藤宮美樹最凶伝説

篠原皐月

美樹十八歳、世知辛い戦い

「それでは試合開始の宣言を、会長にお願いします。藤宮会長、どうぞ」
 そこで茂野の背後に控えていた美子は、促されて前に出てマイクを受け取り、一礼してから試合開始を宣言した。


「その……、皆様、ご苦労様です。明日以降のお仕事に差し支えない程度に、頑張ってください。……それでは、試合開始!」
 その宣言と共に、菅沼は予め仲間の女性社員と打ち合わせていた通り、近くにいた新人の男性社員に襲いかかった。


「よっしゃあー! 田野崎、覚悟!」
「うわっ! ちょっと待ってください、菅原先輩! 岸田先輩も何なんですか!?」
 半ばパニック状態で攻撃を防ぎながら訴えた後輩に、彼女達は微塵も容赦なく前後左右から攻撃を繰り出す。


「悪いわね!」
「こういう場合、強いのから潰すのがセオリーよ!」
「ぐはっ! ちょっと!」
「しかも若くて」
「経験も浅い!」
「……げはっ!」
「ストップ! 田野崎、脱落!」
 みぞおちにまともに拳がめり込んだ田野崎は、身体を丸めて畳に転がった。それを見た審判のひとりがな慌てて駆け寄り、続行不能を宣言する。


「よし! 危ないからそれ、運び出しておいて!」
「次は狩野、お前だ!」
「逃げるな!」
「ひいぃぃっ! 勘弁してください!」
 体力が有り余り、勤務年数が浅くて咄嗟に連携を取れなくて孤立しそうな若手の男性社員を、彼女達は狙い撃ちにしながら、着々と畳に沈めていった。その様子を眺めていた桜が、感心したような声を出す。


「女の人達が、本当にいきいきしているわねぇ」
「女性社員も働きやすい職場作りを、常々心がけていますから」
「やっぱり美樹がトップだと、下の人達の意識も変わるわねぇ」
「私が敢えて色々言わなくても、そうみたいですね」
(いや、それ、明らかに違うから)
 護衛達は心の中で盛大に突っ込みを入れたが、桜達の会話に水を差すような真似はしなかった。


「ぐほぉっ……」
「よし! これで三人!」
 美久は試合開始直後から誰とも組まず、同様に一人でいる社員達を各個撃破していったが、三人目を戦闘不能にしたところで、聞き覚えの有りすぎる声がかけられた。


「おう、頑張ってるな、美久」
「一人だけの奴を狙って、確実にしとめていく辺り、さすがだな」
「……寺田さん、清野さん、ご苦労様です。俺一人に、二人がかりで来てくれるわけですか。光栄ですね」
 ゆっくり油断無く振り返りながら、公社の武道場で稽古をつけてくれている師匠達に対して軽く皮肉で返すと、男二人は渋面になった。


「嫌みを言うな」
「俺達だって、好き好んで二人がかりでやるわけじゃないぞ」
「そうですよね……。空気を、と言うより殺気を感じる事のできる人間が、好き好んであのバミューダトライアングルに侵攻しようとは思いませんよね……」
 父親達の方を横目で見ながら、美久が達観したように告げると、二人は苦笑の表情になった。


「バミューダトライアングルとは、言い得て妙だな」
「しかしお前も、難儀な事だな。社員でも無いのに」
「『高校生になったばかりなのに、175cmもあって生意気よ。大人並の体格をしてるんだから、大人並みに働きなさい』と姉さんに難癖を付けられまして。弟に見下ろされるのは、我慢ならないそうです。見下ろしてはいても、見下してはいないのですが」
「……本当に不憫な奴」
「だが、手加減無しでいくぞ!」
「望むところです!」
 その宣言通り、2対1での激しい攻防戦が始まると、美久の奮闘ぶりを目にした桜が、感心した声を出した。


「美久君も、頑張っているわねぇ。あんな小さかった子があんなに戦えるようになったなんて、本当に感慨深いわ」
「あれ位できないと、政界を渡っていけませんから」
「そうね。やっぱり男の子には、試練が必要よね」
(今の台詞……。ある意味、男女差別だよな)
 護衛達は密かにそう思ったが、間違っても口には出さなかった。


「ちょっと! 飯島先輩!」
「何であの三人を無視して、女ばかりのこっちに来るんですか!?」
「平塚さんも、第一線で低オッズの人が楽しようなんて!」
「恥ずかしく無いの!?」
 試合が進むにつれて、当然残っている参加者が少なくなり、防犯警備部門でも一、ニを争う実力の持ち主である二人が、次に女性四人組と相対した。途端に非難の声を浴びせてきた彼女達に、二人がムキになって言い返す。


「そうは言うがな!」
「それならお前達、あの三人の中に割って入れるのか!?」
「……無理ですね」
「嫌です」
「だろう!? そういう訳だから、いくぞ!」
「ちいっ! もう少し粘れるかと思ったのに!」
「こうなりゃ、とことんやってやるわよ!」
 そんな混戦模様を眺めながら、桜は首を傾げた。


「ねぇ、美樹。さっきから会場のど真ん中であの三人が睨み合ったまま動かないけど、他の人達は全然ちょっかいを出さないのよね。どうしてなのか分かる?」
 その桜の素朴な疑問に、美樹が溜め息を吐いてから答える。


「皆、危険と隣り合わせの第一線で活躍している人達ばかりだから、生存本能に従っているのよ。『あの三人に迂闊に手を出したら拙い』って、戦わなくても分かっているのね」
「でも、あのままだったら勝負がつかなくなって、困るのじゃない?」
「大丈夫。こんな事になる予想は付いていたから、予め強制終了させる手段は考えてあるから」
「さすがは美樹ね。何を準備しているか、楽しみだわ」
 落ち着き払って答えた美樹に、桜が満足そうに微笑んだが、それを耳にした警備担当者は気が気ではなかった。


