藤宮美樹最凶伝説

篠原皐月

美樹十五歳、藤宮家は女傑揃い

「兄貴……」
 小野塚家側が藤宮家に挨拶に来る、当日。
 朝にホテルで顔を合わせた時から微妙に生気のなかった弟が、藤宮邸の門前で声をかけてきた為、和真はそちらに顔を向けた。


「どうした、雅史」
「随分立派な門構えだが、本当にカタギの家なんだな」
「まあな」
「それなのに、加積八人衆の娘って……」
「あなた、しっかり! ここで万が一不義理をしたりしたら、今後うちの組がどうなるか分からないわよ!?」
 涙ぐんで項垂れた夫を、事ここに至って開き直ってしまったらしい咲耶が、必死の形相で鼓舞する。そんな夫婦を見て溜め息を吐いた和真は、できるだけ穏やかに言い聞かせた。


「雅史、安心しろ。会長は傍目には、平々凡々な奥様だ。取って食われたりはしない」
「だが何となく、屋敷の方から殺気と圧迫感が……」
「気のせいだ。さっさと終わらせるぞ」
 おそらく社長のせいだろうな、とは思ったものの、和真は余計な事は言わずに門の中に足を踏み入れた。そして玄関でチャイムを押し、中から鍵を開けて現れた美子を見て、その平々凡々な見た目に雅史と咲耶は若干救われた表情になる。


「いらっしゃいませ。遠路はるばる、ようこそ。美樹の母の美子と申します。さあ、どうぞ。お上がり下さい」
「お出迎え、痛み入ります」
「お邪魔します」
 そんな二人に、玄関の上り口で横一列に並んで正座している三人の子供が、礼儀正しく頭を下げてくる。


「ご苦労様です」
「いらっしゃいませ!」
「こんにちはー!」
「ど、どうも……」
「あの、こちらのお子さん達は……」
 雅史達が僅かに戸惑いながら尋ねると、玄関に下りていた美子が、笑顔で子供達を説明する。


「美樹の弟で十二歳の美久と、妹で七歳の美那と、末の四歳の美昌です」
「そうですよね……」
「うちの子達より、小さい……」
 予想はしていたものの、その現実を見せつけられた夫婦は、がっくりと肩を落とした。そこでいきなり美那と美昌が背後に隠していた物を両手に掴んで立ち上がり、美久が座ったまま諦めた表情で、ポケットに入れていた金属製のホイッスルを取り出して口に咥える。


「それでは! 雅史さんと咲耶さんの健闘を祈って!」
「さんさんななびょ――――し!」
「……え?」
「はぁ?」
 子供達二人の甲高い声に大人達が唖然とする中、自分達の掛け声と美久のホイッスルのリズムに合わせて、美那は両手の真っ赤なポンポンを、美昌は日の丸柄の扇を広げて振り始めた。


「あ、そーれ! チャッチャッチャ!」
「チャー!」
「チャッチャッチャ!」
「チャー!」
「チャッチャッ、チャッチャッ、チャチャッチャ!」
「チャー!」
「…………」
 とても良い笑顔で三々七拍子を披露する二人を、大人達は誰も止められず、また止めるのも忘れて呆然と眺める。


「チャッチャッチャ!」
「チャー!」
「チャッチャッチャ!」
「チャー!」
「チャッチャッ、チャッチャッ、チャチャッチャ!」
「チャー!」
「うわぁぁぁぁぁっ! おぉ――っ!」
「おぅーっ!」
「よし、激励終わり! 撤収!」
「いちじ、てったいー!」
「…………」
 とうとう最後までやり切った二人は天井に向かって突き上げた手を下ろすと、一目散に廊下の奥へと駆け去って行き、その二人の姿が見えなくなってから、その場に一人残った美久に対して、美子が咎める視線を向けた。


「美久。あなたまで一緒になって、あれは一体何なの?」
 その叱責に、美久は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめん、母さん。だけど美那が『かずにぃの弟さん達を励ます!』って言って聞かなくて。色々案が出ていたんだけど、僕の目から見てこれが一番穏当だったんだ」
「全くもう……。本当にお騒がせ致しました。どうぞお上がり下さい」
「は、はぁ……」
「失礼致します」
(あれで一番穏当って……、美那の奴、色々何を考えたんだ?)
 ためいきを吐いてから、美子は改めて客人に上がるように促し、和真は既に疲労感を覚えながら靴を脱いで上がり込んだ。


