悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(16)諦観

 その日はコーネリアとライエルの婚約披露宴の打ち合わせの為、シェーグレン公爵夫妻とコーネリアがクリセード侯爵邸を訪れる事になっていた。
「皆、それでは行ってきますね」
「行ってらっしゃいませ」
 今回の随行はミレディア付きのメイドが務め、アラナは他の使用人達と同様に玄関ホールで主達を見送ったが、乗り込んだ馬車が遠ざかるのを眺めながら密かに溜め息を吐いた。


(全く。旦那様も奥様も、甘いと言うかおおらかと言うか……。コーネリア様がどんな本をお書きになっているのか知っても、「事実をそのまま書いているわけではないし、問題ないのではないか?」とか「それほど話題になっているような事も聞かないし、むきになって咎め立てする事もないでしょう」とかあっさり流してしまわれて……)
 少し前、さり気なくコーネリアの本の内容について公爵夫妻に意見してみたが、やんわりと肯定されてしまったと頭痛を堪える表情でロージアから経過を教えられたアラナは、僅かに握った拳を震わせながら直近の問題を思い返した。


(そもそもエセリア様の男恋本に関しても、「良く分からんが、こういう本が売れるのか?」「不思議ですが、コーネリアがそう言っているのだから」の一言で済ませてしまうなんて……。お二人とも本当に、お嬢様達に甘過ぎます!! それにコーネリア様を信用していただいているのは嬉しいですが、ものには限度という物がありますよね!?)
 ショックで倒れた後、メイドの分際で意見などおこがましいと思いつつも公爵夫妻に突撃して事情を説明した彼女だったが、それを微笑みであっさり流されてしまい、咎めを受けなかったのは良かったものの、それ以降納得しかねる思いを抱えたままだった。


(でもコーネリア様にとってはお気の毒だけど、クリセード侯爵家に嫁ぐ事になったからには、侯爵ご夫妻がお嬢様の執筆活動について的確に意見される筈よ。元々は素直で、極めて常識的なコーネリア様だもの。きちんと弁える所は弁えて、これからは表立って本を書いたりなさらない筈だわ)
 コーネリアの縁談で、近々状況は否応なく変化するだろうと確信していたアラナは、自分自身にそう自分に言い聞かせながら仕事へと戻って行った。そして予定時間を少し過ぎて、コーネリア達は屋敷に戻って来た。


「アラナ、戻ったわ!」
「お帰りなさいませ。侯爵邸ではどうでしたか? 打ち合わせは順調に済みましたか?」
「ええ。全て問題なく進んで、あとはパーティー本番を迎えるだけよ」
「それは良かったです」
 出発時と同様、玄関で他の使用人達と揃って主一家を出迎えたアラナは、自分に歩み寄りながら明るく声をかけてきたコーネリアに、自然に顔を綻ばせた。そして斜め後ろに付き従いながらコーネリアの私室に向かって二人で歩き出すと、弾んだ声での報告が始まる。


「それでね? 今日は打ち合わせとは別に、とても嬉しい事があったの!」
「まあ……、そんなに嬉しい事って、何ですか?」
「ライエル様と向こうのご両親を交えてお話をした後、屋敷内を案内していただいたの。そうしたら書斎の本棚に、カーネ・キリーの本が三冊並んでいたのよ!」
 感極まった声でそう告げられたアラナは、驚きのあまり思わず足を止めて問い返した。


「……え? これまでにお嬢様がお書きになった三冊とも、ですか?」
 それにコーネリアも足を止め、振り向きながら話を続ける。
「ええ! 侯爵夫人が以前から読んでくださっていたの! それでよほどお気に召していただいていたみたいで、わざわざ本を取り出して読んだ感想やご自分なりの所見を、それはそれは熱く語ってくださったの! 読者の感想を直に聞く機会などないから、もうそれだけで感激してしまって!」
「そうでございましょうね……」
 頬を紅潮させながら訴えるコーネリアを微笑ましく思いつつも、内容が内容だけにアラナは遠い目をしてしまった。するとコーネリアが、予想外の事を言い出す。


「それでね? 私、もう我慢できなくて、自分がカーネ・キリーだと皆さんに打ち明けてしまったの!」
「はい!? その場でですか!?」
 慌てて問い質したアラナだったが、コーネリアは瞳を輝かせながら明るく肯定した。


「ええ! そうしたら侯爵夫人が、『そんな才能豊かな女性が、我が家に嫁いでくれる事になって誇らしいわ!』ととても喜んでくださって! ライエル様と侯爵様に『これから幾らでも、我が家の名前で執筆していただいても構いませんわよね?』と念押ししてくださったの!」
「それで、ライエル様とクリセード侯爵様は何と……」
「お二人とも侯爵夫人が良ければ、一向に構わないと仰ってくださったわ!」
「そうでございますか……」
 クリセード侯爵家の男性陣に僅かな希望を託したアラナだったが、それはあっさりと打ち砕かれてしまい、がっくりと肩を落とした。しかし上機嫌なコーネリアは、そんな彼女の落胆に気が付かないまま夢中で話し続ける。


「それから『こういうなかなか面白い話があるのだけど、本にならないかしら』と切り出された侯爵夫人から、社交界での色々な噂話を教えていただいて、とても参考になったの。それで『これからはキャサリンと名前で読んで頂戴』と言われて、キャサリン様と意気投合してきたわ」
「それは、ようございました……」
「出掛ける前、凄く緊張していたのが嘘みたい! キャサリン様とあんなに仲良くなれたのは、私に本を書くように勧めてくれたあなたのおかげよ! アラナ、ありがとう!」
「いえ……、別に私は、お嬢様に執筆をお勧めしたわけでは……」
「さあ、そうと決まれば、コーネリア・ヴァン・クリセードの名前で発表する本の執筆を始めないと! キャサリン様から某伯爵家の隠し子騒動とか、某侯爵家の嫁いびりの話をお伺いしてきたし。それに某子爵家の水面下での猟官運動の話を絡めれば、面白い話が書けそうだわ!」
「…………頑張ってくださいませ」
「ええ! キャサリン様も楽しみにしてくださっているものね!」
 何とか声を絞り出し、笑顔を貼り付けてコーネリアと共に再び廊下を歩き出したアラナだったが、ある種の敗北感に塗れて打ちひしがれていた。


(クリセード侯爵夫妻が、執筆活動をきちんと制止してくださると思ったのに、まさかの推奨……。でも、もう良いわ。書いている内容が『あれ』でも、それで姑に気に入られているのだから、私が気に病む事ではないわよね)
 コーネリア様がお姑様に嫌われるわけはないけれど、より気に入られたのなら本を書く事位なんでも無いわねと、アラナは自分自身を納得させ、それ以降は本の内容について意見する事を完全に放棄したのだった。



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