恋愛登山道一合目

篠原皐月

第17話 黒歴史の黒幕

「田辺さん、わざわざお越し下さいまして、ありがとうございます」
 金田が穏やかな笑顔で手振りでソファーに座る様に促したが、田辺は正面の机にいる藤宮を始め、ずらりと並んでいる者達を見て、腰を下ろしながら微妙に強張った表情になった。


「はぁ、それは構わないのですが……、皆様は……」
「ああ、単にうちの幹部達が顔を揃えているだけですので、お気遣いなく。それではこの間の北郷議員の事務所に対する脅迫行為や嫌がらせ、及び講演会での襲撃事件ですが、全て議員の次男の健介氏と三男の克己氏が画策した物と判明致しました」
「はい!? 何ですか、それはっ!!」
 金田がさらりと口にした内容を聞いて、田辺は驚愕のあまり反射的に腰を浮かせかけたが、金田は淡々と報告を続けた。


「もっと正確に言えば、最初の爆発物のレプリカを事務所に送りつけたのは健介氏とご友人の城島氏ですが、その他は全部克己氏が、色々問題がある“お友達”に依頼したものです」
「なっ、何を証拠に、そんな誹謗中傷を!? それにどうしてお二人が、先生を攻撃する真似をするんですか!?」
「誤解の無いように申し上げますが、お二人とも議員本人に危害を加えたり、ダメージを与えるつもりはありませんでしたよ? 健介氏はとある理由から、桜査警公社とコンタクトを取りたかった為。克己氏は健介氏の評判を落としたり、大怪我を負わせて後継者の座から引きずり下ろして、自分が後釜に座ろうと画策しただけですし」
「何ですって?」
 そこでソファーの傍らに控えていた寺島が、抱えていたファイルから何枚かの用紙を抜き出し、目を丸くして固まっていた田辺の目の前に並べながら、説明を加えた。


「因みに健介氏の名前での大量発注をした時の、通話記録。本来なら電話会社は通信記録を第三者に漏らしませんが、こちらは色々と伝手がありますので。それとこちらは、“お仲間”とのLINEのやり取りをプリントアウトした物です。蛇の道は蛇と申しますから」
「これは……」
「あの襲撃も議員本人ではなく、側にいた健介氏を狙った物でした。しかし兄弟間で骨肉の争いとは、なかなか殺伐としたご関係ですな。これが表に出たら、議員の父親としての資質が問われそうです」
「あの穀潰し野郎……。どこまで先生の足を引っ張る気だ」
 寺島の説明に続いて金田が薄笑いで告げて来た為、相手がこれを北郷議員をゆするネタになりえると認識しているのを悟った田辺は、盛大に呻いて歯ぎしりした。するとここで唐突にドアが開き、台車を押しながら茂野が入室してくる。


「失礼します。お客人を連れて来ました」
「ああ、茂野。ちょうど良いところに。田辺さん、ご本人がいらっしゃいましたので、ご不明な点がありましたら直接お尋ね下さい。ああ、それでは会話ができませんね。茂野、それを取って差し上げろ」
「了解しました」
 金田が笑顔で指さした“ご本人”の克己は、どうやら手足を縛られている状態で袋詰めにされており、更にさるぐつわをかけられた状態で台車に乗せられて運ばれて来た為、真紀は盛大に顔を引き攣らせた。しかし自分の周囲が全く動じていない為、(皆さん、本当に慣れていらっしゃる)と諦めて溜め息を吐く中、茂野が克己のさるぐつわを外した瞬間、室内に怒声が響き渡る。


「田辺!! なんなんだこいつらは! 親父に言って、全員刑務所にぶち込め!」
 憤怒の形相でそう叫んだ克己を見て、金田達は不思議そうな顔つきになった。


「ほう? まだこれだけ喚く元気があるとは」
「茂野、お前、手を抜いたのか?」
「すみません、他の連中に色々試していまして。そいつにはまだ一時間位しか、お仕置きして無いんですよ」
「……ひょっとして徹夜か?」
「はい! 一度に色々なデータが取れました! こいつはどうせ大して保たないと思ったので、後回しにしていまして」
 うきうきと報告してくる茂野を見て、他の面々は思わず遠い目をしてしまう。


(本当に色々やったらしいな……)
(凄く楽しそうだ)
(他の連中、命はあっても再起不能じゃないのか?)
 そんな微妙な空気の中、田辺がみのむし状態の克己に歩み寄り、冷たい目で見下ろしながら恫喝する様に問いを発した。 


