悪役令嬢の怠惰な溜め息

篠原皐月

(16)真相は藪の中

 立太子された時、アーロンはクレランス学園の貴族科上級学年に在籍しており、本来ならば公務は免除される筈であったが、前王太子のグラディクトがしでかした失態のせいで、体面を潰した王家の名誉を回復させるべく、各国大使との協議や社交の場に何かと引っ張り出され、忙しい日々を送っていた。
 そんな調子で週の半分程は王宮に戻り、公務をこなしていた彼は、婚約破棄騒動から約半年が経過し、王宮内もすっかり落ち着きを取り戻した頃、予想外の事態に遭遇する事になった。


「王太子殿下、各地からの陳情書です。目を通していただけますか?」
「分かった」
 アーロンが王太子執務室で職務に勤しんでいると、補佐官のナジェークが幾つかの書類をまとめて差し出してくる。彼はそれを受け取って、早速目を通し始めたが、何枚目かの書類を目にした瞬間に渋面になった。


「ナジェーク……、このジムテール男爵領からの文書には目を通したのか?」
「はい、勿論です。あれから半年も経過しないのに、よくもまあ次から次へと問題を起こしてくださるものだと、心底呆れました」
 淡々とそう述べてくる補佐官に、アーロンは困惑も露わに問いかけた。


「しかし、この税率は何なんだ? 国で定めている限度割合の、二倍近くに設定されているぞ。十分処罰の対象になるが、その他にも前男爵が継続的に支援していた診療所や、貧民対策などへの補助金も打ち切っている。無茶苦茶な領地運営としか思えないぞ」
「要するに現男爵は、短期的にお金にならない事に、金を出す気は無いと言う考えのようですね」
「『短期的に金にならない』か……。エセリア殿は敢えて長期的な視点で、それに大金をつぎ込もうとしているのにな……」
 溜め息を吐くしかできなかったアーロンだったが、すぐに再び納得しかねる顔つきになった。


「しかし、解せないな……。こんな明らかな法律違反を指摘したり咎める人間は、ジムテール領内で使っている者の中に、一人も存在していなかったのか?」
 その尤もな指摘に、ナジェークは冷静に推測を述べた。


「仮に居たとしても、男爵が聞く耳を持たなかったか、誰も忠告する気分にはなれずに放置したのでは? 忠告して領内で男爵に一方的に処分されるより、明らかな違法行為をさせた上でそれを国に告発すれば、嫌でも男爵自身が処分対象になります。要するにあの方は、領地での人間関係の構築にも、失敗したと考えるべきでしょう」
「……手厳しいな」
「事実かと」
 素っ気なく応じたナジェークに、アーロンの溜め息が深くなった。


「取り敢えず、早急に手を打つ必要があるな。調査官を派遣して、速やかに税率を法定内に戻した上で、男爵の処遇を考える。男爵夫妻は当面蟄居処分になるだろうし、今後のジムテール男爵領の管理を、王宮差し回しの官吏に委ねるかどうかも判断しないといけなくなる」
「それでは、調査官の人選案です」
「……用意の良い事だな」
「恐れ入ります」
 そこですかさずリストを差し出してきたナジェークを見て、アーロンは感心するのを通り越して完全に呆れてしまった。そしてこのできる部下に関する、ある事を思い出す。


「そう言えば昨日聞いたが、正式に結婚が決まったそうだな。おめでとう」
「ありがとうございます。もう殿下のお耳に入りましたか」
 苦笑いで応じたナジェークに、アーロンは率直に感じていた事を口にした。


「しかし、意外な組み合わせに驚いたな。ガロア侯爵家のカテリーナ殿とは」
「先方の家とは、これまで積極的に交流しておりませんでしたから、確かに驚かれるでしょうね」
「そうだな。ガロア侯爵は私を早くから推していたから、兄上派と思われていたシェーグレン公爵家を、目の敵にしていたし。いつから彼女と面識があったんだ?」
 不思議そうにアーロンが尋ねたが、ここでナジェークが真顔になって窘めてきた。


「殿下。殿下がお優しいのは分かりますが、ジムテール男爵は、もう殿下の兄などでは無く、格下の一臣下に過ぎません。『兄上』などと口にしていると、また彼が増長する事も考えられます。言動にご注意ください」
「分かった。気を付ける」
「それでは各所に書類を届けて参りますので、暫く席を外します」
「ああ」
 そして強い口調で注意されているうちに、ナジェークの結婚に対する質問がうやむやになってしまった事にアーロンは気付いたが、また今度聞けば良いかと、一人残った執務室内で仕事を再開した。しかし書類を捌きながら、ふと手を止めて考え込む。


