
「全員捕らえさせた。とは言っても、五人だけだったが」
 それを聞いたクリフは、訝し気な顔になった。


「五人?」
「この前押し掛けてきた時は、もっと大人数だったよな?」
「ああ。十四人いた。そうすると……」
 クリフが顎に手を当てて無言で考え込むと、ケインが笑いを堪える様な声で言い出す。


「当然公爵家の方が、護衛の人数も多いと思うだろうしな。公爵や侯爵家の控え室は違うから確かめようが無いが、今夜ちゃんと参加するかどうか見物だ」
「賭けをしようか?」
「来ない方に一千リラン」
「……賭けにならないじゃないか」
 面白くなさそうに文句を言った弟にケインが思わず笑ってしまうと、マリエルがアルティナを引き連れて、部屋の反対側からやってきた。


「ケイン兄様。来たなら来たで、すぐに私達の所に来なくちゃ駄目じゃない! こんな所で、何を話し込んでいるのよ。お義姉様が可哀想だわ」
「どうした、マリエル」
「マリエル、私は気にしていないから、怒らないで?」
 盛大に非難の声を上げるマリエルにケインは少々驚き、付いて来たアルティナは何とか義妹を宥めようとした。


「だってお義姉様! 遠巻きにしてこそこそ言ってるなんて、陰険極まりないわ。言いたい事があれば、はっきり言えば良いじゃないのよ!」
「マリエル、落ち着いて」
「お義姉様には、全く非は無いわ。ろくでもない輩の自業自得なのに、どうしてお義姉様が後ろ指をさされなくちゃならないのよ。理不尽過ぎるわ!」
「私の事はともかく、私のせいでシャトナー家の名前に傷が付きそうだから、静かにしましょうね?」
「もう! お義姉様は人が良過ぎます!」
 すっかり憤慨しているマリエルを見て、アルティナは懇願する表情になりながら(その言葉、そっくりそのまま返してあげるわ、あなたも人が良過ぎるわよ?)と頭痛を覚えた。するとここで不愉快そうに顔を顰めたケインが、低い声で尋ねる。


「俺がいない間に、何かくだらない事でも言われたか?」
 それに対してアルティナが口を開く前に、クリフが肩を竦めながら淡々と説明した。


「面と向かって言う人は、さすがに居なかったけどね。世の中には暇を持て余した人間が、いかに多いかを再認識できたよ」
「……そうか」
 話を聞いて苦虫を噛み潰した様な表情になったケインだったが、すぐに気を取り直し、いつもの顔でアルティナに向き直った。


「アルティナ、すまなかった。用事は済んだから、これからはちゃんと側に居るから」
「気にしないで。何事も無くて良かったわ」
「ああ」
 そう言って彼女が微笑むと、ケインも顔を緩めて手を差し出す。


「それじゃあ、父上と母上の所に行こうか」
 アルティナがケインの手に自分のそれを重ねて歩き出し、それを見た弟妹は互いの顔を見合わせて小さく笑ってから、兄達の後に付いて歩き出した。





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