悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(13)懸念の払拭

 領地に戻る日が近付いて来た頃、エセリアは審議の日以来初めて、クレランス学園を訪れた。
「クレランス学園にようこそ、エセリア様。ああ、今はアズール伯爵でしたな」
 正面玄関で馬車から降り立った途端、満面の笑みで出迎えてきたリーマンに、エセリアは笑顔で頭を下げる。


「格式張った物言いは結構ですわ。ご無沙汰しております、学園長」
「お元気そうで何よりです。ちょうどこの時期に王都滞在とお伺いしましたので、駄目で元々と招待状をお送りしてみましたが、快く出席のお返事をいただいて生徒達は勿論、教員達も歓喜しておりました」  リーマンと並んで歩きながらそれを聞いたエセリアは、思わず苦笑した。


「私が卒業して二年も経ちますから、直接見知っている生徒は少ないでしょうに……。そこまで喜ぶ理由が分かりませんわ」
「ご謙遜を。あなたは学園在学中に、幾つもの新たな風を起こしたのですよ? 既に半ば伝説となっているあなたの姿を、直に目にする機会など滅多にありませんからな」
「恐縮です」
 そんな会話をしながら校舎内を進み、開会式を待つばかりの競技場にエセリアが足を踏み入れると、会場のそこかしこから囁き声が湧き起こる。


「あれがエセリア様だ」
「本当にいらっしゃったわ!」
「凄い美人じゃないか」
「あの人との婚約を破棄って……、前王太子って本当に馬鹿だよな」
 様々な感情が渦巻く中、エセリアはリーマンに先導されて観覧席に到着した。


「アーロン殿下、マリーリカ様。エセリア様がいらっしゃいました」
「アーロン殿下、遅参して申し訳ありません」
 そこには既に警備の近衛騎士を従えて来場し、着席していたアーロンとマリーリカが居た為、エセリアが恐縮気味に頭を下げたが、彼は笑って手を振った。


「いえ、私達が予定よりかなり早くこちらに来ただけですので、お気遣いなく。マリーリカを迎えに行って、そこでローガルド公爵夫妻とお茶を飲んでからこちらに出向く予定だったのですが、『早くお姉様に会いに行きたいです!』と、マリーリカに急かされてしまったもので」
「それは! 最近お姉様は滅多に王都にいらっしゃらない上、ご都合をお尋ねしても予定が一杯詰まっていて、お邪魔をするのは申し訳無かったので!」
 真っ赤になりながら必死に弁解するマリーリカを見て、アーロンは笑顔のまま宥め、エセリアは自分を慕ってくれている従妹に対して、謝罪の言葉を口にした。


「ああ、分かっているからマリーリカ。そう興奮しないで」
「そうよ。私もあなたとじっくり話をしたかったのだけど、王都滞在中に色々と済ませなければいけない事があったものだから……。なかなか時間が取れなくて、本当にごめんなさいね」
「お姉様が謝る事ではございませんわ。それにお元気なお姿を見て、安堵いたしました」
「ありがとう、マリーリカ。剣術大会の視察の間、あなたとじっくり話ができると思っていたから、私も楽しみにしていたのよ」
 それから早速、お互いの近況を語り合い始めて盛り上がった二人だったが、開会の時刻になると同時に司会役の生徒が朝礼台の上から、競技場全体に向かって声を張り上げた。


「皆様、静粛に!! それではこれより、今年度の剣術大会を開催いたします! まず最初に、今回ご臨席いただきました王太子殿下、殿下の婚約者たるローガルド公爵令嬢マリーリカ様、及びアズール伯爵エセリア様に、盛大な拍手をお願いします」
 その宣言の直後、会場中から割れんばかりの拍手が沸き起こった為、名前が挙がった三人は無言で椅子から立ち上がった。そしてアーロンは周囲を見回しながら笑顔で手を振り、エセリアとマリーリカが恭しく淑女の礼を執る。
 その後、再び司会者の指示により拍手が静まってから三人は着席し、大会実行委員長の挨拶が始まってから、アーロンはエセリアに苦笑しつつ囁いた。


「やはり、アズール伯爵の人気は絶大ですね。剣術大会の視察が正式に王太子の公務となったので、前年もこちらに出向きましたが、これほど熱狂的な拍手は貰えませんでしたよ?」
「とんでもございません。アーロン殿下への期待と、羨望の現れではございませんの?」
「確実にそれは違いますし、あなたには間違い無くそれだけの価値があります。この剣術大会はあなた達が卒業後も、完全に年間行事の一つとして組み込まれ、変わらず生徒主導の行事として執り行われているのです」
「それが可能なのは、お姉様が作成した《剣術大会完全運営マニュアル》のおかげですわ。全体のスケジュール設定、各係毎の細かい進め方など、必要な事が全て網羅されていますもの」
「後輩達の役に立っているのなら、嬉しいのだけれど」
 力強く訴えてきたマリーリカに、エセリアが苦笑しながら頷くと、アーロンが真剣な顔で言い出した。


「これまでに広く知られているあなたの偉業のみならず、今後の構想も実現したのなら、国のあり方そのものも、大きく変える事になるかもしれません」
 それを聞いたエセリアも真顔になり、確認を入れた。


