悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(17)新たな決意

「ただいま」
 身体的な疲れに加えて精神的なそれも覚えながらルーナが帰宅すると、予め時間を見計らっていたのか、祖母と伯母と従姉が玄関で待ち構えていた。


「ルーナ、お帰りなさい」
「お義父様とアリーから話は聞いたわ。大変だったわね」
「ごめんなさい。面倒を見ると言っておきながら、お祖父さんがアリーを連れ出すのを止められなくて」
 申し訳なさそうに謝ってくるリリーを、ルーナは微笑みながら宥める。


「リリーお姉さんは悪くないから。気にしないで。ところでお祖父さんは?」
「あら? そう言えば、あの人ったらどこに行ったのかしら? ご領主様のお屋敷で騒ぎを起こしたばかりなのに、落ち着きがないわね」
「お祖父さんにも、色々行きたい場所があるでしょうから」
 腹立たしげに口にするアルレアも宥めながらルーナが居間に向かうと、従兄達とアリーが出迎えた。


「あ、ルーナ、お帰り」
「話は聞いたよ、あまり叱られなくて良かったな」
「おねえちゃん、お帰りなさい!」
「うん、ただいま」
 そして和やかに屋敷での出来事に関して話していると、ドアを開けてネーガスが姿を見せた。


「……おう、帰って来ていたか」
「『帰って来ていたか』ではありませんよ! 朝に続いて、一体どこに行ってらしたんですか!?」
 そこでアルレアが雷を落としたが、ネーガスの後ろから二人の男性が大きな木箱を運んできたのを見て、口を閉ざした。


「失礼します。この荷物はどこに運べばよろしいでしょうか?」
「ああ、こちらに頼む」
「畏まりました」
「え? あの、あなた達は?」
 ミアも怪訝な顔になる中、男達は居間のテーブルに箱を置くと礼儀正しく頭を下げた。


「ワーレス商会の者です。この度は大量のお買い上げ、ありがとうございました」
「今後とも、よろしくお願いします」
「は? 大量って、何を買ったんだ?」
 ルーナの帰宅を聞きつけて、店からやって来たゼスランが尋ねると、男達が説明を加える。


「店舗にある小説の在庫を、全て一冊ずつご購入いただきました」
「あ、マール・ハナーの《クリスタル・ラビリンス》シリーズ以外は、だろう?」
「お前、良くそこまで覚えているな。それでさすがにお一人でお持ち帰りになるのは無理なので、私達で運んできました」
「それはご丁寧に。ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、とんでもない」
「これからもご贔屓にお願いします」
 そして男達が立ち去ってから、ゼスランが父親に問い質す視線を向けた。


「お父さん?」
 それに対し、ネーガスはいつも通りの面白くなさそうな顔で、アリーを見下ろしながら告げる。
「これだけあれば、ルーナがお屋敷から借りてこなくても、アリーが退屈せんだろう。これを読んでいなさい」
「うわぁ! おじいちゃん、ありがとう!」
「……おぅ」
 満面の笑みでアリーから礼を言われたネーガスは、僅かに照れ臭そうな顔になりながらそっぽを向いた。それに全員が気がつかないふりしながら、話し始める。


「それにしても大量ね。本棚を準備しないと」
「あ、それなら寸法を測って、僕が作るから。そういうのは得意だし、2日か3日貰えれば」
「ほんと? カイルお兄ちゃん、ありがとう!」
「ああ、任せておけ!」
 罪滅ぼしのつもりで手を上げたカイルに、アリーが笑顔で頷く。それを見て、ネーガスが居間を出て廊下を歩き出したが、その後をルーナが追った。


「ええと……、あの、お祖父さん?」
「……何だ?」
 控え目にルーナが呼びかけると、ネーガスは足を止めて僅かに振り向く。


「その……、私のために公爵様に頭を下げることになって、すみませんでした」
「別に、お前のために頭を下げたわけではない。万が一、お前の悪評がお屋敷から広がったら、ゼスランの商売にも差し支えるだろうからな」
「それでも嬉しかったです。ありがとうございました」
「…………」
 ルーナは頭を下げたが、ネーガスの反応は特に無かった。しかし相手が微妙な顔をしているのを認めて、何となく笑い出したいのを堪えながら告げる。


