藤宮美樹最凶伝説

篠原皐月

美樹二十歳、桜査警公社の揺るぎない日常

 社長就任パーティーから、約一ヶ月後。
 茂野経由で陸斗から連絡を受けた美樹は、土曜日に出社して社長室に和真と寺島を呼び寄せてから、茂野に内線をかけた。するとものの五分で、社長室に陸斗が顔を出す。


「よしきお姉ちゃん、こんにちは!」
「陸斗君、こんにちは。今日はペットの御披露目をするって聞いていたけど、もう躾は終わったの?」
「うん! しげりんがここでかんきんしてて、僕のいうとおりにいろいろしてくれてたの。それでそのしあげに、しゃちょーへいかにごあいさつするの」
「……そう」
 明るい笑顔に似つかわしくない陸斗の台詞に、美樹達が微妙に顔を強張らせていると、陸斗はドアに戻ってそこを大きく押し開きながら、廊下で待っていたらしい者達に向かって声をかけた。


「それじゃあ、みんな。入ってきて!」
「はい」
「失礼します」
 陸斗の指示に従い、男達が一列になってぞろぞろと社長室に入って来たが、その出で立ちを見た美樹達は、揃って自分の目を疑った。


(え? ちょっと待って、何よこれ?)
(何でこんな、珍妙な姿に……)
(茂野の奴……、くだらん事に金を使いやがって)
 何故か問題の七人は、髪と身に着けているスーツの色が、それぞれ赤、橙、黄、黄緑、緑、青、紫であった。その非常識極まりない姿に美樹達が絶句している間に、七人は入室して横一列に整列する。


「いちどう、れい!」
 陸斗のその号令に七人は揃って片膝を付き、美樹に向かって頭を下げながら、声を揃えて宣言した。


「我ら社畜、セブン・ブラザーズ。社長陛下に、永遠の忠誠を誓います。殴るなり蹴るなり踏みにじるなり、どうぞ陛下のお好きなように」
「……ちょっと嫌かも」
「お前、ちゃんと責任取れよ?」
 盛大に顔を引き攣らせた美樹と、嫌そうに和真が囁き合う中、寺島が何とか気合いを振り絞って陸斗に尋ねた。


「陸斗。どうしてこいつらのスーツと髪の色が、七色なんだ?」
「だって七匹だから、ちょうどいいかと思って。レインボーカラーだよ?」
 あっさりとその理由を説明した陸斗を見て、和真は溜め息を吐いて感想を述べた。


「お前の息子、意外に趣味が悪いな」
「あのな!」
 それに寺島が猛然と反論しようとしたが、陸斗が無邪気に説明を続ける。
「こうすれば、せんたいヒーローみたいでかっこいいから! ぜったい、よしなちゃんによろこんでもらえるよ!」
 それを聞いた寺島が、幾らかホッとした様子で呟く。


「そうか……、陸斗ではなくて、あのガキの趣味か……」
「ちょっと寺島さん。人の妹の趣味を疑うような発言は、止めて貰える?」
 今度は美樹が文句を言ったが、陸斗はそんな大人達の内輪もめなど、全く気にしなかった。


「それでね? みんなに、コードネームをつけたんだ。こっちからドーベルマンに、ピューマに、ジョーズに、グリズリーに、コブラに、タランチュラに、ピラニアなの」
 相変わらず笑顔で説明する陸斗に、美樹は辛うじて笑顔で応じた。


「わぁ……、なんだか皆、とっても強そうな名前ね……」
「それは茂野じゃなくて、お前が名前を付けたのか?」
「うん!」
「そうか……。寺島。やっぱりお前の息子の趣味は、微妙みたいだぞ?」
「…………」
 陸斗に確認を入れた和真が生温かい視線を向けた為、寺島は口を噤んだ。そんな微妙な空気の中、陸斗が顔付きを改めて言い出す。


「あ、それでね? みんな、ちょっとにがてな物があるから、おしごとする時には、はいりょして欲しいの」
「それは構わないけど、何が苦手なの?」
 そこで陸斗は、たすき掛けにしていたショルダーバッグを開けてごそごそと中を漁ってから、ある物を取り出した。


「えっとね、ドーベルマンは……、これ!」
「ひぃやぁあぁぁっ!」
「え?」
「毛虫?」
「オモチャだよな?」
 陸斗が差し出した物を目にした途端、一番手前にいた男が悲鳴を上げて後退りしたが、どう見ても精巧なゴム製の玩具にしか見えなかった美樹達は、揃って当惑した。


