悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(46)シェーグレン公爵邸の動揺

 前夜の公爵家一家の帰還が遅くとも、使用人達の朝は当然早く、ルーナはいつもの時間にいつも通り使用人棟の食堂に出向いた。


「おはようございま」
「ルーナ! エセリア様が婚約破棄されたって聞いたけど、本当なの!?」
「昨夜の建国記念式典に続く夜会で、一方的に通告されたって聞いたけど?」
「しかもその理由が、グラディクト殿下が贔屓にしている女生徒をエセリア様が陰でいびり倒したり、エセリア様が周囲の人間を権力を使って虐げたからですって?」
「それであなた、昨夜出迎えの場で、大泣きしてしまったと聞いたけど!?」
「……ええ、その通りです。皆さん耳が早いですね」
 挨拶を言い終えるまでに他のメイド達から詰め寄られたルーナは、思わず遠い目をしながら肯定した。しかしそれで満足する周囲ではなく、その場の喧騒が増してしまう。


「ルーナったら! 一晩寝たら随分冷静になったみたいだけど、そんな話、冗談ではないわよ!?」
「そうよ! 確かにエセリア様は普通のお嬢様とは違って行動力がありすぎるし突飛なことを思い付く方だけど、他者を貶めるようなことはなさらないわ!」
「そうよね!? しかも格下の子爵令嬢に嫉妬ですって? 嫉妬するくらい、エセリア様が王太子殿下をお好きだったとでも言うのかしら? 思い上がりも甚だしいわ!」
「それに、周囲の人間を虐げたですって? エセリア様はそんなことに無駄に時間を費やしたりしないわ! 万が一される事があるとしても、周到に事を運ばれるに決まっているから、露見するはずがないもの!」
「そうですね……。ところで皆さん、取り敢えず朝食を食べませんか?」
(皆さん、エセリア様にも王太子殿下にも、結構遠慮や容赦がない事を言っているわね……。でも本当に、その通りだけどね。今日明日は確実に、色々な人に問い質されるわね)
 ルーナは心底うんざりしながら、興奮しながら捲し立てる周囲を宥めつつ朝食を食べ終え、エセリアの私室に向かった。それからはいつも通りエセリアの朝の支度を手伝い、彼女を食堂へと送り出した。




「エセリア様、しばらくは外出の予定はキャンセルされますね?」
 朝食を食べ終えて自室に戻ったエセリアを、ルーナは出迎えつつ確認を入れた。それにエセリアが真顔で応じる。


「ええ。どこに出向いても、しつこく婚約破棄について問い質されるのは確実だもの。それはちょっと勘弁して貰いたいから、急いでお断りの手紙を書くわ。それの届ける手配をお願いね」
「畏まりました」
 そう言われるだろうとルーナは予想し、書き物机に予め便箋とペンを揃えておいた。それを見たエセリアが満足そうに頷いてから手紙を書き始め、ルーナが届けられた封書などのチェックをしていると、慌ただしいノックに続いて一人のメイドが現れる。


「失礼します。エセリア様、ただいまクリセード侯爵家からコーネリア様とダリュース様がお出でになりました」
 その報告に、エセリアとルーナは揃って驚いた。


「え!? そんな予定は無かったし、第一、普通だったらこんな早い時間に来ないわよね!?」
「コーネリア様は、エセリア様にお会いしたいと申されておりまして。取り敢えず第一応接室にお通しして、お待ちいただいております」
「分かったわ。ルーナ、手紙は後よ」
「分かりました」
 そこでエセリアは素早く立ち上がり、ルーナも手早くその場を片付けて第一応接室に向かった。




「お姉様、朝食を済ませて早々の時間帯に、しかも子供連れで実家にいらっしゃるなんて、宜しいのですか?」
 約束も無しにいきなり現れた姉とソファーで向き合いながら、溜め息まじりにエセリアが尋ねると、コーネリアが笑顔で答える。
「勿論、大丈夫よ。お義父様もお義母様も、昨日の式典での醜態を目の当たりにして、殿下達に対して憤慨しておられたもの。『会場では毅然とされていたが、エセリア様はショックを受けているだろう。お慰めして来なさい』と、率先して送り出してくれたわ。エリーゼは『むずがったら却ってご迷惑だから』と、お義母様が預かって下さったし」
「……そうでしたか。それなら良かったです」
(エセリア様が、色々諦めたみたい……。だけどコーネリア様、実家であるこちらに時々お戻りになる度にお目にかかっていたけど、エセリア様とはまた違った意味で予測がつかなくて、無駄に行動力がある方だわ)
 傍目には美人姉妹が和やかに会話している光景だったが、ルーナは思わず溜め息を吐きたくなった。するとここで、急に甲高い声が上がる。


「おばさま! おばさまとのこんやくを、いっぽうてきにはきするでんかなど、わたしはだんじてゆるせません!」
(あぁあぁぁっ、ダリュース様! なんてお可愛らしいの!? お願いですからもう少しだけ純真なまま、お育ちになってくださいね! そしてできるなら、エセリア様やナジェーク様のようには、ならないでくださいませ!)
 興奮のあまり僅かに顔を赤くしながら、小さな拳を握って訴えた幼児を目の当たりにしたルーナは、その可愛らしさに感動しながら心の中で彼に懇願した。
 そんな小さな紳士を交えながらエセリア達が和やかに会話していると、何やら廊下の方から言い争うような声が聞こえてくる。


