悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(4)ちょっとした喜劇

 帰国して早々に王宮に出向いたローダスは、関係各所に顔を出す合間に廊下の先を歩く幼なじみを見かけた為、笑顔で駆け寄りながら声をかけた。
「シレイア! 久しぶりだな!」
 その声に足を止めたシレイアは、書類の束を抱えながら振り向き、意外そうな顔で応じる。


「あら、ローダス。帰国していたのね。アルステリアとの貿易交渉は上手くいったの?」
 その問いかけに、彼は得意満面で胸を張った。


「当然だろう? 双方に角を立てずに、しっかり有利な条約を結んできたぞ」
「条約を締結してきたのはあんたじゃなくて、代表の全権大使でしょ?」
「そうは言ってもだな!?」
 素っ気なく言われて、ムキになって言い返そうとしたローダスだったが、そんな彼をシレイアは笑って宥めながら再び歩き出した。


「でもまあ、お疲れ様。大使の下で外交局のあんた達が駆けずり回ったからこそ、無事に条約が締結できたんでしょうからね」
「分かってるじゃないか」
 並んで歩きながらローダスも苦笑を返したが、すぐに真顔になって慎重に話を切り出した。


「それで、だな……。シレイア」
「何?」
「暫くは国外派遣は無いだろうし、この機会にちょっと話を進めておこうと思ってだな……」
「話って、何を?」
 何やら急に、言いにくそうに言葉を濁した相手を横目で見ながら、シレイアは(ローダスらしくないけど、一体何事かしら?)と、内心で訝しんだ。するとローダスが、どこか探るように言い出す。


「いや、その……、お前だってカルバム大司教から、最近色々と言われているだろう?」
 しかしそう言われたシレイアは、本気で首を捻った。


「お父様から? 王都内の福祉行政に関わる事かしら?」
「いや、そうじゃなくて、他にもあるよな?」
「他に? ……あ、そう言えば、最近話題に出たわね」
「そうか。それで大司教は、何て言っていたんだ?」
 聞いているなら話は早いとローダスは安堵したが、彼女の口から告げられた内容は、彼の思惑とは全く無関係な事だった。


「最近、某司教の息子が貸金業務部に、親の威光を傘に着て多額の融資を要求したとか。返済計画がボロボロで審査が通らなくて、事業部の担当者から知らされたその某司教は、面目丸潰れだそうよ」
「いや、それは明らかに違う」
「まさかローダス、あんた外国滞在中に散財しちゃって、教会の貸金業務部からお金を借りたいとか? だけど教会内であんたの顔は知られているし、総大司教の息子が借金の申し込みとかしたらさすがに外聞が悪いし、総大司教様の面目にも関わらない?」
 制止の言葉を遮られた上、もの凄く心配そうな顔をされてしまったローダスは、語気強く言い返した。


「どうして俺が、借金をする必要があるんだ! 将来に向けて無駄遣いせず、ちゃんと貯めているぞ!」
「あら、それなら総大司教様の為にも良かったわね」
「だからちょっと待て!」
 ここでローダスは、サラッと笑顔で話を終わらせたシレイアの腕を掴み、足を止めさせた。それに従い振り向いた彼女が、若干機嫌が悪そうにローダスを睨み付ける。


「あのね、さっきから何なの? 見たら分かると思うけど、私、仕事の途中なのよ?」
「手間は取らせない。今度休みの日にでも、一緒に食事をしながら話ができないかと思ったんだ」
「その話って何よ?」
「カルバム大司教から、そろそろ結婚しないかって言われてないか?」
 手を離しながら真剣極まりない表情でローダスがそう切り出すと、シレイアは僅かに顔を顰めながら応じた。


「……ああ、その話だったのね。仕事に関係がある話だと思い込んでいたから、さっきは頭の中から消し飛んでいたわ」
(全く、お父様ったら。これまでそれとなく、間接的に言ってはいたけど、ローダスにまで説得を頼んだわけね)
 そんな若干見当違いの推論をした彼女から微妙に視線を逸らしながら、ローダスは話を続けた。


「それでだな……、お前が自分の仕事に誇りを持っているのは俺も良く分かっているし、本当にこんな事を、俺の口から言いたくは無いんだが……」
「そうね。部署は違えど、お互い同じ官吏だしね」
(それにしても……。帰国したばかりの官吏に、教会関係者繋がりで無茶ぶりをさせるなんて……。ローダスがこんなに言いにくそうに困った顔になるなんて、そうそう無いわよ? これは一度お父様に、ガツンと言い聞かせないといけないわね)
 ローダスが俯きながら、いかにも言いにくそうに言葉を濁したところで、シレイアは盛大な溜め息を吐き、父親への厳重抗議を決心しながらその場を無言で立ち去った。しかしローダスはそれに気が付かないまま、話を続ける。


「その……、やっぱり女は結婚して家庭に入るべきだと思うし、シレイアも無理して働き続ける事は無いかと……」
 しかしその意見に何も返ってこない為、ローダスは目を逸らしつつ若干後ろめたい思いをしながら弁解した。