「りっ、陸斗様っ! そっ、それをどこかに!」
「あ、とんだ」
「うきゃあぁぁ――――っ!」
 陸斗がドーベルマンと紹介した男が、狼狽しながら必死の面持ちで懇願したが、その彼に向かって陸斗が手にしていた毛虫もどきを放り投げる。それを見た彼は絹を引き裂くような悲鳴を上げ、頭を抱えてその場にうずくまった。


「いや、飛んだんじゃなくて、明らかに今、投げたよな?」
「そもそも毛虫は落ちてきても、飛ばないと思うわ」
「…………」
 美樹達がぼそぼそと囁き合う中、振り返った陸斗は平然と説明を加えた。


「ドーベルマンは、けむしがいる所はダメみたい。だからしげりんが『はるさきに、木の下とかのしごとはできないな』って言ってた」
「……良く分かったわ。そこら辺は考慮するから、心配しないで」
「おねがいします。それからピューマは……、これなの」
「ひぃいいぃぃっ!」
 次に陸斗が取り出した手鏡と、それを見て恐怖の叫びを上げた男を見て、美樹達は呆気に取られた。


「はい?」
「……おい」
「どうして鏡を怖がるんだ?」
 その寺島の問いかけに、陸斗が首を傾げながら答える。


「どうしてかな? なんか色々しているうちに、こうなったの。だからしげりんが『ミラーハウスのびこうには使えないな』って言ってた」
「それはまあ……、そういう特殊な仕事はそうそう無いから、大丈夫じゃないかしら」
「それならよかった」
 美樹のコメントに陸斗が笑顔で頷く中、和真と寺島は何とも言い難い顔を見合わせた。


「それ以前に、そいつ、日常生活をきちんと送れるのか?」
「一体、何をやったらこんな風に……」
 しかしそんな戸惑いなど全く意に介さない陸斗は、平然と説明を続けた。


「それから、ジョーズは……、はい、これ!」
「きゃあぁぁっ!」
「え? 陸斗君、何を持ってるの?」
「どう見ても、画鋲にしか見えないが」
「画鋲ですね……」
 戸惑う美樹達を後目に、陸斗は画鋲を左手で摘み、その針先を右手の指で軽くつつきながらパニックを起こしているジョーズに迫る。


「あ、だいじょうぶだよ? ほら、がびょうだから、ちょっとさわっただけならささらないし」
「止めてぇええぇ――っ!」
「なんだか前より、あっかしてない?」
 必死に顔を背けるジョーズの目の前に、何度も画鋲を見せながら反応をみていた陸斗は、心配そうに首を傾げながら美樹達に向き直った。


「あのね、ジョーズはとがった物がダメみたいなの。だから針とかいっぱいある所は、むりみたい」
「初めて見たけど、これっていわゆる先端恐怖症ってやつ?」
「極端過ぎるだろ」
「どうして画鋲が、そんなに怖いんだ……」
「それから、グリズリーはね……」
 そこで陸斗が言いかけながら、再びバッグの中に両手を突っ込んだのを見て、美樹はある意味達観した口調で和真に囁いた。


「もう大抵の物が出てきても、驚かない自信があるわ」
「奇遇だな。俺もだ」
 しかし次に陸斗が取り出した物は、そんな美樹達の意表を衝いた。


「これなの」
「ぐぎゃあぁぁっ!」
「え?」
「卵、だよな?」
「それと、皿?」
 どうしてそんな物を怖がるのかと三人が怪訝な顔になる中、陸斗が笑いながらグリズリーに声をかけた。


「だいじょうぶだよ? しゃちょーしつをよごせないから、これ、ゆで卵なんだ」
「あ……、そ、そうでしたか。それなら」
「な~んちゃって!」
「ひぎゃあぁぁっ!」
「…………」
 陸斗の台詞を聞いてグリズリーがホッとしたのも束の間、彼は左手に持った皿の縁で右手に持った卵の殻にひびを入れ、器用に片手だけで卵を割った。その中身が皿に落ちたのを見てグリズリーが悲鳴を上げ、それを美樹達が無言で凝視する。


「グリズリーはたまごがパキッとわれる音と、なかみがドロンと出てくるのがダメなの。こまったね」
「そう……。でも、調理場とかで働かなければ、大丈夫じゃないかしら……」
「そうだよね! たいしたもんだいじゃないよね!」
 美樹の言葉に明るく頷いた陸斗だったが、和真は心底うんざりしながら寺島に囁いた。


「ゆで卵と安心させておいて、さり気なく目の前で割って見せるとは……。無駄に手先が器用なのもそうだが、陸斗の底意地の悪さは絶対にお前譲りだな」
「どうしてそうなる!?」
「嫁譲りでは無いだろう?」
「…………」
 それに反論できなかった寺島は黙り込んだが、陸斗の説明はまだまだ続いた。


