悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(10)束の間の談笑

 ワーレス商会での全ての予定を済ませたコーネリアは、見送りに出て来たワーレス一家に向かって深々と頭を下げた。
「今日はお仕事中にお邪魔して、ご迷惑をおかけしました。それに皆様から貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
 それにワーレス達が、笑顔で応じつつ頭を下げる。


「とんでもございません。寧ろこちらにご足労いただき恐縮です」
「少しでもコーネリア様のお役に立てたのなら幸いですわ」
「それでは失礼します。本にする事ができましたら、皆様に進呈いたしますね」
 そうしてコーネリアはアラナを従えて馬車に乗り込み、公爵邸への帰途についた。


「アラナ。今日は一日中、付き合ってくれてありがとう」
 馬車の中で向き合って座ったコーネリアに礼を言われたアラナは、笑顔で首を振った。
「専属メイドがお嬢様に同行するのは当然です。お気になさらないでください」
「でも、今回はかなり個人的な用事だったし……。今日聞いた話を元に本を作ったら、アラナが良ければ一冊あげようかと思うのだけど」
 申し訳なさそうにコーネリアが口にした内容を聞いた途端、アラナは目を輝かせた。


「お嬢様、本当ですか!?」
「ええ。他に随行する時とは違ってする事も無くて、退屈させたと思うし」
「退屈なんてとんでもありませんが、頂けるのなら是非お願いします!」
「そう? それならアラナにも渡すわね」
(記念すべき、コーネリア様の初めての本! どんな事をしても購入するつもりだったけど、お嬢様手ずからくださるなんて感激だわ!)
 安堵と照れ臭さが混在したようなコーネリアの微笑みを見ながら、アラナは必死に内心の高揚感を抑え込みつつ屋敷へと戻って行った。




「よし、それじゃあ仕事に戻るか」
「そうだね」
 馬車が見えなくなってから安堵した表情で踵を返したワーレスに、他の者も従って店内に戻ろうとしたところで、高い制止の声が響いた。


「皆、ちょっと待ってくれるかな? 話があるんだけど」
「今、ここでか?」
「後では駄目なの?」
「うん。コーネリア様と話す中で、色々考えた事があって。いい機会だから、言っておきたいんだ」
 怪訝な顔の両親に向かってミランが真摯な表情で訴えると、何かを察したらしいワーレスは無言で末息子に話すように促した。それを受けてミランは深呼吸をしてから、先程コーネリアと話した内容を語り出す。


「僕がクレランス学園に入学したい理由だけど、有力な貴族の子弟や有望な官吏の卵との接点を作って、商売に繋がる人脈を作りたいからなんだ! 勿論、コネだけで商売が上手くいくわけではないし、今までの商売を否定するつもりはないよ。それに商売に繋がるのは、十年どころか二十年三十年先の話になるだろうけど、今のワーレス商会に欠けているものは何かと考えてみたら、これが一番だと思ったんだ。でもそうすると三年間は寮生活でろくに店の仕事をできないし、せっかく官吏科に入れたのに官吏にならずに商人になるのかと、特に身内にクレランス学園の選抜試験を落ちた人間がいる人達から顰蹙を買う事になるかもしれないけど、進学させてください。お願いします!」
 勢いに任せて言いたい事を言い切ったミランが勢い良く頭を下げると、家族全員呆気に取られて固まった。しかしここで一番早く反応したのは、意外にもクオールだった。


「ミラン。お前、そんなすごい事を考えていたんだな。僕は自分が恥ずかしいよ。僕は単に、自分ができる事、好きな事をやりたいだけで工房に籠っているのに……。僕より年下なのに、そんなに真剣に店の商売と未来を考えているなんて。もの凄く感動した。父さん、母さん、兄さん、三年間店の仕事ができなくたって、それは大した事じゃないよね? それに顰蹙って言ったって、それは単なる僻みだよ。文句があるなら、コネ目当てに入学するミランより学力をつけておくべきだよ。下心のあるミランに負けるようなら、そもそも官吏に登用されたりしないさ」
 大真面目に弟を庇ったクオールを見てワーレスが何か言いかけたが、それより早くデリシュが弟達に歩み寄り、その頭を両手でわしゃわしゃと些か乱暴に撫でまわしながら、満面の笑みで告げた。


「全く。何か考えがあるだろうとは思っていたが、そんな事を考えていたとはな。くだらない事を気にするな。お前に店の事をやって貰えない位で、傾くようなワーレス商会じゃないぞ?」
「デリシュ兄さん……」
「やっぱりお前は、商人として見所がある。機を見るに敏だとは思っていたが、うちの弱点を正確に把握するだけじゃなくてそれを補う為の方策まで考えるなんて、普通の子供にはできないぞ。俺が八歳の頃なんか、遊ぶ事しか考えてなかったからな。それにクオール。お前も変に卑屈になる事はないぞ?」
「え? 兄さん?」
「考えてもみろ。単に生産者から物を買い上げて客に売るだけなら、普通の商人と何ら変わらない。ワーレス商会がここまで大きくなれたのは、購入客の要望を聞き取って商品を改良したり、より有益な物を開発して付加価値を付けた商品を少しづつ売り出してきたからだ。だから工房の存在は、これからもうちが発展する為に重要な部署なんだぞ? 間違っても俺にはそういう事はできないんだから、自信を持てって! なあ、父さん母さん、二人とも自慢の息子だろう?」
 満面の笑みで振り返ったデリシュを見て、ワーレスとラミアは一瞬顔を見合わせてから相好を崩した。


「ああ、全くその通りだな」
「三人とも、私達の自慢の息子よね」
「……え?」
 今度はデリシュが虚を衝かれたような表情になったが、ここでミランとクオールが両親の意見にこぞって賛同する。


「そうだよ! デリシュ兄さんが、一番自慢の息子に決まってるさ!」
「親身になってお客に接していて評判が良いし、面倒な仕事を人任せにしないで一番働いて従業員の皆からの信頼も厚いし! 他の商人の人達から『立派な跡継ぎがいてワーレスさんが羨ましい』って言われているのを知ってるからね!」
「お、お前らな……」
 店先で盛大にそんな事を叫ばれたデリシュは、照れくささで顔を紅潮させたが、そんな長男を夫妻は微笑んで見やった。


「三人とも。取り敢えず言いたい事は全部言ったな? そろそろ中に戻るぞ」
「ミラン、分かっているでしょうけど、クレランス学園の選抜試験は難関よ? 頑張りなさい」
「うん、頑張るよ!」
「ここまで宣言して、受からなかったら洒落にならないしな」
「クオール兄さん! さり気なくプレッシャーをかけるのは止めてくれないかな!?」
「だけど、確かにそうだよなぁ……」
「デリシュ兄さんまで!」
「悪い。冗談だって」
「そうそう、受験はまだ先なんだし、今からそんなに怖気付いていてどうする」
 息子達が苦笑しながら並んで店内に入って行くのを見送りながら、ワーレスが嬉しそうに妻に囁く。


「三人ともそれぞれ頼もしく育っているのが分かって、嬉しい限りだな」
「ええ。これもコーネリア様のお陰ね」
「ああ。どんな本をお書きになるのか、今から楽しみだ」
「本当にそうね」
 そこで満足げに頷き合ってから、二人はゆっくりとした足取りで店内へと戻って行った。



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品