箱庭の光景

篠原皐月

(2)美味い物を一番食べさせた男

 祐司からの電話の後、自己嫌悪に陥った隆也は、殆ど勢いで悪友に電話して、急遽夕食を一緒に取る事にした。その場で前日からの一部始終をぶちまけると、それを黙って最後まで聞いた芳文が、呆れ顔で感想を述べる。


「如何にも辛気臭い声で、いきなり『今晩、飯を付き合え』と言ってきた理由が、それとはな……。何かよほどの理由かと思って、即刻予定をキャンセルした自分が、もの凄く馬鹿らしく思えてきたぞ」
「話を持ちかけたら、迷わず『それならフレンチのフルコースを奢れ』と即答したお前に、そこまで文句を言われる筋合いは無い」
「威張って言う事か。昔の男の残骸に嫉妬しやがった、心が狭くて情けない阿呆が」
「…………」
 仏頂面で言い返した隆也だったが、芳文に一刀両断されて黙り込んだ。それを見た芳文が溜め息を吐いてから、真面目くさって言い出す。


「お前、自虐趣味があるみたいだから、この際はっきり言ってやるが」
「別に自虐趣味は無い。単に、第三者の率直な意見を聞きたかっただけで」
「黙れ。全面的にお前が悪い。貴子に愛想を尽かされる前に、土下座して詫びを入れろ。これが第三者の適切な意見だ。ありがたく思え」
「…………」
 問答無用で断言した芳文に、隆也は弁解せずに黙り込んだ。それを見て、既に何回目かになるか分からない溜め息を吐いてから、芳文が軽く隆也を睨む。


「何だ? その面白く無さそうな面は?」
「……それ位、お前に言われなくても分かっている」
「そうかそうか。それは良かった。だがな、そんな仏頂面をしていたら、料理にも作った人間にも失礼だろう。もう少しマシな顔で食べろ」
「五月蝿い」
「何だ? 不味いとでも言うつもりか?」
「いや……、美味いと思う」
 そこは素直に感想を述べると、途端に芳文はドヤ顔になって解説した。


「だろう? ここは先月オープンしたばかりでな。まだそんなに固定客がいないのか、比較的楽に予約できるんだ」
「だが見たところ、平日でも満席のようだが?」
 軽く周囲を見回しながら隆也が尋ねると、芳文が笑いながら言い聞かせる。


「だからこれから徐々に口コミで客が増えて、予約が二ヶ月三ヶ月待ちになるんだろ? このタイミングで俺に連れて来て貰った事に感謝して、料理を味わって食え。そして今度来る時は、貴子を一緒に連れて来い」
「偶々見つけた店だろうに、偉そうに言うな」
 どうやら自分が話があると持ちかけた時点で、貴子と何かあったらしいと察した芳文が、話を聞くだけでは無く、彼女の機嫌を直す為の方策までさり気なく提案するつもりだったらしいと察した隆也は、芳文に憎まれ口を叩きつつ、密かに感謝した。
 長い付き合いで、そこら辺の心情は何も言わなくても察したらしく、芳文はそれからは余計な事は言わずに、世間話をしながら食べ進める。隆也も他愛も無い話で笑いながら料理を味わい、食べ終わる頃には気分もかなり浮上していた。


「お客様、本日はご来店、ありがとうございました。当店のシェフの久地仁と申します。お料理はいかがでしたでしょうか?」
 頃合いを見計らって、自分達より若干若く見える年頃のシェフが、テーブルに挨拶にやって来た為、芳文は笑顔で出された料理を褒め称えた。


「とても美味しかったです。連れて来た友人も、満足してくれました」
「そうでしたか、ありがとうございます。これからも御贔屓にお願いします」
(は? この男、今『久地仁』とか名乗ったか? それにこの顔……)
 そこで聞き流しかけた目の前の男の名前を頭の中で反芻した隆也は、慌てて微笑んでいる彼の顔を凝視してから、慎重に声をかけた。


「人違いだったら申し訳ありませんが、柳生調理師専門学校のご出身ではありませんか?」
「はい、そうですが……。どうしてそれをご存知なのですか?」
「その……、宇田川貴子と、そこで同期だったのでは……」
「え?」
 そこで遅れて芳文も、先程目の前の人物から告げられた名前が、話題にしていた人物のそれと同一である事に気が付き、驚愕の表情で口を閉ざした。そして久地は少しの間隆也を凝視して考え込んでから、何かを思い付いたように、急に表情を明るくして言い出す。