「アーロン殿下は例の構想について、両陛下からお聞きになられたのですね?」
「はい。正直、驚きました。あなたが目指す所は、私の想像の範囲外です」
「それでは次期国王のお立場としては、いかがお考えでしょうか?」
「大変結構だとは思いますが、保守的な考えをお持ちの方々からは、相当煙たがられるかと」
 ここでアーロンが難しい顔で懸念を口にしたが、エセリアはそれを一蹴した。


「それは勿論、承知の上ですわ。ですが多少の誹謗中傷で、諦めるつもりはありませんもの」
 そんな風に平然と言葉を返したエセリアに、アーロンは苦笑するしかできなかった。


「父上の台詞ではありませんが、あなたは本当に豪胆な方ですね。次期国王としてもあの構想に賛同し、最大限の助力をする事をお約束します」
「ありがとうございます。何よりのお言葉ですわ」
 深く感謝しながらアーロンに対して頭を下げたエセリアは、ここで思い出したようにマリーリカに向き直った。


「ところでマリーリカ。来年のあなた達の挙式に向けて、既に色々な準備を進めているのでしょう?」
「はい。特に最近は忙しく過ごしております」
「以前、あなたが思いがけず王太子の婚約者になってしまったから、私ができるだけフォローすると言っていたけれど、最近は領地に行ったきりで、それを果たせなくて気になっていたの。特に困っている事とかは無いかしら?」
 アーロンの立太子に伴い、急に未来の王太子妃の立場に立たされた従妹について、エセリアは常々罪悪感を覚えていた。しかし申し訳なさそうにエセリアが言い出した内容を聞いたマリーリカは、明るく言葉を返す。


「そんな風に心配していただいて、ありがとうございます。ですが大丈夫ですわ」
「それなら良いのだけど……」
「勿論、いまだに身に付いていない事や知らない事は多々ありますが、それは私自身で克服しなければいけない事ですもの。お姉様と比べて至らない所が多くても、アーロン殿下と並び立つ為に、私は全力で努力するだけです」
 迷いなど微塵も感じられない表情での、その決意を聞いたエセリアは、すっかり感心してアーロンに同意を求めた。


「頼もしい言葉ね。私などより、よほど王太子妃に相応しいわ。殿下もそう思われませんか?」
 それにアーロンが、微笑みながら応じる。
「アズール伯には失礼に当たるかもしれませんが、誠にその通りかと。彼女の最大の美点は、努力を怠らない事だと思います」
 そう手放しで誉められたマリーリカは、恥ずかしそうに言葉を継いだ。


「お二方とも、そんな大袈裟な事ではございませんわ。あの審議の場でのグラディクト殿の醜態を目の当たりにした際、どれほど自らに至らない所があっても、それを決して他人のせいになどしないと、決意しただけですもの」
「マリーリカ」
「あ……」
 ここで彼女が殆ど禁句となっているグラディクトの名前を口にした為、その場に居合わせた学園関係者や近衛騎士達が僅かに顔を引き攣らせた。マリーリカもアーロンに囁かれて自らの失言を悟り、気まずそうな顔で押し黙る中、エセリアはそれを笑い話の一つにしてしまう。


「まぁあ……、そうなるとあの方は反面教師としては、なかなか優秀な方だったのですね。領地に籠もらせずにずっと王都で醜態を晒させていたら、どれほどの人間が自らを戒める事ができたのでしょう。本当に惜しい事をしましたわ」
「……本当に辛辣ですね、アズール伯」
 ころころと笑い飛ばしたエセリアを見て、アーロンは一瞬瞠目してから笑いを誘われ、その周囲にも笑い声が広がっていった。


「それではそろそろ予選が始まりますし、おとなしく観戦させていただきましょうか」
 そうエセリアが提案すると、アーロンとマリーリカが笑顔で頷く。
「そうですね。その合間に、お話ししたい事が多々ありますが」
「私もですわ!」
「マリーリカ、剣術大会は四日間もあるのだから、そんなに勢い込んで喋らなくても大丈夫よ?」
「それではお姉様も、四日間の日程全てをご覧になりますのね!? 本当に嬉しいですわ!」
 喜色満面で叫んだマリーリカを見て、エセリアとアーロンは顔を見合わせながら苦笑した。


(伯母様の手紙に『マリーリカの妃教育を、ハイペースで進めている』と書いてあったから、精神的に色々負担になっていないかと心配していたけれど……。アドバイスができる事にはするし、愚痴も聞こうかと考えていたのは、余計なお世話だったわね)
 そこで仲良さげに語り合っているアーロンとマリーリカを眺めながら、エセリアは自嘲気味に笑った。


(煩わしい貴族間の社交なんか放り出して、自分のやりたい事だけをやっている私より、自分のしなければいけない事をきちんと認識して、それに対しての努力を怠らないマリーリカの方が、はるかに王太子妃や王妃に相応しいわ。アーロン殿下の王太子就任もそうだけど、やっぱり婚約破棄に持ち込んで正解だったわね)
 改めてそんな事を考えたエセリアはここ暫くの懸念が晴れ、剣術大会の期間中、笑顔で周りの人間に接していた。



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