「お父さん、あなた。小野塚さん達がいらっしゃいました」
「ああ、早く入って頂きなさい」
 座敷に入る襖の前で座ってお伺いを立てると、昌典が落ち着き払った声で返してきた為、美子は襖を開けて和真達を促した。


「それではどうぞ、お入りください」
「はい、失礼しま……」
「…………」
 彼女に軽く会釈して和真は、室内に足を踏み入れた途端、その全身にまぎれも無い殺気が突き刺さり、反射的に動きを止めた。


「っつ!」
「ひっ!」
 続いて中に入ろうとした雅史達も、既に座卓の片側に座っている秀明から向けられた、人を射殺さんばかりの視線に本気で生命の危機を覚えたが、美子はそんな二人を促して中に入って貰ってから、困ったように微笑みつつ弁解した。


「申し訳ございません。主人は何やら、最近職場で不愉快な出来事に遭遇したみたいで。帰宅してからも、機嫌が直りませんの。仕事が大変なのは分かりますが公私で気持ちを切り替えて、休日位心穏やかに過ごせば宜しいのに、困ったものですわ。お見苦しくて申し訳ありませんが、ご容赦下さい」
「…………」
「……お忙しいところ、恐縮です」
 室内が不気味に静まり返る中、藤宮家と座卓を挟んで向かい側に落ち着いた和真達を見ながら、昌典は頭痛を覚えた。


(やはり秀明には、泊まりがけの出張でも押し付けるべきだったか……。いやしかし、後回しにしたらしたで、余計に酷くなりそうだし……)
 チラリと真ん中に座っている娘婿を、昌典は心配そうに眺めたが、彼を挟んで反対側では、美樹が険しい表情で隣の父親を睨んでいた。


(何、殺気全開にしてんのよ。この前あれだけぶちのめしたのに、まだ足りないわけ? やっぱり朝一番で、昏倒させておくべきだったかしら)
 そんな物騒な事を考えている美樹の内心がはっきりと読めていた和真は、場の空気の悪さに本気で頭を抱えたくなったが、それ以上に隅の方に設置してある平机で、ポットから急須にお湯を移しつつ、落ち着き払って茶を淹れている美子に密かに戦慄していた。


(社長の機嫌が悪いだろうとは予想していたが……、最悪っぽいな。そして会長! あんたどうしてこの恐ろしげな空間で笑顔を振りまきながら、平気で茶を淹れる事ができるんですか!? やっぱり社長の女房で、美樹の母親なだけはあるよな!)
 和真がそんな八つ当たりをしている間に人数分の茶が淹れられ、美子が笑顔で三人の前に出した。


「粗茶ですが、どうぞ」
「……頂きます」
「ありがとうございます」
 そして三人が緊張で乾ききっている口と喉を、お茶で幾らか潤したのを眺めてから、端に座っていた昌典が、一家の家長らしく重々しく申し出た。


「遠路はるばるこちらまで足を運んで頂き、誠に申し訳無い。もしかしたら小野塚さんの地元の方で、挙式や披露宴を執り行いたいと希望するかもしれませんが、桜査警公社の関係もあって、都内で開催する必要があるらしいので」
 まず昌典がそう言って話の口火を切ると、向かい側の雅史は恐縮気味に答えた。


「いっ、いえいえいえ、こちらの事など本当にお気になさらず! もうまるっと無視して頂いて、結構ですので!! どうせ地元で開いても、兄貴のろくでもない悪友しか集まらないですし!」
「お前な」
「本当の事だろうが!!」
「あなた!」
「…………」
 狼狽気味に声を上げた雅史を、秀明が無言のまま冷たく見やる。その視線に気付いた咲耶が真っ青になりながら夫の袖を引き、雅史がそれに気が付いて顔を蒼白にさせた。
 そして再び室内が静まり返ったが、今度は座卓の横に座っていた美子が、冷静に雅史達に話しかける。