「それからコブラはね……、これがダメなの」
「ぐはっあぁぁっ! 嫌ぁぁっ!」
「……何、あれ?」
「干し魚の頭に、何かの枝か?」
「あれは……、節分とかに鬼除けに飾る、鰯の頭を柊に刺した物ではないですか?」
 陸斗が取り出した物が咄嗟に判別できず、美樹と和真が戸惑う中、寺島が控え目に口を挟んだ。それを聞いた美樹が、ぎょっとした顔になって勢い良く振り向く。


「寺島さん、節分なんて知ってたの!?」
「嫁の影響に決まってるだろ。しかし、お前が家で豆撒きとか似合わない事をやっているとか、驚いたし笑えるな」
「あんたら驚くところが違うし、失礼だよな!?」
 本気で腹を立てた寺島が上司達を叱りつける中、陸斗は淡々と説明した。


「それでね? しげりんが『さかやなとか、すいぞくかんのせんにゅうそうさは、あきらめた方がいいな』って言ってたの」
「……確かにそうね」
「それから、タランチュラは……、これっ!」
「ふぐえぶっ……」
 次に陸斗がバッグから十字架を取り出すと、それを一目見たタランチュラは泡を吹いて床に倒れ伏した。そのままピクリともしない彼を見下ろして、美樹達が囁き合う。


「あ……、死んだ?」
「何で十字架?」
「ドラキュラかよ……」
 美樹達が呆れ果てる中、陸斗は十字架をバッグに元通りしまってから、しゃがみ込んでタランチュラに声をかけた。


「タランチュラ、だいじょーぶ? もう、しまったよ?」
「……ほ、本当ですか? ご主人様」
「うん。よしきお姉ちゃんの前で、たおれられたらこまるしね」
「ありがとうございます!」
 恐る恐る顔を上げた彼に陸斗が笑顔で頷くと、彼は感極まって泣き出した。それを美樹達は、冷めた目で眺める。


「いきなり宗教系にぶっ飛んだわね」
「鬼繋がりか?」
「そういう問題では無いと思いますが」
 ここまではまだ冷静に評していた三人だったが、次に陸斗が取り出した予想外過ぎる代物を見て、揃って絶句した。


「それから……、ピラニアはこれなの」
「きゃあぁぁっ! 怖い! 饅頭怖いぃぃっ!」
「………………」
 必死になって陸斗の手の中の饅頭から顔を背けた彼に向かって、陸斗は明るく笑いかける。
「ピラニア、だいじょーぶだよ? 僕がおまんじゅう、食べてあげるからね? ほら」
 そう言って包装紙を剥がし、もぐもぐと饅頭を食べ始めた陸斗を見てピラニアは勿論、彼の仲間達も感謝と崇拝の眼差しで、跪いたまま陸斗を囲んだ。


「陸斗様ぁぁっ! ありがとうございます!」
「さすがです! 陸斗様!」
「一生、あなた様に付いていきます!」
「何と神々しいお姿でしょう!」
 そこで漸く気を取り直した美樹達が、呆れ果てながら感想を述べる。


「うわぁ……、何これ。面白過ぎるんだけど……」
「おいおい、ここで古典落語の世界をぶち込むなよ。ただでさえシリアスさが希薄だったのに、今ので完全に消し飛んだぞ」
「俺に言うな! そもそも何をどうしたらあんな状態になるのか、俺が知りたい位だ!?」
「それに、そもそも陸斗君が、あのお饅頭を出した筈だけど……」
「洗脳具合は完璧だな。呆れて物が言えん」
 その時、社長室のドアがノックされて、美那がひょっこり顔を出した。


「こんにちは! 今日社長室に、陸斗君が来るって聞いた、んだけ、ど……」
 挨拶の途中で、室内に七色の得体の知れない男達が居るのに気が付いた美那は、目を見開いて固まった。そんな彼女に美樹達が何か言う前に、陸斗が嬉々として彼女と男達に向かって呼びかける。


「あ、よしなちゃん! みてみて! これが僕のペットたちだよ? さあみんな、じこしょーかい!」
 するとそれまで怯えきっていた筈の男達は、陸斗の号令と共に素早く横一列に並び、端から順番に一人ずつ与えられた台詞を口にしつつ、ポーズを決めた。


「我ら社畜、セブン・ブラザーズ!」
「一に、社長陛下を奉り」
「二に、陸斗様に服従し」
「三に、美那様の耳目となり」
「四に、茂野様の検体となり」
「五に、公社に仇為す者は葬り去る」
「それこそが、我らの存在意義!」
「強きを助け、弱きを挫く。我ら、セブン・ブラザーズ!」
 最後は七人が声を揃え、全員で決めポーズを取ったまま静止した。それを目の当たりにした美樹達は、揃って頭を抱える。


