悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(28)予想外の心労

 エセリアがクレランス学園に入学後、ルーナは纏まった休みを取ってシェーグレン公爵領に帰った。以前話に聞いていた通り、王都と領地を定期的に往復している馬車に同乗させて貰い、領地の館の使用人達に挨拶をしてから伯父の家に向かう。
 彼女が両手に鞄を提げて街路を進んでいくと、家の門の前に佇んで周囲を見渡しているアリーが目に入った。それとほぼ同時にアリーもルーナの姿を認めたらしく、笑顔で駆け寄ってくる。


「お姉ちゃん、お帰りなさい!」
「アリー、外で待っていてくれたの?」
「うん! 今日帰ってくるのは手紙で知ってたし! 元気だった? 周りの人達から、田舎育ちだっていじめられていない? 仕事は大変じゃない?」
 矢継ぎ早に真顔でそんなことを問われたルーナは、思わず笑ってしまった。


「元気だったし、公爵邸に仕えている人達は分別のある人ばかりだからそんな心配は不要よ。仕事にも随分慣れたしね。あ、皆にお土産を色々持ってきたから、アリーの分を先に渡しておくわ。マール・ハナーの新作なの。まだ王都でも売り出していない本だそうよ」
「本当に!? お姉ちゃん、ありがとう! でもどうして、まだ売り出していない本をお土産にできたの?」
 ルーナが鞄から取り出した本をアリーは嬉々として受け取ってから、不思議そうに問い返した。それにルーナが微妙に言葉を濁しながら答える。


「ええと……、本を売っているのはワーレス商会だけど、そこの会頭さんがこのシェーグレン公爵領出身の関係で、公爵邸の御用を承っているのよ。それで新しく本を売り出す前に、エセリア様に複数冊届けられていて……。その中の一冊を頂いたの」
「え!? この本、お姉ちゃんが買ってきたんじゃないの!?」
 驚愕したアリーに、ルーナが軽く頷いてから説明を続ける。
「以前、アリーがエセリア様とこちらの館で顔を合わせたのは、本を破いてしまったのを謝りに来たからだったでしょう? それでアリーがマール・ハナーの本を読んでいたのを覚えていたエセリア様が『せっかくだから妹さんのお土産に持っていきなさい』と、届いたばかりの本を一冊譲ってくださったのよ」
 それを聞いたアリーは、感激の面持ちになった。


「エセリア様って、凄く優しいお嬢様なのね! そんなお嬢様にお仕えしているお姉ちゃんは凄いよね!?」
「ええと……、別に私は凄くはないと思うけど……、エセリア様がお優しいのは確かね……」
(うん、私、嘘や間違ったことは言っていないわよ? ただマール・ハナーが実はエセリア様だとか、エセリア様が男恋本を書いていることをわざわざ口にしていないだけで。というか男恋本って、こっちのワーレス商会の支店でも売っているのかしら!?)
 ルーナは僅かに顔を引き攣らせながらも、目を輝かせているアリーを促して家の中に入った。


 その日の夕食はルーナの帰宅を受け、家族全員が顔を揃えた。既に嫁いで久しいリリーもこの日は実家に戻り、ルーナとの会話に花を咲かせる。
「ルーナ、私にまでお土産をありがとう。王都での勤務を始めたばかりだし、そんなに気を遣わなくても良かったのに。それに半月も休みを取って大丈夫なの?」
 心配そうに尋ねてきた従姉に、ルーナは笑顔で応じた。


