悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(32)生存本能

 次にルーナが目を開けた時、一瞬自分が置かれている況が分からなかった。
(あれ? 私、寝ていた? 朝なの?)
「ルーナ、気がつきましたか?」
 どうやら自分に与えられている部屋の天井を見ているらしいとぼんやり考えたルーナは、自分の横から他の人間の声が聞こえてきたことで、そちらに意識を向けた。


「メイド長? え? あの、私……」
 ベッドに横になりながら困惑顔を向けてきたルーナを見て、この間座って彼女の様子を観察していたロージアは、溜め息を吐いてから説明した。
「状況が、よく飲み込めていないようですね……。あなたは第二応接室で意識を失って倒れたのです。こちらに運び込んで医師に診察して貰いましたが、取り敢えず頭部に目立つ外傷はないので、明日までは安静にして様子を見るように指示を受けています。勤務も免除しますから、そのつもりで寝ていなさい」
「そうでしたか……。勤務中にその場を離れることになり、申し訳ありませんでした」
(職場放棄なんて、本当になんてことよ。自分が信じられないわ)
 説明を聞いたルーナは、心底申し訳なく思いながら寝たまま神妙に小さく頷いた。それを見たロージアが、冷静に話を続ける。


「気にすることはありません。あなたが倒れた時の詳細については、ミランさんから説明を受けています」
「はぁ、それはお客様にまでご迷惑をおかけ…………、エエエエセリア様っ! メイド長! エセリア様がぁあぁぁっ!? あのっ! うたっ、しんっ、ちがっ!」
 第二応接室でのことに言及された途端、ルーナは瞬時に自分の目の前で何が起きたのかを明確に思い出した。それで激しく動揺した彼女は、勢い良く上半身を起こしてロージアにその時の様子を訴えようとしたが、興奮のあまり上手く伝えられずに口を無闇に開閉させる。その様子を見たロージアは、もう一度溜め息を吐いてからルーナを宥めにかかった。


「落ち着きなさい、ルーナ。あなたの目の前でエセリア様がなさったことについては、先程も言いましたがご本人とミランさんから一通り聞きました。決してエセリア様の気が触れたとかではありませんし、ご本人いわく『極端な例えを呈示してみたらああなったので、常に披露するつもりはないから』と言明されたので、心配要りません」
「……は、はいぃ? あの、『極端な例え』ですか? 一体、何に対しての例えなのでしょうか?」
「《久遠の救済》のアレンジだそうです」
「………………」
 あれが単なるアレンジで片付けられる代物なのかと、ルーナはもの凄く懐疑的な表情になった。そんな彼女に対し、ロージアが真顔で言い聞かせる。


「あなたの考えている事や言いたい事は、手に取るように分かります。ローダスさんもあまりの衝撃に物が言えないままカップを取り落とし、そのまま放置されていたので服が酷いありさまになっていました。あなたがその場で意識を手放したとしても、恥じることはありません。この屋敷内の使用人で、あなたを責める者など存在しないでしょう」
「恐れ入ります……」
(怒られなかったのは良かったけど、微妙な心境……。エセリア様は本当に、冷静にあれをやっていたの? とても正気だとは思えなかったんだけど……)
 ロージアに頭を下げたルーナだったが、まだ納得しかねて考え込んでいた。すると小さなノックの音に続いて控え目にドアが開き、そこから話題の主が神妙な表情で現れる。


「ええと……、ルーナ。意識が戻ったのね? 大丈夫?」
「エセリア様!」
「エセリア様!? 使用人棟で何をしていらっしゃるのですか!」
 あり得ない展開にルーナは驚きの声を上げたが、ここでロージアが素早く立ち上がり、エセリアに向かって雷を落とした。その剣幕に、エセリアは下手に出ながら懇願してくる。


「その……、ロージア。お願い、見逃して? 倒れたルーナが心配で、ちょっと様子を見に来たのよ。もうお客も帰ったし」
「全く! 心配なさるくらいなら、最初から常軌を逸したお振る舞いなど慎んでくださいませ!! ミランさんから激しい叱責を受けておりましたし、公爵令嬢として、いえ一人の人間として激しく道を踏み外した行為だったと、しっかり認識していただけましたね!?」
「……ええ、重々承知しているわ」
(あの、メイド長!? 仮にも仕えている家のお嬢様を、そんなに頭ごなしに怒ってしまって良いんですか? それにさっき『ミランさんから激しい叱責を受けて』とか言ってたけど、お屋敷出入りの商会の人間が、そんなことをして大丈夫なの!?)
 怒り心頭に発しているロージアと、ひたすら恐縮して深々と頭を下げているエセリアを見て、ルーナは戦慄してしまった。しかしロージアの話はそのままの勢いで続く。


「第二応接室が一面絨毯を敷き詰めてある部屋で、本当に幸いでした。それにミランさんの話では、ルーナは勢いよく仰向けに倒れながらも、無意識に両手で後頭部と首を押さえて直撃を避けたそうです。絨毯とそれがなかったらルーナは大怪我をしていたか、下手すれば死んでいたかも知れないのですよ!?」
「……確かに常軌を逸した振る舞いだったと、深く反省しているから」
「……手?」
 エセリアが頭を何度も下げているのを見てルーナは呆気に取られたが、ふと自分の両手を見下ろした。するとどちらにも手首から甲にかけて包帯が巻き付けられており、動転して声を上げる。


「うっわ! 何、この包帯! そういえば痛いかも! というか全然覚えていないけど、私背後に倒れながら、無意識に頭と首をかばったの!? 偉いわ、私! 凄いわ、私! 生きてるって素晴らしい!」
「………………」
 ルーナが反射的に自分の生存本能を褒め称えていると、驚いた顔で自分を凝視しているエセリアとロージアに気付き、恥ずかしさで顔を赤くした。


「あ……、も、申し訳ありません! お騒がせしまして!」
(あぁぁ……、恥ずかしい! 穴があったら入りたい!)
 俯いたルーナだったが、そんな彼女にロージアが神妙な口調で語りかける。


「いえ、ルーナ。あなたが無事だったのは奇跡に近いのですから、狂喜乱舞しても構いません。本当に、無事でよかった……。こんなことで命を落とすような事態になっていたら、ご領地のご家族やケイトに顔向けできなくなるところでした」
「メイド長……。今回は本当に、ご心配おかけしました」
 かなり心配をかけてしまったのを再認識したルーナは、深々と頭を下げた。するとロージアが、顔付きを改めて言い出した。



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