「……突っ込みどころが有り過ぎて、とても突っ込めない」
「社長陛下が定着しているな」
「それよりも、検体って何なんだ……」
 しかし心底うんざりした大人達とは裏腹に、美那は大喜びで拍手した。


「凄い凄い、格好いい! 美那、こういうの大好き! いいなぁ、陸斗君。こんな格好いいペットがいるなんて!」
「よしなちゃんもつかっていいよ? よしなちゃんは、ゆうせんじゅんいの三ばんめだし」
「本当!? それなら連れて歩くね!」
 嬉々としてそんな事を言い出した美那を見て、和真は美樹と寺島に生温かい視線を向ける。


「やはり、美那の趣味は微妙だな。そして陸斗はその悪趣味に沿えるように、しっかりカスタマイズしたわけだ」
「…………」
 全く反論できない二人は押し黙ったが、すぐに美樹は咳払いで色々ごまかしつつ、陸斗に言い聞かせた。


「まあ、とにかく……。陸斗君。今日は良いけどその姿は目立つから、色々仕事に支障が出ると思うの。時々なら構わないけど、普通は黒い髪と黒いスーツで仕事をさせて貰えないかしら?」
「うん、そうだね。きょうはこのままでいい?」
「ええ、構わないわよ」
「じゃあよしなちゃん、みんなをつれて、お出かけしない?」
 陸斗がそう提案すると、美那は一も二もなく頷いた。


「うん、行こう! きっと周りの人達がびっくりするよ? 楽しみ!」
「わ~い、デートだね!」
「じゃあ遊園地だね! お姉ちゃん、和にぃ、お父さん行って来ます!」
「行ってらっしゃい」
「気を付けてな」
「だから俺はお前の父親じゃないと、言ってるだろうが!」
 そこで陸斗と美那が七色の男達を引き連れて社長室から出て行ってから、美樹達は疲労感満載の顔を見合わせた。


「あんなのを、外に出して良いのかしら?」
「あれだけ目立つなら、不審者も寄りつかないんじゃないか?」
「寧ろ、不審者がいると通報されそうですが……」
 寺島が苦々しい顔になったところで、美樹が苦笑しながら言い出す。


「だけど凄いわね。あの陸斗君の調教っぷり」
「人聞きの悪い事を言わないでください! あれは全部、茂野の野郎がやった事ですよ!」
「本当に心の底から、100%そう信じているとしたら……。あんたの目は節穴になったと言ってあげるわよ、寺島」
「…………」
 不敵に笑った美樹に反論できず、寺島は口を噤んだ。そんな彼を幾分気の毒そうに見やりながら、和真が結論を述べる。


「とにかく、普段から公社うちの動向を探っている連中に、あいつらの変貌ぶりが嫌でも伝わるだろうし、あれを目の当たりにしたら、下手にちょっかいを出そうとする気は失せるんじゃないか?」
「本当に、陸斗君が予想以上に使えるタイプで助かったわ」
 美樹がそこでおかしそうに笑った為、寺島は顔色を変えて会話に割り込もうとした。


「社長、言っておきますが」
「陸斗君を、公社に関わらせる気は無いって? 無理無理、《公社の金庫番》の美那にべったりなのに。将来ここに入社する方に、十億賭けるわ」
「社内で1ヶ月しないうちに、《公社の猛獣調教師》の肩書き付きで呼ばれそうだな。さすがはお前の息子だ」
 美樹に続いて和真にまで断言された寺島は、肩を落として呻く。


「冗談ではありません。妻に何て言えば良いんですか……」
「とにかくこれで、内外ともに桜査警公社新体制の御披露目が済んだし、向かうところ敵無しってところね」
「それは間違いないな。物騒な噂と、実例も作っちまったし」
「出所後、ここに転がり込んだのは、間違いだったのかもしれない……」
 もう愚痴にしか聞こえない呟きを寺島が漏らしたが、それを聞いた美樹は明るく笑い飛ばした。


「何を深刻な顔をして、黄昏ているのよ、寺島! 和真共々、死ぬまで面倒を見てあげるから、安心しなさい!」
 しかしそれを聞いた寺島は感謝するどころか、恨みがましい目で美樹を見やる。


「それは……、裏を返せば、私に死ぬまで働けという事ですよね?」
「当たり前じゃないの。六十、七十で楽隠居できるとは思わないでね!」
「美那の事も含めて、いい加減諦めろ、寺島」
 上司二人に楽しげに断言されてしまった寺島は、その時完全に諦めをつけ、文字通り会社に骨を埋める覚悟をしたのだった。




(完)





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