「あの! お待ちください! エセリア様は、今来客中でして!」
「すぐに応接間に、来訪の旨をお取り次ぎをしますので!」
「非礼は重々承知の上です! 火急の用件ですので、通していただきます!」
(え? 何かしら? この騒ぎは?)
 廊下から微かに聞こえてくる程度ながら、躾の行き届いた公爵家の使用人としては有り得ない事態に、ルーナは勿論、エセリア達も怪訝な顔になる。


「あら、廊下が騒がしい事。何事かしら?」
「さあ……、なんでしょう?」
 そうこうしているうちに、第一応接室のドアが勢い良く開かれ、それと同時に力強い挨拶の声が響き渡った。


「エセリア様はこちらですね!? 失礼いたします!」
「レオノーラ様!?」
「エセリア、どなたなの?」
「あの方は、ラグノース公爵家のレオノーラ様ですわ。クレランス学園で、私と同じクラスでしたの」
(え? 本当に公爵令嬢なの? ラグノース公爵家とシェーグレン公爵家は普段あまり交流が無いはずだけど、エセリア様と同じくらいとんでもないお嬢様なの?)
 前触れ無しでのいきなりの来訪は明らかに礼儀に反している上、使用人達の制止を振り切って押しかけるなど、貴族としてあるまじき行為に、ルーナは唖然としてしまった。そしてエセリアがコーネリアに対して説明する間に、レオノーラがソファーに歩み寄る。


「エセリア様! グラディクト殿下が事もあろうに建国記念式典で、あなたとの婚約破棄を申し出たと言うのは、どういう事ですか!? 昨日の式典には両親と兄夫婦が出席しておりましたので、朝食の席でそれを聞かされた時に、私、自分の耳を疑いましたわ! あまりの出来事に、思わずフォークとナイフを取り落としましたのよ!」
 レオノーラが興奮気味に捲し立てると、エセリアは微妙に彼女から視線を逸らしながら謝罪した。


「その……、不特定多数の皆様を驚かせる事になってしまい、本当に申し訳無く思っております」
「別に私は、エセリア様を責めているわけではございませんわ!」
「ええと……、はい。そうでございましょうね……」
 益々声を荒らげたレオノーラをどう宥めたものかとエセリアが困惑していると、反対側のソファーに座っていたコーネリアが静かに立ち上がり、穏やかに微笑みながらレオノーラに挨拶した。


「ラグノース家のレオノーラ様ですね? エセリアの姉の、コーネリア・ヴァン・クリセードと申します。こちらは息子のダリュース・ヴァン・クリセードです。本日は妹を心配して、わざわざ朝早くから出向いてくださったのですね? 姉として、心からお礼申し上げます。ダリュース、レオノーラ様にご挨拶なさい?」 
「はい、レオノーラさまには、はじめておめにかかります。ダリュース・ヴァン・クリセードです。よろしくおねがいします」
 礼儀正しく母子に挨拶されたレオノーラは、それで自分の非礼さを認識して瞬時に頭を冷やし、二人に向かって深々と膝を曲げてお辞儀を返した。


「お約束もなしに、突然押しかけるような非礼な真似をした上に、ご挨拶が遅れて真に面目ございません。レオノーラ・ヴァン・ラグノースと申します。以後、お見知りおきくださいませ」
「それではレオノーラ様。まずはそちらにお座りになって? あなたの分のお茶を用意させますわ。付き添いの方には、他で待機していただきましょう。皆、宜しくね?」
「畏まりました。お付きの方は、どうぞこちらに」
「申し訳ありません」
(コーネリア様、さすがの貫禄だわ……。レオノーラ様も、平常心を取り戻されたみたいで良かった)
 コーネリアの仕切りで公爵家の使用人達は即座に動き出し、レオノーラに付いて来たメイドを控え室に案内しながらその場を去って行った。そこでルーナが手早くお茶を淹れ、レオノーラの前に置く。レオノーラは恐縮しながらそれに手を伸ばし、さらに幾つかのやり取りをしてから鋭く切り込んできた。


「エセリア様。あなたは在学中に、私に仰いましたわね? 『あれは私の獲物だ』と。それなのに、このありさまですか?」
「弁解の余地がありませんわ」
「あの方達が、あなたの想像以上に愚かだった故だとは思いますが……。いえ、今更こんな事を言っても仕方がありませんわね。一体どうするおつもりですの?」
「勿論、謂われのない事については、しっかり弁明するつもりです」
 しかしそれを聞いたレオノーラは、苦虫を噛み潰したような表情になった。


「ですが、彼女はあの性格ですから、自分の非を棚に上げて、平気であなたを陥れる話を作ったり、証拠をでっち上げるかもしれませんわよ? 私が懸念しているのは、まさにそこなのですが」
「まあ……、そんなに問題のある方なの?」
「はい、コーネリア様、お聞きくださいませ」
 思わずと言った感じで口を挟んできたコーネリアに、レオノーラが勢い込んでこれまで学園内で繰り広げられてきた、グラディクトとアリステアの傍若無人ぶりについて語り始める。それにコーネリアは興味津々で聞き入っていたが、聞くともなしに聞いていたルーナは、話が進むに従って完全に呆れ果てた。


(完全に部外者で、学園内の事柄なんて全く知らない私にだって分かる……。それ、どう考えても駄目でしょう!? 王太子殿下ってどこまで馬鹿なの!? それにアリステアとかいう人、常識とか判断力が無いわけ!? そんな迂闊な人達が相手なら、エセリア様が好き放題嵌めることができる筈よね?)
 延々と続けられるレオノーラの暴露話に、ルーナが頭痛を覚え始めていると、ドアがノックされて唐突に当主であるディグレスが現れた。





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