(美樹様、何を考えてるんだ? 本当に何か、物騒な事じゃ無いよな!?)
 しかし全く美樹の考えが読めないまま、様々な思惑を孕んだ乱闘が、中央に陣取っている三人抜きであちこちで繰り返され、事態は終幕に向かって進んでいった。


「ぐはっ……」
「そこまで! 飯島、続行不可能!」
「……っ、ふう。危なかった」
 ちょっとした隙に、美久が繰り出した回し蹴りを脇腹に受けた飯島がうずくまり、慌てて審判の一人が声をかけ、飯島に手を貸して場外へと出る。そして連戦している美久が、相変わらず睨み合っている三人を横目で見ながら乱れた息を整えていると、茂野の場違いに明るい声が響き渡った。


「さあ、防犯警備部門飯島さんが倒れて、ここで残ったのが四人になった! さあ、勝利者は誰だ!?」
 そんな無責任な煽り文句を耳にした美久は、心底うんざりしながら問題の三人を凝視した。
(本当に、あのバミューダトライアングルには近付きたくないが……。やらないと終わらないんだよな)
 そして一つ溜め息を吐いてから、考えを巡らせる。


(姉さんに続いて俺まで父さんを叩きのめしたら、さすがに父さんを今度こそ再起不能に追い込みかねない。加積さんは一応義兄だし、消去法で、まず寺島さんを沈めるしかないよな?)
 そう決心した美久は、気配を消しながら慎重に寺島の背後に移動し、素早い動きで彼の右膝裏を蹴り込んだ。


「すみません、寺島さん!!」
「黙れ、ガキ」
「ぐあっ!」
 しかしその蹴りは、無表情の寺島が素早く振り返りつつ、右足を上げて踏みつけて防いだ。


「うあっ!」
 そして畳に押さえつけられた体勢になった美久の足から右足を離すと同時に、側面に回り込んで彼の脇腹を手加減無しに蹴りつける。反射的に転がって威力を幾らか殺しつつ、体勢を立て直そうと片膝を立てて起き上がった美久だったが、すかさず正面から寺島の蹴りが入った。


「ぐぁっ!」
 殆ど条件反射で美久が体幹部を腕でガードしたが、一声呻いたきりその場にうずくまった。それを見た杉本が蒼白になり、慌てて二人の間に割って入る。


「ス、ストップ! そこまで!」
 その宣言を受けて、寺島は相変わらずつまらなさそうに美久に背を向けて、他の二人に向き直った。それを見送った杉本が、肝を冷やしながら美久に尋ねる。


「美久さん、大丈夫ですか!?」
「なんとか……、急所は庇ったけど、腕が折れたかも……。足は大丈夫ですが、歩くのは……」
 呻きながらも美久は冷静に状況判断したが、杉本は血相を変えて叫んだ。


「担架! 早く搬送しろ!」
「はっ、はいっ!」
「急げ!」
 慌ただしく人が行き来するのを、残っている三人は横目で見ながら、それぞれ考えを巡らせていた。


(お前が、何を考えたのかは分かるが……。まだまだ甘いぞ、美久)
(一応、気を遣ってくれたのは分かるんだがな。寺島なら勝てると思ったなら、軽率だったな)
(場数踏んでない、馬鹿餓鬼が。断りを入れて襲ってくる賊がいるわけ無いだろうが。鍛え直しだな)
 そんな微動だにしない三人に向かってそそのかすように、茂野が声を張り上げる。


「さあ、残り三人! 奇しくも賭けでのオッズは、高倍率の方ばかり! この三人に賭けている人間は、ボロ儲けの大チャーンス!」
「…………」
 それを聞いた三人は、全員がチラッと茂野に視線を向けたが、彼の余計なアナウンスは止まらなかった。


「因みに俺は、この三人に一万円ずつ賭けているので、誰が買ってもボロ儲け確実! もう誰でも良いんでちゃっちゃと勝って、俺を儲けさせてください! レディー、ファイッ!」
「…………」
 あまりにも能天気すぎる台詞に、三人から紛れもない殺気が茂野に向けられたが、彼は変わらず満面の笑みを浮かべていた。それを見た観客達の方が、肝を冷やす。


「茂野主任、勇者だ……」
「それ以前に、変人だろ。普通アラフィフの三人に賭けるか?」
「でも、実際に残ってしまっているからな」
「他にあの三人に賭けた人間、居るのか?」
 試合の行方を見守る社員達がぼそぼそと囁き合う中、試合会場の中央では、秀明が薄笑いを浮かべながら他の二人に声をかけた。


「お前達。さっきからピクリとも動かないで、どうした。かかって来ないのか?」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。しかし、おとなしいじゃないか、寺島。お前は上司だからと手加減や躊躇するタイプでは無いと思ったが?」
 和真も皮肉っぽく笑いながら寺島に矛先を向けると、彼も不敵に笑いながら応じる。


「勿論、幾ら上司だからと言って、そんな事をするつもりはありません。如何にこちらのダメージが少ない攻撃ができるかを、考えているだけです」
「物は言いようだな」
「お前も今では、扶養家族がいるしな」
 そんなせせら笑いをしながら、油断無く他の二人の隙を狙っている三人を見て、美樹は呆れ気味に溜め息を吐いた。


「はぁ……、単なる睨み合いでつまらないわね。そろそろ、二人の出番かな? この均衡を崩して貰わないとね」
 そう独り言を呟いた美樹は、近くに居た陸斗に歩み寄り、笑顔で声をかけた。







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