悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(12)意図せぬ布教

「ただいま……」
「ルーナさん、お帰りなさい。お疲れ様でした」
 帰宅して家に入ると、夕食の支度を終えたらしいイルマが、畳み終えたシーツなどを運んでいるところに出くわした。それを見たルーナが、正直な思いを口に出す。


「イルマさん……。家事って、奥深いんですね。私、色々舐めてました」
「まあ……、何事ですか?」
「それが……、今日からランドリーメイドとしての仕事を始めたんですが、破いてしまったり、縮んでしまったり、色が落ちてしまったり……。力任せにごしごし洗うだけが、洗濯ではないんですね……」
 しみじみとルーナが語ると、最初呆気に取られた表情だったイルマは、苦笑交じりにルーナを宥めた。


「ああ……、ああいうお屋敷だと、手入れが異なったり手間隙がかかる素材の物が多いのでしょうね……。でも経験すれば自ずと分かりますし、初日からきつく叱られたわけではないでしょう?」
「はい。皆、笑って宥めてくれました」
「そうでしょう。大抵は皆、通る道ですから。それに何も教わる前に完璧にできていたら、べテランの皆さんの立場がありませんよ。これからもっと色々覚えることがありますから、頑張ってくださいね?」
「はい、頑張ります」
 優しく微笑まれて、ルーナもかなり気持ちが落ち着き、素直に頷いた。それから居間に向かって廊下を歩いていると、アリーに遭遇する。


「あ、おねえちゃん、お帰りなさい! お仕事、どうだった?」
「うん、まあ……、それなりに? あ、そうだ。アリーに見せたい物があるんだけど」
「なに?」
「この本よ」
 詳しく仕事の内容を口にしたくなかったルーナは、布袋から本を取り出して見せた。するとアリーが、微妙に嫌そうな表情になる。


「……本? 今日はもう、リリーおねえちゃんと勉強したよ?」
「これは教本とかじゃないの。小説の本よ」
「『しょうせつ』って、なに?」
「う~んと、説明しにくいな……。お話、読み物なんだけど……」
「教会のお話? それも村の教会で、おしえてもらったよね?」
 少し読んだだけでは上手く内容を説明できず、ルーナは困ってしまった。それで不思議そうなアリーを促し、一緒に居間へと向かう。


「とにかく、ちょっと読んでみて。夕食の時間まで、まだ少し間がある筈だから」
「分かった。よんでみる」
 二人が居間に入り、アリーが椅子に座って本を読み始めると、リリーがやって来た。


「あ、お帰りなさい、ルーナ。まだ小さいのにメイドとして働くなんて、本当に大丈夫?」
「リリーお姉ちゃん、小さいって……。私、もう十二歳だけど?」
「まだ十二歳じゃないの」
 困惑するルーナに、リリーが呆れながら言葉を返す。すると本から顔を上げたアリーが、真顔で尋ねてきた。


「おねえちゃん、『とりまき』って、何?」
「え? 『取り巻き』? ええと……、要するに、力のある人の側についてその人のご機嫌を取って、自分がいい思いをしたり、良い立場になろうとしている人のこと、かな?」
「そうか。分かった」
 ルーナの説明を聞いたアリーは頷き、再び本に目を落とした。それを見たリリーが不思議そうに尋ねる。


「あら、見覚えがない本だけど、アリーは何を読んでいるの?」
「お屋敷から借りてきた、小説を見せているの。使用人なら自由に借りて、持ち出して読んでも構わないと言われたから。リリーお姉ちゃんは、『小説』って知っている?」
「『小説』? ああ……、何度か耳にしたことはあるわね。去年辺りから、王都の方で流行っているそうよ。こちらの方でも、ワーレス商会の支店で売り始めているらしいけど、私はまだ読んだことが無いのよ」
 二人でそんな会話をしていると、再びアリーが顔を上げた。


「おねえちゃん。『そんたく』って、何?」
「ええと……、それ、何だったっけ?」
 いきなり問われたルーナは困惑したが、リリーは一瞬驚いた顔になってから、
本棚に歩み寄った。


「まあ……、随分難しい言葉が書いてあるのね。アリー、色々な言葉の意味はこの辞書に書いてあるから、自分で調べてみましょうか。今、調べ方を教えてあげるから」
「うん、リリーおねえちゃん、お願い!」
 本棚から抜き取った辞書を片手にアリーに歩み寄ったリリーは、辞書の引き方を教えてから、邪魔をしないように少し離れた場所にいるルーナの所に戻った。


「……驚いたわ。聖典とかの話かと思ったら、全然違うのね」
 問題の本をざっと斜め読みしたリリーが感想を口にすると、ルーナが真顔で頷く。


「はい。ああいう本は、私も初めてで。アリーが読みやすいかなと思って、持ってきてみたんですけど」
「正解よ、ルーナ。教本とかだと嫌々読んでいるのが丸分かりなのに、あんなに楽しそうに読んでいるわ。あの子にはちょっと内容が難しいかもしれないけど、進んで調べながら読んでいるし。良い勉強になるわよ」
「本当に凄いですね」
 しみじみとした口調でルーナが応じると、リリーが頼み込んでくる。


「ねえ、ルーナ。一冊だけじゃなくて同時に何冊か借りられるなら、明日は他にも借りてきてくれない? 私も読んでみたくなったわ」
「そうですね。あれはアリーが読み終わるまで時間がかかりそうだし、私も読みたいから借りてきてみます」
「お願いね。今度ワーレス商会の支店に出向いて、あまり高くないようなら、自分でも小説を買ってみるわ」
 そこで夕食の支度が整ったとイルマが告げにきたことで、三人は揃って食堂へ移動した。



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