悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(4)ちょっとした試み

 ある日、アラナは屋敷に届けられたコーネリア宛の手紙を執事から預かり、すぐに彼女へ届けた。すると差出人を確認したコーネリアが期待に満ちた表情でそれを開封し、便箋に書かれた内容に視線を走らせてから嬉しそうに声を上げる。
「良かった! 無理を言ってしまったかと心配していたけれど、快諾していただけたわ!」
(どうしたのかしら? コーネリア様が、あんなにご機嫌になるなんて。確かあれは、ワーレス商会のラミア様からのお手紙だったわよね?)
 主の喜びようをアラナが不思議に思っていると、笑顔で手紙を読み終えたコーネリアが向き直って声をかけてきた。


「アラナ。明後日は一日ワーレス商会に出向くから、そのつもりでいて頂戴ね?」
 その指示に異論を挟むつもりは無かったが、全く理由が分からなかったアラナは反射的に尋ね返した。
「ワーレス商会にですか? それは構いませんが……、一日と仰いますと、夕刻までですか? 一体どんな用向きで、お出でになるのでしょう?」
「皆さんの話を聞きによ」
「はぁ?」
 益々困惑したアラナだったが、自分の説明が足りないと察したコーネリアは、順を追って話し出した。


「ほら、少し前に私が愚痴を溢した時、アラナが言っていたでしょう? 私にしかできない事があるって」
「はぁ……、確かに申し上げましたね」
「それでね? 私、それは何かと、色々考えてみたの。その結果、私も小説を書いてみようと思ったの」
「……どうしてそのような結論に至ったのでしょうか?」
 辛うじて顔が引き攣るのを回避しながらアラナが慎重に尋ねると、コーネリアが真顔で話を続ける。


「エセリアは《クリスタル・ラビリンス》シリーズを、全くの想像の産物で荒唐無稽な設定にも関わらず、読者が感情移入して読める物として書き上げたでしょう?」
「そうですね……、エセリア様の頭の中がどうなっておられるのか、不思議で仕方がありません……」
 どこか遠い目をしながらアラナが相槌を打つ中、コーネリアの主張が続いた。


「勿論、エセリアと同じ事はできないけれど、史実を元に想像を膨らませて話を構築するのなら、私にもできるのではないかと思ったの。小説を書くのはエセリアに倣う事になるけど、自分のできる事を探すなら、できる事を少しずつ拡げていくべきではないかしら」
「なるほど……、それもそうですね。一足飛びに新しい事ができるとは、考えにくいですから……」
「それで、誰かをモデルにして書いてみようかと考えた時、ラミアさんの話を思い出したの」
「ワーレス夫人のお話ですか?」
 それでどうして過去の偉人などではなく、平凡では無いかもしれないが一介の商人の妻をモデルにするのかとアラナが訝っていると、その戸惑いを察したコーネリアが説明を加えた。


「エセリアの本の出版について色々相談する事があって何回かワーレス商会に出向いた時、毎回アラナを同伴していたから覚えていると思うけど、世間話の中でラミアさんの幼少期から、結婚当初の苦労した時期の話を聞いたでしょう?」
 そう問いかけられたアラナは、即座に深く頷く。


「はい。お側で聞くとも無しに聞いてしまいましたが、特に商家の下働きをしていた頃の話など、涙が零れそうになるのを必死に堪えておりました」
「そんな苦労をされても普段はそれを微塵も面に出さず、彼女は夫を支えてあそこまで店を大きくしたでしょう? 店員や地域の方々の面倒も良くみて、大勢の人から慕われているみたいだし」
「そうですね。ワーレス商会は以前から貧者への施しや国教会への寄付で、話題になっております。きっと不遇な時代を経たからこそ、弱者への労りの心を忘れた事がないのでしょう。本当に、他の暴利を貪るだけの悪徳商人どもに見習わせたい位です」
「私もそう思うわ。それでラミアさんの話を元に、どんな困難にも負けずに立ち向かう不屈の精神と、理不尽な境遇を打破する強さと、弱者を労る心の崇高さを訴える本を書いてみようかと思ったの」
 コーネリアがそう話を締め括ると、アラナは感激のあまり両手を強く握り締め、満面の笑顔で彼女の意見に賛同した。


「素晴らしいです、お嬢様! それは是非とも書くべきです! 私は大賛成ですわ!」
「そう? まだ子供に過ぎない私が書くのは、ちょっと生意気かもしれないと思ったのだけれど……」
「とんでもありません! こういう事に年齢など関係ありませんわ! 良いと思った事には、躊躇わずに突き進むべきです!」
 重ねてそう主張すると、コーネリアは安堵の微笑みを浮かべながら、少々照れ臭そうに頷く。


「ありがとう。アラナにそう言って貰えて、勇気が出てきたわ。頑張って書いてみるわね?」
「はい! 私は何回でもワーレス商会にお付き合いしますので、遠慮なくお申し付けください!」
 そう宣言しながら、アラナは誇らしい気持ちで胸が一杯になった。


(さすがはコーネリア様! 物事をこれ以上は無い位、深く、真剣に考えていらっしゃる! やっぱり単純に好き勝手な事をされているエセリア様より、遥かに聡明で気高い自慢のお嬢様だわ!)
 改めて心の中で主の資質を褒め称えたアラナだったが、この事がワーレス商会を巻き込んだとある悲劇、あるいは喜劇の発端になるのだった。



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