「その……、頭を下げてくれたお祖父さんの為にも、これから一層お屋敷勤めを頑張ります」
「……そうだな。少しでも公爵様のお役に立つように励め」
「はい! そうします!」
(うん、やっぱり山を引き払って、こっちに来て正解だったわ)
 明るい笑顔で宣言したルーナは、相変わらず素直でないネーガスが一人で食堂に向かうのを、微笑みながら見送った。




 ※※※




 屋敷で一騒動あった後もルーナはきちんと仕事を続け、連日洗濯物と格闘していた。
(今日で公爵様達は、王都にお戻りになるのよね……。もう一度お目にかかって改めてお礼を言いたかったけど、私みたいな下っ端メイドが直接お会いできる機会なんかないし、仕方がないか)
 ぼんやりとそんな事を考えながらシーツの洗濯に取り組んでいると、一人のメイドが駆け込んで来る。


「ルーナ! ルーナ・ロゼレムはいる!?」
「え? あ、はい! 私ですけど、何かご用ですか?」
 見覚えのない相手からの呼びかけに、慌てて泡だらけの右手を上げると、彼女はルーナに歩み寄りながら手短に事情を説明した。


「エセリア様が、あなたをお呼びなの。出立前で、皆様が正面玄関にお揃いだから急いで!」
「え、ええ!? 今ですか?」
「今に決まっているでしょう! 早くいらっしゃい!」
「ルーナ、ここは良いから」
「あ、はい! すみません! 少し離れます!」
 些か乱暴に腕を引かれたルーナは、周囲に促されて慌てて腕の泡を流して水気を拭き取り、迎えに来たメイドと一緒に急いで正面玄関へと向かった。


「申し訳ありません、お待たせしました」
 正面玄関ホールには確かに公爵家全員が勢揃いしており、主一家の見送りの為に使用人達が両脇に列を作って控えていた。その場違い感にルーナは怯みそうになったが、旅装のエセリアが明るく声をかけてくる。


「ルーナ、仕事中にごめんなさい。ここを立つ前に、気になっていたことをはっきりさせたくて。あれからお祖父さんと妹さんは大丈夫だった? 家族の皆も、安心したかしら? 心配は要らないかと思ったけど」
 その問いかけに、何事かと思っていたルーナは安堵しながら言葉を返した。


「私や家族のことを気にしていただいて、ありがとうございます。ですが、本当に大丈夫ですから。頂いた本を見て皆が安堵しましたし、妹は大事に読んでいます」
「それなら良かったわ」
「それから、お嬢様が口にされていた『ツンデレ』の意味が理解できた気がします」
「あら、どうして?」
「家に帰ったら、お祖父さんがワーレス商会から《クリスタル・ラビリンス》シリーズ以外の全ての小説を買い上げて、『これでお屋敷から借りてこなくても良いから、安心して読め』と妹に渡していました」
 それを聞いたエセリアが、怪訝な顔になる。


「え? ここのワーレス商会の支店にあった小説を、全部買ったの? 因みに何冊?」
「数えてみたら、47冊ありました」
「よっ、よんじゅ……、あ、あはははははっ! お、お祖父さん、やっぱり最高~!」
「ツンデレっ……」
「本当に微笑ましいわね」
 エセリアだけではなく、ナジェークやコーネリアを筆頭に、その場全員が笑顔になった。


(本のことは、言わなくても良かったかも……。でも、まあ良いか)
 ほんの少しだけ後悔したものの、使用人達を含めて全員が楽しげに笑っていたため、ルーナも小さく笑った。


「良かった。これですっきりして帰れるわ。あと、私とそんなに年が違わないのに、もう働いているなんて凄いなと思っていたの。お仕事、頑張ってね」
「はい、頑張ります。エセリア様、今回は色々とありがとうございました。道中、お気を付けて」
 エセリアの別れの挨拶にルーナは神妙に言葉を返し、数台の馬車に分乗して王都の公爵邸へ戻っていく一家を、他の使用人達と共に笑顔で見送った。


(公爵家の皆様が、素敵な方々だと知ることができて良かった。これからはそんなにお目にかかる機会はないと思うけど、頑張って働こう)
 そんな決意も新たに、それからルーナは各種メイドの仕事に邁進していくのだった。



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