「いや、勿論、女性官吏の仕事を馬鹿にしているわけじゃなくてだな。俺は単に、お前に無理をして欲しくないだけで……。だから、お前の人生は俺が責任を持つから、この際思い切って仕事を辞めて、俺と結婚する事を考えて欲しいんだ」
 ローダスとしては誠実に話したつもりだったが、未だに返ってくるのが沈黙のみだった為、現実的な提案をしてみた。


「勿論、今すぐに結論を出すのは無理だろうし、俺もそこまで急いではいない。ただその事を今度の休みに顔を合わせて、改めて詳しく話を」
「まっぴらごめんよ。あんたなんか願い下げだわ」
「は? どうし」
 しかしいきなり冷たい声で拒絶されたローダスは慌てて顔を上げ、次の瞬間、真正面にいた女性を認めて、驚愕の声を上げた。


「でぇぇぇっ!! エ、エセリア様ぁぁっ!? 何でここにいるんですかっ!? シレイアはっ!?」
 想像していた相手と違う事を確認するなり、蒼白になって後退りしたローダスを見て、エセリアは面白く無さそうに言い返した。


「ご挨拶ね、ローダス。私は新規事業に関する相談をする為に内政局に出向く途中で、偶々旧友二人が立ち話している所に出くわしただけよ。何だか込み入った話をしているみたいだから、話が済んだら声をかけようと様子を見ていたのに、この醜態とはね」
 ここで如何にも嘆かわしいと言わんばかりに、盛大に溜め息を吐かれたローダスは、恐る恐るエセリアに尋ねた。


「ちなみにエセリア様は、どの辺りから俺達の話を聞いていましたか?」
 その問いに、彼女は少しだけ考えてから返答する。
「そうね……。確か『カルバム大司教から、そろそろ結婚しないかって言われてないか?』辺りからだと思うわ。その挙げ句、相手が立ち去った後も延々と一人芝居をしているあなたが気の毒になって、声をかけて止めさせようと思ったのだけど。最後まで傍観していた方が良かったかしら?」
 大真面目にそんな事を言われてしまったローダスは、がっくりと肩を落としながら項垂れる。


「シレイアは、いつからいなくなってましたか?」
「ええと、確か……。『やっぱり女は結婚して家庭に入るべきだと思う』辺りからかしら?」
「肝心の話の、最初からじゃないか……」
 気合いを入れて話を切り出した筈が、完全に空回りだった上、それをエセリアに見られていたと分かったローダスは、そのショックで廊下に崩れ落ちた。そして両手を付いて項垂れている彼を見下ろしたエセリアが、思わず溜め息を吐いてから、思うところを正直に述べる。


「本当に、若手官吏きっての切れ者と名高いローダスの姿とは、とても思えないわね」
 その台詞を聞いたローダスは、勢い良く顔を上げて涙目で抗議した。
「エセリア様! 見ていたなら、もっと早く止めてください!」
「逆ギレするのは止めて頂戴。それにさっさとシレイアを追いかけて、もう一度やり直せば良いだけの話じゃない」
 そう突き放すと、ローダスの顔が盛大に引き攣る。


「無理です……。エセリア様に一部始終を見られた後で、同じ事を繰り返すなんて。恥ずかしさで死ねます」
「じゃあ、とっととくたばりなさいな。この意気地無しが」
「…………」
 エセリアが高位貴族の令嬢らしく、高飛車に言い放ったが、ローダスは全く反論せず、それどころか彼女と視線を合わせないようにしてゆっくりと立ち上がり、何となくふらつきながら廊下の奥に歩いて行った。それを渋面で見送ったエセリアが、小さく舌打ちする。


「ローダスの気合いを入れようと思ったんだけど……。少しきつく言い過ぎたかしら」
 そんな独り言を漏らしていると、どこからか囁き声が聞こえてきた。


「鬼だ……、鬼がいる……」
「しっ! 聞こえるぞ!?」
「顔を合わせるな、逃げろ!」
 エセリアが声のした方を素早く振り返ってみると、廊下の曲がり角の向こうに、複数人の官吏が慌てて姿を隠したのが見えた為、彼女の機嫌は益々悪くなった。


「お兄様から聞いた通り、周りからすっかり面白がられているみたいね……。だけど、あのローダスにしても、女は結婚して家庭に入るべきだと当然の如く考えているのは、ちょっと……。いえ、かなり気に入らないわ」
 賭けの対象になっている二人に同情しつつも、ローダスを含めた官吏達の意識が気に入らなかったエセリアは、今後の話し合いの進め方を決定した。


「うん、決めた。やっぱりここはまず、シレイアと腹を割って話してみましょう。となると当然、今度の彼女の休みは、私が独占という事になるわね」
 そこで一人頷いたエセリアは、ローダスが消えた方向を見ながら薄く笑った。


「ローダス、悪く思わないでよ? そっちがぐずぐずしているのが悪いんだから。こっちはこっちで、話を進めさせて貰うわね」
 そうひとりごちた彼女は当初の目的地に向かって、何事も無かったかのように歩き出した。





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