「ご本人からも東京で開催するだけで構わないと、お話を頂いていたのですが、そうしますとどうしても新郎側と新婦側の出席者の人数に偏りが出てきますでしょう? ですから一応、そちらのご意向も直にお尋ねして、桜査警備公社関連の方は、新郎側での出席をお願いしようか思案しておりまして」
「いえ、あの、本当に……。何事もそちらのお好きなようになさって下さって、構いませんので」
「因みに、これが新婦側で招待しようと考えている方々のリストと、肩書になります。この中で、是非新郎側でと仰る方がおられるなら、そうしようかと思います」
「は、はぁ……。それでは一応、拝見させて頂きます」
 そして美子から受け取ったリストに目を落とした三人は、それぞれ異なる反応を示した。


「…………」
「こんな面々と一緒に、披露宴……」
「あ、あなたっ……」
 真っ当な政財界の要人と、物騒かつ訳あり人脈が無秩序に混在しているそのリストを見て、もう色々諦めていた和真は無言で視線を逸らし、雅史は絶望的な表情になり、咲耶はとうとう涙ぐんだ。そんな三人に向かって、美子が無邪気とも言える口調で話を続ける。


「桜さんが『美樹ちゃんの披露宴なら、盛大にしないとね!』と張り切ってくれて、早速大栄センチュリーホテルの宝珠の間を来年の六月、日曜の大安吉日に押さえてくれましたの。それでご都合は宜しかったでしょうか?」
「加積夫人……」
 ここでとうとう意識を飛ばしかけた夫に代わって、咲耶が勢い込んで叫んだ。


「ははははいっ!! もうこちらはいつでも構いませんわ! 万が一、対立組織と抗争が勃発しても、うっちゃって来ますのでご心配なく!!」
「……おい、お前達。少し気を確かに持て」
 呆れ気味に和真が口を挟んだが、女同士の一見和やかな会話は続いた。


「それなら良かったです。実は私達も、大栄センチュリーホテルで挙式と披露宴を行ったんですの」
「そ、そうでしたか。あそこはアクセスも各種設備も充実していますし、一流ホテルの名にふさわしいですわね!」
「ええ。私達が披露宴をしたのは、鳳凰の間だったんです。あそこも結構広かったですが、今回それよりも広くてグレードが高い宝珠の間を押さえられたので、一体どんな所だろうかと今から楽しみで」
「…………何だと? 今、何て言った」
 そこで無言で茶を飲んでいた秀明がカッと目を見開き、湯呑を座卓に力一杯叩き付けて置きながら、美子に顔を向けて恫喝した。それに美子が、不思議そうに答える。


「え? だから私達が使ったのは鳳凰の間だったけど、美樹達の披露宴会場は、そこよりグレードが高い宝珠の間だと言ったんだけど。それがどうかしたの?」
 どうやらそれで秀明の堪忍袋の緒が完全に切れたらしく、彼の手の中の湯呑がビキッと不吉な音を立てた。その音を耳にした上、彼の般若の形相を目にした昌典は、蒼白になって腰を浮かせる。


「お、おいっ!! 秀明、落ち着け!!」
「ひいっ!!」
「……っ!」
 座卓の向かい側では雅史と咲耶が完全に腰を抜かし、和真が第一撃をどうやってかわすかと、一気に警戒度を上げる中、美樹が冷静に動いた。


「美那。お願い」
 その緊迫感溢れる場面で、何故か美樹が何回か拍手をしながら、襖の向こうにのんびりとした口調で呼びかけると、出入り口の襖が両側に勢い良くスパーンと開き、そこから現れた美那が子供用のウクレレ片手に、高らかに口上を述べた。


「ねぇねのご指名、いただきました!! 藤宮美那、ただ今参上!!」
「よしまさ、さんじょー!!」
「……お邪魔します」
 そして姉と同様、ノリノリで声を上げた美昌と、その二人の横で正座したままローテンションにも程がある挨拶をしてきた美久に、室内に居た者達は揃って怪訝な顔を向けた。


「美樹。あなたあの子達に、一体何をさせる気?」
「私も詳しい事は……。美那達に全面的に任せているから。聞いても『見てのお楽しみ』って言われちゃったし」
「え?」
「お前達、どうした?」
 そんな大人達の問いかけを綺麗に無視し、美那達は早速行動に移った。



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