「あ! ひょっとして、貴子と結婚した榊さんですか?」
 素で驚き、貴子を呼び捨てにした久地に、隆也は苦労して平静を装いながら会釈した。


「ええ、榊隆也と申します。久地さんのお話は、妻から以前に聞いておりまして」
「そうでしたか! それで貴子経由で店の事を聞いて、来店して下さったんですか? ……あれ? でもそう言えば、帰国と開店準備で猛烈に忙しくて、貴子には半年近く連絡取って無かった筈だし、どうしてこの店の事が分かったんだろう? 貴子が結婚した事も、帰国してから偶々連絡した大智から聞いたし。先月聞いた時に祝いを贈ろうと思ったけど、すっかり忘れてたんだけどな……。どういう事なんだ?」
「…………」
 難しい顔で自問自答し始めてしまった久地を見て、実は貴子から何も聞いていないとも言えなかった隆也は、無言を貫いた。その代わりに芳文が、詳細について尋ねる事にする。


「ええと、初めまして。俺は貴子とは兄妹みたいな付き合いをしている、葛西と言います。俺は久地さんのお話を、貴子から詳しく聞いた事は無かったのですが、帰国と言うと今までどちらにいらしたんですか?」
 その問いに、久地は快く答えた。


「三ヶ月前まで、フランスに行っていたんです。パリの三つ星レストランのスーシェフをしていたんですが、一年ほど前に考案したオリジナル料理を偶々来店した日本人客が気に入ってくれて、資金を出すから日本で店を出さないかと誘って下さいまして」
「そうでしたか。因みに貴子が調理師専門学校を卒業する時に、あなたがクッキングスクール講師の席を彼女に譲ったと言う話は……」
 先程聞いた内容を確認してみると、久地は大真面目に訂正を入れてくる。


「その話は正確に言うと、ちょっと違いますね」
「どこら辺が違うと?」
「学校からは俺達二人に、フランスでの修行の話と講師の話の二つを呈示されたんです。元々私はフランス料理を極めたいと思っていましたし、貴子は日本を離れるつもりは無いと言ってましたから、利害が一致してあっさり決まりました。ですから、譲った譲られたとかの話では無いんですよ」
「……そうですか」
 あっさりと言われて、芳文は微妙に顔を引き攣らせた。しかし久地はそれには気が付かないまま、溜め息まじりに話を続ける。


「だけどその『日本に留まる理由』って言うのが、公務員試験を受けて合格して警察庁に入庁した直後に辞めた挙げ句、バラエティーに進出して仲の悪い父親に赤っ恥をかかせる為だったでしょう? 理事長に無理を言って、講師就任を半年遅らせてまで。人づてに話を聞いた直後、『阿呆か、ふざけんな!』と国際電話で二時間説教しました」
「当然ですよね……」
「その時は怒りに任せて説教しましたが、翌月の電話代に泣きましたね。1ヶ月、パンとスープだけで過ごしました。あれだけひもじい食生活を送ったのは、後にも先にもその時だけです」
「…………」
 どこか遠い目をしながら告げた久地を見て、隆也と芳文は(散々料理を作りながら、口にできるのがパンとスープだけって……。当時精神的にも、色々きただろうな)と、心底同情した。


「その後も定期的に電話やメールを送ってきましたが、時々景気の良い話を書いてきていまして。結構心配していたんですよ」
 それを聞いた芳文は疑問を覚えた為、気を取り直して問いを重ねた。


「はい? 景気の良い話をしているなら、別に心配する事は無いのでは?」
「いえ、貴子が妙に景気の良い事を喋っているのは、何かあった時だけですから。基本的に自慢話とか見栄を張るような真似はしない、意外に内向的な面がありますし。だからわざわざメールに書いてあったり話題に出しているって事は、同様に何か嫌な事でもあったのかなと思いまして」
「ああ、なるほど……。確かに、そんな所はありますね……」
 貴子の性格を思い出しながら、芳文は納得したが、次の久地の台詞で再び疑問を覚えた。