「それは大丈夫。今はエセリア様はクレランス学園に入学して寮生活を送っているから、普段は奥様の専属の方のお手伝いをしているの。勿論休暇でエセリア様がお屋敷にいる場合は、きちんとお世話しているけどね。それで『エセリア様が長期休暇で屋敷にお戻りになる前に、一度纏まった休暇を取ってご家族に顔を見せてきなさい。きっと心配されている筈ですから』とメイド長と執事長から勧められたから」
「それなら良かった。上の人がきちんと配慮してくれるみたいで、安心できたわ。慣れない王都暮らしの上にいきなり公爵令嬢付きなるなんて、本当に心配だったもの」
「私もどうなることかと思ったけど、エセリア様は基本的に手のかからない方で周囲への気配りも欠かさないし、お仕えするのは凄く楽なの。それに今のところ休暇で寮からお戻りになった時だけお世話しているし、寮におられる間に予習復習をして、取り敢えず仕事で失態はせずに過ごせているわ」
 孫娘二人のそんなやり取りを聞いて、アルレアが涙ぐみながら言い出す。


「私も安心したわ。ご領主様のお嬢様付きになるなんて大丈夫かと心配していたけど、ルーナの今の話を聞いたら、ロザリーとダレンさんだってきっと喜んだでしょう。本当に、立派に成長した今のあなたの姿を、二人に見せてあげたいわ……」
「お祖母さん……」
 アルレアのしんみりとした口調に、室内に静寂が満ちる。するとネーガスが小さく咳払いしてから、少し怒ったような口調で妻を叱る。


「やめんか、辛気臭い。せっかくルーナが帰ってきているのに」
「でも、あなた」
(お祖父さん、相変わらず素直じゃないのね。もうちょっと優しく言ってあげれば良いのに)
 なにやら夫婦で揉めかけてルーナがハラハラしていると、そこでかなり強引にラングが話題を変えた。


「そういえばルーナ! お仕えしているエセリア様は、王太子殿下の婚約者だろう? そうなるとこの先エセリア様が王太子妃におなりになったら、お前もエセリア様に付いていって王宮勤めになるのか?」
 彼からそんな疑問が呈された途端、室内全員の視線がルーナに集まった。それを受けて、ルーナは苦労して笑顔を作りながら、皆に説明する。
「さ、さあ……。さすがにそれはどうなのかしら? 王宮内で勤務する女官となったらさすがに審査が厳しいでしょうし、下級貴族出身とか平民でも代々王家にお仕えしている家系の人でないと無理じゃないかしら? だから私の場合、エセリア様が公爵邸におられる間だけのお世話役になると思うのだけど……」
 それらしい答えを口にしてみると、他の皆は少々残念そうな表情ながらも揃ってどこか安堵した笑顔になった。


「いくら何でも、それはそうだよな。王宮勤めにでもなったら、凄い出世だとは思うけど」
「でも王都の公爵邸でのお勤めだって、大したものですよ? 望んでも、できることではありませんもの」
「そうですよね、お義母様。もうルーナの嫁ぎ先は選び放題ですわ」
「こらこら、ミア。気が早すぎるぞ」
「全くだ。せっかく条件が良い縁談を選び放題なのだから、わしらできちんと吟味せんとな」
「私もお姉ちゃんみたいになれるように、頑張るね!」
 妹から尊敬の眼差しを向けられたルーナは、自分の顔が引き攣っているのを自覚した。


「あ、あはは……。私が公爵家仕えになったのは、偶々だからね?」
「本当に、ルーナは謙虚ね」
「そうだぞ。少しは自信を持て」
 リリーとラングに微笑ましそうに声をかけられたものの、ルーナの心中は穏やかではなかった。
(とても言えない……。エセリア様が自身の婚約破棄を企んでいて、それを何が何でも成し遂げる気満々で、その結果王宮に入る可能性が限りなく低いだなんて……。いえ、もともと口にできる筈も無ないけど! なんか気が緩んだ隙にうっかり口を滑らせそうで、怖くて仕事の話をしたくない!!)
 しかしルーナが休暇で戻って来たと周囲に話が広まると、近所の者達はこぞって王都や公爵邸での仕事の様子を聞きに入れ代わり立ち代わりゼスランの家に押しかけ、休暇の間、ルーナは殆ど心休まる日が無かったのだった。



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