(あの騒動で一番得をしたのは、巷では私だと思われているし、実際にそうだと思うが……)
 そこでアーロンは、先程の話を思い返した。


(兄上が廃嫡され、私が王太子になった事でナジェークの縁談が纏まり、エセリア殿も婚約破棄など不名誉な事態に陥ったが……。もし万が一、最初から彼女が、兄上との結婚を望んでいなかったのなら……。一連の騒動で一番得をしたのは、シェーグレン公爵家ではないのか?)
 真剣な顔でそんな事を考え込んだアーロンは、すぐに我に返って首を振った。


「まさかそんな筈が、あるわけないな。私は何を、埒もない事を考えているんだ」
 そう自分自身に言い聞かせるように呟いた後は、彼は再び仕事に没頭していった。
 同じ頃、王宮にほど近い某公爵家の屋敷でも、密かに思い悩んでいる人物がいた。


「…………」
「エセリア様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
 机に向かっているエセリアから、お茶を持って来るように頼まれたルーナは、指示通りそれをテーブルに置いたが、主人が微動だにしない為、机の側に寄りながら声をかけてみた。


「昨日ワーレス商会から届くなり、それを随分難しい顔で読んでおられますが、一体、何の本ですか?」
「お姉様の新作よ」
「はぁ、そうですか。因みに、どんな内容ですか?」
「例の、婚約破棄騒動にまつわる話よ」
「……そうでございますか。これまでにも色々、出しておいででしたね」
 それを聞いたルーナは(《疑惑の迷宮》シリーズの最新刊か……。あれ、なかなか面白いのよね。またお嬢様に貸して貰えないかしら?)などと呑気に考えていると、いきなりエセリアが頭を抱えて呻いた。


「何? この『直に学園に潜入して、一切合切見てました』的な正確、かつ詳細な描写!? そりゃあ参考の為にって、学園内の様子や殿下やアリステア嬢の問題行動とか色々話したわよ? 話したけど、こんな裏事情的な事なんて、一言も漏らして無いんだけど!! それなのに、どうしてそのまんまなのよ、おかしいでしょ!?」
「お、お嬢様! お気を確かに!」
 錯乱気味に叫ぶ主を見てルーナは動揺したが、エセリアの自問自答は止まらなかった。


「ひょっとして……、今の今まで私が転生したのは《クリスタル・ラビリンス~暁の王子編~》だと思い込んでいたけど、実は《疑惑の迷宮~悪役令嬢の怠惰な溜め息編~》だったわけ? いやいや、そうじゃないでしょ!! だって私は今現在、ここにこうして存在しているのに、どうしてこの本の世界に転生できるのよ!? ……でも、ちょっと待って。あの事件を元に、本が出版されるまでが本来のストーリーだったとしたら、それはそれで十分筋が通る……、わけねぇだろ!! ふざけんな!!」
「ひいっ! お、お嬢様!?」
 ぶつぶつと何やら呟いていたと思ったら、いきなり憤怒の形相で立ち上がった主を見て、ルーナは肝を潰したが、エセリアはそんな事には気が付かないまま、何もない中空を見上げながら、錯乱気味に喚いた。


「それじゃあ、もうファンタジー通り越して、SFの世界だろうが!? 本当に一体どういう事よ!! 責任者どこだ!? 責任者出てこ――い!!」
「だっ、誰かぁぁっ!! お嬢様が! お嬢様が、本格的におかしくなりましたぁぁっ!!」
 拳振り上げつつ、全く意味不明な怒声を上げたエセリアを見たルーナは、そのあまりの異常さに泣き叫びながら部屋を転がり出て、周囲に助けを求めた。しかし古参の使用人達は、「ああ、確かお嬢様が小さかった頃にも、こんな事があったなぁ」とのんびりしたもので、その後暫く屋敷内でエセリアは生温かい目で見られはしたものの、その奇行が外部に漏れる事は無かった。




 ※※※




 国の上層部を揺るがした、その《王太子婚約破棄及び廃嫡事件》は庶民の間でも様々な憶測を呼び、それを題材にした本がその年のうちに数多く出版された。その中で身分の上下に関わらず最も人気が高かったのは、侯爵夫人にも関わらず執筆活動を公言していた、コーネリア・ヴァン・クリセード執筆による《疑惑の迷宮》シリーズであるのは、万人が認めるところである。


 その断罪と審議の場の詳細かつ精密な描写と、大胆な仮説に基づく臨場感溢れるその記述は、老若男女の絶大な支持を受け、彼女はそのシリーズで《推理物ミステリーの女王》の称号を得た。そしてその中でもダントツの人気と売上を誇ったのが、《悪役令嬢の怠惰な溜め息編》である。
 被害者と思われていた令嬢が、実は全ての黒幕だったと言う、その奇想天外な設定が多くの読者の心を掴み、それは発売直後から不朽の名作として、広く長く読み継がれる事となったのだった。


(完)



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