悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(52)混迷する事態

「殿下。先程から証人が一人も現れない事もそうですが、殿下が私を糾弾する拠り所としている、その宣誓書に重大な疑わしい点がございます」
「何だと!? 証人が出て来ないのは、貴様が密かに手を回したからだろうが!!」
「いいえ、そもそも殿下が今まで名前を上げた人物は全て、実在する人間ではありません」
「はぁ? 何を馬鹿な事を言い出すんだ。その根拠は?」
 端的にエセリアが述べた台詞を、グラディクトが馬鹿にした口調で言い返したが、彼女は冷静に話を続けた。


「今まで出た家名には、全て『ヴァン』が付いておりました。それであれば、全員が貴族である筈です」
「当然だ。それがどうした」
「ですが、今まで殿下が口にされた家名は、一つとして貴族簿に記載がございません。従って、それらの名前は貴族としてはありえず、存在していない人物という事になります」
 それを聞いたグラディクトは、呆れたように言い返した。


「はっ! お前はどこまで、不遜な女だ! 彼らは全て下級貴族出身だ。自分に聞き覚えがないから貴族ではないと断言するなど」
「私は、全貴族の家名を記憶しております」
「そこまで言うなら、この場で全て言ってみろ!」
「畏まりました」
 その売り言葉に買い言葉的な話の流れに、さすがにルーナは動揺した。


(え? 確か貴族の家門って、上級貴族下級貴族合わせて百二十家なかったかしら? 私も取り敢えずシェーグレン公爵家と懇意にお付き合いしている家名は覚えているけど、エセリア様といえどもさすがに全家名は覚えきれていないのではない!?)
 ハラハラしながらルーナは事の成り行きを見守ったが、エセリアは終始冷静さを保ちながらあっさりと百二十家名の暗唱を終えてしまい、講堂内は歓喜と彼女への称賛の嵐となった。しかもそれを漏らさず記録していた書記官達により、確かにエセリアが完璧に貴族家名を暗唱できたという認定と、これまで散々グラディクト達が証人として挙げていた人物の家名が根も葉もないでたらめであり、学園の在籍名簿にも全く記載がない名前だったという結論が、容赦なく下される結果となった。


「なっ!? それでは彼らは、どこの誰だと言うんだ!?」
「それをお聞きしたいのはこちらです。どこの誰が証言したと言うのですか。それでは次に、その宣誓書を直に確認したいので、こちらにお渡しください」
「何だと!? 貴様、破り捨てて証拠隠滅をする気か!」
(この期に及んで、まだそんなことを言っているわけ? どこまで判断力がないのよ、この元王太子殿下は)
 ルーナは心の中で早くも廃嫡決定と切り捨てたグラディクトを呆れながら見やったが、エセリアも気持ちは同じらしく、うんざりとした表情で話を続けた。


「偽名でどこの誰ともしれない人物が書いた物など、まともな証拠になるわけがないでしょう……。それなら書記官の方に持っていただいて、私に披露してくだされば宜しいわ。それすらできない、疚しい事でもおありだと?」
「そこまで言うなら見せてやる! これを持って行け! くれぐれもエセリアには、指一本たりとも触れさせるなよ!」
「……畏まりました」
 言い付けられた秘書官も嫌そうに立ち上がり、グラディクトから受け取った宣誓書をエセリアの前に運んでその前で広げて見せた。続いてそれを確認したエセリアの指示で、全て国王夫妻に手渡す。そしてエセリアは、複数の宣誓書がそれぞれ違う人物の手による物、かつそれぞれ異なる時期に書かれた筈であるにも関わらず、便箋やインクの種類、筆跡に至るまで酷似していることを冷静に指摘した。


「お手元の宣誓書の文面や言い回しは、それぞれ微妙に異なりますが、共通する文言、『エセリア・ヴァン・シェーグレン』『証言』『脅迫』『強要』『宣誓』『悪辣』などの筆跡をご覧ください。複数人の手による物の筈なのに、不思議な事に全ての筆跡が酷似しておりませんでしょうか?」
「何だと!?」
 予想だにしていなかったその指摘にグラディクトは大きく目を見開いたが、国王夫妻は手元にある複数の宣誓書の筆跡を見比べ、エセリアの主張を全面的に認めた。


「先程、エセリア嬢が言った通りだな。全ての筆跡が酷似している」
「誠に。これを見て、異なる人間の書いた物だとは、到底思えませんわね」
「むしろ、同一人物が同じ用紙やインクを用いて書いた物と言った方が、適当だろうな……」
「私も、陛下と同意見です」
(そんな見比べたら一目瞭然の物を、あの人達は後生大事に溜め込んでいたわけ? 信じられない。どこまで迂闊なのよ)
 もう溜め息も出なかったルーナだったが、そこで愕然とした表情のグラディクトが叫んだ。


