悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(21)公爵邸での第一歩

 馬車1台と荷馬車1台、それを警護する騎士達で構成された一行は、道中何事もなくシェーグレン公爵領から王都の公爵邸に到着した。


(着いた……。想像はしていたけど、敷地もお屋敷の大きさも、領地のそれの何倍あるのかしら? 使用人も多いだろうし、他の皆さんに呆れられないように頑張らないと)
 必要最小限の荷物を纏めた鞄を手に馬車から降り立ったルーナは、少しの間目の前にある建物を感心しながら眺めた。それから、ここまで同行してくれた騎士達に礼を述べる。


「皆さん。道中、お世話になりました」
「おう、話は聞いてるよ。これからエセリアお嬢様づきになるんだってな。頑張れ」
「ほら、あそこに立っているのがメイド長のロージアさんで、隣がエセリアお嬢様専属のミスティさんだ。君を出迎えに来たんじゃないか?」
「本当ですか? じゃあ早速ご挨拶しないと。ありがとうございました」
 今回は公爵家の人間を出迎えるわけではなく、積み荷を運び入れる関係上裏門から入っており、荷馬車から積み荷を下ろした使用人達は、次々に屋敷の通用口を出入りして忙しく働いていた。その通用口付近にいる二人の女性を指し示されたルーナは、再び礼を述べてから彼女達に歩み寄った。


「メイド長のロージアさんと、エセリア様付きのミスティさんですね? 初めてお目にかかります。ルーナ・ロゼレムと申します。これからよろしくお願いします」
 ルーナが挨拶の言葉を口にして深々と頭を下げると、ケイトと同年輩に見える女性が笑顔で頷く。


「メイド達の管理を任されている、ロージア・シャレムです。ケイトが『この子なら大丈夫』と保証してくれましたから、あなたには期待しています。ミスティ。ルーナを部屋に案内してから、屋敷の取り敢えず必要な場所を一通り案内して、エセリア様に引き合わせて頂戴。ルーナの勤務は明日からで良いから」
「分かりました」
 そこでメイド長の指示を受けた二十代半ばに見える女性が、笑顔で声をかけてくる。


「ルーナ、初めまして。ミスティ・エバステルです。一緒に働くのは一ヶ月強になるけど、その間に必要な事はきちんと教えるつもりだから、安心して頂戴」
「はい、ミスティさん。ご指導、よろしくお願いします」
「それでは、あなたの部屋に案内するわ。荷馬車に積んだ大きな荷物は後で運んで貰うから、その鞄だけ持って付いてきて」
「はい、お願いします」
「それではメイド長、しばらくお願いします」
「ええ、エセリア様のご用事は、私が承っておきますから」
 引き継ぎをする女性から親しみやすい笑顔を向けられたルーナは、心底安心しながら頷いた。それから二人は通用口から屋敷に入り、廊下を進む。


「ここの渡り廊下の向こうが使用人棟だから。それでまず共用の中央棟に入るけど、ここから左側の棟が女性用、右側が男性用になるの。通り道だし、先にこの中央棟を説明しておくわ」
「はい」
 時折すれ違う使用人
達に会釈しながら二人は進み、渡り廊下を抜けて、今までより華美さには欠けるものの、清潔で実用的な建物内に入った。


「この中央棟は、勤務の合間に休憩する場合の休憩室や、食事をする食堂があるの。それでここが休憩室だけど、飲み物やお菓子程度なら持ち込んでも大丈夫だから」
「そうですか」
 一番手前の部屋のドアを開けながらミスティが説明し、彼女と共に入室したルーナは既視感を覚えた。


「あ……、こちらにも本が置いてあるのですね」
「ああ、そう言えば、領地のお屋敷の休憩室にも本棚が設置してあると聞いたことがあるわ」
 ミスティが苦笑いで応じると、テーブルで話に興じていた三人のメイド達が、二人に気がついて声をかけてくる。


「ミスティ、お疲れ様。ひょっとしてその新人、あなたの後任?」
「ええ、ルーナ・ロゼレムよ。皆、よろしくね」
「よろしくお願いします」
 ミスティが紹介し、ルーナが礼儀正しく頭を下げると、三人は嬉々として駆け寄ってきた。


「こちらこそよろしく! 皆で噂をしていたのよ!」
「そうそう! だって、あのケイトさんのお眼鏡に適った人材だもの!」
「きっと若くても、凄腕のメイドだろうって!」
「いえいえ、滅相もありません! 本当に若輩者ですから、ご指導よろしくお願いします!」
 あまりの期待度の高さにルーナが恐れおののきながら手を振って否定すると、
中の一人が笑いながら話題を変えてきた。


「そんなに緊張しないでよ。ところでさっき本棚の方を見ていたけど、領地のお屋敷にも小説が揃えてあると聞いているし、小説を読んだことはあるのよね?」
「はい、読ませて貰っていました」
「その本の中には『男恋本』は入っていない筈だけど、個人的に読んだことはある?」
「個人的に購入したことはありませんが、読んだことはあります」
 最終試験として読まされたなどとは言わず、事実だけを端的に告げると、三人は目の色を変えた。


「読んでいるの!?」
「そうよね! だって『男恋本とはなんですか?』とか聞かれなかったし!」
「それで? 読んでみてどうだった? 凄くワクワクした!?」
 その問いかけにも、ルーナは正直に答えた。


「はぁ……、文章的にはなかなか情緒的な物かとは思いましたが、少々現実味が無いというか、感情移入ができかねまして……」
 それを聞いた三人は、気落ちした表情になる。


「そうか……、ルーナはこっち側の人じゃないのね……」
「でも考えてみればそうよね。そうでなければ、エセリア様専属は務まらないわよ」
「変なことを聞いてごめんなさいね? 私達、個人の趣味嗜好の違いで隔意を持ったりしないから、安心して頂戴」
「当たり前でしょう。来て早々、変なことを言わないでよ。ルーナが驚いているわ」
「あ、いえ、大丈夫ですから」
 ミスティが三人を呆れ顔で嗜め、ルーナが慌ててその場を宥める。それから三人と笑顔で別れ、ミスティはルーナを連れて案内を再開した。


「ごめんなさいね。彼女達は全員、男恋本愛好者の方だったから。ケイトさんから話は聞いてきたと思うけど……」
「一応、さらりとですが。どんな感じなのかは、今のでなんとなく分かりました」
「話が早くて嬉しいわ」
 ミスティは苦笑いし、それからは順調に案内を続けて、ルーナに与えられた部屋に到着した。


「ここがあなたの部屋よ。これが制服。これからお屋敷内のめぼしい所を説明してからエセリア様にご挨拶して貰うから、着替えてくれる? サイズは大丈夫だと思うけど、合わなかったら言って頂戴。私はさっきの休憩室で待っているから」
「はい。少々お待ちください」
 そこでミスティと別れて部屋に入ったルーナは、早速ベッドの上に置いてあった制服一式を手に取る。


(エセリア様には領地にいらした時、偶に顔をお見かけした場合に挨拶する程度で、きちんとお会いするのはあの時以来だもの。緊張するわね)
 考え込みながらも手早く着替えを済ませたルーナは、ドアに鍵をかけてミスティが待っている休憩室に向かった。



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