「あんた……、本当にごろつきを金で雇って、克己さんを襲わせたのか?」
「それがどうした! 追い払ったのに舞い戻ってきやがって! あいつがいなきゃ、俺が跡取り」
「ふざけるな!」
「げはっ! た、田辺?」
 文字通り手も足も出ない状態の克己の顔を、田辺は渾身の力を込めて殴りつけた。そして台車から転がり落ちた彼に向かって、忌々しげに吐き捨てる。


「健介さんに危害を加えようとした挙げ句、公社の人間にその証拠を掴まれるとは何事だ! お前がそんな愚鈍だから、先生が後継者に指名しなかったんだろうが! この愚図が!! そこで黙ってろ!! もう一言も余計な事をぬかすな!!」
「ぐあっ……、た、田辺……」
 ついでとばかりに克己を蹴りつけてから金田に向き直った田辺は、卑屈な笑みを浮かべながら申し出た。


「大変お見苦しい所をお見せしました。この件は何卒、内密にお願いしたいのですが……」
 それに対して、金田は当初と変わらない笑顔で応じる。


「もとより、私達も依頼人との間に、波風を立てたくはありません。今回ご子息の事を明らかにしたのは、今後先生が責任を持ってご子息に対しての措置をして頂く事で、警護契約の終了としたいと考えた故です」
「ありがとうございます。先生に代わって、お礼申し上げます」
「つきましては、本来の警護費用の他に、各種調査費用を上乗せして徴収させて頂きたいのですが」
「はい、それ位お安いご用です」
 面倒な事にならずに済んだと、田辺が安堵しながら笑顔でソファーに戻ると同時に、金田が側に控えている秘書に声をかけた。


「寺島」
「それではこちらが請求書になります。内容をご確認下さい」
「はい、こちらですね。それでは、振り込みはいつまで……」
 しかし寺島が差し出された用紙を受け取り、それに視線を落とした田辺は固まった。
(あら? どうしたのかしら?)
 不審に思ったのは真紀のみで、他の者は理由を察して苦笑いする中、田辺から押し殺した声が発せられる。


「……金田さん。この請求書の金額は、間違っているようだが?」
 その問いかけに、金田は素知らぬ顔で傍らの秘書を振り返った。
「寺島。お前、どんな金額で請求書を作成した?」
「警護費用諸々に関しては七百八十万飛んで十五円で、調査費用諸々の総額は三千九百六十五万八千円ちょうどで記載しました」
「それなら間違いないな。何かご不審な点でも?」
 淡々とやり取りをしてから、再度田辺に視線を向けた金田を見て、真紀は心底呆れた。


(うわぁ……、幾ら何でもぼったくり過ぎでしょう? そして周りが全然動じて無いって……。はい、そうですね。うちではこれが平常運転なんですね)
 すると田辺が怒りを露わにして、テーブルを叩きながら金田に食ってかかる。


「ふざけるな! どうして調査費用だけで四千万近く請求されないといけないんだ! 口止め料にしても法外だぞ!?」
「生憎と、口止め料としてだけでは無くて、我が社への迷惑料も含んでおります」
「何?」
 うっすらと笑いながら金田が口にした内容に、田辺が怪訝な顔になった。そこでさり気なく寺島が会話に加わる。


「実は健介氏はこの何年かの間、あちこちの興信所にうちを探らせていて、正直目障りでうざかったんです。とは言っても、直接働きかけてこなければ、こちらとしては何もする気は無かったのですが」
「何ですって? どうして健介さんが、ここを敵に回す様な事を……」
(はい? あいつがどうして公社を探らせてたの?)
 呆然と田辺が呟いたのと同時に、真紀も首を傾げたが、寺島は楽しげに話を続けた。


「おや、お分かりになりませんか? あなたにも関係がある事なのですが」
「どういう事ですか?」
(何? 今の寺島さんの、思わせぶりな視線)
 益々訝しげな表情になった田辺から、チラッと自分に視線を投げてきた寺島に、真紀の不審度は高まったが、彼は淡々と話を進めた。


「七年程前になりますか……。議員の最初の夫人が生んだ長男が、勤め先の銀行を辞めて地方に移住して農業を始めたのですよね? 議員に反対されたお嬢さんと結婚して」
 その話題が出た途端、田辺の顔が苦虫を噛み潰したかの様な物に変化する。


「ああ、確かに。それが?」
「彼を後継者に考えていた議員は、当然激怒して彼を勘当。しかし手元にいる、三番目の愛人上がりの妻が生んだ三男は、箸にも棒にもかからない無能者」
「おい、貴様!」
「黙っていろと言っただろうが!!」
 床に転がったまま思わず声を荒げた克己を田辺は一喝したが、寺島は微塵も気にせず話を続けた。