「そんな……。そんな馬鹿な!?」
「先程も申し上げましたが、それはこちらの台詞です、グラディクト殿下。是非とも、万人が納得できるご説明をお願いします」
「それは……、ア、アーロンが! アーロンです!」
「何だと?」
「アーロンが王太子の私を陥れようと、このような卑怯な事を企んだのです! こんな手の込んだ真似をして!」
 追い詰められたグラディクトは、咄嗟に父であるエルネストに向かって、責任転嫁にもほどがあるろくでもないことを喚いた。しかしそれは、激怒したマグダレーナに一蹴される。


「お黙りなさい!! この場はあなたが式典の場で、エセリアを誹謗中傷した内容が事実かどうかを審議する場であって、そんな愚にもつかない物を誰が作成したのかなどを、検証する場ではありません! そもそもそんな代物を迂闊にも信じ込み、堂々と陛下の前に持ち出して散々埒も無い事を喚いた事実を恥じなさい!! この愚か者がっ!!」
「…………」
(王妃様の仰られたことは正論よね。さすがに反論なんかできないことくらいは、あの迂闊王子にも理解できているみたいで良かったわ。だけどこれ、どうやって収拾をつけるのかしら?)
 マグダレーナの本気の怒りを目の当たりにして講堂内は再び静まり返り、さすがにグラディクトも蒼白になって口を閉ざした。すると何故か、講堂の出入り口付近が騒がしくなる。


「失礼いたします!!」
(え? あの人は……、エセリア様に付いて国教会に出向いた時、お目にかかった覚えがあるわ。確か、ケリー大司教様よね? どうしてこの騒ぎに無関係なはずのあの方が、この場に乱入してくるの?)
 勢い良く扉を押し開けて駆け込んで来た人物を見て、ルーナは首を傾げた。そして瞬く間に舞台前に駆け寄ったケリーは、舞台上の国王夫妻に向かって声高に懇願した。


「国王陛下! 王妃陛下! アリステアが王家乗っ取りなど大それた事を企てたなど、何かの間違いです! 是非とも詳しい詮議の上、寛大なご処置をお願いいたします!!」
「はぁ?」
 エルネストが間抜けな声を上げたのは勿論、講堂内にいた殆どの者が当惑したが、ケリーの必死の形相での訴えが続いた。


「陛下! アリステアは少々躾が行き届いていない所はございますが、根は真面目で素直な子なのです! 間違っても王家乗っ取りなど、大それた事に手を染めたりはいたしません!」
「その……、ケリー大司教」
「それにアリステアは優秀で、官吏科の中でも五指に入る成績を保っております」
「はぁ?」
「確かに誰かに唆されて、良からぬ事に手を染めたかもしれません。ですが! これだけ聡明な彼女のこと! 必ずや悔い改めて、国の為に尽くす人材になることを、私が保証いたします! どうか陛下! 罪を全て免じて欲しいなど、厚かましい事は申し上げません。できうるなら私が代わりに罰を受けますので、彼女にはなるべく寛大なご処置をお願いします!」
(あの……、今までの皆さんの話と、ケリー大司教様の話が全然違うのだけど、どういうことなのかしら? それともあのアリステアという人は、礼儀作法は全然なっていないし、平気で嘘八百を口にする人だけど、成績だけはもの凄く優秀な人だとか? ……いえ、それはないわね。この場にいる生徒の皆さんの反応だと)
 講堂内のしらけ切った空気を読んだルーナがそう判断すると、必死に彼女を庇う姿が滑稽すぎてケリーを不憫に思ったのか、セルマ教授が人垣の前に出て彼に声をかけた。


「大司教様、申し訳ありません。少々宜しいでしょうか?」
「え? ……はい、何でしょうか?」
「アリステア・ヴァン・ミンティアは、官吏科などではございません。今現在は、貴族科上級学年に所属しております」
「は? そんな筈はありませんが」
「加えて言うなら、入学直後から成績不良で、補習と追試の常連者です。天地がひっくり返ったとしても、官吏科に入る筈がございません」
 そこまで断言されたケリーが狼狽してセルマ教授に訴えたことから、あれよあれよという間にグラディクトが学園の事務係官に命じ、定期試験の度に成績用紙を強制的に提出させていたことまで芋づる式に明らかになり、講堂中から彼らに対して非難の目が向けられた。


(ありえない……。なんなの、その不正っぷり。あ、一応公の成績を改ざんしたわけではないから、ギリギリ不正行為ではないのかしら? それにしても強引に成績用紙を融通させて恩人に偽りの成績表を見せるだなんて、褒められる行為ではないのは確かだし、本来他の生徒の模範となるべき王太子のする事ではないわよね? それくらい、部外者の私にだって分かるわよ)
 呆れるのを通り越してルーナはグラディクトに軽蔑の眼差しを向けたが、ここで新たな騒動が持ち上がった。



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