「それでその都度、貴子にレシピを送っていたんです」
「え? どうしてレシピを送るんですか?」
「取り敢えず美味い物を食えば、あいつは元気になりますから。俺が日本に帰って作って食べさせるわけにいきませんから、自分で作って食べて貰おうかと思いまして」
「…………」
 それを聞いた芳文は、隆也と共に微妙な顔つきになって押し黙り、そんな二人の様子を見た久地は怪訝な表情になった。


「え? 何か間違ってますか? 貴子の腕だったら、手の込んだ物でも十分作れますし」
「いえ、すみません。何でもないです。確かに貴子は美味い物に目がないですし、腕は確かですからね」
「そうですよね」
 とって付けたような愛想笑いで芳文が応じると、ここでこの間黙って二人のやり取りを眺めていた隆也が、静かに声をかけた。


「ちょっとお尋ねしても宜しいですか?」
「はい、なんでしょうか?」
「貴子から、かなりの枚数のレシピを見せて貰ったのですが、どうしてわざわざ紙に? 電子媒体でデータを送ればすぐだし、かさばらないと思うのですが」
 その問いに、久地は苦笑しながら答えた。


「俺もそう思って、途中からそうしたんですが、貴子から文句がきまして」
「文句?」
「あいつが言うには『データだと味気ないし、貰った気がしない。紙に書いて貰ったら世界に一つだけの特別だし』とか言われまして。一体、何を言ってんでしょうね?」
「…………」
 おかしそうに久地は笑ったが、隆也は表情を消したままだった。それをごまかすように、芳文が問いかける。


「それで、その求めに応じて、毎回律儀に書いた物を送っていたと?」
「はい。貴子の感性はちょっと変わってますから、そういう事なら仕方がないと思いまして。大した手間でもありませんでしたし」
「そういう事でしたか……」
 色々な事実が一気に判明して、脱力してしまった芳文だったが、ここで隆也が会話に割り込んできた。


「その節は、妻がお世話になりました。恐らく妻が結婚の通知を兼ねて披露宴の招待状なども送ったと思いますが、もしかしたら以前のフランスの住所宛てに送って、所在不明になってどこかで止まっているかもしれません。改めて妻から連絡させますので、支障が無ければご連絡先をお伺いしたいのですが」
「ああ、そうですね。それではお借りします」
 さり気なく「妻」と強調しながら、手帳とボールペンを差し出した隆也だったが、久地は特に気にする風情は無く満面の笑みでそれを受け取り、手早く自分の連絡先を書き込んだ。


「本日はご来店頂き、ありがとうございました。店があるので出席できるかどうか分かりませんが、連絡をお待ちしています」
「こちらこそ、思いがけずご挨拶ができて良かった。今度は貴子と一緒に来ます」
「楽しみにしています」
 隆也が差し出した手を久地は躊躇いなく握り返し、一礼して他のテーブルに挨拶しに行った。それを契機に珈琲を飲み終わった二人は席を立ち、会計を済ませて店を出て歩き出す。


「とことん、鈍い男だなぁ……。典型的な料理馬鹿って奴? あの貴子が、取るに足らない物をねだるわけ無いのに。まあ尤も、そこであっさりまとまってたら、お前の出番は無かったわけだが。しかし今回は見事に、祐司君に担がれたな。貴子の事に関して、お前がそれだけアホだって事だろうが」
「…………」
 ペラペラと思うまま口にしていた芳文の横で、隆也は無言で歩き続けていたが、そんな友人に向かって芳文は呆れ顔で言い聞かせた。


「お前な……。どう考えてもあの男と貴子の間に、何かあったわけ無いだろ。祐司君が言ったように、貴子の『大親友』で『恩人』なんだぞ?」
「それ位、分かってる」
「単に、これまで貴子に一番美味い物を食わせた男が、あいつだって事だ。今後もその位置は不動みたいだがな」
 重ねて言ってきた芳文に、隆也は盛大に舌打ちしてから言い返した。


「分かっている事を、一々口にするな。嫌味な奴だ」
「嫌味で言ってるからな」
「…………ムカついた」
 そこで如何にも面白く無さそうに呟きながら隆也がスマホを取り出した為、芳文は本気で慌てた。


「あ、おい! まさか貴子に、八つ当たりする気じゃないだろうな!?」
「そんな事するか。ちょっと黙ってろ」
 これ以上こじれさせてたまるかと芳文は声を上げたが、隆也はそれを制止しながら、ある人物に電話をかけ始めた。





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