「それで急遽、離婚した二番目の妻が女手一つで育てた、国立大法学部卒の次男に白羽の矢が立ったと。……まあここまでは良しとして、あなた達には少々困った事情があった。自分達母子を叩き出した議員に、その次男の佐藤健介氏が悪感情を持っていたと言う事。もう一つはその健介氏が司法試験浪人中で、生活費を稼ぐ為に「タケル」の源氏名でホストクラブで働いていたという事」
「そこまで知っているとはな……」
(はい!? 『佐藤』って、『ホストクラブ』って、ちょっと待って! まさか!?)
 半ば観念している風情の田辺とは対照的に、真紀は声は出さないものの激しく動揺した。そんな真紀の様子に、徐々に周囲が笑いを堪える空気を醸し出し始める中、寺島の話が続く。


「健介氏の懐柔の方は、案外すんなり事が運びましたね。当時母親が病気で、多額の手術費用が必要だった。それを議員が肩代わりして、その代わり健介氏が後継者として対外的に私設秘書を務める事になったわけです。定職に就いていない若造に、どこも融資などしませんから、健介氏にしてみれば苦渋の決断だったと思いますが。仮にも元妻、しかも難癖を付けて離婚した相手ですから、金を貸すのではなく支払い位してやっても良いでしょうに」
「そんな事は、先生の勝手だろうが!」
「それから、議員の後継者たる健介氏が、ホストをしていたなど週刊誌の記者に嗅ぎ付けられたら厄介だ。そう考えた議員の側近のあなたは、隠蔽工作を行いましたね? 工作と言っても、健介氏は当時佐藤姓でしたから、ホストクラブにも連絡先を告げずに辞めて引っ越しをすれば、そうそう追跡できません。出身大学にも手を回して、在籍名簿の表記を佐藤から北郷に変えさせましたし」
「それの何が悪い! 正規の手続きで、何も犯罪行為はしていないぞ!」
 完全に開き直って叫んだ田辺だったが、ここで寺島が冷え切った声で指摘した。


「れっきとした犯罪行為を、しているじゃありませんか」
「……何の事だ?」
 微妙に空気が変化した事に、田辺が慎重に問い返すと、寺島がいよいよ核心に触れる。


「当時、健介氏が付き合っていた女性のマンションを荒らして、現金十二万円を盗りましたよね?
 健介氏が急に連絡もせずに姿を消したら、事件に巻き込まれたかもしれないと彼女が騒ぎ出す可能性があると考えて、彼が彼女から完全に愛想を尽かされる様に」
「…………」
(へえぇ? あぁ~、そういう事。このおじさんがねぇえ~)
 さすがに反論できなかった田辺は黙り込み、自分の黒歴史の黒幕が誰なのかをようやく知った真紀が、彼に冷え切った視線を向ける。そして周りが二人に向かって完全に面白がっている視線を向ける中、田辺が控え目に反論した。


「……当然の措置だ」
「そうですか『当然』ですか。それなら被害者の立場としては、『当然』慰謝料を請求して構いませんね?」
「は? 被害者?」
 弁解にもならない事を力無く主張し続ける田辺に、ここで寺島が楽しそうに真紀を指差しながら宣言した。


「ご紹介します。当時、健介氏とお付き合いしていた、旧姓『佐藤』真紀さん。現在『菅沼』真紀さんです」
「どうも。この前お会いしたのは確かに初めてでしたが、陰でそんな係わり合いがあったんですね。びっくりです」
「…………え?」
 笑顔の寺島と、表情を消した真紀を交互に見ながら、驚愕の事実を知らされた田辺は、真っ青になって固まった。それに薄ら笑いを浮かべながらの、公社幹部からの恫喝が重なる。


「うちの社員に手を出して、ただで済むとは思って無いよな?」
「この際六年分の利子を付けて、借りをまとめて返して貰いましょうか」
「あの健介氏もな……。未練たらたらで菅沼の消息を辿ってここを探ったりしなければ、俺達も放置しておいたんですがねぇ」
「事ここに至っては、仕方がありませんな」
(この前事務所で顔を合わせた時、私とどこかで顔を合わせた事が無かったかとこの人に聞かれたけど、多分当時、こっそり私の顔を見ていたか、調査結果の写真とかを目にして記憶に残っていたわけか……。納得)
 室内に険悪な空気が徐々に満ちてくる中、真紀が一人冷静に考えを巡らせていると、いきなり悲鳴じみた声が上がった。



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