悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(57)侮れない崇拝者

 婚約破棄騒動が終息して、一月半ほどが経過したある日。シェーグレン公爵邸から定期便の馬車に同乗させて貰ったルーナは、無事に領地の館に到着した。
いつも通り顔馴染みの館の使用人達に挨拶してから、ルーナは両手に重い鞄を提げて館を出て、伯父の家へと向かう。


(はぁ、荷物が重い……。エセリア様の卒業と、それに伴って一気に増加した社交活動に加えて、建国記念式典の準備に、あの婚約破棄騒動での騒動やそれに引き続く諸々で、エセリア様へのお誘いや問い合わせが引きも切らずで。しばらく纏まった休みが取れなかったから、皆へのお土産を奮発しちゃったわ。先に送っておいても良かったわね)
 ぼんやりとそんなことを考えながら街路を歩いていくと、広い通りに面している伯父の店舗の前に立っている人物に気がついた。


(あら? 店の前に立っているのは、アリーかしら?)
 いつも通り、もう少し歩いたら通りを一本裏に回って、自宅玄関の方から入ろうと思っていたルーナは、何故店舗側の街路に妹が立ったままでいるのかと首を傾げた。遠目だから別人と見間違えたのだろうかと考えながら歩いていると、その少女がルーナの姿を認めると同時に、叫び声を上げながら猛然と駆け寄ってくる。


「あ、帰って来た! おねえちゃあぁぁぁ――――ん!」
「やっぱりアリー? ただいま、うきゃあ! いきなり何するのよ? 危ないじゃない」
 突進してきたと思ったら、自分を押し倒す勢いで組み付いてきた妹に、その衝撃でよろめいたルーナはさすがに文句を言った。しかしアリーは両手でルーナの肩を掴んだまま、ものすごい剣幕で捲し立てる。


「もぅおぅぅう!! 本当にお姉ちゃんったら! 肝心の時に、全っ然連絡を寄越さないんだもの!! やっと手紙が来たかと思ったら、『エセリア様の嫌疑は晴れて、無事に一件落着した』の一文だけってどういうことよ!! お姉ちゃんはエセリア様付きのメイドなんだから、もっと書くことがあるよねぇぇっ!?」
 憤怒の形相で訴えられたルーナは呆気に取られてから、妹の怒りの原因について控えめに問い返してみた。


「え、ええと……、ひょっとして、エセリア様が元王太子から一方的に婚約破棄を宣言された時の事を言っているの?」
「それ以外の、何があるのよっ!」
「私が知らせるまでもなく、領地にはちゃんとその知らせとかが伝わっているわよね?」
 一応確認を入れてみたルーナだったが、アリーは憤然としながら言葉を返した。


「それは確かに、領地のお屋敷に勤めている人達経由で、この街の人達は皆知っているわよ! だけど、どうしてエセリア様が婚約破棄なんかされなくちゃいけないのよ! しかもその理由が、エセリア様が悪逆非道な行いをしたせいですって!? 冗談じゃないわ! あの優しいエセリア様が、そんな事をするわけないじゃない!! 第一報を聞いた時にこの街の人達が怒って、元王太子に対しての呪いの言葉を吐いたわよ! その筆頭は私だと、断言できるけどね!」
「アリー……、そういう事を断言しないで。お願いだから」
(そうだった……。アリーは借りた本を破ってしまった時、叱るどころか優しい言葉をかけてくれた上、本を譲ってくれたエセリア様を、あの時以来ずっと崇拝しているものね。うっかりしていたわ。あの騒ぎで、相当気を揉んでいたみたい)
 この間、すっかり失念していたことを思い出したルーナは、取り敢えず興奮している妹を宥めにかかった。


「アリー、ちょっと落ち着いて。それは誤解というか元王太子の言いがかりで、エセリア様には全く非はないことを国王陛下にきちんと認めて貰って、円満に婚約解消になったんだから」
「それは勿論知っているけど、婚約解消が円満だろうがなんだろうが関係ないわよ! 何がどうしてそんな事態になったのかって言ってるの! お姉ちゃん、そのエセリア様の審議の場に同行したって手紙に書いていたよね!? じゃあ、その一部始終を見たんだよね!?」
「それはまあ……、運が良いというか悪いというか、確かに一通り見聞きさせて貰ったわね……」
 話が嫌な方向に流れたことで、ルーナは微妙に視線を逸らしながら答えた。しかしアリーは容赦なくルーナの肩を揺さぶりながら、語気強く訴える。


「じゃあ今日早速、そこで何があったのかをちゃんと教えてよ!? お祖父さんとお祖母さんと伯父さんと伯母さんと、ラング兄さんとカイル兄さんも、お姉ちゃんが戻るのを心待ちにしていたんだから! リリー姉さんも、夕方こっちに来るって言ってたし!」
 それに逆らう気は起きなかったルーナは、色々諦めながら頷いた。


「……うん、分かった。夕飯が済んだら、あの時の詳細を教えるから。その後も色々あったから、諸々纏めてね。エセリア様は伯爵様になって、領地も頂いたし。その事はこっちにも伝わっている?」
 そこでルーナが何気なく口にした内容を聞いて、アリーが目を丸くする。


「えぇ!? 何それ! どうして公爵令嬢のエセリア様が、伯爵様になるの!?」
「やっぱり、それはまだ広まっていないのね……。皆が揃ったところで、この間王都で起こった出来事を残らず教えるから」
「うわ、楽しみ! お姉ちゃん、ありがとう! 荷物持つね!」
「あ、アリー、ちょっと重いわよ!」
「大丈夫! 皆! お姉ちゃんが帰って来たよ!」
 すっかり機嫌を直したアリーが、ルーナから鞄を奪い去るようにして店舗内に駆け込んだ。その声を聞いたゼスラン達が、ルーナを出迎えるために表に出てくる。


「ああ、ルーナ。お疲れ様」
「おう! お帰り、ルーナ!」
「元気にしていたか? 色々大変だったな」
「確かに最近、ちょっと大変だったわ」
 伯父や従兄達と苦笑いで挨拶を交わしたルーナだったが、ここでゼスランが少々申し訳なさそうに話を切り出す。


「ところでルーナ。元王太子が廃嫡された件だが、その審議とやらの内容について、近所の人達から詳細が分かったら教えてくれと言われていてね」
(エセリア様は、ここではご領主様のお嬢様だもの。確かに皆の関心は高いだろうし、敬愛しているご領主様のご家族を蔑ろにされたら、アリーでなくても気分を害する人が多いでしょうし、詳細を知りたい人は多いわよね)
 そう自分自身に言い聞かせたルーナは、伯父の申し出に素直に頷いた。


「分かりました。今日、夕飯が済んだらうちの皆には説明しますけど、ご近所の皆様で希望する人には、明日以降そこの噴水広場に集まって貰って、話を聞いて貰おうかと思います」
「悪いね。ルーナは久しぶりに帰って来たのに」
「いえ、構わないですから」
(うん、もうこうなったら、三度するのも四度するのも同じ事よね)
 そう腹を括ったルーナは家族相手に一人芝居を披露した翌日、ルーナの帰宅を聞き付けた近所の者達を広場に集めて、同様に審議の場の一部始終を演じてみせた。
 その後「ゼスランの姪は、その演技力を認められてご領主様のお屋敷勤めになった」との噂が流れ、領地の屋敷で使用人の募集をかけた時には、若い娘達がこぞって一人芝居で自分をアピールする事態になり、採用責任者であるメイド長のケイトが頭を抱えたのだった。





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